第16話 予想外の展開
朝食を食べ終え、二時限目くらいになるとぽかぽかと陽気になってきて、案の定私は半分眠りながら授業を受けるはめになってしまった。
由羅の方はというと、昨日に比べると落ち着いたようで、こっちが気を遣わねばならないような事態にはなっていないし。
おかげで余計に眠くなる。
ぼんやりと窓の外を眺めると、光の加減のせいか、自分の顔が薄く写り込んでいた。
その眠そうな顔に、苦く笑う。
昨日あれだけのことがあって、しかもまだ何も解決していないというのに、今の私はここでぼんやりとしているだけだ。意外に現金だったんだなと思ってしまう。
視線をさりげなく移動させれば、そこには昨夜の重傷が嘘のように元気いっぱいで授業を受けている由羅の姿が目に入り、これもおかしくなる。
夢のようといえば夢のようで。
結局私は、実際に夢を見てしまうことになるのだった。
◇
「要、大丈夫?」
昼休みになって、隣にやってきた由羅にまずそう聞かれてしまった。
「……拷問ですわ」
正直そんな気分である。
睡魔と必死に戦ったものの、実際には三度ばかり負けてしまった。
その度に教師に起こされて、恥をかいたという始末である。
「人間はしっかりと眠らなければならないのです。だというのにあなたを見ていると……妬ましくて妬ましくてしょうがありませんわ」
「う」
眠いやら恥をかいたやらでやぶ睨みになっている私の視線を受けて、珍しく由羅が怯んだようだった。
「か、要……何だか人相悪い」
「素直な感想をありがとう、ですわ。ですがもう少々言葉を選んで下さいな。人相が悪い、などとは人聞きが悪すぎます」
「だって……」
私の機嫌の悪さに困った困ったとあたふたする由羅を見て、ちょっぴり溜飲が下がった気分になれた。
とはいえこれまで四時間、睡魔とやりやってきたストレスを彼女にぶつけたってしょうがない。
「さて、参りましょうか」
「え? ごはん?」
立ち上がり、席を離れた私の傍へと、慌てて由羅はついて来る。
「朝も話しましたが、幽霊捜しです。昼食の後、ですけれど」
「あ、うん。そうだったよね」
任せて、と由羅は頷いて。
とりあえず私達は食堂へと向かった。
◇
「うーん……」
困ったように――というか実際困りつつ、私はそんな声を上げてしまっていた。
「えっと、予想外?」
「そう、ですわね……」
由羅の言葉に、私は頷くしなかった。由羅自身、少々戸惑っているのが見て取れるし……。
「意外というか、何というか、わけがわかりませんわ」
感想は、まさにその一言に尽きていた。
昼休みも後半に差し掛かった現在。
私と由羅は昼食を食べ終えた後、校内を隅から隅へと歩き回った。
目的はもちろん、昨夜の幽霊もどきが実際に生徒としているかどうか、それを確認するためである。
全く期待していなかったにも関わらず、結果は予想を相当裏切るものだった。
いたのである。
あちこちに、それもそこにいるのが当然のように。
「うーん……」
もう一度、唸ってみる。
どういうことだろうか。
昨夜の幽霊もどきは、実際幽霊だったかどうかは別にしても、常人という感じではなかった。
人間臭くなかったというか。
でも今確認した限りでは……そんな雰囲気は微塵も無かった。
いたって普通だったのである。
何よりこっちの姿を見せても、何の反応も示さなかったし。
「……そもそも皆が皆、これといった怪我も無く無事というのも……解せませんわ」
由羅は手加減したと言っていたが、それは死なない程度にという意味に過ぎない。
あれはどう見ても重傷で、誰もが病院送り間違い無しの怪我を負ったはずなのに。
それがここでぴんぴんしているというのも……またおかしな話なのである。
「本当に手加減したんですのね?」
「あ、要ったらみんな私がやっつけたみたいなこと言うけど、要だってけっこう殴ってたじゃない」
「そうでしたかしら」
「そうだもの」
まあ、そうである。
今眺めている教室の中にいる女子生徒――あれは昨夜、私の首を絞めてくれた相手だ。さすがに顔は覚えている。
でもって苦し紛れに顔面を殴りつけて、鼻の骨を折ったか砕いたかしてしまったのも覚えている。
にも関わらず、今見えている女子生徒はそんな怪我の様子は少しも無かった。
「まるで夢ですわね」
本当にそう思ってしまう。
「でも、惚けているだけかも」
「かもしれませんが、しかし無傷なのはどう説明するんです?」
「あれくらい、私だったらすぐに治っちゃうもの」
「まあ、確かに」
これはもう、苦笑するしかなかった。
何といっても昨夜、一番の重傷を負ったのは他ならぬ由羅なのである。
その由羅がぴんぴんしている以上、他の幽霊もどきがぴんぴんしていようと不思議じゃない――というのも考えないではなかったが、やっぱり釈然とはしなかった。
そもそも由羅は色んな意味で規格外なので、あんまり基準にはならないし。
「ね、要」
何やら思いついたらしく、由羅が真剣な顔してこっちを見た。
「考えてたって仕方無いし、誰か一人捕まえて、吐かせてみたら?」
こらこら。
「体育館の裏にでも呼び出しますの?」
「あ、それいいね♪ 人目にもつかないだろうし」
「却下です」
「えー、何で!」
「もし相手が無関係だったらどうするんです?」
「その時はそれでいいじゃない」
「よくありませんわ」
言い切って、私は気づかれないようこっそりと溜息をついた。
由羅は少々不満そうにぶーたれてはいるものの、拷問――もとい取り調べに関しては、一応諦めてくれたらしい。
由羅はどちらかというと感情家だ。
だからこそ普段の彼女は、好意を抱いている相手には決して器用ではないもののよく気を遣い、私なんかにでも優しく接してくれる。
でも感情家だからこそ、好意を抱けないような相手に対しては対応が酷く冷たい。昨夜の幽霊もどきじゃないけど、敵と認めた相手に対しては、それなりに手加減はしても容赦はしないのだ。
そんな彼女に取り調べなんかを任せたら、相手はただじゃすまないだろう。
確信が無い状態で騒ぎ立てるようなことをさせるのは、今のところは避けたかった。
「まだ時間はありますからね。慎重に調べてみましょう」
「慎重って……具体的には?」
「とりあえず、昨夜の生徒の顔と名前を一致させること。何か共通点があるかもしれませんし」
「そっか……そうかもね」
由羅は頷いたものの、正直成果はあまり期待していなかった。
とはいえ今は、こういった地道なことを積み上げていくしかないのも、また事実である。
「何だか前途多難?」
「そのようですわね」
今度は由羅にも分かるように、溜息をつく。
「風向きが怪しくなってきた……というところでしょうか」
「え?」
「当初わたくしが想像していたよりも遥かに厄介で、危険――そんな気がするんです」
危険ということでは、命に関わるような危険があるのは間違い無い。
そしてこの学校には、当初の目的であった幽霊云々以上に、厄介な何かがある。
正直、私には荷が勝ちすぎているのかもしれない。
でも、由羅があんな目にあったっていうのに、そのまま放置してしまうのは嫌だった。
「私にはまだよく分からないけど、危ないんだったら――」
由羅が心配そうに何か言いかけたところで。
「――最遠寺さん!」
慌てたような声が、不意に投げかけられた。
「ちょっと、大丈夫だったの!?」
突然私と由羅との間に入ってきたのは、血相を変えた縁谷さんだった。
「さっき紫堂くんに聞いて、怪我したって聞いたものだから……!」
「あ……ええと」
なるほど。
縁谷さんとは昼休みまでにも顔を合わせていたが、その時はまだ知らなかったということか。
昼休みになって、紫堂くんから昨夜のことを耳にしたらしい。
「あ、大丈夫だから」
縁谷さんとは打って変わって呑気に答えたのは、もちろん由羅である。
「傷痕だってもう残ってないし、平気」
「傷痕って……」
まじまじと由羅を見返す縁谷さん。
まあ相手が由羅だと、色んな意味で理解しづらいかもしれない。
「本当……大丈夫なの? 大丈夫そうだけど」
「ええ、大丈夫ですわ。怪我といっても、かすり傷みたいなものですから」
もちろんかすり傷なんてものではなかったが、今はそう言っておいた方が話をややこしくさせなくてすむ。
「そうなんだ……」
紫堂くんも詳しく話さなかったのか、とりあえず縁谷さんは納得してくれたようだった。
「でも、こんなことになっちゃってごめんなさいね。何だか変なことに巻き込んじゃって……」
少々力を落としたように、縁谷さんはそんなことを言う。どうやら由羅が怪我をしたことで、それなりに責任を感じてしまっているらしい。
「いいえ、大丈夫ですわ。わたくし達は仕事の性格上、怪我をすることなど日常茶飯事ですし、慣れていますから。ただまあ……」
そこでさりげなく笑顔を作り、肩をすくめてみせた。
「少し、予想外だったのは認めなくてはなりませんけれどね。どうやらこの学校の幽霊さんは、存外好戦的なようなので」
「じゃあやっぱり……幽霊っていたの?」
私の言葉に、縁谷さんの顔に不安が過ぎる。
「あ――いえ。実をいいますと、今回生徒会に依頼された幽霊と、昨夜のことが同一のことなのかどうか、現状ではわかってはいませんの。無関係かもしれない」
「そうなの……?」
「わかりません。ですからちょっと調べてはみるつもりです」
たとえ無関係だったとしても、今手を引くことは考えてなかった。
由羅をやられたっていう感情的な理由もあるけど、何より自分自身、中途半端は気に食わない。
「でも、危なくない……?」
「大丈夫ですわ」
笑顔を見せて、私は断言しておく。
「わたくしも彼女も、プロですから」
「あ……うん、そうそう!」
プロと言われてしばしぽかんとした由羅も、すぐに何やら嬉しそうに力強く頷いてみせたりした。
「なら……いいんだけど」
それでも縁谷さんは、やっぱり心配そうだった。
まあ、そう思われても仕方無いか。
「ん……?」
そこで、由羅が小さく声を上げた。
訝しげに頬を掻きながら、さりげなく縁谷さんを見ている。
気になって声をかけようとしたところで、それよりも早く縁谷さんの言葉が滑り込んできた。
「どうしよう? 一応、生徒会のみんなにも報告しておく?」
聞かれ、私はちょっと考え込んだ。
「……紫堂くんは、あなただけに?」
「あ、どうかな。会長は知っててもおかしくないし……。私はたまたまさっき紫堂くんに会って、それで、だから」
「そうですか」
どうしたものかな、と私は首を傾げた。
依頼主が生徒会である以上、事の次第は話しておくのが筋だとは思う。
しかしそうなると、どこまで話すかということが問題になってくる。
つまり、襟宮会長のことについてだ。
今の縁谷さんの口振りから察するに、紫堂くんも会長のことまでは話していない。
そのことを抜きで話すこともできるけど、そうなると一度、紫堂くんと話しておいた方がいいのかもしれない。
「……わかりました。とにかく今日の放課後、生徒会室に伺いますので。みなさんがいらっしゃるかどうかは分かりませんが、報告はその時に――というのでは如何ですか?」
「うん、そうね。それでいいと思う。長谷先輩に言っておけば、襟宮先輩にも回してくれるだろうし」
「では、それでお願いしますわ」
その後少し会話してから、予鈴が鳴ったところで縁谷さんと別れた。
昼休み中にもう少し調べて回りたかったが、残念ながら時間切れだ。
「――由羅?」
そこで、黙ったままになっていた由羅のことに、今更のように気づいた。
「どうかしましたの?」
由羅は教室へと戻っていく縁谷さんの背中を見つめながら、何やら変な顔になっている。
「由羅?」
もう一度名前を呼べば、ようやく視線をこっちに向けてくれた。
「急に黙りこくってしまって……本当にどうかしたんですの?」
「んー……どうもしないけど……」
歯切れの悪い返事は、彼女にしては珍しい。
「何だか変な感じがしたから」
変?
由羅の言葉に、私は首を傾げる。
「それは何が、ですの?」
「うー、それがよくわかんなくて」
困ったように、彼女は頬を膨らませた。
ぷっくりと。
妙に愛嬌があったものの、見惚れている場合でもない。彼女にしては珍しく、真剣なのだ。
しかしそれも、ややあっていつもの表情に戻ってしまう。
「でも……気のせいかもしれないね。私って、おっちょこちょいだし」
どこか自嘲する彼女に、私は敢えて否定はしないでおいた。
「確かにそうですわね」
「あー、ひどい!」
「自分で言っておいて、抗議しないで下さいな」
由羅がぶーぶー言うのはさりげなく無視して、私は腕組みする。
……否定はしなかったものの、私は由羅の感覚を信じていないわけじゃない。
彼女の方が、私よりもずっと優れているのは間違いないのだから。
変、ね……。
とりあえず、この学校はどこかおかしい。
一昨日までは少しもそんなことは感じなかったというのに。
「要?」
「はい?」
思考を打ち破るように、由羅がこっちを覗き込んでくる。
「もう授業が始まっちゃうんじゃないの?」
「え、あ――」
言われてみれば、すでに周囲に生徒の気配は無くなってしまっている。
うっかりしていた、と思った瞬間にチャイムが鳴り出してしまう。
まずい。
「由羅、走りますわよ!」
「廊下は走るなって、どこかに張り紙が――」
「わたくしは見たことはありませんわ!」
「あれ、真斗の学校の方だったかな……?」
などと言いながらも、由羅の方が走るのが速かったりする。
本当、体力ばかなんだから。
ともあれ、どうにか授業開始には間に合うことができた。
担当教師が来る前に教室に踊り込んで、席につく。
普段の私ならば絶対にしない乱暴さに、クラスメイトの好奇の視線が集まったりもしたが、気にしてなどいられなかった。
何だかもう、彼女がきてから私のイメージは崩れっぱなしである。
由羅のばかちんめ。
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