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 大気が燃え上がり、辺りに熱風が放たれる。春日は慌てて右腕で顔をかばい、呆然とショルダーバッグが燃え尽きるさまを眺めることしかできなかった。玄関先に設置されていた【トラッペ君】は、炎に巻き込まれて燃えてしまったようだ。


 ショルダーバッグが燃え尽きる頃になって、春日はようやく我を取り戻した。まだ心のどこかで冗談だと思っていたのかもしれない。何かの間違いだと思っていたのかもしれない。明らかに記憶の欠如があり、恐らくは拉致されてここにやって来たであろうに、まだどこかで信じていなかったのだ。だから、あっさりと罠が作動したことに驚くと共に、もし自分がそこにいたらと考えてゾッとした。


 恐らくであるが、罠は物体が一定の地面に触れた際に作動するようになっていたのであろう。噴霧された何かしらは、恐らく可燃性の液体。小さく走った雷光は、きっと静電気が発生したのだと考えられる。可燃性の液体が何であるかまでは春日にも分からないが、簡単に例えるのであればライターと同じような原理で、ショルダーバッグは燃えてしまったようだ。


 春日は膝が震えていることに気づいて苦笑いを浮かべた。これは、もはや本能レベルでの反応だ。この街は簡単に罠が作動して、簡単に人が死ぬ。日常から隣り合わせだったはずの死が、さらに身近に感じられた。認めたくはなかったが、春日は恐れていることを認めざるを得なかった。ふと、その時のことである。


「おーい!」


 通りの向こうから男の声がした。春日は体がすっかり硬直してしまっているのを隠すかのように、首だけを声のしたほうへと向ける。視線の先には春日のほうへと向かってくる男の姿があった。遠目ながらも、金色に染めた髪が目立つ。その背格好からしてチャラチャラとした大学生くらいの男だろう。普段ならば決して関わることのないようなタイプだが、春日は不覚にも安堵の溜め息を漏らした。


 春日は基本的に人間という存在が嫌いである。それは自分自身という存在を含めてだ。他人は何を考えているか分からない。平気で心にも思っていないことを口するし、本当に言いたいことは心の奥底にしまい込んで言わない。決定的なのは、きっと心の中を把握するすべが存在しないからなのだろう。そんな春日でさえ、この時の他人の接触ばかりは嬉しく思えた。


「良かったぁ。ここまで誰とも会わなかったからさ」


 金髪の男は春日のそばにやってくると、両膝に手を置いて大きく息を吐き出した。春日と同じく安堵の溜め息というやつだろう。


「どこに罠が仕掛けられているか分からないのに、闇雲に動くのはあまり感心しないな。若さゆえだろうか?」


 人嫌いの春日は、普段から人と接することを避けてきた。必要最低限のコミニュケーションしかとってこなかったから、初対面の男に対しての第一声も刺々しいのだ。金髪の男に与えた印象も良くなかったようで、苦笑いされてしまった。


「――名前は?」


 ぶっきらぼうで冷たい印象だと、春日は他人からよく言われる。自分では普通に接しているつもりなのであるが。もう少し社交性というものが欲しかったと思うことがある。今の時代、例え研究職であっても他者とのコミニュケーションが必要となるのだから。


「あ、あぁ――。俺は水落悠斗。大学生だ」


 春日の必要最低限のコミニュケーションに、水落と名乗った男は戸惑っているようだった。


「私は春日士郎という。簡単に言えば学者というやつをやっている」


 さまざまな点を考慮すれば、水落と出会えたことは大きい。もっとも、仲間が増えたことが喜ばしいとかではなく、単純にゲームを進めるのに有利になるからであるが。


「へぇ、学者さん。そいつは心強いな」


 水落はそう言うと右手を差し出してきた。これは一般社会では挨拶のようなもので、春日も嫌々ながら慣習に従うようにしていた。春日は水落の手を握り返す。


「この状況に学者も学生もない。ひとつ、よろしく頼むよ」


 春日と水落は固い握手を交わした。ただ、春日は一般常識として対応しただけであり、この行為になんの意味があるのかと懐疑的であったのだが――。こんなことをやったところで、他人との距離が縮まるわけがない。事実、水落との距離が縮まったなど、春日はちっとも思っていなかった。このような時は友好的に振る舞ったほうが良いと知っているだけだ。人嫌いの本領発揮である。


「さて、早速で悪いんだが、お互いのSGTを提示し合わないか? ルールから察するに、このゲームにおいて重要な鍵を握るのは、各々に与えられた【固有ヒント】になると思うんだ」


 春日は挨拶もそこそこに本題を切り出した。なによりも優先すべきは犯人役の【ブービートラップ】を特定することだ。水落との親睦を深めることではない。


「あ、あぁ。そうだな――」


 会話の持って行き方に、やや乱暴な面があるからなのだろう。水落はずっと戸惑ったままというか、どこか気後れしたような感じで春日の要求に対して同意する。


 現状において大切なのは、お互いのことを知ることではない。よほどの馬鹿ではない限り【ブービートラップ】の特定こそ最優先だと分かっているはず。


 水落がSGTをポケットから取り出した。それを見てから春日もSGTを取り出す。そして互いにSGTを操作すると、互いに【固有ヒント】を提示した。


 ――ヒント【F】 ブービートラップは男性である。


 ――ヒント【U】 ブービートラップは女性である。


 春日と水落が合流できたのは、恐らくは偶然だったのであろう。しかしながら、偶然というものに感謝したくなった。確定もない事象が上手く働いてくれると、なんだか得をしたような気になってしまう。


「これは――」


 水落も春日のヒントとの関連性には気づいて当然であろう。春日は頷く。


「あぁ、私と君の【固有ヒント】は、まるで正反対だ。しかも、人間の性別が二種類に識別されている以上、どちらかのヒントは確実に本物だし、またどちらのヒントは確実に偽物ということになる。この組み合わせは、なかなか幸先の良い組み合わせなのかもしれない」


 ふと、お互いのSGTを見て、ヒント一覧を表示するアイコンが点滅していることに気づいた。とりあえずアイコンを押してみる。するとヒント一覧の画面が出てくると同時にメッセージが画面にポップアップされる。


 ――水落悠斗所有のターミナルが確認されました。ヒントを共有しますか?


 水落のSGTにも同じメッセージが出ているようだった。ブルートゥースのような機能を擬似的に真似ているのだと思われる。どうやら端末――いや、ターミナル同士が近づくと、ヒントの共有が可能になるらしい。まぁ、この辺りのことはルールにも記載されていたような気もするが。


「お互いの【固有ヒント】は共有しておいて損はないだろう。まぁ、まず君の【固有ヒント】は忘れないだろうが」


 お互いのヒントが相反した内容であるため、それ自体は恐らく忘れないであろう。しかしながらお互いのヒントに割り振られているアルファベット――これがどうにも気になった。それに情報が共有できるのであれば、それに越したことはない。


「あぁ、構わないよ」


 最近の若者は敬語というものを使わない。それは時代の流れというべきか、それだけ敬語を使う価値のない大人が増えたからではないかと春日は思う。事実、春日も敬う必要のない相手に敬語は使わない。だからこそ学会の問題児扱いされるわけだが。


 春日と水落の両者が共有に同意すると、ヒント一覧に並んでいた【?】の一部が解放され、水落の【固有ヒント】が春日のSGTのヒント一覧に表示された。水落のほうにも同様の現象が起きていることだろう。これが共有するということか。

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