第6話 気になる名前。

 幼い私が、こんな質問をアンナにしたのは恐らく初めてだったのだろう。

 ――――五才の幼子だし、姫とは名ばかりの存在だし・・・。

 教育係なんて付く事なんてなく、アンナが色々教えてくれたもんね。

 親はいるし、時々は会うけど、それだけだ。



 そんな私にアンナは「そろそろお話するのタイミングだと思っていました。」と微笑んでくれた。


 五才児の無邪気さを装った一番初めの質問は、見た事もないお兄様について。


 前世を思い出した私からすれば唖然とするが、実は兄の名前すら知らない。

 前世を思い出す前の記憶の中を探るけど、遠目ですら見た事がないようだった。


 この帝国って特殊な国? 幼いからとはいえ、一応は皇女だよね・・・?

 何も教えなさ過ぎじゃない? と考えた所で、ああ・・・と思う。

 きっと敢えて教えていないのだと。

 教えれば見たくなり、見れば話しかけたくなり、挨拶でも出来たとすればもっと会いたくなる。


 欲求が生まれないようにしたんだろうな。




 小さな姫の予想通りの可愛い質問にアンナは目を細め語る。


 私のお兄様の名前は、

“シュヴァリエ・ヴァイデンライヒ”

 年齡は9才。

 まだ今年は誕生日が来ていないからだけれど、今年10才なのだそうだ。


 私とは五才差かー。

 一緒に遊んでくれるそうな年齢差ではないな。


 このヴァイデンライヒ帝国、唯一の皇子であり、由緒正しき血筋を持つ正妃の子。


 心優しく聡明で、帝国一どころか世界でも類を見ない莫大な魔力持ちなんだそう。

 心優しい兄が居るなんて心強い。


 ・・・しかし、心優しいとい所に何故か引っかかりを覚えてしまうのは何故だろうか。

 会った事も無いけれど、そんな人間ではないだろうと思ってしまうモヤモヤ感。


 もう少し成長したら会って貰えたりするのだろうか。


 五年も離宮に居るのだ、離宮の周り以外の景色もそろそろ見たいところ。


 異世界の街とか興味あるぅ…と思いつつ、結局は何処でもいいから離宮以外の場所に行きたいだけだったりする。


 アンナと二人だけの生活は本当は好き。

 このまま二人で何年でも生活していってもいい。

 でも、アンナとお出掛けすら一切出来ないのは無理、今すぐどうにかしてほしい。


 悶々と誰にともなく文句を垂れ流しつつ、何かを忘れている気がして仕方がない。


 やけに気になるのは、この国の名前。


“ヴァイデンライヒ”・・・前世でそんな名前の国もなかったしなぁ。


 だというのに…何処かでその名を見た事があるような気がするのだ。

 それも、前世で見かけた事があるような・・・?


 現世の自分の姓名だから何か耳馴染でも? その名で呼ばれる事はほぼないしなー。

 それに、このモヤモヤはそんなんじゃないのだよ。


 とても大事な事な気がするけど情報が足りなくて思い出せない。


 前世の母が良く言ってた「アレよ、アレ! あのーテレビに出ててー、長い髪の…」なんて、さも貴重な情報の様に言われるけど、そんな人いっぱいいるよ! っていうすっごく曖昧なヤツ。


 思い出せそうで思い出せなくて、思わずスマホで調べてしまいたくなる。


 この世界にスマホなんてないけど。


 自分の脳だけを頼りにじっくり思い出そうと考え込むと、額の方にチリチリとした痛みが走った。

 今は止めといた方が懸命かな…

 目覚めてからすぐの事、頭使うのはもう少し後の方が良さそうだ。


 アンナの説明はまだ続いていたので、もう一度集中する。

 アンナは綺麗なお姉さんだけど、怒らせると冷たい鬼で怖いのだ。



 アンナの説明では、今、ヴァイデンライヒは慌ただしい。

 国を揺るがす大きな出来事が起きて、皆それにかかりっきりになっているらしい。

 その大きな騒ぎが発端となって、今までたくさん悪さをしていた人達が罰を与えられてるのだそうだ。

 それって粛清ってヤツ……?


 どの国も過ぎたる権力は腐敗をもたらすって事かもねー。

 権力も使う人間次第って事なんだろうけど。

 誰も彼もに媚びらへつらわれて、まるで神様の様に最大限に尊重され、何でも願い通りに傅かれてるうちに、人って作り変えられていくのかも。


 そんな毎日にどっぷりと浸かったとしたら――――

 勘違いしておかしくなる、誰も彼も。




 甘言に誑かされず、自己を律し研鑽を重ねられる人って、凄いよね。

 どんな経験をしたら、そんな精神力が持てるのかと思う。


 自分だけの中で一本芯が通った揺らがない信念というものが無いと、人間ってユラユラな生き物、簡単にブレるよね。

 みーんな自分が大好きだもん。

 7つの大罪とも呼ばれる欲望の誘惑にさ、最初から強い人なんて居ない。


 間違いなく私、己の欲望にアッサリとたぶらかされるわ…。

 誑かされる自信しかないわー。

 甘い食べ物出されて、ちょっぴりでも優しくされたら、きっとほいほい欲望にまみれる自信がある。


 信念? なんてもの無いし、精神的なものであろうとも自己鍛錬するようなマゾっ気もないもの。


 昔、受験シーズンに友達に騙されたと思ってやってみろと熱心に勧められ、気乗りはしないものの、そこまでいうならとやってみた方法に、

 苦しい先に気持ちいいがあるのだと脳を騙し騙し努力するやり方というのがあって。

 どんなだったかなー、もう忘れちゃったんだけどさ。

 今思えば、洗脳的なものだったんだろうけど、速攻でギブしましたよ、勿論。

 苦しさの先に気持ちいいまで待てませんよ。

 苦しいのなんて嫌いです……。


 脳内でのやり取りに同意を示すように頷きかけて、ハッとアンナを見た。


「ア、アンナ?」

 そっと呼びかけてみる。


 楽しい話をしてる訳じゃないからか、アンナの眉間の皺がえらい事になってるわ……


 深刻そうな表情をしたアンナは、私を見てコクリと頷いた。


(えっ、私が誑かされるっていう欲望に弱いよね的な事を脳内で考えてたのがバレてるの?)


 そうと勘違いしそうなピッタリのタイミングでアンナは頷く。


 えーっと、眉間の皺凄いけど……怒ってないよね…?


 アンナは言い出しにくそうに顔を歪めた後、溜息をついて切り出した。


「姫様には、お話しなければならない事があります。」

 アンナが重々しく前置きする。


「…姫様の母君は二日前に急な病によりお亡くなりになりました。」



 ――――えっ…………死んだの!?



 兄の話をしていた筈が、一転して実の母親が亡くなった話で唖然とした。

 ビシッと固まる私の肩に、アンナがそっと手を乗せ宥める様に擦る。


「姫様が目覚めてから日がまだ経っていないというのに、こんなお話を耳に入れる私をお許し下さい。

 本当はもう少し落ち着いてから話すつもりでした…。」


 ――――そっかぁ死んだのか。そうかぁ、病で…。



 私の中の母とは、決まった日にお茶をするだけの関係で、私に会うのも儀礼的な感じの人だった。


 月に1~2度開かれていた、血の繋がった母だというのに、お茶の最中もほぼ会話もなく…

 淡々とお茶とお菓子だけを口に入れる私を、観察するだけの母の図だった。


「クラウディア、貴方も皇女としての自覚を持つのよ。精進なさい。」


 という言葉を最後にお茶会は終わる。締めの言葉みたいな感じ。



 母との思い出を振り返っている時、あら?と思った。


 …………ん?んん?


 あ、私の名前クラウディアって言うんだったわ。


 ポンっと思わず手を打ちそうになり我慢する。


 アンナが「姫様」としか呼ばないから、名前忘れかけてた。

 そっか…クラウディアね。


 危ない危ない。うっかりアンナに「私の名前ってなんていうの?」なんて聞くとこだった。



 ――――でも引っかかる。


 さっきのシュヴァリエ・ヴァイデンライヒって名前もアレ?って思ったし、

 クラウディア・ヴァイデンライヒって名前も……何か見覚えがあるんだよね。

 それも、その2つの名はセットだと思う。


 この世界の私というより、前の世界の私で見覚えがある気がしてならない。

 別個ではなく、セットって思うのは兄妹だからだとは思うのだけど。

 前世で見かけた気しかしないのだ。

 それも書籍かテレビか…何かの媒体で。

 どれだっけ、なんだっけ…

 クラウディア・ヴァイデンライヒとシュヴァリエ・ヴァイデンライヒ。


 ………うーーーー

 と頭を悩ませ始めていたら、アンナが声をかけてきた。



「姫様……。回復してからという事ですので、直ぐという事ではないのですが、

 今まで離宮でお過ごしになられた姫様は、回復後は皇宮住まいとなります。」


 少し言いづらそうなアンナ。

 小さい離宮でのアンナとの静かな暮らしが壊される事に、幼い私が取り乱すと心配しているのだろう。


 取り乱しはしないけどさ、得体の知れない怖さはあるよね。


 だって、王宮って魔窟じゃないの?

 直球ではない変化球で悪口をネチネチ言ったり、笑顔で悪事を働く魔の者が闊歩する…


 皇子がもう生まれてるから、姫1人如きが権力闘争に巻き込まれる事は無さそうだけど。



「行くのはもう変えりゃりぇないの…?」

 コテッと首を傾げ無邪気に問うてみる。


「はい……。絶対に覆す事の出来ぬ方からの命令ですので。」


 この皇国で姫の身分の私の処遇を動かせる相手って事だもんね。そりゃ無理だわ。


「アンナも来てくりぇりゅ?」

「勿論でございます!姫様が行く所、どこへなりともアンナは着いて行きます。」


 前世の記憶が戻ってから、ラ行の滑舌は良くなってはいるけど、急に使わなくなるのも怪しまれそうで、ラ行に関しては我慢している。

 アンナだから警戒はしてないけど、心配はかけたくない。


 その後一時間にも及んだ質問タイムは私にとってとても有意義な事だった。

 5才の頭の中には、これから必要な情報だけでなく、基本的なのも欠如していた。



 コレは知っておきたい的な情報はそれなりに仕入れ安心したら、

 居なくなってた眠気が戻ってきたようだ。


 さっさと寝よう。


 意識が落ちそうで落ちない、その中間の極上の気持ちよさをユラユラしていると、去った筈のアンナが医師を連れて戻ってきた。


 ――――あ、忘れてなかったんですね、さすがアンナさん。


 医師を連れてくる速さにもびっくりした。

 どうやったらそんな速さで呼びに行き連れて来れるのか。

 アンナもチートなのか。


 きっちりと診て貰い、やけに苦い薬を飲まされる。

 良薬口に苦しというけれど、罰ゲームじゃないのコレ。



「おやすみなさいませ、姫様。」


「おやすみ、アンナ…」


 口の中に罰ゲーム的な苦味をいつまでも感じながら就寝したのだった。

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