op.14

 行き交う人々は、互いがぶつからないようにすんでのところで器用に避けて歩いていた。

 ただまっすぐ進むだけで神経がすり減る交差点を渡りきると、今度は若者がひしめき合うアーケード街を進む。人混みはよりいっそう密度を増していき避けるのも困難な情況だった。


 お祭りでもやってるのかと上京してきたばかりの田舎者のような考えを巡らせていると、隣を歩いていた真莉愛が俺の腕をつかんで、「人が多くて怖い」と似合わない台詞セリフを呟き身を寄せてきた。

 成長期の膨らみが腕に当たっているのだが、本人はまるで気づいてる風もなく、こちらもそれを意識するのは馬鹿馬鹿しい。

 彼女は辺りを見回しながら、掴まる腕にいっそう力を込めた。


「律人はこの街に遊びに来たことある?」

 少しは余裕が生まれてきたのか、歩きながら質問を受けた。

「そうだなぁ……昔遊びに連れてこられたことは何度かあるが」

「それって元カノ?」

「ああ。ただ俺は後をついていくだけで特に楽しいとも思わなかったけどな。そのせいでこっぴどく雷を落とされたよ」


 あの当時はなんで付き合っているのもかもわからない関係だった。侑里にしてみれば、なんでこんな男と付き合っていたのかもわからない。

 よくわからないコンパに呼ばれて、その場で偶々たまたまあぶれた二人がその日に寝て、なんとなく一緒に暮らしはじめて、そんな微睡まどろみから目が醒めた朝に別れていた――

 そんな語ることもない関係だった。



「今もその元カノのことが好き?」

 何気ない質問に、強気な瞳が一瞬揺れたように見えた。

「そんなわけないだろ。そもそも好きだったのかさえわからないまま付き合ったんだからな」

「えーなにそれ。不潔」

「大人はそんなもんだよ。真莉愛はこんな男に掴まるなよ」

「別に……律人が悪い人だとは思ってないし」


 戸惑いをみせたと思えば軽蔑の眼差しを向けてきて、かと思えばムキになる真莉愛が妙におかしかった。

 同時に俺みたいな男に引っ掛かったら――と想像すると、親であるかのように腹立しくなる。今度は俺がコロコロと顔色を変えることになった。


「どうしたの?変な顔してるよ」

「別に、なんでもない」

「なにか隠してない?」

 まるで父親みたいなことを考えていた、なんていえるはずもなく、はぐらかすようにポケットの中から折り畳まれたメモ用紙を取り出した。


「それでさ、どこ向かってるの?」

「ちょっと待て、確かこのあたりだと――」

「さっきからなんとなく歩いていたけど、もしかして……迷った?」

「いや、教えてもらった店がこの辺りにあるはずなんだが」


 手元のメモ用紙に書かれた地図通りに来てみたものの、しばらく歩き続けると、人が絶えず通りすぎて行く通りのど真ん中で迷っていた。

 まさに真莉愛のいった通りの事態となってしまい、やはりあの男に任せるんじゃなかったと、この場にいない憎い顔を思い浮かべていると、横から真莉愛が地図を覗きこんで口を挟んできた。


「ちょっと見せて。うーん……この通りを左に曲がるんじゃない?」

「左か?地図では右になっているが」

「でもこの建物を右に曲がるとこの通りにでるから、たぶん書き間違えたんだよ」

「ああ、なるほどな」

 確かに記されている建物の位置があべこべだった。これではいつまでたっても辿り着くはずがない。

 俺が地図も読めないとわかると、自分だって怖がってたはずの道を知ったように手を引いて歩いていく。手を引かれながら俺は小さな背中を見つめていた。

 こちらを向かずに真莉愛は楽しそうに話す。


「迷ったらさ、二人なんだし協力して探そうよ。一人で見つけられなくても二人ならきっと見つけられるから」

「そうか……そうだよな」


 見ず知らずの人間が絶え間なく通りすぎていく雑踏で、ともすれば一人では途方にくれていたかもしれない。

 自分の立ち位置がわからずに右にも左にも行けず立ち止まって、そのうち疲れて座り込んでいたかもしれない。

 そうならないのは真莉愛と二人でいるからだろうか。

 情けなくも教えを請うて手を引かれていることで、自分の居場所がハッキリとわかる。

 誰かと歩くのもそう悪いことではない――

 きっと本人は深い意味などこめなかっただろうが、真莉愛の言葉は一人で生きてきた俺には重く響いた。



「わー!可愛い服がたくさん!」

 辿り着いたファッションビルにはいくつものアパレル店が入っているようで、普段こういった店に訪れる機会がないといっていた真莉愛は、目を輝かせて眺めていた。

 普段の俺はというと、むさ苦しい現場と殺風景な家との往復だけの生活なだけに、居心地の悪さといったら大変なものだった。

 真莉愛は商品を手にとっては、似合ってるかどうかをいちいち確認してくる。その姿は年相応に可愛らしく、年相応に眩しかった。

 こんな一面もあるんだなと、普段は隠れていた素顔を垣間見た気がし、得体の知れない気恥ずかしさで体が痒くなる。


「服は逃げないから落ち着け」

「だって、どれも可愛くて……あ、これなんかどう?」

 そんな調子で若さというのを舐めていた俺は、都合二時間は引きずり回されたと記憶している。

 蜜蜂のようにあっちにいったりこっちにいったりと、忙しなく飛び回る彼女の後をなんとかついていってる途中、試しに可愛いといっていたスカートの値札を裏返してみると一万と書かれていたことに驚き、そのまま固まってしまった。

 たかがスカート一着で諭吉が消える――値札を凝視していると横からすかさず店員が声をかけてきて、またもや驚かされた。


「なにかお探しですかぁ?」

 鼻にかかる声と化粧がやたら濃い店員が、おかしな組み合わせの客を、営業スマイルの仮面でも隠しきれていない好奇心を覗かせていた。

「ああ、いえ、大丈夫です……」

「なにかありましたらお声かけくださぁい」

 接客などされたらたまったものではないとそそくさと店を出ると、背後から元気な声で「ありがとうございましたぁ」と、蠅でも追い払うような声が聞こえた。


「何してたの?」

「今時服にもバカみたいな金がかかるんだなと思い知らされてな」

「そうだよ。女の子はお金がかかるんだよ。律人はそういうのに疎そうだもんね」

「うるさい。ほっとけ」




「あーしんどい……」

 トイレに行った真莉愛を待っている間、隅に置かれていたベンチに倒れるようにもたれ掛かった。

 結局何度何店舗訪れたか覚えてないほどいったり来たりを繰り返し、ようやくこれだと好みのワンピースとパンプスを買えた。

 なんとか予算ギリギリで買えたことにほっと一息ついていると、若い客達が楽しげに店内を闊歩しているなかで、異質というか、一際目立つ男が立っていることに気がついた。


 周囲の人間は鼻を抑え、その男から距離をとっている。髪はぼさぼさで服は擦りきれ、離れた位置からでも漂ってきそうな、明らかに異臭を放っているその男は明らかに招かれざる客だった。

 なにより目を引くのは、その男の怒気を含む視線だ――その視線が俺に向いている。


 そいつは目が合った瞬間に死角へと姿を消して去っていったが、いったいどこの誰だったのか記憶を探ってみても、まるで見当がつかない。

 わかったのは明らかに敵意を持って俺を見ていたということだけだった。



「おまたせ。どうしたの?」

「ああ……いや、なんでもない」

 変な心配をさせるのも悪いだろうと、先ほどの男のことは伏せておくことにした。

「あのね、今日はありがとう。こんなに可愛いワンピース買って貰えて嬉しいよ」

 そう言ってお礼を告げる彼女の笑顔を見れただけでも良かった。

「それは良かったな。じゃあ帰るとするか」


 それから再び電車に揺られて帰宅したが、頭の片隅ではあの男が離れることはなかった。

 真莉愛の喜ぶ顔が見れたのは良かったものの、あの男はいったい何者で、どうして俺を見ていたのか――小さなしこりが残ったようで気持ちが悪かった。

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