③
その日の晩。そのまま幸宏の家で泊まることになった幻と紺は、二人で頭を悩ませていた。
首筋の噛み跡。吸血行動。娘を狙う犯行。比較的裕福な家の十代の娘が狙われやすいということ。
話を聞けば聞くほど、犯人は吸血鬼のように思えてきてならない。だが、普通に考えればあり得ないはずだ。
二人は特に幽霊や妖など、人ならざるものたちの存在を否定しているわけではないのだが、どうにも納得がいかないものがあって頭を悩ませているのだ。
「「うぅーん」」
あまり頭を悩まさないようにと、幸宏は言ってくれたが、早く解決してやりたい気持ちが強い。長である幸宏には街の住民を守る役目がある。落ち着いているように見えるが、部外者ともいえる自分たちに助けを求めるほどには、
「ご遺体、見れたりしないかなぁ…」
少しばかり不謹慎なことを言う幻に、紺は苦笑した。
「まぁ、そう思うヨネ」
うなずいて、彼は頬杖をついた。
「…頼られちゃった分には、ちゃんと助けてあげたいもんね」
「そうだネェ」
しみじみとうなずいて、紺は幻の隣でだらりと力なく突っ伏した。彼は普段あまり頭を使わないので、どっと疲れが押し寄せてくるのだ。
と、その肩がぴくりと反応した。幻がそれに目敏く気づく。
「誰かきた?」
「ウン。すごい慌ててル」
耳を澄ませてみると、玄関の方から数人の声が聞こえてくる。何かあったようだ。
「行ってみよう」
立ち上がった幻に、紺はうなずいた。
二人が玄関に向かうと、そこには幸宏と二人の邏卒が何やら険しい表情で話し込んでいた。
幻がそっと口を開く。
「あの、何かあったんですか?」
少し驚いたように肩を震わせて、幸宏が振り向く。そして、ひどく困ったような顔をした。
「ああ、卯月さん。すみません、騒々しくて…実は、また被害者がでたようで」
「本当ですか…あの、できればでいいのですが」
少し言いづらそうに、幻が一度言葉を切る。それに、幸宏は首をかしげ、続きを待った。
「ご遺体を、拝見させてもらうことは可能でしょうか?確かめたいことがあるんです」
それに、彼は目を瞬かせる。そして、目の前にいる二人の邏卒に向き合った。
「こちらはかの有名な旅人「化け物二人組」の方々です。今回私が頼んで事件解決の手伝いをしてもらうことになっているのですが、ご遺体をこの方々に見せてもらうことは可能でしょうか?」
二人の邏卒は、目を丸くして幻と紺を見た。それに、二人は苦虫を噛み潰したような顔をする。一体どれほどその噂は根強く広まっているのだろう。過大評価は困るのだが。
「もちろんです。では、一緒に参りましょう」
黒髪を肩のあたりで綺麗に切りそろえた邏卒がキリリとした顔で言った。それに、二人は大きくうなずいた。
被害者の遺体は、犯行現場である河川敷に寝かせられたままだった。
麻でできた布で全身を覆われていて、遺体は見えないようになっている。
幻が邏卒から許可を取り、しゃがみ込んでその体に触れる。
「死後硬直は首まで…ってことは、殺されたのは少なくとも2、3時間前か…」
ということは、夕方のどこかの時間帯に殺された可能性が高い。今回の連続殺人の犯行時刻は夕方から朝方までの時間帯が多いと聞いている。
幻は遺体の首筋を確認する。やはり、そこには鋭い牙のようなもので噛まれた跡があった。
彼は顎に手を添え、他に何か手がかりがないか遺体をじっくりと観察し始める。
最後にもう一度首筋の噛み跡を見つめると、何かが引っかかった。
(ん…?)
その何かがわからなくて、幻は眉間にシワを寄せる。
少しして、彼ははっと息を呑んだ。
「…狭すぎるんだ」
吸血鬼というのは、さまざまな生き物に姿を変えることができるので決めつけるには少し証拠が足りないものの、噛み跡の穴同士の間がとても狭い。
遺体からやこの現場からみても、争った形跡はなさそうなので、犯人は被害者の顔見知り、もしくは人殺しなど絶対にしないと思えるような、善人である可能性が高い。だとしたら、この間の狭さはおかしいのだ。普通、人間の前歯と八重歯の間は成人男性の平均で約0.2838寸ほど。女性ならば、約0.2805寸だが、いま目の前にある噛み跡の間は、どちらの半分程度の幅しかない。それに、穴の大きさもよく見てみると少し違う。
その様子を見守っていた短髪の邏卒が、幻の隣にしゃがみ込む。
「なんかわかったんすか?」
それに、幻は愉しそうに微笑んだ。
「はい。今回の殺人事件、犯人は吸血鬼なんかじゃないです」
立ち上がった幻を見上げて、彼は目を瞬かせる。
「じゃあ、犯人は…」
おかっぱな邏卒がごくりと唾を飲み込む。
「おそらく、人間かと」
首筋から流れる少しの血を、懐から取り出した手ぬぐいで拭った。そしてそれを短髪の邏卒の鼻先に近づける。
「嗅いでみてください。あ、あんまり勢いよくはやめてくださいね?もしかしたら倒れてしまうかもしれません」
その言葉に目を丸くする。そんなものを笑顔で押し付けないでほしい。
恐る恐ると言ったように、そっと鼻で息を吸い込んでみる。そして、首をかしげた。
「血の匂い、しないでしょう?」
「う、うっす…血の血の匂いというよりも、病院でよく嗅ぐ…」
「はい。医療器具に、採血をする道具があります。人の血が最も多く流れている中の一つが首です。犯人は何か事情があって人の血を集めめるんでしょうね」
冷ややかに目を細めて言う幻に、二人の邏卒は息を呑んだ。一体、何のために。
「若い娘を好んで襲っているのは偶然か、もしくは犯人の趣味」
手ぬぐいを邏卒に手渡して、幻は再び遺体に目を向ける。
「犯人自身はまさか自分の犯行をが吸血鬼によるものだと噂されるとは思ってなかったでしょうけど、たまたま殺し方が吸血鬼と似ていたことで、そういう噂がたった。犯人からすれば、これほど好都合なことはないでしょうね」
ふわりと微笑んで、彼は邏卒二人を見つめる。
「さて、ここからはあなたたちの仕事です。犯行に使われたものは、先程私が言いました」
それに、二人ははっとする。
「犯人は、医者…!」
「この街にいる医者は二人だけっす!今すぐ調査を」
短髪の邏卒が言うと、おかっぱの邏卒は大きくうなずく。そして、幻に対して綺麗な敬礼をした。
「ご協力、感謝します!」
「どういたしまして」
にっこり微笑んで、幻は慌ただしくその場を走り去る邏卒たちを見送った。
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