第21話 敵か味方か

「はっ――はっ――」


 息を切らしながら、校舎を走る。


 一階を駆け巡り、二階へと進んだところで彼らは現れた。

 進行方向に数人、人影がある。やはり制服を着ていて、生徒と思しき者達。


「このぉ!」


 立ち止まっては囲まれる。

 そうなったらお終いだ。

 私は勢いを止めぬまま立ち塞がる幽霊たちを押し退けて、先へと進んでいく。


「本当に――幽霊学校もいいところですわ!」


 これらが皆、本当に幽霊なのならば、間違いなくこの学校は異常だ。

 逆にこれだけの異常ならば、必ずどこかに原因があるはず。


 背後から迫ってくる気配を感じつつ、何を探しているのかも分からぬまま、私はとにかく先へと進んだ。

 今のところ、校舎に変わったところはない。

 妙な雰囲気も、学校全体を覆っているようで、これといった差も感じられなかった。


「…………っ」


 三階に向かおうとしたところで、さすがに立ち止まった。

 ほぼ全力疾走の状態で、校舎などという空間を走り回ったのだから、体力があっさり尽きるのも当然だ。


 後ろを見る。

 暗闇の向こうからは、複数の濁った足音。


 さすがにぞっとする。

 進まないと、と思って三階へ通じる階段へと足をかけたところで、真上から何かが落ちてきた。


「――きゃ!?」


 完全に不意を突かれて、私は落ちてきたものもろとも床に叩き付けられ、ひっくり返る。


「つ……う……!」


 受身も取れなかったせいで、ぶつけた箇所が酷く痛んだ。

 慌てて現状把握に努めてみれば、自分の腹の上で何かが蠢いていた。


 のそり、のそりと鈍い動作で動いていたのは、私と同じ制服を着ている女子生徒。

 着地も考えずに文字通り落ちてきたのは、この幽霊だ。


 そいつは私の腹の上で跨ったまま、じれったいほど緩慢な動作で両手を伸ばしてくる。

 私の、首目掛けて。


「こ、の……っ!!」


 振り払おうともがいてみたものの、幽霊のくせに体重は人並みにあるらしく、しかも完全に上から押さえつけられている状態だったせいで、少しも振り解けなかった。


「――な、品川、さん……!?」


 その顔を見て、さすがに驚く。

 クラスメイトなのだ。


 同じクラスの少女を前に、それでも躊躇ったのは一瞬だった。

 由羅の言葉を思い出し、覚悟を決める。

 それにこれはクラスメイトなんかじゃなく、得体の知れない幽霊なのだから。


 私は首へと伸びてきた両手を掴み取ると、逆関節にひねった。

 嫌な音が響く。

 全てではないものの、確実に指の何本かをへし折ったのだ。


 ずいぶん実体感のある幽霊ではあったが、この際どうでもいい。

 私はすかさず右の拳で相手の顔面を殴りつけ、ひるんだ隙にどうにか抜け出すことに成功した。


「……わたくし、押し倒される趣味はないんですの。悪しからず」


 そうとだけ告げて、立ち上がろうとしていた相手の顔を、今度は思い切り蹴飛ばしてやった。

 靴の爪先が口の辺りに命中したせいか、歯が何本か散って、血があふれ出す。

 それでとりあえず、目の前の幽霊は動かなくなった。


 血液が床に流れ出し、生々しい死体のようなその見てくれに、さすがに自分がしたことにちくりとしたものを感じずにはおれなかったが、気にしていてはこちらの命に関わる。


 割り切れ、と無理に言い聞かせて、すぐ背後に迫っていた男子生徒を殴り飛ばした。


「次から次へと……!」


 ここで時間を食ったせいで、幽霊たちに追いつかれてしまっていたのだ。

 応戦を続けていれば、いずれやられてしまう。


 この場所はちょうど階段で、三階に行くことも一階へ戻ることもできる。

 ……いや。


「最悪、ですわね……」


 どちらに進むか決めかねた僅かな間に、下と上から足音が聞こえてくる。

 どうやら三方から挟まれてしまったらしい。


 こうなっては逆に、判断は一つしかなかった。

 突破するしかないのならば、逃げ場も無く、勢いの出ない三階へと針路は下策だ。

 例えうじゃうじゃ出てこようとも、活路のある一階へ進むしかない。


 のそり、のそり……と、今しがたまで沈黙を保っていた顔面を血まみれにした女子生徒の幽霊が、再び動き出す。

 それがほとんど合図となった。

 階段を駆け下りる――そうしようとしたまさにその瞬間、


「上だ!」


 思わぬ声がかかった。


「は――?」


 気勢を殺がれ、思わず見上げれば、階段から何体かの幽霊が転がり落ちてくる。

 その先にいたのは――


「え、あ……紫堂くん……!?」

「いいから早く!」


 考えている暇は無かった。

 すでにほとんど周囲を囲まれている。

 階段の途中でひっくり返っている何体かを踏み越えて三階へと進めば、踊り場に立っていた紫堂くんは懐から紙のようなものを数枚取り出し、下へと放った。


「目を瞑れ!」


 そんなことを急に言われても、できるわけがない。

 だってまだ私は走っているところで――


 刹那、白光が校舎を照らした。

 同時に空気を伝わって衝撃が全身に響く。


「ひゃ……!?」


 虚を突かれた私は情けない悲鳴を上げて、階段の途中で無様に転んでしまう。

 慌てて起き上がろうとするものの、さっきの発光のせいで目が眩み、視界は真っ白だった。


「こっちへ」


 耳元で声がして、私の手に手を繋いでくる感触があった。

 それにすがるようにして、私はどうにか身体を動かして、その誘いに従う。

 ある程度走ったところで、どこかの教室に入ったのが分かった。


「しばらく静かに、息を殺しているんだ。連中がやってきても騒がずに」

「は、はい……」


 もう頷くしかなかった。

 ぼんやりと回復してきた視力で隣を見れば、紫堂くんらしき人物は、また数枚の紙を取り出して何やら呟いている。


 と、教室の入口から音がした。

 ぞっとする。

 ぞろぞろと、さっきの連中が入ってきたのだ。


 追い詰められたも同然のこの状況で、思わず隣に視線をやれば、彼は人差し指を口に当てて、静かに、とジェスチャーした。

 頷いて、とにかく押し黙る。


 すぐに、変なことに気づいた。

 入ってきた幽霊たちは、どういうわけかこちらを見向きもせずに、見当違いの方向をしきりに徘徊している。

 私たちを捜しているのは明白なのだけど、目の前にしながら捜せていない。

 まるで、こちらが見えていないかのように。


 彼が何かした。

 すぐにそう察したものの、幽霊の一体が目前数十センチを通り過ぎた時には、さすがに心臓の鼓動が洩れ聞こえないかと冷や汗をかいてしまった。


 五、六分ほど徘徊して、幽霊たちは次の教室へと消えていく。

 さらに時間が経過し、連中の足音が完全に聞こえなくなったところで、隣の紫堂くんが肩に入った力を抜くかのように、息を吐き出した。


「……とりあえずは一安心、かな?」


 微笑を浮かべ、紫堂くんがこっちを見る。


「……そのようですわね」


 頷いて、私は周囲を片手で指し示した。


「結界、ですの?」

「ああ。擬態と人避けを組み合わせた、初歩的なものだよ」


 なるほど、と私は机に張られた二枚の札を見て納得する。


符術ふじゅつを使う咒法士、というところですか」


 幽霊たちが消えるまでの間、私が考えていたのは彼――つまり紫堂くんのことだった。


 こんな時間にこんな所に現れ、そして咒法を行使した。

 驚きではあったものの、彼が咒法を行使できる存在で、異端などに対してもそれなりの知識があるのは間違いない。


「別に符術士、というわけじゃないんだ。俺は広く浅く、だったからね」


 答えて、紫堂くんは机に張られた札を引き剥がした。


「連中、どうやら目と耳で相手を認識しているようだったから、単純な視界遮断で誤魔化せると思ったんだけど、どうやらその通りだったみたいだな」


 そんな言葉を聞きながら、私は数歩、その場から離れた。


「助けていただいたのは感謝しますわ。けれど、あなた……何者なんですの?」

「もう察しはついているとは思ったんだが?」

「わたくしたちと同業――分かったのはその程度です」


 問題は、彼が自分の素性を隠していたことだ。

 いくら助けてもらったとはいえ、全て信用するわけにはいかない。


「敵じゃないよ」


 両手を軽く上げて、紫堂くんは苦笑する。


「むしろ疑ってたのは俺の方なんだけどね」

「は?」

「詳しい話は後でするよ。それよりも今は、桐生さんの方だ」


 彼の言葉にハッとなる。

 由羅はまだ一人で――


「彼女も一緒に行動していたんだろう? 少なくとも最初、二人で校内を回っていたはずだ」

「……監視でもしていたんですの?」

「否定はしない。でもそれは、本当に君らを信じていいか分からなかったからだ」

「聞き捨てなりませんわね」


 話は後と言っていたが、だからといって頷くわけにもいかなかった。

 彼が同業者だったとしても、疑われる理由が分からない。


 しばらく無言で視線を交わせば、やがて紫堂くんはため息を一つ吐き出した。


「……君が連れ込んだ桐生由羅。――彼女は異端種だろう?」

「――――」


 そう、か。

 紫堂くんはそれに気がついて……。


「ただの人間じゃないことは分かったよ。さすがにね。そんな彼女を連れ込んだ君らをとりあえず警戒するのは、不自然かな?」


 なるほど……聞いてみれば、ごく当然の理由だ。


「いいえ」


 私は素直に首を横に振った。


「わたくしがあなたでもそうしたと思いますわ」

「ではやはり、彼女は異端種なのか。それが九曜に協力していると?」

「そういうことになりますわね」


 今度は逆に、こちらを信じてもらうしかない。


「彼女は間違いなく我々の味方です」

「そう願いたいよ。ただ彼女がこの学校に来た途端、この騒ぎだ。これまでも多少、幽霊がうろつくことはあっても、ここまで大規模なことはなかった。色々と不審には思う」

「由羅が来てから……?」

「ああ」


 つまり、昨夜から……ということか。

 無関係ではないのかもしれないけれど、今は原因は分からない。


「とにかく、今は桐生さんだ。彼女はどうしたんだ?」


 紫堂くんに聞かれ、今度は素直に現状について語った。

 彼女が幽霊たちを引き付け囮になっている間に、私が原因を探すべく校内を回っていたことについて。


「原因究明も必要だけど、人命優先だろう。彼女がどれほどの手練れかは知らないが、この数だ。これ以上時間をかけるのは無理じゃないのか?」

「……ええ。本当ならば二人で逃げ出したかったところです」


 彼女の手前、できなかったのが本音だ。こっちで原因を掴めたのならばいざ知らず、この体たらくだ。少なからず後悔はある。


「行こう」


 即断する紫堂くんの言葉に。


「わかりました」


 私は小さく頷いた。


     ◇


 その場の光景は、予想外といえば予想外だった。

 もはや動いているものなど無く、静寂のみが支配している。


「これは……」


 隣にいた紫堂くんも、その光景に絶句して、唖然とする。

 校舎の外に広がっていたのは、ただただ死体の山だった。


 いったいどんな力が加わったのか、無理矢理に引き裂かれ、潰された人の形をしたものの残骸。

 血臭こそしなかったものの、視界は薄闇のも関わらず赤で染まっている。

 その残骸の中心に、半身を朱に染めた少女が立ち尽くしていた。


「由羅!」


 思わず駆け寄った。

 肉の残骸に足を取られながらも、構わず進む。


「――――」


 その由羅が振り返って――その冷たい瞳に見つめられて、勝手に身体が震えた。

 足が止まる。進めない。


「最遠寺さん!」


 誰かが叫んだ――そう思った瞬間にはもう、目の前に金色の髪が舞っていた。


「え――?」


 何が起こったのかすら分からなかった。

 気づいた時にはもう、私は由羅に地面に叩きつけられ、苦痛に顔を歪めてしまう。


 そんな私に向かい、彼女は血に染まった右腕を振り上げて、叩きおろそうと――


「かな……め……?」


 手が、止まる。


「あ……ぅ、私…………ごめん、ひどいこと……」


 そのまま力尽きたように、由羅は私の上に覆いかぶさって、倒れ込んだ。


「ちょ……由羅!? しっかりして下さいな!」


 生暖かい感触。

 それは周囲に撒き散らされた血ではなく、彼女自身が流しているもので。


「大丈夫か!?」


 慌てて走ってきた紫堂くんは、由羅を私から引き剥がし、こちらを助け起こしてくれた。


「わたくしはいい――それよりも由羅を……!」

「でも、彼女は――」


 明らかに彼が動揺しているのが分かる。

 それも当然――これだけの殺戮の跡を見れば、誰だって正気でいられるわけがない。

 私だって。


 それでも私は、彼女を優先してくれるように頼んだ。


「ぅ……」


 由羅に意識は無かったが、それでも時折苦痛に表情を歪める姿が痛々しかった。

 傷が完全に開いているのは、もはや疑いようがない。


「とにかく手当てを……!」


 彼女の衣服を引き剥がそうとしたところで、何かに気づいたように紫堂くんが辺りを見渡した。


「これ、は……」


 消えていく。

 周囲に散らばっていた肉塊が、まるでそこにあったのが嘘のように、消えていく……。


 それに呼応するかのように、由羅の表情から苦痛が薄らいでいった。

 まさかと思い傷口をまさぐってみれば、もはや出血はほぼ止まっている。


「なんて、でたらめなの……」


 そうとしか言いようがない。


「思っていた以上に、厄介だな」


 紫堂くんの言葉を耳にしながら。

 その日の夜は、幕を閉じた。

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