第7話 本が読みたい獣人さん③

「トールちゃん、最近よく笑うようになったね。お仕事楽しい?」

「え? はい、まあ。ようやくまともに働けるようになったというか……その、喜んでくれてる顔を見るとうれしいし、次もがんばろうって思えるというか……」

「ふ~ん」

「…………」


 いつものように朝食を取りながら、じっとりとしたミーナちゃんの視線に観念して私は口を割ります。

 シオンさんの調停は、ありがたいことにあれから週に2~3回の頻度で続いていました。

 依頼はいつも同じ、『本が読みたい』。

 個人情報に配慮しつつかいつまんで説明をすると、ミーナちゃんはにやにやと目を細めながら頷いた後、ふと握ったフォークで宙をかき混ぜました。


「ん、んー……? トールちゃんと同時期に『居住区』に新しく入った、若い男の獣人……? んー」


 ミーナちゃんは何やら意味ありげに思案した後、「ま、でも、上手くいってるならいっか」と頷きました。

 ???


「ああそうだ、今日も私遅くなるから」

「え、またですか? 転居手続き業務って大変なんですね」

「ううん、今回はちょっと別件。潰しても潰しても獣人狙いの不届き者ってのはいるもんでね、尻尾を掴んでようやく叩いたから役所を上げて事後処理地獄……終わったら残業代で美味しいもの食べようねトールちゃん……」

「はあ……が、がんばってくださいね……」


 人を殺しそうな目をしてるミーナちゃんに激励しつつ、獣人狙いの不届き者、とやらに私は眉をひそめるのでした。



 * * *



「仕事をきっかけに始まる恋も有りだと私は思うんだよね。もちろん職権乱用はよろしくないけど、お互いに好意があるなら何にも問題ないでしょ? だから細かいことはさておいて素直になったっていいんだよトールちゃん。うるさいおっさんの言うことなんて口ではハーイつって心でガン無視しとけばいいんだよ」

「エミリア先輩……やっぱりそうなんですかね、私も薄々こっちは歩合制なのにこのおじさんは座ってガミガミ指示出してるだけでお金が発生するなんて不条理だなと思ってたのですが……」


「注意する=その自覚有りの証明となるジレンマを発生させ、結果何も言わせないという巧妙な作戦……? ていうか君ら事務所を飲み放題時間無制限の雑談用カフェみたいにするのやめてくんない? 肩身が狭い」



 昼下がりの事務所。

 所長のデスク目の前のソファに座って、私は職場の先輩・エミリア先輩と遅めのランチをいただいていました。


 ちなみにグレイさんは満月が近いからと居住区でお休み中。味方がいないので所長はちょっと元気が無くてあらゆる職員にからかわれまくっています。人徳って大事ですね。


 王都獣人調停事務所に所属する6人の調停師の中で一番私と親しくしてくれているのが、こちらの勤続3年目だと言う一つ年上の女性、エミリア先輩です。

 というか他の4人の方々はクセが強すぎてまともに会話したこともまだなかったりするのですが……。

 後々懇親会をしてくださるとのことでしたが、不安しかありません。生きて帰りたいところです。


 ド田舎産地直送の私と違いバリバリの都会育ちな彼女は、何かと生活に疎い私の面倒を見てくれるとてもいい人なのです。

 サラサラの長い金髪に目鼻立ちのくっきりとしたお人形のような綺麗なお顔、爪の色まで洗練された出で立ち。美人な上に仕事も出来て、獣人さんからの信頼も厚く指名が引っ切りなしでした。誰かさんとは大違いで耳やら胸やら激痛が走りますが。


 さて、そんな彼女は一階のデリからテイクアウトした異常に分厚いサンドイッチを小さな口で器用に頬張りつつ、次の依頼までの空き時間に私の相談に乗ってくれていた訳なのですが。


「……あの、別に恋とかそういうわけでは。あくまで仕事のご依頼を頂いているだけなのに、余計なことを考えるのはちょっと忍びないです」

「いやいや、だって今日で結局5回目の指名でしょ? 話を聞く限り向こうもトールちゃんといて楽しいみたいだし、好意は十分にあると判断できるけどな。トールちゃんだってうれしそうだし」

「そりゃあまあ、……そうですけど」


 静かな図書館でただそばにいるだけの時間でしたが、回を増すごとに何となくお互いの間にあった緊張がほぐれて心地良いものになっているのは、不思議なものでした。


 変わらず私に彼以外からの指名はないのですが、むしろいつでも予定が空いているからその方がいいかも、なんて甘いことを思ってしまう程度には、私も電話が鳴るのを心待ちにしてしまっているのです。出るのは所長ですが。


「いやーでも、本読むだけなら居住区でもできるだろ? なんか怪しいよなあ……そのうち調停費用が尽きてぱったり連絡来なくなりそうだけどね」

「別にどんな目的でもいいんじゃないですかあ? 悪徳雇用主はすーぐお金に関わることばっか気にしてやらしいねトールちゃん」

「だーーうるさいうるさい、というかエミリアはそろそろ時間だろ! 依頼主待たせるなよ。ほらさっさと仕事しろ仕事、キリキリ働け」

「はぁーい。じゃ、お先にトールちゃん。そっちもがんばってね」


 そっちも。

 そうです、今日は私もこの後仕事の予定が入っていました、図書館での。


 軽やかにエミリア先輩が出発され、事務所に所長と二人きりなりましたが、そんな環境情報をバッサリカットして気持ちがふわふわしてしまう程度には、私も浮かれているのでした。



 * * *



「トールさん、この小説の主人公、冬の間ずっと起きて仕事してるんですけど冬眠が奪われた設定のSF小説なんですか?」

「人間が元から冬眠しないだけで別にディストピアものじゃないと思いますよ」

「じゃあトールさんも冬眠しないんですか」

「しませんよ。何で笑ってるんですか」

「いえ。そしたら冬が来ても、こうして一緒にいられるからいいなと思って」

「…………」


 とりあえず、冬眠しない獣らしいです。


 赤くなる頬を冷ますために機械的に情報を記憶すると、私は手元の本に集中するフリをして返答をやり過ごしました。



 今日も今日とて読書に勤しむシオンさんの目の前には、山のように本が積まれています。


 彼は私が手持ち無沙汰にしていると気に病んでしまうようなので、読み終わった本を横流ししてもらって読んでみたりもしているのですが。いかんせんそのジャンルは雑食、本なら何でも興味深く嬉しいといったご様子。


 私は正直、野山を駆けまわる系野生児だったので活字には食指がさほど動かず、むしろこういうことは秀才だった弟の領分と切り捨てていた部分もあるのですが。

 帰りの馬車でシオンさんと感想を言い合えるのはなかなかに楽しく、いつの間にか読書も苦ではなくなっているのが摩訶不思議なのでした。

 シオンさんは大分天然なところがあり、その感想は人間社会への知識の薄さも相まって先ほどのように何ともエキセントリックでしたが。


 それでも読書を通して随分と世間知らず感も薄れてきた感があります。

 腕を組んで歩くのは、前回で終了してしまいま……いえ、終了しました。


 というのも一冊の恋愛小説を読んでいたシオンさんが、突然ぎょっと目を丸くしたかと思うと、顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開閉し始め。

 珍しく声を大きくして立ち上がり、「騙したんですか!?」と叫ばれたのです。


 それは低年齢向けのジュブナイル小説で、恋を知らない主人公が初恋の相手と初めて腕を組んで歩いた時のモノローグが、実に2ページ超に及んでこれでもかと甘酸っぱく描写されているものでした。


 騙していたつもりはなかったのですが、人間への見聞を深められたと喜ぶ人にそうじゃないよと言うのも気が引けたもので……と釈明すると、彼はうー……と唸って、あとは、その本を悔しそうに閉じて次の本に集中してしまいました。本に罪は無いのですが。悪いことをしました。


 なぜ居住区の図書館を利用しないのか?

 なぜこんなにも幸せそうに本を読む人が一冊の本も所有していないのか?


 最初は気になっていたことも、そのおかげでこうして役に立てているのならいいじゃないか、なんて思考停止してしまいました。仕事が繋いでいる関係なんて、ひどく脆いものでしたが。


 私は何となく本に集中できなくなって、鞄から便箋とペンを取り出すと弟、アルフレッドへの手紙を書くことにしました。勤務時間中ですが、ありがたいことに依頼主の許可があれば咎められる規定はありません。


 ちなみに弟には、調停師になったことは伏せています。危険もあり得る業務と言うこともありますが、事務所での成績もぶっちぎりの最下位、まともに仕事ができているとはいえない現状だけに、どうにも胸を張って書ける自信がなく……。


 だから王都のこと、優しいルームメイトと先輩のこと、上司に入れるコーヒーの匙加減のこと……他愛も無いことを、安心できるように綴ります。


「手紙というものは」


 おもむろに耳に届いた声に、ふと顔を上げると、隣で本に目を落としながらぽつりとシオンさんが呟きます。


「大切な相手に向けて綴るものだと、前に読んだ本に書いてありました」

「はあ。合ってますよ。大丈夫大丈夫」


 また自分の常識の正誤が不安になってるのかなあと可笑しく思っていると。


「……ちなみにその本では、主人公の女性が、遠くに住んでいる恋人に手紙を書いていて」


 不安げに目を細めながらこぼされた言葉に、私はぱちくりと目を瞬きます。

 それから、努めて普通に聞こえるように声を絞りました。


「わ……私、弟残して王都来ました、給与月末に仕送り、それに添える手紙書きマス」


 恐ろしいほどカタコトになりました。

 しかしシオンさんはその返答にぱっと目を輝かせ、ほっとしたように「そうなんですか」と笑います。


「トールさんはご家族思いなんですね。弟さんが羨ましいな、俺は手紙をもらったことがないので分からないですけど、きっとすごく喜ばれると思います」

「はあ、手紙を……。獣人さんにはそういった文化はなさそうですものね」

「いえ、文字を伝達手段として用いる種族もいると思いますよ。ただ俺の種族は山奥に住んでいたので……」


 私は出かけた言葉を飲み込みました。調停師のプライドがギリギリのところで止めた形です。

 もっとこの人のことを知りたい、でもそれはどう誤魔化しても、職権乱用の違反行為なのです。


 だけどシオンさんはそんな私の知りたがりな目をそっと覗き込むと、少しくすぐったそうに笑って「これは俺の独り言なので」と切り出してくれました。


「俺の一族は北の霊峰と呼ばれる険しい山の頂上近くに暮らしていました。環境的に人化では適応できず、ほとんど獣の姿で育ったので、自分が獣人だということもさほど気にしないほどの山奥でした」


 山育ちはおそろいですね、と笑われましたが、まあ、苦笑いです。……さすがに野生化はしてないというプライドがあります。


「当然、人間なんて見たこともありませんでした。だけどある日、ちょっとした好奇心で山を少し降りて散策していたさなか、崖下に眠るようにして息を引き取っている登山家を見つけたんです。滑落したんでしょう、足を折っていて、逃げようとした痕跡もなかった。そもそも登山なんて無謀なことをする人間はほとんどいない程の山でしたから、もとよりこういうこともあるのだとは覚悟されていた方なのかもしれません。その穏やかな表情が俺にはどうにも気がかりでした。自然に生きる獣は大抵、そんな風には死ねないから」


 秘密を分け与えるささやかさで、シオンさんは懐かしそうに続けます。


「そして俺は、その人の手に持たれた物を初めて見たんです……それが、本でした。一冊の本。信じられますか? その人は死を悟り、残された僅かな時間をどう過ごすかの選択を迫られた時に、本を読むことを選んだんです。そしておそらく、本を読みながら亡くなった。そしてあんなに幸せそうな顔をして眠ったんです。俺には理解できなかった。知りたいと思いました。それほどにすばらしい、人の作り出す本とはどんなものだろうと」


 ちょうど、手元で閉じられた小説の表紙をなぞりながら、シオンさんは目を閉じます。


「同胞の猛反対を押し切って居住区入りを決めて、ここに来て良かった。もう獣の世界に帰ることは許されませんが、俺の選択も間違っていませんでした。本とは素晴らしく、生を豊かにするものだ。あなたのおかげで本が読めて、それが分かりました。トールさん、俺はあなたにいくら感謝しても足りないんです」

「……居住区にも、」


 本はあるじゃないですか、とは、言えないぐらいにはうれしくて、私は不器用に頷きました。

 何であれ、この人の役に立てたのならば、ただそれでいいじゃないかと思うのです。


「……私、恋人はいませんけど、結婚の口約束をしていた人はいたんです。でも結局ちゃんと大切にできなくて駄目になってしまって、王都に出てようやく見つけた仕事だって全然上手くいかなくて、数少なく存在した依頼主さんにも迷惑かけてばかりで。ずっと自分に自信が持てなかったんです。村にいても役立たずで、弟のためとは思っても、結局自分にはこれから先も、何ひとつ満足にできることはないんだろうと思ってました。だから、シオンさんにありがとうって言ってもらえて嬉しかったです。村から出てきたこと、多分きっと、間違ってなかったんだって少し思えます。だから、その……ありがとう」


 つたなくもどうにか言い切って、ちょっと気恥ずかしく思いながら見上げた彼の顔は、


「……あの、つまりそれって、今は誰ともお付き合いしてないし、今のところ俺以外の獣人には調停してないってことでいいですか?」

「前半しか聞いてないですね??」


 なんだかわくわくした様子で確認されて、私は渾身の後半部分に高鳴っていた鼓動を一気に平常値に戻したのでした。

 だからイマイチ伝わらなかったそれらをどうにかしようと、こっそり新しい便箋を取り出して手紙を書きました。手紙をもらったことがないというその人のために。






「それじゃあトールさん、お疲れ様でした。また……」

「あの、これを」


 居住区の境界、正門前で別れを切り出したシオンさんは、私がずいっと押しつけたソレを見て目を瞬きました。


「……あの。俺は弟さんじゃないですよ?」

「いやさすがに分かってますよ! ちゃんと宛名書いてあるでしょう」


 私が照れ隠しに口を尖らせると、彼はまじまじとソレを──シンプルなデザインの封筒、そこに記された『シオンさんへ』の文字を穴が開くほどじっと見つめていました。


「手紙、もらったことがないと言っていたので……こういうものですよというサンプルみたいなものです」

「……俺のために?」

「……書いてあるでしょう」


 シオンさんはきゅっと口を引き結ぶ私の前で、


「……ああ。本にあった通りだ。貰うとうれしくて、胸があったかくなるんですね」


 そう言って微笑むと、おもむろに封筒を開けて便箋を取り出しました。

 ってウワワーーーーーーーーーー!!??


「ちょ、ちょっと! 何差出人の目の前で読もうとしてるんですか、そういうものはお家に帰って1人の部屋で静かに読むものなんですよ!!」

「え? でも、すぐに返事を返した方が………」

「ああもう、手紙の返事は手紙で返すんですよ! ……あ、いえ、別に返事がほしいという意味ではないんですけど、とにかく! 居住区に入って私が物理的に見えなくなってから読んでください! いいですね!」

「……どうしても」


 切実な声音に、荒ぶっていたテンションも鎮火して、私は首を傾げます。

 シオンさんは手にした封筒を大切そうに見下ろしながら、なんだかとても悲しげな顔をして言いました。


「どうしても、ここで読んではいけませんか?」

「…………? えっと、あの、はい。申し訳ありませんが、私が死ぬ可能性があるので」


 そう返すと、シオンさんは何かを諦めたようにふっと目を閉じて、寂しそうに私を見つめて。


「分かりました。……トールさん、俺、あなたが俺にこの手紙を書いてくれたこと、ずっと忘れません。本当にありがとう」


 なんだか泣きそうな顔でそう言うので、私はそんな感動的なことは書いてないのにな、と少し申し訳なく思うのでした。


 手紙に書いたのは、感謝と、私の故郷のこと。それから、秘密を教えてくれてとてもうれしかったこと。


 そして……仕事理由がなくてもあなたに会えたら、もっとあなたの話が聞けたら、どんなに素敵だろうかと、たまに思うこと。


 でもその手紙の返事は、結局永遠に返ってくることはありませんでした。

 どころか、その日を最後に、シオンさんから私への調停の依頼は途絶えたのです。

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