《謝意》

 四時間目の授業が終わって昼休みになった。昨日は午前中で終わりだったが、二日目の今日からは普通に授業が始まり、もちろん午後もある。


「佐藤は昼どうする?」


 教科書類を片付けた佐倉がこちらへ振り返りたずねてきた。


「弁当持ってきてるからそれを食べるけど。そっちは?」

「俺も。このまま机借りてもいいか?」

「いいぞ」


 佐倉は一度前に向き直り、鞄に手を入れた。弁当を取り出すのだろう。

 佐倉が弁当を取っている間に、今度は俺が穂積に訊ねた。


穂積ほづみはどうするんだ?」

「拓真くん、呼び方」

「……かえではどうするんだ?」


 やはり慣れなくて、つい苗字で呼んでしまうことがあるが、そのたびにこのように訂正させられる。余程のこだわりがあるようだ。


「私は先約があるから、そっちに行くよ」

日向ひむかい阿部あべか?」


 弁当を取って、椅子ごとこっちに向き直った佐倉が楓に訊ねる。日向に阿部、どちらも初めて聞く名前だった。

 それに対して何故か楓は俺の方を一度見てから、「そうだよ」と佐倉に向けて答えた。


「そういえば朝から気になってたけど、お前ら二人は元々仲いいのか?」


 佐倉と楓の距離感は、少なくとも初めて同じクラスになったという感じではなさそうだった。


「去年同じクラスだったんだよ」

「まあ、そこまで仲がいいってほどでもないけどな」

「それにしては、穂積のことについて詳しくないか?」

「そりゃあ、こいつらは有名だからな」


 確かに、雑誌のモデルをやっているようなら、知らない人の方が少ないのかもしれない。

 それに思い返せば、休み時間のたびに楓は誰かと話しをしていたのだが、その相手は毎回違っていたし、性別も問わなかったように思う。


「おっと、そろそろ行かなきゃ」

「悪かったな、引き留めたみたいで」

「いいよ、気にしないで。じゃあ」


 楓がそう言った直後、「楓ー。お昼ご飯行くわよ」と声がした。

 それを聞いた俺たちは、ほぼ同時に声の方向へ視線を向けた。

 その先に居たのは二人の女子で、多分どちらもこのクラスの生徒ではないと思う。だが、よくよく見ていると二人の片方には、どこか見覚えがあるような気がしてきた。


「あーっ!」


 二人がこちらにやってくると、そのうちの一人、見覚えがある方が声を上げた。

 それと同時に、俺も彼女のことを思い出す。昨日の登校中にぶつかってきた女子だ。


「あ、昨日の」

「あなた、あの時はよくも……」


 彼女はそこで言い淀んだ。

 あのときの出来事を口にすることに躊躇ためらっているのだろう。なので俺もそれに対しては何も言わないことにした。


「何かあったのか?」


 ただ、さすがにこの状況を飲み込めない佐倉は俺に尋ねてくる。それに対する当たり障りのない答えを探す。


「まあ昨日ちょっと……。その、朝ぶつかった、それだけだ」

「何それ、ラブコメかよ。いや、どっちかっていうと少女漫画か?」


 昨日俺が考えたことを佐倉は言葉にした。

 結局彼女とは同じクラス、とまでいかなかったものの、こうしてもう一度顔を合わせることになったのは、十分運命的で物語的だ。

 などと昨日のことを思い出して、はたと気づく。そういえば、あのときお互い何も謝ってなかった。

 彼女と楓は知り合いのようだから、今後の人付き合いを考えれば、ここはしっかりしておかなければ。


「あのときは悪かったな」

「そうね、ちゃんと前見て歩きなさいよ」

「……ん?」


 予想外の返答に困惑した。そこは普通、『私も前を見てなかったから』みたいなことを言うところではないのか。

 確かに地図アプリを気にしていたのは認めるが、交差点を確認せず走ってくる時点で、文句を言える筋合いはないとは思う。


「ちょっと待ってくれ。そっちからぶつかってきただろ?」

「何言ってるのよ。あのときは……何にしてもあなたは……その、あなたが悪いわ」

「そりゃ、あれは悪かったけどさ」

「そ、そのことは蒸し返さないでよ」


 このままじゃらちが明かない。そう思っていたら、彼女と一緒に来たもう一人の子が口を開いた。


友葵ゆき、お腹すいた。早くお昼食べよう」


 抑揚の少ない声で、二人がここに来た本来の目的へと話題を戻す。

 その言葉で、友葵と呼ばれた彼女は「そうね」とだけ漏らし、彼女が引き下がるような形となった。


「……じゃあ私たちはホールでお昼食べてくるね。またあとでね、佐藤くん」


 楓はそう言うと、二人を連れて教室を出て行った。

 彼女が去ったことで、多少溜飲りゅういんが下がったものの、謝ろうという気持ちはとうに消え失せていた。


「……まあ相手が悪かったな」


 三人の姿が見えなくなったところで佐倉が言った。


「そうだな、穂積の友達から印象悪いままなのは微妙に困るんだけど」

「いや、そうゆう意味じゃなくてな。お前とぶつかった方、日向友葵って言うんだけど、結構キツい性格でな」


 確かに、あの物言いから俺もキツい性格というのは感じ取っていた。


「でも、見た目は結構可愛いやろ? もちろん何人かから告白されたこともあるらしいんだけど、全員あえなく撃沈って噂だ」


 なんとなく、その様子が頭に浮かぶ。

 弁当箱を開きながら、佐倉の説明はまだ続いた。


「まあどうやら、男嫌いらしくてな。打算無しに接してくる男子にも、トゲのある言葉をお見舞いしてくる」

「佐倉も何か言われたのか?」

「転校初日、移動教室が解らんかったから、たまたま席が隣になった日向に訊いたら……『何で?』って」

「うわー、それは……」


 昨日俺に声をかけてきた理由もそこにあるんだろうなと、安易に想像できる。

 まあそういう意味では、佐倉には悪いが日向には多少感謝したい。


「で、誰が言ったかそんな日向に付いたあだ名は鉄の処女アイアンメイデン

「中に入った人をトゲで突き刺す拷問具だっけ?」

「それそれ」


 なかなか上手いことを言った奴もいたものだ。

 中に見込めば痛い目を見ると言うことか。しかも告白したが振られたなんて言いふらされたならば、それは処刑とも言えよう。


「なるほど。……いや、待て。楓は? あいつ男だよな? いや、実は女なのか?」


 男女で綺麗に分かれた今の席順を考えると、少なくとも学校は楓を男子と扱っているのは判る。

 が、それは戸籍に則っているのか本人の意思を尊重しているのか、あの様子からは計りかねる。


「穂積の性別? まあ、『穂積楓』って感じだな」

「意味がわからない」

「一応男子だし、本人もその自覚はあるっぽいけど……。あんな感じで女子と連むことも多いし、見た目もあんなだから、なかなか難しいな」


 佐倉はそこまで言うと、一度紙パックのお茶を口にした。


「日向の接し方って意味では、あの三人は中学が同じらしいから、他の男子とはそこが違うんじゃないか?」

「ふーん、同じ中学なのか」


 楓が俺の幼なじみというのなら、もし俺が昔転校していなかったら、俺もあの中に混じっていたのだろうか。

 いや、それはないだろう。日向という子が男嫌いだというのなら、おそらく俺はそこに交われなかった。

 そうすると、楓がどうするかにもよるが、楓が日向と仲良くすることも、俺と友人づきあいをすることも、どっちも取ることはできなかっただろう。

 だとしたら、俺が引っ越して、当時のことを忘れて、すべてリセットされたのは、もしかすると都合がよかったのではないか。


 ──なんて考えすぎだろうかと、このときの俺は思っていた。

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