蕎麦を食べ終えて、再び先程店を出していたところまで戻る途中で、人溜まりができていた。気になって近づいて行ってみると、朝ブローチを購入して行った女学生が青白い顔で倒れていた。

 幻は人の波を押しのけて、彼女の頭を持ち上げ首に手を当てる。

(脈はある。ただ意識がないな…)

 ちらりと紺へ医者を呼んでもらおうと目線を投げかけたが、そこには彼の姿はなかった。

 怪訝に思いながらも何かあったのだろうと思い、近くにいた人へ医者を頼んだ。


 騒ぎとは少し離れて、紺は一人の男を追っていた。先程の人溜まりの中で、一人だけ明らかに様子がおかしい男がいたので、声をかけたら逃げたのだ。そして、それを今追っているという状況だ。

(あの状況で逃げるってことは、何か知ってるってことだヨネ)

 男は走りに迷いがないので、おそらくこの街の者だろう。細く曲がり角の多い道を選んでいるのは、自分を撒くためか。ならば。

 ひょいと、走りながら大振りの石を拾い、それを相手に向かって思いっきり投げつけた。

 石は男の足に命中し、思惑通りに相手は足をもつれさせて派手に転んだ。

「ヤッタネ」

 意地の悪い笑みを浮かべて、紺は走りを緩め男に近づく。

「ねェ」

 すぐ側まで近づいて、起きあがろうとしている男の左手首を掴んだ。よろめきながら、男は立ち上がらされる。

 長い前髪のせいで顔はよく見えなかったが、こちらを睨んでいることはよくわかる。

 掴んでいない方の手で、紺はその前髪を払う。男の目は荒んでいた。目の下にはひどい隈がある。あまりいい生活ができていないのか、掴んでいる手首も成人男性とは思えないほど細く痩せ細っている。

「あの女のコ襲ったのって、アンタ?」

 こちらを睨んでいるのに構わずに、紺は黒い瞳を輝かせる。

 それでも無言を貫き通す男に、彼は困ったように口をへの字に曲げた。さて、どうしたものか。

 幻に何も言わずにきてしまった。今頃きっと探しているだろう。

(あとで謝んなきゃナァ…)

 そんなことを考えていると、男が右手を懐に入れ、銃を取り出しそれを紺の顔に向けて撃った。

「…っ」

 さすがに予想していなかったその反撃に、掴んでいた手を離し紙一重で弾を交わす。頰に生暖かいものが伝った。鋭い痛みが走る。

(あちゃー、躱しきれなかったナ)

 そう思いながらも、紺は目の前の相手に臨戦体制に入る。続けて二発銃が撃たれた。一発目は躱すことができたものの、二発目が足を掠めた。

(分が悪いナ…)

 銃相手に、丸腰で挑むのは得策ではない。せめて何か武器をもっていれば話は違うのだが。

 紺が排撃してこないのを確認して、男は鼻で笑って走り逃げて行く。

 それを見届け、紺は悔しそうに唇を噛んだ。



 病院で目覚めた女学生が何か礼をしたいと言ってくれたが、それを丁重に断って幻はその場を後にした。

(紺、探さなきゃ…)

 一体どこに行ったのだろう。もしかしたら朝店を出していた場所に戻っているかもしれないと考えて、彼は足早にその場へと移動した。



 切れた頰から流れる血を手の甲で乱雑に拭い、撃たれた足の傷を確認するために裾を捲る。

「うわ、予想以上に深いナ。幻ちゃんにバレたら心配かけちゃう…」

 苦々しい顔をして、彼はどうしたものかと思い悩む。どこか近くに、傷を焼ける場所はないものか。

 今紺がいるのは細く薄暗い場所なので、人は誰もおらず静かだ。

「…血が止まるまで待つカァ」

 不服そうに言って、紺はその場に座り込む。

 なんだか、幼い頃に戻ったようだ。紺は、目を閉じ幻との出会いを思い出す。それは、紺が七つ、幻が六つの時だった。



 二人は幼い頃に両親を亡くし、お互い孤児だったところを別々の家に引き取られたのだ。

 紺はその街の道場に。幻はその街の本屋に。彼らは物心がつく頃には家の手伝いをして自分を引き取ってくれた家族に少しづつ恩を返していた。

 ある日、紺が義理の父と手合わせをしてぼろ負けし、さすがに嫌になって道場を飛び出した。

『けっ、あのクソ親父!少しは手加減しろっての…』

 人がいなそうなところまでやってきて、紺は大木を思いっきり蹴り飛ばした。ズシンと重い音がする。

『いっそこのまま出て行ってやろうカ…!」

 そんなこと、出来はしないのに。

 そう考えて、彼は子供らしくない大きなため息をつく。

『オヤジはなんで、俺を引き取ったんだろうナァ…』

 ごろりとその場で寝転んで、その大木の葉と葉の間から漏れ出す太陽の光に眩しそうに目を細め、手を翳す。

『暇ダァ〜』

『こんにちは』

 突然響いた、柔らかい声音。次に、影がさして端正な顔立ちをした同い年くらいの少年が目の前に顔を出した。

『うわ!!』

(いつからいたんだ…?)

 すぐそこまで近づかれていたのに、気づかなかったことなんて今までなかった。

 紺の驚きように、少年は少し困ったように笑った。

『ごめん、そんなに驚くと思わなかった』

『…いや、別に。アンタ誰?』

 まるで警戒している猫のように身構えて言う紺に、彼は柔らかく微笑んだ。

『俺は卯月幻。君は紺くんでしょ?伊月紺くん』

 風が吹いた。ふわりと、幻の亜麻色の髪が揺れる。

『なんで俺のこと知ってるノ?』

 害はないと判断したのか、ふっと力を抜いた紺に、幻はこてんと首を傾げる。

『なんでって…紺くんのお義父さんがよくうちの本屋にきて、君の自慢話をして行くから』

『自慢話ィ?』

 胡乱げに聞き返す紺に、幻は目を瞬かせる。

『意外?』

 それに、彼はこくりとうなずく。

『それはなんで?』

 じっと見つめてくる琥珀色の瞳に、彼はグッと言葉を詰まらせる。

 別に特に理由はないのだ。ただ不貞腐れているだけ。

『言えないなら、何もないよね』

 にっこり笑って、幻は言う。紺は不満がに口をへの字に曲げる。

『アンタなんなんだよ…俺になんの用?』

『うーん、特に用事は無いんだけど。強いて言えば、紺くんと仲良くなりたいんだ』

『ハ?』

 思ってもみなかったその言葉に、彼は虚をつかれたように目を丸くする。

『友達になろうよ、伊月紺くん』

 不思議な笑みを浮かべて手を差し出す幻に、紺は引き寄せられるようにその手を握った。

『ふふ、よろしくね』

 自分の行動に、紺ははっとする。全くの無意識だった。

『…まだお前のこと信用したわけじゃないカラ』

『それで構わないよ』

 こうして、紺は幻と不思議な出会いをしたのだ。

 

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