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「……これとか、いい感じに撮れてるわね」

「あ、そうですね。これ、マジうまそう! って思って撮ってたんですよ」


 取材で訪れた老舗の郷土料理店で撮影した写真を見ながら、弓子と健太は店の感想を伝えあっていた。

 淹れたてのコーヒーの香りが漂い、小春日和の陽光が差し込む中、和やかに打ち合わせは進む。

 弓子の自宅――古い事務所をリフォームして住んでいる建物のうち、未使用だった一階のテナントスペースをクリーニングしてもらい、ちょっとした打ち合わせに使えるよう整えたのは、つい一月ほど前である。


 最初は普段使っている二階の住居部分に上がってもらい打ち合わせしようと健太に伝えたところ、難色を示された。

 男性の健太が、弓子一人しかいない時間に仕事とはいえ長時間入りびたるのは外聞が悪い、と言ったのである。

 十歳も年が離れている年下の男性にそう指摘されて、弓子は笑い飛ばしたが、健太が頑として譲らず、打ち合わせは外ですることになった。

「十歳も年上のオバサン捕まえて、外聞が悪いなんて笑っちゃうよね」と友人のライターとの集まりでネタ的に話題にしたところ、避難ゴーゴーであった。

『はあ? そりゃその男の子の言い分が正しいでしょ? 年上の女性ライターが若いカメラマン家に連れ込んでいるなんて思われたって仕方ない状況だよ?』

『そうよ、そうじゃなくてもトノは美人で年齢だって、十とは言わないけど、五つくらいは若く見えるんだから。田舎だからって油断してると、マスコミの格好の餌食だよ』

 ちなみに「トノ」というのは、親しいライターの仲間内での弓子の愛称である。


『でも、毎回外で打ち合わせって面倒なんだよね』

『トノんち、一階が全面ガラス張りのテナントだったじゃない? きれいにして、外から丸見えの事務所スペースみたいに使ったら?』

『あ、いいじゃない。もともと賃貸の事務所だったんでしょ? レンタルスペースみたいな設えにして、いかにも打ち合わせ中です、みたいな雰囲気出せば?』

『そのうち、ホントに貸してほしいって言われるかもね』


 確認してみると、設備等は老朽化しているものの使用には問題はなく、業者のクリーニングを入れれば十分使えると分かり、早速見積もりを取った。決して安くはないが、住居部分のリフォーム時に比べたら大したことはないし、せっかくなら美術部にいる和矢たちの作品(まだ見たことはないが)の展示スペースにしてもいい……そんな風に考え、業者に依頼を出した。


「じゃあ、今回はオーナーから聞いた郷土料理のいわれを中心に、店舗と料理の解説、っていう流れでいいわね」

「はい。候補の写真、整理して編集にメールします」

 事務所風のスペースでの打ち合わせには健太も了承してくれたので、ここ最近は自宅で相談できるようになった。和矢がいる時は、住居部分に上がってお茶を飲んでいくこともあるので、やはり弓子におかしな噂が立たないように配慮してくれているのだろう。


 正直、第一印象は、そんな風に気を回すようなタイプには見えなかった。一応の礼儀は尽くしているけれど、周囲からの見え方には関心がない、マイペースな芸術家肌だと思っていた。一緒に取材に出かけるようになって、弓子はもちろんのこと、取材先の関係者にも気配りをするし、立ち居振る舞いが妙に洗練されていて、基本的なマナーも身についている。

 経歴に載っている学歴を見ても、有名私立大学付属の小中高一貫教育学校卒業で、学力よりも資産や家柄が重視される名門だった。健太本人からは話題に上らないので、詳しくは聞いていないが、「カメラマンになりたくて家を飛び出したらしいですよ」と編集者に聞いていた。履歴書に素直に書いているところを見れば、隠す気はないと思うのだけど、本人が話さない以上、わざわざ聞き出すことでもない、と思っていたが。


「そういえば、なんか相談したいことがあるって言ってなかった?」

「あ、そうなんです。この企画、あと二回で終了なんですよね?」

「そうね。一応半年の限定企画だったから。好評なら、第二弾があるかもしれないけど。今は出版業界も不況だしね」

「で、その後は俺もフリーになるんですけど、この仕事のおかげで他からも少し声が掛かっていて、しばらく日本にしっかり腰を落ち着けていこうかな、と思っていて」

「あら、よかったじゃない? じゃあ、東京に戻るの?」

「いえ、ここからだと東京へのアクセスもいいし、必要ならすぐ上京できるので、しばらくはこっちにいようかな、って。だいぶメールにも慣れてきたし、こっちは景色もよくて撮りたい場所、たくさんあるし」

「ああ、そう言えばポートフォリオも、どちらかと言えば風景写真が多かったものね」

「まあ、いずれはそっちを専門にしたいかな、とは思いますが。今は、色々挑戦してみたいし。で、今のマンスリーマンション、とてもいいところなんですけど、長期的に住むには、やっぱり割高なんで、もう少し手ごろな値段のところに引っ越したいな、って考えていて」

「そうね、ずっと住むなら、もう少し希望も聞いて、条件に合ったところ探した方がいいわね。お世話になっている不動産屋さん紹介するわ。とりあえず、住民票うちに移したら?」

「え?」

「保証人とかは、私が請け負うから。その方が、契約もスムーズだろうし。スマホも返さなきゃいけないんでしょ?」

「……ありがとうございます」

 新進気鋭とはいえ、住所不定のフリーカメラマンに世間は甘くない。スマホにしてもアパートの入居にしても、公的な書類による確かな所在確認ができないと契約そのものが困難になる(抜け道も存在はしているが)。

「私で力になれることだったら、遠慮せずに言ってちょうだい。まだほんの二ヶ月ほどだけど、一緒に仕事していて、あなたの為人ひととなりは分かったから」

「……そんな風に全面的に信頼されるほど、できた人間じゃないですよ」

和矢おいっことそう年の変わらない若者に、そんな大層なものは求めてないわよ。ただ、あなたが、あなたなりに誠実に生きてきた人なんだな、ってのは感じているから。老兵としては、そういう未来ある青年に、少しでも手助けしたいだけなんだから」

「老兵って言うほどの年じゃないでしょ、遠野さん」

「いえいえ、もう最近肩やら腰やらが痛くって。年よね」

 軽口でごまかしているが、健太の目が潤んでいるのを見ないふりして。


「あ、そう言えばさ、笹木君、もしかして彼女とか、できた?」

「え……」

 言葉に詰まる健太だが、真っ赤に染まったその顔で一目瞭然だった。

「いや、あの、なんで?」

「だってさ、今まであんなに無頓着だった服装が、ちょいちょいメンズ雑誌に載っているようなお手本ぽい組み合わせになっていたり、やたらスマホの着信気にしたり」

「……仕事中は見てませんよ」

「そこはしっかり守ってるわよね。でも、休憩時間にも全く見ていなかったスマホとにらめっこしたり、にやけていたり。バレバレよ」

「……はい。おっしゃる通りです」

「お姉さんを甘く見てはいけません。あ、そうそう」

 観念してうなづく健太を、あまり弄ってはいけないと(本当はもっと構いたかったが)、弓子は話題を変える。


「今日もらったお土産、お店の看板メニューの手打ちうどんと辛味大根、分けるのも大変だし、うちで食べていく? 自分で作るなら分けてみるけど」

「いえ、全部遠野さん、どうぞ」

「遠慮しないで。今日は和矢たちも帰りが早いし、一緒に夕飯食べてかない? きっと和矢も喜ぶわ。インドにいたなら、辛いの平気でしょう?」

「……和矢に、何か聞いてるんですか?」

 それまでのはにかむような笑顔が消え、警戒心が露わになった。

 うっかり口にしてしまったが、健太の思いがけない反応に、弓子の方が驚いた。

「え、和矢は何も……。だって、インドにいたのよね? 履歴書にもあったし、ポートフォリオに風景が載っていたから」

「あ……」

 しまった、というように目を泳がせる健太の態度に、不審なものを感じた。そして、健太が『和矢』と呼び捨てにしていたことに気付く。日頃は『和矢君』とか『甥御さん』とか、他人行儀な呼び方なのに。そして、その他人行儀さに、いつも違和感を覚えていたのも事実だ。自分の前では、あえて距離を取っているような、空々しさを感じていた。


「……和矢と、何かあったの?」

「何も。まだ、何も」

 一瞬うつむいて、それから決意したように、顔を上げて。

「俺も、聞きたいことがあるんです。インドのことや、イギリスでのことを」

 じっと弓子を見つめるその目に、迷いはなかった。

 弓子は、手元の資料を揃えると、ファイルに収納し整える。無言で席を立ち、フロアの片隅で沸かしておいたコーヒーサーバーをもって戻ると、空になっていた二人のコーヒーカップにお代わりを注ぐ。


「ミルク切らしちゃったから、使うなら住居うえから持ってくるけど」

「遠野さん」

「……ブラックでがまんしてね」

 健太の真剣なまなざしに応えようと、弓子は椅子に腰かける。



 来るべき時が来たのだ、と不思議と納得しながら、弓子は、その目を見つめ返した。

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