第一章 春の宵に

第1話

 温かい風が吹き抜ける宵の口。

 外界から隔離された黄色いドームの中に入ると、黒い影がサル山のごとく飛び回っていた。

「一真君! そっちの任せていい?」

「お、おう!」

 師匠のラフな指示に、斎木一真は木刀に霊力を注いだ。

 入隊時に支給された木刀は霊獣の里から調達した霊木から作られた特注品だ。木属性の一真にとって、新品とは思えないほど手に馴染んでいる。

 膝ほどの背丈に成長した黒い猿型の邪霊は、碧に光る木刀が触れるなり黒い靄になって霧散した。

「よっし!」

 思わず喜んだのも束の間、目の前に他の邪霊が迫った。

 赤い光が一閃した。

 丈の長いパーカーが激しい動きに旗のように翻る。

 目の前にいた邪霊だけでなく横手にいた邪霊も一刀のもとに消し去り、師匠にして鎮守役主座の城田望は少し呆れた顔をした。

「はしゃぎすぎですよ」

 赤い光を纏った少年は崩れていく邪霊に目もくれようとしない。彼にとっては日常茶飯事の光景なのだろう。

「う……。だ、だってよ……、こんなにあっさり倒せるって思わなかったから……」

 見習いとして正式に入隊してから一週間。

 望から破邪の法を一通り習い、今日が初陣である。

 破邪を込めれば邪霊を倒せるのは知っていても、実際に倒せてしまうとかなり感動する。

「気持ちはわかりますけどね……。破邪も上手く乗っています。問題なさそうですね」

「ホントか!?」

 望は少しつまらなそうな顔をした。

「もうちょっと手こずると思ってたんだけどなあ……。一週間前、邪霊に苦戦してた人とは思えないですよ」

「へへ、めちゃくちゃ自主トレしたからな! 伝令役もチェックしてくれたしさ」

「みたいですね。おじい様……、伝令役が自分に弟子ができたみたいにはりきってましたし……。一真君は僕の弟子なんだけどなあ」

「おう、オレはそのつもりだぜ! 先輩以外からは習うつもりねェし!」

「そ、そう?」

 望は照れたように手袋をいじった。

 蝕を抑える為に巡察参加を急いだほうがいいとはいっても、さすがに補佐の講習を始めたばかりの一真を即投入するわけにはいかなかったらしい。

 入隊した後に待っていたのは、一週間後の巡察参加を目標にした猛特訓だった。

 望から破邪の法を習い、沖野彰二から霊符の講習を受け、二人が巡察に出ている間はひたすら屯所の奥の鍛錬所に籠って自主トレを続けた。

 時々、伝令役の宗則が様子を見に来ては自ら木刀を手に稽古をつけてくれたおかげか、予定通り一週間で許可が出た。

「じゃあ、残り、お願いしようかな。刀を振るう回数をできるだけ減らすようにしてください」

「減らす?」

「夜は長いですから。最初から突っ走ると、途中でスタミナが切れちゃうんですよ。途中で大物が出てくることもありますから、霊力と体力はできるだけ温存してください」

「りょーかい」

 結界の中を跳ね回る邪霊は三体。

 一撃で決めてやろうと一真は木刀を構えた。




「お疲れ様です、組長」

 結界から出ると、夜頭こと関戸剛士と隊員達が待っていた。皆、服装はばらばらだが暗色の動きやすそうな格好をしている。武蔵国現衆西組の夜の巡察を担当する夜番の面々だ。

「斎木も。調子はどうだ?」

 剛士は短く刈り込んだ黒髪のがっちりとした巨漢で、柔道やラグビーをやっているだろうと誰もが思うような風貌だ。かつて、「番長」の異名を持っていた名残か、目つきが鋭く、怖い印象を受ける。

「バッチリだぜ!」

 親指を立てると、剛士は望を見た。

「十分な戦力ですよ。邪霊程度なら今週中に一人で担当できるようになるんじゃないかな」

 「おおっ」という感嘆が周りから上がった。

 ごつい手が一真の両肩をガシッと掴んだ。

「さすが修業もなしに壬生を負かした男だな! その調子で、とっとと正規の鎮守役に昇格してくれよ?」

「ああ! 期待しててくれよ!」

 ワンクッションが気になったが、あえてスルーしておく。

 何年にもわたって彼ら補佐と信頼を築いてきた望に比べ、一真はつい最近まで普通に生きてきて、鎮守隊との関わりは全くなかった。

 そんな奴が急に指揮官的な立場の鎮守役に抜擢されれば、古参の隊員はかなり面白くないだろう。補佐には剛士のような大学生も多い。高校一年生の一真の部下になるというのは抵抗がある者がいるのも当然だ。

 それでも隊員からの反発もほとんどなく初陣を迎えられたのは、昼頭の壬生優音が先に手を回してくれたのと、隊の深刻な人手不足のおかげだ。

「組長、学園の正門前にも邪霊が数体出没中だ。包囲網は済んでいる」

「わかりました。皆は巡察の続きをお願いします。僕達は学園の前を祓ったら追いつきますから」

 指示を終え、望はこちらを振り向いた。

「行きましょうか、一真君」

「おう」

 歩き出そうとすると、首元に太い腕が回り込んだ。

「斎木、ちょっと話がある」

「何スか、番長?」

「番長はやめろ。夜頭だ、夜頭」

 望が不可解な顔をした。

「関戸さん? どうしたの?」

「ちょっと夜頭としてアドバイスするだけだ! 先に行っててくれ!」

「え……でも……」

 望は不安そうな顔をした。

「……新人いびりはダメですよ?」

「そんなことしねえって! 俺の霊気の波動をまだ教えてなかっただろ? 見習いっつっても、鎮守役なんだ。夜頭として直通回線を教えとかねーと」

「じゃあ、門の前で待ってるから……」

 腑に落ちない表情で望は夜道をスタスタと歩いて行った。

「で? 何スか?」

 いつぞやの優音のように仕掛けてくるのだろうかと身構えながら剛士を振り返ると、物凄く真剣な眼差しとぶつかった。

「いいか、よく聞け……」

 望が通りの向こうへ消えたのを確かめ、剛士はぼそっと呟いた。

「今の組長の体力は……、レッドゾーンだ」

「へ? レッド……?」

 一真も慌てて声を潜めた。

「マジで? 見た感じ、いつもとなんも変わってねェのに? さっきもフツーに刀振り回してたぜ?」

「見た目で判断するな……。あの人の演技力は半端じゃねえ……」

「そ、そーなんスか?」

 以前、望本人も演技に自信があるようなことを言っていたのを思い出す。

(……そーいえば、途中まで全然わからなかったっけな……)

 あの時は、肩の怪我が酷くてボロが出たが、あれがなければ気づかないまま戦っていたかもしれない。

「かなりの重傷を負っていても何ともないように振舞うのが、あの人の基本だ。見た目が危険になった時は手遅れだな……。倒れる直前だと思え」

 周りで補佐達が頷いた。共通認識事項らしい。

「ここ五日ほど、邪の出没が多くてな……。寝てない、食ってないが続いている。壬生によると、昼間に学校でぼーっとしてて階段から落ちかけたらしい……」

「ぅげ……」

 思わず呻く。

 まさにレッドゾーンだ。過労というやつだろう。

「昼休みにも出動があって昼飯も抜いてるらしくてな。夜になって邪気があちこちから漂ってるから興奮状態になってて元気そうに見えるが……、こういう夜は日が上ると危険だ。明るくなるなり貧血で卒倒するかもしれん……」

「なんか……、バンパイアみてーだな……」

「その例えはやめてくれ。俺達も似たようなもんだからな……」

 隠人は昼型と夜型があるらしく、昼番夜番はそれを基に決めているらしい。

 剛士を含め、ここにいる夜番の隊員は皆、夜型で夜のほうが霊力を始めとする隠人の能力が強まる。つまり夜は強いが、昼間は思うように力が振るえない。そういう意味では「バンパイア」と似ている。

 ごくまれに望のような昼も夜も関係なく全力で戦える終日タイプもいるらしい。

 一真はというと、まだどちらかわからないので両方の巡察についていってタイプを見定めるのだという。

「いいか? 今夜のお前の最優先事項は邪霊を倒すことじゃなくて、組長に飯を食わせることだ。運が悪いことに、今日の夜食はカレーでな……。あの人が苦手とする辛い系だ……。組長が『辛いのは嫌』とか言い出したら、オレに連絡してくれ。出前でもとってもらう……」

「……甘党かもしれねェとは思ってたけど……、カレー食えなかったんだな、あの人……」

「辛い系、苦い系、酸っぱい系は基本ダメだな。偏食ってわけじゃねえが、あの人に何か食わせる時は、小学生の低学年が喜びそうなのを選んだら、わりと当たる」

「な、なるほど……、すげェ参考になるぜ……」

 だが、カレーは小学生が喜ぶ系のメニューだったはずだ。何気に難易度が高い。

「今の状態で組長が倒れたら、この西組は終わりだ……。頼んだぞ」

 予想を超えて深刻な事態に一真も真面目に頷いた。

「わかった……。見習いとして、あの生活破綻、何とかしてみせるぜ……」

「組長は強敵だ。俺と壬生がタッグを組んでもあの生活破綻には手も足も出なかった……。それでも、やるか?」

「当たり前だぜ。師匠をぶっ倒れさせてるようじゃ、弟子失格だろ?」

「いい心がけしてるじゃねえか……。気に入ったぜ」

 剛士は満足げに頷いた。

「それでこそ組長と壬生が見込んだ男だ! 頼もしいぜ! なあ、皆!」

 一斉に拍手が起こった。

 控えめだが拍手から生み出される霊気の切実な色が、事態の深刻さを物語っている。

「夜頭として期待してるぜ!! 下剋上上等!組長の出番を奪うんだ、斎木! 当身を食らわせてでも前に出ろ! 後でフォローしてやるから遠慮はいらん!」

「さすがだぜ、夜頭!」

 補佐達に見送られ、一真は学園への道を急いだ。

 開き始めた桜が十二夜の月に白く揺れていた。

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