③
朝。目を覚ました紺は宿の前にある川沿いを散歩していた。
幻はまだ寝ている。巴もまだ目を覚ましていないだろう。
川が朝日を受けてキラキラと輝いている。
(綺麗だナァ…)
のんびりと思って、紺は穏やかな気持ちで川のそばに寄った。
清廉な水の匂いがする。気持ちのいい朝だ。
が。そんな穏やかなひとときは一瞬で幕を閉じた。
女性の悲鳴声が、紺たちの泊まっていた宿の隣から聞こえてきたのだ。
ただならぬその悲鳴に、紺は弾かれたように宿へ向かった。
幻は、生暖かく乾燥した何かに顔を踏まれた感覚がして、目を覚ました。目の前に、アーモンド型の黄色い瞳があって、彼は目を瞬かせる。
まさか、いくら似ているからと言って紺が猫になってしまったのだろうか。いや、流石にそれはありえない。ならばこれは、夢か。
もう一度寝ようと思って、布団を頭からかぶる。今度は人の手によって体を揺らされる。
布団からチラリと顔を出すと、そこには少し呆れた様子の巴が座っていた。
「あれ。なんで?」
がばりと起き上がって、幻は首をかしげた。
「何かあったの?」
「隣のお宿で何かあったみたい。紺さんがいないから、もしかしたらそっちに行っているかも」
「なるほど…いってみよう」
それに、巴はネロを抱いてうなずいた。
紺が宿につくと、そこには数人の武装をした柄の悪い男たちが番頭らしき少し年老いた女性に詰め寄っていた。その隅で、二人の若い従業員たちが身を寄せ合っている。おそらく先程の悲鳴は彼女たちだろう。
「おぉい、俺たちゃ料金が一泊1円だなんて聞いてねぇぜ?ちょいと高すぎやしないかい。ぼったくりだよ、なぁ?」
後ろに従えた男たちに、詰め寄っていた男が聞いた。それにニタニタと気分の悪い笑みを浮かべて、後ろの男たちはうなずき、口々に悪態をついていく。
「そんなことを仰いましても…わたくしどもはきちんと昨夜、料金についてはお伝えしたはずです」
たどたどしくもはっきりと言い切った番頭を、男は睨みつける。
「あんだとぉ?」
ぐっとその胸ぐらを掴んで、もう片方の手で拳を作った。
「いっぺん痛い目見ねぇとわかんなぁようだなぁ?」
拳が振り下ろされる。番頭がぎゅっと目を瞑った。が、いつまで経っても衝撃は襲ってこなかった。
代わりに、ぐえっというカエルが潰されたようなうめき声が耳に響いた。
「…そういうの、よくないと思うヨ?」
いつのまにか男の後ろに回っていた紺がその拳を掴んで、そのまま背中に押しつける。ギリギリと骨が軋む音がしている。
痛みに顔を歪め、胸ぐらを掴んでいた手を離す。それに身を寄せ合っていた女性たちが番頭を守るように抱きしめる。
紺はそれを見て少し笑って、その男の腕を徐々に締め上げていく。その間に後ろにいた男たちが木刀を振り上げた。女性たちが息を呑む。紺はそれに気づいていたようで、押さえつけていた男を振り下ろされた木刀の先に置いて、身代わりにする。
ぐあっという聞くに耐えない声が響く。それを無視して襲ってくる男たちの攻撃を最小限の動きで全て避けて、その男たちに対して人体の急所を的確に攻撃し、気絶させる。
雪崩のように崩れ落ちていく男たちを見て、女性たちは唖然と口を開けた。
最後の一人にとどめを刺して、紺は一仕事終えたように息をつく。
「オワッタ〜」
ニンマリと笑って、番頭に掴みかかった男の髪を引っ張って、顔を覗き込む。
「生きてるカナ?だったら、ちゃんとあの人たちに謝って、さっさと帰ろうネ?」
かろうじて意識を保っていた男が自分の上に気絶していた男たちの下から這いずり出て、女性たちに土下座した。
「申し訳ありませんでしたぁ!」
「い、いえ…」
凄い勢いでもう一度頭を下げてから、彼は他の男たちを引きずって宿を出て行った。
床に落ちていた血を見て、紺は申し訳なさそうに眉を寄せる。
「スミマセン、少し床に血が垂れちゃいマシタ。拭くので、雑巾か何か借りてもいいデスカ?」
それに、女性たちは勢いよく首を横に振った。
「そんなこと、私たちがやります。助けていただき、ありがとうございました」
三人の女性たちが深々と頭を下げる。彼はそれに、へらりと笑って頭に手を添えた。
「ドウイタシマシテ」
幻と巴、宿にやってきた頃には、すでに一悶着終わった様子で、紺が宿の従業員たちに頭を下げられている状態だった。ネロは宿に入ることができないので、外で待っている。
「紺」
幻が声をかけると、彼は助かったと言わんばかりにぱっと表情を明るくさせた。
「幻ちゃん…!巴もネロも、おはよう」
のんびりと笑って言う紺に、二人は首をかしげる。
「おはよう。何かあったの?」
「うん。なんか、ゴロツキたちがこのお宿の人たちに言いがかりをつけてた挙句に手を挙げようとしてたから、止めて返り討ちにしてやったンダ」
へらへらと笑って言う紺に、幻はうなずき巴が苦笑する。彼に会ってしまったことに関しては、そのゴロツキたちに同情せざるを得ないなと、巴は思った。
「偉かったね。それで、今はどういう状況?」
「うーん、どうしてもこの人たちがお礼をしたいって…俺は別にいいって言ってるんだケド」
「ですが、あれだけのことをしてもらって何もせずに返すというのは、我々としては納得がいかないのです。せめて、朝食だけでも召し上がって行ってください」
なんならそちらのお二人もご一緒に!と念押ししてくる従業員たちに、紺は困ったように眉を寄せる。幻がそれに苦笑して、うなずいた。
「紺、せっかくだからお言葉に甘えよう。お宿的にも、そうでないと納得できないんだろうから」
ちらりと目線を送って巴にも応援を頼む。彼女はすこし笑って、うなずいた。
「その通りよ。こういう時は甘えておくのがお互いのためって、ね?紺さん」
それに、従業員たちが期待の目を込めて紺を見つめる。
それに根負けしたように肩を落として、紺はうなずいた。
「じゃあ、ありがたくいただきマス」
「はい!当宿自慢の料理人に、腕によりをかけて作らせましょう」
生き生きとした顔で拳を握った従業員の一人に、三人は顔を見合わせ笑った。
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