第四章 凍てつく瞳

1

 すでに日は暮れ、薄暗い旧校舎を、和矢・正彦・斎は探索していた。

「これで、全部の教室を回ったんだよね? ……見つからないね」

 まだ足を踏み入れたことがなかった慣れない校舎内で、やや疲れたように和矢はつぶやいた。

「あとは、この裏のプレハブだけど。あそこはカギがかかっているからなあ……やたら開けられないしな」

 うーと、気が向かない様子で正彦がうめいた。

「今のところ、灯りがついているところはない。」

 指で西向きの窓を指さす斎。

 暗くて分からないが、実はプレハブの窓側に隣接しているので、中で灯りを使えば、窓に映るはずだ、ということらしい。

「探しに来ることを想定して灯りを付けないようにしている可能性がある。全部の部屋を確認するためにマスターキーを借りるには、事情を話すしかない。望ましくはないな」

「校外に出たってことはないかな?」


「それはないだろう。はっきり言って、俊が不良生徒と連れ立っていたら目立つよ。それに、俊が大人しくついて行くとは思わない。意識を奪ったのなら、ますます難しい」

 あっさり和矢の考えを否定し、斎は断言する。

「って、意識を奪うって……」

 剣呑な言葉に、正彦は青ざめる。


「意識のある十代後半の、それも男を押さえつけるのは至難の技だ。大騒ぎされないように口をふさいだにしても、俊くらいの体格の男が本気で抵抗すれば、よっぽどの腕っぷしがなきゃ不可能だ。ただ、無抵抗ならどこか近くに閉じ込めるくらいは何とかなる。さすがに校外まで運び出すのはいくら人数がいても目立つだろうけどな。それに、あの女、嘘ついてるよ。まあ、俊が助けたのは、本当だろうけど。俊に惚れたなんて、嘘っぱちだね。自分の演技に、酔っているのが見え見えだった」


「じゃあ、何で、わざわざ教えに……?」

「ひとつは、もし学校側に通報した場合、俊が自分でついていったという証言をするため。俊の自発的な行為だと取られれば、俊も処分対象にされる恐れがある。だけど、本当の目的は、おびき出すためだろう?」

「俺達を? 何のために……」

 斎と正彦の問答を聞いて、和矢がハッとする。


「……美矢たちが……!」

 危ない!


 飛び出そうとする和矢の腕を、斎が掴んで引き寄せる。


「大丈夫」

「だって、あっちは女の子たちが!」

「あと、山口部長もいる」

「戦力外だろ! 絵筆より重いもの持ったこともないような人は!」

「……なかなか面白いこと言うなあ。一応、イーゼルくらいは担げるだろう」

「物の例えだ! 君だって、巽君は役に立たないって!」

「そう言えば、安心するだろう?」

「……?」

 目を白黒させる和矢の胸ポケットが震える……斎のスマホからの着信だ。


『あ、和矢先輩! 見つかりました?』


 少女のような、巽の甲高い声が響いてくる。

「いや、まだ……そっちは大丈夫かい?」

 のんきな巽の声に、和矢は拍子抜けしながらも、一応確かめる。

『はい! 兄さんに、万事おっけーです! って伝えて下さい』


「……ということだけど?」


 甲高い巽の声は、スピーカーモードにしなくても斎や正彦にも聞こえていた。

「じゃあ、こっちは引き続き俊の捜索だな」

「じゃなくて! ……そっちもだけど、どういうことか説明してくれないか?」

「うん。俺もよくわかんないんで……」

 怒気を孕んだ和矢の言葉に、おずおずと賛同するように、正彦も小さく挙手する。

「えー? めんどい」

 あっさり、斎は却下する。

「……!」

 和矢の背後に、メラメラと怒りのオーラが立ち上る……かのように、正彦には見えた。

 眦をつり上げる和矢を見て、斎はフッと笑った。

「いいね。笑顔魔人の和矢が、怒るところなんて、そうそう目にすることはできないからね」


 ……頼むから、こんな非常事態の時に、ことをややこしくしないでくれ……。


 俊の氷のような眼差しには平気な正彦も、普段穏やかな和矢の、炎のような怒りには気圧された。

 よく笑ってみていられるものだ……斎の豪胆ぶりに感心する正彦も、案外肝が据わっていることに、本人は気付いていない。

「まあ、珍しい顔が見られたから、良しとしよう。……僕らがいなくなったら、時間を開けずに彼女たちを狙ってくるのは、予測していたからね。だから、巽を残した」

「……意味がよく分かりません……」

 怒りのあまり、口もきけない和矢に代わって、正彦が上目づかいに訊ねる。


「まったく、サッカーだって、ボール蹴るだけじゃ勝てないんだろう? 少しは頭を使わないと、頭脳プレーで負ける羽目になるよ。まあ、文化部な上、チームワークゼロの俊を熱心に勧誘するほど、人材不足なら、球蹴り遊び程度なのかもしれないけど」

「……それとこれとは関係ないだろ!」

「……まあ、まあ、落ち着いて」


 普段穏やかな正彦も、ことサッカーと俊に関しては黙っていられない。

 今まで見たことのないキレっぷりを示した正彦に、逆に冷静になった和矢が宥める側にまわる。


 そんな正彦を、満面の笑みで、見守る斎。

「いいね。正彦クンは、ホントにサッカーと俊が大事なんだね。でも、そんなにあっさり感情を表すと、いざという時守れないよ。大事な札は、うまく隠しておかないと」

「オールド・メイドか」

 冷静になった和矢が確かめるようにつぶやいた。

「おーるどめいど?」

「カードゲームで、最後までジョーカーを持っていたら負けるってゲームだよ。相手にわざとジョーカーを引かせるように、誘いをかけたりして……」

「それって『ババぬき』と違うのか?」

「日本ではそう言う名前だった気がする。」

「そう。いらないと思わせておいて、実は切り札。さすが和矢。いい表現だね」

 うんうんと頷く斎に、鼻白んだ正彦が、観念したように手を挙げる。

「……スミマセン。頭悪いんで教えて下さい。何でババが切り札なんですか?」

 いいね、いいね、素直に認めたね、と斎が声を殺して爆笑するのを、正彦は何とか堪えて、返答を待つ。


「つまりね、あちらにとっては、役立たずのカードを置いていったと思っているだろうけど、こちらにしたら、まんまと引かせたわけだよ。手にした途端牙をむく、最強のカードをね」

「……つまり、巽は、役立たずなんかじゃない、ってことか?」


 イマイチ、カードにたとえた意味が理解できないものの、言いたいことは分かったらしい。

 斎が、正彦に向って頷く。

「役立たずも何も、巽は唐沢宗家次代の筆頭候補だからね」

「唐沢宗家……!」

 驚愕する和矢を尻目に、正彦は要領得ない顔をして、首を傾げる。

「何それ?」

「ほら、K‐1や映画のタイトルロールに、よく監修とか後援で載ってるだろう? 『唐星会総合格闘技研究所』って。あれが……」

「そう。でも、あれは傍流だから」

「ソウケ? 本家みたいなもんか? って、そんなすごい団体の本拠地が、こんな田舎にあるわけ? 東京とか、京都とかじゃないんだ?」


「まあ、運営主体自体は、東京にあるけどね。でも、武術の歴史で言ったら、東京、というか江戸が作られたのが戦国時代の終わりだからね。それより古い時代……それこそ修験道なんかは、平安時代、伝説も入れれば飛鳥時代まで遡るんだよ。江戸だって、幕府が始まるまでは田舎だったんだし」


「へえ……飛鳥って聖徳太子とかいた頃か? すっげえ昔からあるんだ?」

「そういえば、この近くにも、修験道で有名な山や神社があるよね。確か宗家は、古武術の伝承をメインにSP養成に携わっているんだっけ」

「よくご存じで」

「日本に来る前に、ネットでいろいろ調べたから」

「海外勤務の商社マンの息子ってのは、結構国家機密に詳しいんだな」

「……ネットに目いっぱい流出している国家機密って、いいのかな」

「まあ、半分はガセだけどな。さすがに古武道メインはないよ。今は普通に、剣道柔道各種格闘技が主流だって」

 斎にからかわれて、和矢は赤くなりながら、一応訊ねる。


「……じゃあ、忍術は?」


 うずくまってヒーヒーと笑い死にしそうな斎を蹴り倒さなかった和矢を、正彦は心から、本当に! 心から! 誉めてやりたいと思った。

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