3

 なんであの女が!


 真実たちに見られていることにも気付かず、谷津マリカは、手をつないだまま動かない恋人同士を……正確に言えば、その女の方を、じっとめつけていた。


 なんで、シバ様と、あの女が!




 夏休み前の文化祭で、須賀野や志摩に協力して、俊を陥れる計画に加わった。その時に、須賀野たちの背後にいる人物が気になって、打ち合わせ後、そっと後をつけてみた。こっそり聞いた「シバさん」という人物に会うのでは、と勘が働いた。

 繁華街の裏手、夜はちょっと近づくのが怖い路地裏を、日没前をいいことに、必死で尾行し、一軒のバー風の店にたどり着いた。さすがに入ることはできず、制服姿なこともあって、その日は諦めて帰った。

 翌日、目立たない黒系の私服をもって登校し、放課後駅のトイレで着替えて、繁華街で浮かないよう化粧もした後、再びあの店に行った。

 昼間、「今夜も打ち合わせを……」と須賀野が志摩と話しているのをこっそり聞いたから、店に顔を出す確率は高いはずだ。そう思って、じっと見張っていると、二人が連れ立って出てきた。ドアの内側にいる人間は見えなかったが、平身低頭の二人の様子から、それが黒幕の人物に違いない、と感じた。別に、その正体が本当に知りたかったわけではない。ただ、隠されているのが気に食わなかっただけである。

 制服姿の二人が出入りできるのだから、自分だって……、と思いながらドアの前まで行ったが、さすがに躊躇した。イキがっているが、決して不良とまではいかないマリカにとって、店の中は未知の世界だった。


「なんだ、お前?」

 不意にドアが外に開き、その勢いで、マリカは尻もちをついた。

 ウェイターらしき若い男が、マリカを見下ろした。

「女子高生か? 店間違えているぞ。うちはお前みたいなガキは用ねえんだ」

「違う、あの! 須賀野さんに……」

「スガの女か? あいつはもう帰ったよ」

「じゃなくて、……『シバさん』に」

 めんどくさそうにしていた男が、その名前を聞いた途端、目をクワッっと見開いた。


「……ちょっと待ってろ」


 そう言って店の中に入っていった。完全に閉まっていないドアから、中の様子を窺おうとするが、中扉があるのか、声は聞こえてこない。やがて、ガチャっと音がして人の出てくる気配がした。慌てて、ドアから離れると、先ほどの男が、無言で顎をしゃくって、中に入るように促した。改めて顔を見たら、まだずいぶんと若い。二十歳くらいか、下手したら未成年だ。


「早く」

 男は、ぼんやりしているマリカを短く怒鳴りつけ、乱暴に手首を持って、店の中に引っ張り込んだ。身の危険を感じたが、もはや引き下がれなかった。


「こいつです」

 店の奥まった場所で、ソファーに一人の男性が座っていた。

 薄暗い照明で、顔立ちは分からない。ただ、様子から、若い男だと知れた。

「女か」

「スガの名前を出していました。あと、シバさんの名前も」

「……チッ。まあ、あの程度の男じゃ、こんなこともあるか」

 男は舌打ちしたあと、諦めたようにため息をついた。

「で? お前は何がしたくて来たんだ? おこぼれでも預かろうって魂胆か?」

「おこぼれ?」

 意味が分からず、オウム返しに答えるマリカに、男は鼻で笑う。

「その様子じゃ、何も知らないで来たのか? どうせ興味本位だろう。ったく、女ってやつは……おい、席外せ」

「でも……」

「どうせ、こんな小娘に、何もできやしないさ」

「……」

 

 ウェイターは無言で立ち去る。カタンと扉が閉まる音がした。連れてこられた時は気付かなかったが、個室だった。と言っても、10畳くらいのバーカウンターもある、パーティルームのようだった。


「で? 何がしたいんだ? 俺の顔を見て満足したか?」

「……別に。ただ、秘密にされていたことに、ムカついただけ」

「……高天、俊」

「え?」

「復讐したいんだったな。元の原因は、遠野和矢、か」

「遠野クンは……恨んでないわ」

「へえ、惚れてるんだ」

「そうよ、悪い?」

 精一杯虚勢を張り、強い口調で言い返す。

「惚れた相手に袖にされた腹いせに復讐されるんじゃ、高天もたまったもんじゃないな」

 ククク……、と男は可笑しそうに声を殺して笑う。

「腹いせなんかじゃないわ。当然の報いよ。あいつも、あの女も」

「女? 遠野の妹か?」

「それもそうだけど、もう一人……三上加奈。ちょっと美人だと思って、美術部の男どもをいいように操って。同学年のクセに、偉そうに説教して。遠野クンだって、あの女に騙されているのよ」


「……三上、加奈、か。いいだろう、俺が引き離してやるよ。遠野から」


「え?」

「ただし、このことは他言無用だ。絶対、誰にも、言うな。スガたちにも、だ」

 男は立ち上がり、マリカの手を引くと、備え付けのカウンターの前に座らせた。

 ソファー席よりも明るいバーカウンターで、ようやく男の顔が、見えた。


 うっとりするような、艶めいた美貌。カウンターのランプに照らされて、睫毛の影を落とす瞳が、マリカの視線を捕らえる。かき上げた前髪がさらりと落ちて、頬に翳りを作り、際立った顔立ちの、その陰影をさらに濃くした。赤い唇が、薄く開かれる。煽情的に開いたその口から紡がれる言葉を待っていると、シバは、マリカに小さなグラスを手渡す。


「契約だ。そんなに強い酒じゃないから、大丈夫」

 先ほどまでとは打って変わった、優しい声。

 グラスからは、甘い果実の香りが漂った。一口で飲み干せる程度の量しか入っていない。

「さ……」

 促されるまま、口に含むと、濃厚な甘さが口いっぱいに広がった。

 一気に飲み干すと、あとから喉がカッと熱くなり、頬が火照るのが分かった。


「約束だ。決して、俺のことは、誰にも話さないで……絶対」

「はい……絶対」

 その瞬間、遠野和矢の存在は、マリカの脳裏から抜け落ちた。


 はい、シバ様。私は、約束します。


「そう、じゃあ、気を付けてお帰り。作戦、がんばってね」

「はい、絶対、うまくやります」

 シバがベルを鳴らすと、ウェイターが入室してきた。そのまま、マリカを店の外へ誘導する。

 心地よい酩酊感を味わいながら、我知らず笑い声が漏れてくる。

「お前……大丈夫か?」

「大丈夫、私は約束を守ります。シバ様との、契約だもの」

 ウフフ……。口調はまるで酔っ払いだが、足元はしっかりしていることを確認し、ウェイターはドアの外まで送り出すと、「酔いを醒まして帰れよ」と忠告してドアを閉めた。

「酔ってなんか、ないわよ」

 こっそりコークハイくらい、飲んだことだってある。


「お酒に酔ったわけじゃないわ。私を酔わせたのは……シバ様よ」

 




 その後、計画通り高天俊を拉致し、美術部の男子を誘い出した。遠野和矢も巻き込んだが、今更どうだってよかった。

 シバに恋した時を思い出して、高天俊への偽りの恋情を騙った時は、面白いように信じこんでくれた。

 残っていた一年生が思いがけない猛者で、結果作戦は尻すぼみに終わってしまったが、マリカ自身はきちんと役割を果たしたはずだ。


 なのに。


 再びあの店を訪れても、シバは姿を現さなかった。「しばらくおとなしくしているように」という伝言を、それも口伝えに受け取っただけだったが、マリカはおとなしく待った。

 須賀野や志摩が失敗したせいだ、自分はうまくやった。約束も守っている。役に立った私を、シバ様はきっと褒めてくれるはず。あの、とろけるような優しい声で。

 あれから二人が学校に姿を現さないのも、きっとシバ様の指示に違いない。


 そう信じて、夏休みが明けるのを待った。

 相変わらず、二人は登校してこない。高天俊はケガも目立たなくなり、普通に登校しているのに。もう、そろそろいいのではないか?

 そう思って1月ぶりに足を運んだが、店自体が閉店していた。


 なんで?! シバ様、なんで私を置いていったの?


 周辺の店に聞き込みをしたが、収穫は得られなかった。

「いいから、あの店に関わるんじゃない」と諭す者もいたが、マリカの耳には届かなかった。シバとの約束なので、その名を出すわけにはいかない。かと言って、手掛かりとなるあの店はなく、須賀野や志摩には連絡が取れない。


 焦燥感に駆られて、マリカは夜の街をさまよい歩いた。朝起きられず、学校を休みがちになったが、もう未練はなかった。昼間は眠って、夜は出歩いて。そんな日が続き、親にたたき出されるように学校へ行ったが、もうクラスメートとは話題が合わなかった。今まで取り巻きのように従っていた女子たちも、遠巻きにマリカを見て、コソコソ話をしている姿にムカついた。再び、夜の街をうろつくようになった。


 どこかで、シバとすれ違うかもしれない。時折、怪しいスカウトに声をかけられたが、何とか逃げだした。シバのために、きれいな体を残しておかなければならない。


 シバ様に会ったら、きっと褒めてくれて、そしてマリカの気持ちに応えてくれるはず。


 期待は、徐々に確信に変わった。

 身を守るため、夜で歩く回数は減らした。代わりに一晩中ネットを巡り、情報を探した。昼間、親に追い出されるように学校に行き、早退しては時間をつぶす日が続いた。


 そんな時。

「真実! 見ちゃった。いつの間に彼氏できたのよ?」

「制服姿で手つないで歩くなんて勇気ある! でも、あんなかっこいい彼氏なら、私も自慢しちゃうかも」

 クラスメートにからかわれながらも、照れくさそうに赤くなる真実の姿が目に入った。


 私を裏切っておいて、勝手に幸せになるなんて許せない。


「今度、駅前のイルミネーション見に行けば? 来月の週末から始まるって」

 そんな風にアドバイスするクラスメートの存在も許せなかったが。


 駅前のイルミネーション? 来月、十一月の週末、次の土曜日か日曜日……?


 そこで、真実の相手をみてやろう。どうせ、私のシバ様に敵うはずもない。

 そんな確信をもって、駅前に出かけたマリカが見たものは。


 ……なんで? 私のシバ様と、あの女が?!


 なんで?


『……三上、加奈、か。いいだろう、俺が引き離してやるよ。遠野から』

 確かに、シバ様は、そう言った。


 それは、こういう意味だったの?

 

 ……許さない。あの女。私の、シバ様に、手を出すなんて。


 取り返さなくてはならない。

 あの女から、私のシバ様を!



 論理的に考えれば、シバの方から加奈にアプローチしたと考えるのが妥当だったが、そんな正論は、マリカの中でとうに破綻していた。



 ただ、加奈への憎しみと、シバへの……英人へのゆがんだ、狂おしいまでの恋情が、そこにあるだけ、だった。

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