3 詐欺師は歌い

 喚き続ける男をシャワールームに叩きこむ手際は見事なものだった。思わず拍手をしてしまったくらいに。


「もしかして、荒事には慣れてる?」

「まぁ、それなりに」


 ウルフは少しだけ自慢げに笑った。

 シャワーで温まって、男は落ち着きを取り戻したようだった。クレームの矛先を寮母さんから借りた服の野暮ったさへ向かせ、すでに後退の兆しが見える茶髪の生え際を神経質に撫でていられるぐらいには。

 僕が三人分の紅茶を持って談話室に行ったところで、ウルフが口火を切った。


「先に言っておきますが、呪いとはそんな簡単にかけられるものではありません。そもそも人の生命に危害を加えるような呪いは魔法法で禁じられていて、発覚したら資格取り消しの上投獄されます。そんなデメリットを背負ってまであなたを呪うなんてありえません。もし私が呪いたくなるほど誰かを嫌ったとしたら、呪うのではなく真正面から殴ります。その方がよっぽど早くて簡単ですから」


 ウルフは鷹揚に足を組んだ。彼はかなり苛立ってるようだった。指先がコツコツと膝を叩いているし、いつもよりだいぶ早口。


「呪いは手続きが多くて面倒なんですよ。証拠が残らないといってもそれは一般人からすればという話で、同じ魔法使いが見ればすぐに分かりますし。だいたい、名前も知らない相手をどうやって呪うっていうんですか。一番簡単な呪いであっても、最低限必要なのは名前、フルネームです。まして命を狙うともなれば、体の一部が必要になります。髪の毛とか歯とか皮膚とか。そこまで用意してもさらに煩雑な手続きがごちゃごちゃとあって、その上、上手くいくかどうかは半ば賭けなんですよ。そんなしちめんどくさいこと、やってる暇があったら直接殴った方がずっと効率がよくて確実だ」


 なんなら今すぐ殴って差し上げましょうか、とでも提案しそうな勢いだ。落ち着け、と言う代わりに砂糖とミルクを勧める。

 ウルフは砂糖を多めにぶち込んで一口飲み、ふと肩の力を抜いた。


「それで、何があったんですか。呪われたとおっしゃるからには、それなりに不可解なことが続いたんでしょう?」


 ウルフの剣幕に圧されて縮こまっていた男が、そっと顔を上げた。


「濡れ衣を着せられたままでは困ります。話してもらえますか。名乗らなくて構いませんから」


 ずるいくらい柔らかな口調だった。さっきまでの烈火のごとき話しぶりとは大違い。いつの間にか足を組むのもやめていた。ちょっと前かがみに、耳を傾ける姿勢になっている。なんてやつだ。凄腕のカウンセラーか詐欺師みたい。

 男はすっかり毒気を抜かれたらしく、素直に口を割った。


「その、実は――」


 彼の話はこうだった。

 二週間かそれくらい前から、立て続けに不運なことが起き始めた。最初は、クローゼットの角に小指をぶつけたとか、靴ひもを踏んで転んだとか、その程度だったらしい。だから気にも留めなかった。

 だがだんだんエスカレートしてきて、財布は知らないうちになくなっているし、携帯は何もしてないのに壊れているし、借りようと思った本は全部貸し出し中。やったはずの課題がなくなっていて先生に怒られた。ルームメイトのノートがボロボロに破かれていたのを自分のせいにされた。外に出れば車に轢かれかけ、中にいれば階段から落ちかける。


「絶対におかしいと思って……ルームメイトに相談したら、きっと魔法使いのせいだ、って。呪いに違いない、って言うから……」


 と、男は落ち着きなく、腫れあがった鼻を掻いた。


「ここに来る途中も、突然鼻に虫がぶつかってきて、その拍子に池に落ちたんだ。引きずり込まれるような感じがして、本当に、し、死ぬかと……」


 恐怖を思い出したように顔を青くして、彼は紅茶を飲み干した。


「なるほど。話は分かりました」


 ウルフは口元を片手で覆って、その下で何事か呟いたようだった。僕は瞬きをして目を擦った。一瞬だけ、彼の目の周りに金色の光が見えたような気がしたのだ。気のせいだったみたいだけど。

 彼は男の頭の先から爪先まで、じっくりと見詰めた。あの宇宙みたいな目に見られて、男はたじろいだ。


「な、なんだよ」

「……いえ」


 ウルフはゆっくりと瞬きをして、ソファの背にもたれかかった。


「もう少し詳しく聞かせてください。携帯電話が壊れたのは正確にはいつですか?」

「十月の……二十九日」

「修理には出しましたか?」

「いや。買い直した方が早いって言われたから、その通りにした」

「業者に見せたんですね。破損の原因は何て?」

「基盤の損傷、って」

「では、借りたかった本のタイトルは?」

「ええと……トマス・アクィナスの『神学大全』とか」

「ルームメイトのお名前は?」

「マックス――」瞬間、彼は鼻の頭を擦りたそうに持ち上げた手を、途中でびくりと止めた。「――マックス・アンドリューズ」

「なるほど」


 ウルフは軽く頷くと、紅茶を一口。話と一緒にゆっくり飲み込む。説得力を生みだすのに充分な間だ。


「結論から申し上げると、あなたの不幸は呪いでもなんでもありません。ただ単なる不運が重なっただけです」

「なっ……う、嘘だ! ただ不運なだけで、こんな……」

「そこに明確な原因を求めたくなる気持ちは分かりますが、違います」


 ウルフは子どもに算数を教えるような口調で続けた。


「あえて原因になりうるものを挙げるとするならば、人間関係の不和でしょうか。強い恨みや嫉妬、嫌悪感は、魔法使いが関与しなくても呪いにまで発展することがあります。そうでなくとも、負の感情は悪霊や悪魔の大好物ですから。それが呼び水となって、悪い霊にちょっかいを出されるということは珍しくありません」


 そういう場合、原因を解消すればアッサリ直るのですが。と彼は鋭い目つきになった。いつの間にかまた足を組んで、今度は警察官みたいな雰囲気に変わっている。


「友人関係や女性関係に何かトラブルはありませんか? たとえば――ルームメイトと女性を取り合ってる、とか」


 途端に、男の目がカッと開いた。間髪入れずに響いたのは机を殴った音。僕のティーカップが跳ね上がって、倒れるギリギリで踏ん張った。慣性の法則に負けた数滴が机に飛び散った。劇的な憤慨。ちょっとわざとらしく見えたくらい。


「おっ、お、お、お前、誰から聞いた! どうやって知った! やっぱり、やっぱりお前が全部――」

「ばかばかしい」


 男の激情を、ウルフはぴしゃりと撥ね退けた。


「あなた方の諍いになど興味はありません。心当たりがあるならとっとと帰って解消してきたらいかがです?」


 正論。でもその言い方はあまりに正しすぎて、寒天に一晩中置き去りにした錐みたいだった。冷たくて鋭くて、ちょっと触っただけで皮膚が持っていかれそうな感じ。


「っ……クソッ!」


 男は机を蹴飛ばしながら立ち上がった。今度こそティーカップが倒れる。咄嗟に足を持ち上げたけれど、爪先に紅茶が掛かった。熱……くない。よかった冷めてて。


「大丈夫ですか?」


 聞いてきたウルフはいつも部屋にいる感じに戻っていた。僕は平気と言いながら靴下を脱いだ。そうこうしている内に、男は寮を出ていってしまった。

 それを見届けてから、


「……すみません。私のせいで、巻き込んでしまって」


 と、彼は目を伏せた。彼がそうすると心底落ち込んでいるように見える。いや本当に落ち込んでいるのかもしれないけれど。元々重たげな瞼がさらに重たそうになって、そこから涙でも落ちてくるんじゃないか、って。咄嗟にそんなことを思ったから、それが僕に対する謝罪だと気が付くのに数瞬かかった。


「えっ、あ、いや、全然」僕は慌てて手を振った。「気にしないで。君のせいじゃないだろ。向こうの勘違いだったんだからさ。僕は別に全然」


 そう言うと、ウルフはうつむきがちのまま、唇だけで笑みを作った。


「ありがとうございます。……しかし、殴られ損でしたね」


 それは否定できない。僕は声に出して笑った。


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