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『では、今月号の分、確認できました。おつかれさまでした』

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 電話越しに聞こえる女性編集者の声に、健太はホッとして礼を述べる。

 連絡に不便だからと、持たされたスマホであるが、まだ使用に慣れない。カメラ機材はいくら複雑でもスイスイ扱えるのに、メールは時間がかかってしょうがない。写真はメールが便利だし、パソコンで送信するので、キーボードの方がまだ入力しやすい。弓子の準備してくれたマンスリーマンションはネット環境も整っていたので、とても助かっている。

 と言っても、本当に簡単な文章を添えるだけで精一杯なので、編集者も承知して、深夜早朝以外は電話で連絡を取り合ってくれる。ありがたいことだ。ありがたいが……。


『もう、笹木さん、こちらがありがとうですよ。遠野センセイ、なかなか顔出ししてくれなかったのに、遠景とはいえ映ってくれて、紙面えまくりですよ。編集部でも評判いいんです。企画第一弾からヒットの予感ありまくりです』

「そうなんですか? まあ、弓子さん、美人だからなあ」


 よほどうれしいのか、高いテンションで話し続ける相手に、健太はやや辟易しながらも、相槌をうつ。

 電話では、相手から振られた話題に、答えないわけにはいかない。午後三時という時間だが、もしかして暇なのだろうか。でも同じ内容を、前回夜に入稿した時も聞かされた気がする。


 紹介したカフェで、弓子がおいしいお茶をお供に余暇を楽しむ風情を撮りたいからと健太が提案したら、了承したもののガチガチに緊張してしまい、強張った笑顔しか撮影できなかった。

 撮影が終了としたと声をかけた後、気が抜けてやっとリラックスした弓子がティーカップを手にお茶を一口、という一瞬を何とかカメラに収めた。


 本人には、不意うちだと怒られたが、出来上がった写真がほどよく遠目で、よく見たら弓子だとわかる程度だったので、オッケーをもらえた。

 リラックスしてお茶を飲む弓子の姿は、単なる美醜ではなく、やわらかでゆったりとした空気を纏っており、カフェの雰囲気がリアルに伝わるようだった。 


『そうですよー。そこらのモデルなんかより、ずっときれいなのに、もったいなくて』

 しかし弓子本人を見知っている彼女から見たら、どうしてもその美しさが前面に映ってしまうのかもしれない。

 カメラマンの健太からしても、弓子の美しさは写真に残す価値があることは否定しないが、一方で容姿にばかり目を奪われ、弓子本人がもつ温かさや緩やかさといった人間味をないがしろにされているようで、ちょっと面白くないが、下手に否定すると応酬されそうなので、胸にしまっておくことにした。

 そもそもそれを表現しきれない自分の技術不足でもあるわけだし。


『まあ、センセイとしたら、外見じゃなく記事の内容で勝負したいって気持ちも、女として分かりますけどね。でも、センセイの実力キャリア考えたら、もはや女使ってるなんて、陰口でも言えませんって』

「確かにいい文章ですよね。読みやすいし、なんかあったかい感じで」


『それもそうですけど、もともと遠野センセイって、大手新聞社の国際報道部にいたんですって。先輩から聞いたんですけど、新聞社に入社した時もテレビと間違えて受けたんじゃないか、女子アナ希望じゃないかって言われたりもしたみたいなんですが。実際、スカウトもされたみたいです。でも、世界中の支社飛び回って、各国の要人とかにもつながり作って、特ダネとって、局長賞とかももらってたのに、急に新聞社辞めて、気が付いたら地方に引っ込んじゃって。五ヶ国語くらいしゃべれるんじゃないかな。もったいないですよね』


「そうなんだ、すごいですね」

『最初はパリ支局にいて、ヨーロッパ回って、最後はニューデリーだったかな?』

「ニューデリー? インドの?」

『そう。なのに、赴任して、二ヵ月くらいで、突然帰国して……そのまま退職しちゃったの』

「突然……って、遠野さんにしては、おかしいですね。おっとりしてるけど、やることはきちんとやる人、って感じますが」

『聞いた話だと、身内のご不幸があったらしいんだけど。遠野センセイ、地方のいいところのお嬢さんで、一人娘なんだってね。おうちの事情もあったんじゃないかな』

「一人娘? お兄さんがいたって……」

『ああ、そういえばそうよね。お兄さんの子供たち引き取って一緒に暮らしてるって言ってましたもんね。じゃあ、兄弟はいたけど、亡くなって一人になったってことかな?』


「……それって、いつ頃の話なんですか? その、新聞社辞めた頃……」

『ええっと、その同僚だった先輩ができちゃった結婚して新聞社辞めた少し前だと思うんで……先輩の子供さんが今、小学五年生だった思うから、十二年前くらいかなあ?』


 十二年前……健太が十歳の頃。

 和矢と美矢が四、五歳の頃だ。


 健太が日本に連れてこられ、私立の小学校の帰国子女クラスに入れられて、その学年は確か三年生だったはずだ。実際に引き取られたのは、その一年程前になる。

 健太は、自分の正確な年齢も、生年月日も知らない。ただ、周りの大人が、そうだというだけで。しかし、遡った年代は、あっているはずだ。だとすれば、弓子がインドに行って、その後すぐに帰国したのは、健太が真矢たちと別れた、およそ一年後、ということになる。


 その頃に、身内の不幸があった? 兄が、死んでいた?

 いや、真矢の死は、もっと前だったはず。

 それとも、おばあの言った「すぐに」が、実は一年ほどのことだったのか?


『まあ、それまでヨーロッパ回っていた人が、いくら都市部とはいえアジア圏は慣れるのに大変だろうしね。色々ストレスも重なっちゃったのかもね』

「……ヨーロッパ回って、って、他にはどこに?」

『えー、どこだったかな? 私もまた聞きだしねえ……あ、でもニューデリーの前は、確かロンドンだったと思いますよ。1年くらいかな』

「ロンドン? 1年くらい?」


 あの頃に、ロンドンにいた?


『そう、……あれ? 笹木君? ……もしもし?』

 編集者の問いかけにも答えず、健太はスマホを机に置く。


『もしもし……電波悪い? ……あれ?』



 机上の声を放置したまま、健太は部屋を飛び出した。

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