第3話 子守唄

「さあ、ユニガンに着いたぞ。例のお詫びの品っていうのはどこで売ってるんだ?」


大陸の中央に位置する王都ユニガン。そのシンボルである巨大なミグランス城は先の魔獣族との戦いで大きく損壊してしまったが、都は復興を目指す人々の活気で満ち溢れていた。がらがらと音を立てながら開く巨大な門を抜けたアルドたちは、地図を見ながらどこかを目指す娘に合わせ、人気の少ない通りを進んでいた。


「えーと、確かこの辺りに住んでいたはず……」

「す、住んでる!? いったい何が……」


娘は何かを思い出すように街並みを眺め、歩き続ける。お詫びの品と聞き、何らかの商品を探していると思っていたアルドは、娘の真の目的は他にあるのではないかと疑い始めていた。

細い道を縦に並んで進む三人だったが、うっかりよそ見をしていたフィーネは路地裏から出てくる女性に気づかずぶつかってしまう。


「きゃっ!?」

「ちょっとアンタ、どこ見て歩いてんのよ!」

「ご、ごめんなさい……」


不機嫌そうな中年の女性に怒りをぶつけられ、頭を下げるフィーネ。女性はフンと鼻を鳴らして通り過ぎようとするが、何かに気付いた様子の娘が彼女を引き留め、声をかける。


「あなたは……お母さんですよね!? ルースの!!」


その名を聞いた女性は歩みを止め、ちらりとこちらを振り返る。


「この人がルースの!? おい、まさか、お詫びの品って……」


娘がユニガンにしかないと言っていた「お詫びの品」とは、そもそも商品などではなく、以前ルースを置いてリンデを出て行ったという母親のことだったのだろう。確かに母親が帰ればルースは喜ぶかもしれないが、単なる意地悪の償いとしてはあまりにも大き過ぎる贈り物だ。赤の他人の、しかもあんなにも毛嫌いしていたルースに対し、ここまでする理由が彼女にあるとは思えない。


「な、何なのアンタ……! アタシはそんなコなんて知らないよ!」


口では否定しているものの、女性が動揺しているのは明らかだった。おそらく彼女がルースの母親であると見て間違いないだろう。


「あなたがルースに対する罪悪感からリンデに戻れないことは知っています! でも、でも今ならまだ間に合います……! ルースはあなたを待っているんです! だから……!!」


語りかける娘の表情は真剣そのものだった。アルドたちの前から去ろうとする女性の前に立ち、彼女はその手を取るが、すぐに払いのけられてしまう。


「う、うるさいわね! 誰だか知らないけど、アンタ、ちょっとおかしいんじゃないの!?」

「だからわたしは……! その……」


娘は何かを告げようとするも、それを自ら抑えているように見えた。それでも彼女は諦めず、大きく息を吸うと再びルースの母親に訴えかける。


「あなたを待っているのは、ルースだけではありません。彼女の祖父……あなたの父親も、娘の帰りをずっと待ち続けているんですよ!」


女性の腕をつかみ、娘は眼を赤くしながら説得を続ける。


「もう、時間はそう多く残されていないんです……! だからどうか、どうかもう一度、おじいちゃんに会ってあげてください!」


娘はそこまで言うと、そっと彼女の手を離す。ルースの母親は娘の勢いに圧倒されたのか、俯きながら口を開く。


「……リンデには二度と戻らないと決めたのよ。だからもう……アタシに関わらないでちょうだい」


彼女はそれだけ告げると、三人に背をむけ路地の向こうへ消えていった。

娘はしばらくの間、ルースの母が去っていった方を見つめていたが、やがて空を見上げると大きく息をついてアルドたちへ振り返る。


「……みなさん。せっかく連れてきて頂いたのに申し訳ありません。とんだ無駄足になってしまいました」


彼女は小さく苦笑いを浮かべていた。


「それは構わない。けど、なあ……あんたとルースたちがどんな関係なのか、よかったら教えてくれないか?」

「わたしからも、お願いします」


二人の真摯な眼差しに、彼女も覚悟を決めたようだった。


「……私と、ルースの関係ですか。そうですね……。とても信じてもらえるとは思えませんが……。これを、見ていただけないでしょうか」


彼女はそう言うと鞄から何かを取り出し、アルドたちに差し出す。それは先ほど皆で探した、ルースの木彫りの猫だった。


「これは……あの「ねこさん」なのか!? しかも、両耳とも無傷だぞ!」


リンデで娘が落としたとき、木彫りの猫は全体的に汚れ、耳も片方折れていたはずだ。しかし、今アルドたちの目の前にあるものには、そのどちらも見当たらない。いったいなぜ——。


「はい……。こちらがルースの失くした「ねこさん」です。リンデでみなさんから走って逃げている間に偶然見つけることができました」

「じゃあ、あんたが持っていた猫は……」

「あれは……私が未来から持ち込んだものです」


彼女の口から出た「未来」という言葉に、アルドたちの頭の中で全ての謎が解けていく。


「これでお分かりいただけたでしょうか? ……私は、成長したルース。未来からきたルースなんです」


アルドたちは正体を明かした娘の顔をあらためて見る。確かに、あのルースの面影は十数年が経過したであろう今でもしっかりと残っており、リンデの祖父やユニガンの母とのつながりも、そのなかに見ることができる。


「……なんて言っても、やっぱり信じられませんよね」


どうやらルース本人はこの突拍子もない事実を受け入れてもらえるとは思っていないようだ。無理もないだろう。


「いいえ! 信じます! なんていうか……その、慣れてるので……!」

「慣れてる……?」


ルースはフィーネの反応に首を傾げる。


「あ、あちこち旅をしてると……ときどきあるんだよ。そういう不思議なことが」

「……なるほど。広い世界ではこのような現象もよくあることなんですね」


よくあることかどうかは知らないが、彼女の認識は間違ってはいない。カエルのサムライや機械の少女……この世界は未知の出来事で満ちているのだ。


「その、ルース……さんは、どうやってこの時代に来たんですか? やっぱり、時空の穴に飲み込まれて……?」

「時空の穴……あなた方はあれを、そう呼んでいるんですね。……少し長くなるかもしれませんが、私がこちらへ来ることになった理由をお話ししましょう」


ルースはそう言うとユニガンを囲む城壁を——おそらくその向こうに広がっているはずの青い海を——見つめ、静かに語り始める。


「ある日、昔の荷物を整理していて見つけたんです……がらくたと一緒にされ、片耳が欠けてしまった、あの木彫りの猫を……。私は数年前に祖父を失っていました。……母がああいう人ですから、まぁ、事実上の天涯孤独ですね。寂しくないと言えばうそになりますが、一人でもなんとか毎日を生きていました。それでも時々、堪えきれない思いに駆られる夜があって……そんなときは海岸に出るんです。あの日は例の猫さんを連れて、いつものように歩いていると、遠くから子守唄が聞こえてきました。小さいころ、祖父がよく歌ってくれた子守唄が……」

「おじいさんの……子守唄……」


フィーネは自身の小さな頃を思い出しながら、ルースの話に耳を傾ける。


「夜、私がなかなか眠れないでいると、祖父が海を見に連れて行って、歌ってくれたんです。その子守唄を。星空の下、波音のなかを一緒に歩いた思い出は、今でもちゃんと残っていて……あのとき、そのすべてが蘇ってきたんです。そして、あの唄を……祖父の声を追いかけているうちに、気付けば何かに吸い込まれ、この時代に来ていました」

「……なるほど。そうして出会ったってわけか。昔の自分とおじいさんに」


ルースは小さく頷くと、現代に着いてからのことを話し始める。


「自分はルースなんだと叫びたい気持ちを抑え、私は二人を見守ることにしました。しかし、子供の私は時間が無限にあると思っていて、いつまでも祖父との日々の大切さに気づかない……。どうにかしてあの無知な眼を開かせたい。そう思っているうちに、あんなことになってしまいました」

「それで、あのときも怒ってたんだな……」


自分を一番に思ってくれる祖父を振り回し、限りある時間を浪費してきたことへの後悔が、幼少期の自分自身に出会ったことで、大きな怒りへと姿を変えていったのだろう。


「……でも、何も変えられなかった。母との運命も……昔の自分さえも……」


そう言いながらルースは表情を曇らせる。


「そんなことないと思います! 今のルースちゃんやお母さんにも、きっと何かが伝わってるはず……!」

「そうですね……。そうだといいんですけど……」


フィーネは必死に言葉をかけるが、あまりルースの心には届いていないようだった。運命を変える上では、ときには剣でも魔法でもない、別の力が必要になる。いったい何が彼女の未来を照らしてくれるのか、アルドはその答えを探していた。


「そろそろ帰りましょう。ちょっと、疲れてしまったので」


ルースはそう言うと、母の住む街に背を向けて再びリンデへと歩き始めた。

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