19日

 どうも嘘築です。


 せっかく物書きの端くれが日記を公開しているので、今日は真面目に創作について話してみようかなと思います。

 結果を残していない人間の創作論なんて滑稽極まりないでしょうが、適当にご覧ください。


 最近、小説を書いていてよく思うのは、青春小説の難しさです。


 青春小説と一言で括ってしまうと、ピンからキリまであるので少々わかりにくいですね。まあ、皆さんが青春小説と聞いて思い浮かべたものと、僕が思い浮かべたものにそう大差はないと思うので、細かく定義することはあえてせずに話していきます。



 青春小説に限った話ではなく、創作、こと小説においては、作者の独りよがりではいけない、という半ば絶対的な暗黙のルールがあります。


 インターネットでは、独りよがりなご都合主義小説を「オナニー小説」なんて呼び方をしたりしますが、これではいけないですよね?というなんとなくの共通認識です。


 創作なんていうものは、作者が考えていることを自慢する場所なので、多少自分本位でもいいとは思いますが、とはいえ限度があります。世界観がしっかりしているのと、世界に自分しか居ないのは別の話なので。


 青春小説に話を戻すと、このジャンルは話題にした「独りよがり」という点で非常に難しいジャンルだと僕は思うのです。


 僕が落選したことでおなじみのカクヨム甲子園では、応募資格が高校生に限られていることもあり、作者の登録ジャンルに関係なく、青春小説が多く見られた気がしました。そりゃあ当たり前ですよね、作者が青春真っ最中なんですから。


 しかしながら、上から目線を承知の上で言うと、今回のカクヨム甲子園では、そういった青春小説のなかで「お?」と思ったのはほんの二作品ほどでした。


 これは作者の問題ではなく、ジャンルそのものが抱える問題点であると思うわけです。


 青春小説を構成する最も大きい要素は、子供からの卒業です。


 なんらかの出来事を通して自分のあり方を見つめ直すことで、成長していく。青春小説は極限まで簡単にしていくと、これだけになります。


 ここで僕が言いたいのは、成長と卒業というプロセスの書きやすさによって、作品の大筋までも簡略化してはいけない。ということです。


 作品の中で、明確に伝えたい思いがない限りは、その作品が感動を呼ぶことはありません。それは感動「風」であって、実際のところはお涙頂戴でしかないのです。


 僕も、なんだかんだでいわゆる青春小説をよく書いていますし、カクヨム甲子園にもその傾向の作品を応募しました。


 やってみないとわかりませんが、青春小説で軸や大筋を明確にしながら書くことは非常に難しいです。どうしてもインスタントな感動へと作品を持っていこうとしてしまいます。


 楽な方に流れるのは当然ですし、書いていて気持ちがいいのは大事ですが、創作で最も大事なのは気持ちや願いが作品に込められていることなのではないでしょうか。


 男女が適当に出会って、夏祭りや海なんかに行って、絵に描いたような青春を送る。それだけでも好む人は好みますし、売れるものは売れます。


 そんな中で、自分の中で燻っているものをいかに青春に対して投影できるかが、青春小説を書く際の肝なのではないでしょうか。



 ということで、雑多で要領を得ない話ですが、なんとなくで書き上げました。拙い文章で申し訳ありません。


 それでは今日はここら辺で、読んでいただきありがとうございました。

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