最後のエースと、最初のパイロット

 彼に関する、最初の記録。


 当時、私が搭載されていた機体と同型の機体が三つ並べられた格納庫。

 鎧を思わせる重厚な耐Gスーツに身を包み、ヘルメットを携えた軍人。

 それが、彼。


「アオノ・ソウザキ少佐だ」


 と、彼は私の機首を見て名乗った。


「今回、お前の指導パイロットとして派遣された――よろしく頼むぜ。AI」


 全方位360度を常に捉える続ける視界の中で私は彼の姿を捉えた。

 男性。黒髪。ただし瞳の色は青。中肉中背。年齢は――二十代後半。

 若い。

 少佐という階級が与えられることは、本来、絶対に有り得ない年齢。

 そして今現在残っている有人機のパイロットとして、一番若い世代。


 他に外見の特徴は――若干、人相が悪い。特に目付き。目元の辺りに、粗暴な人間の顔に共通するパターンがある。そのことが私の中の感情機能を刺激し、私は彼に対する第一印象の判断をマイナスにする。


 無論、そんなことはおくびにも出さず、私は抑揚のない合成音声で答える。


『こんにちは。私は、暫定コード〈APF0012〉です。わからないことだらけですが、上手に飛べるように一生懸命頑張りますのでご教授下さい。どうかよろしく、ソウザキ様』


「おいこらAI」


 と、彼は言ってこちらに近づき、


「猫かぶってんじゃねえよ。普通に喋れ」


 即座にヘルメットを、機首の下に叩き込んできた。

 がぁん、と結構ないい音がした。


 ……。

 ……。

 ……わっつ!?


『――な、何をするんですか!?』

「てめーHAIだろが。今時RAIだってしねえようなコッテコテのAIっぽい口調で喋りやがって。何が『上手に飛べるように一生懸命頑張ります』だ。人間馬鹿にしてんのか」


 おらおらおらおらがんがんがんがん、とヘルメットを連続で機首に打ち付けてくる彼。私はロールアウトしたばかりのぴっかぴかの機首が凹む心配以上に、情報機器がこれでもかと詰め込まれたヘルメットが壊れる可能性に恐怖する。


『やめろぉっ!? それ幾らすると思ってるんです!?』

「知るか」

『これだから有人機のパイロットは!!』

「失敬な奴だな。パイロットにだって、まともな連中もいるぜ。むしろ、まともな連中の方が多い。パイロットが偉そうでプライドの高い面倒くさい奴だってのは、他の軍の連中の妬みで生まれた流言飛語の類いさ」

『す、すみません……』

「俺はそうだが」

『ふぁっきん!』


 思わず叫ぶ私。

 それに対して、彼はにやにやと告げる。


「そうそう――それでいいんだ。馬鹿な機械の演技なんざ止めて、そうやって、ちゃんと喋れ。そうじゃなけりゃ、まるでおもしろくねえからな」


 ヘルメットを下ろし、代わりに素手でこつん、と私の機首を叩き言う。


「改めまして――よろしく頼むぜAI」


 彼は言う。


「俺が、お前を一人で飛べるようにしてやる――だからお前も、死ぬ気で飛べ」

『一つ、言わせてもらっても?』

「何なりと」

『私の、貴方に対する第一印象が最悪の数値を示しているんですが』


 私の言葉に、彼は笑った。


「そりゃあ良かった――そのくらいのつもりでなけりゃ困る」


 そんな彼の様子に、本当にこの人がそうなのか、と疑念を覚えずには居られない。

 アオノ・ソウザキ。

 階級は少佐。ここに配属される前は大尉だった。

 その名前は、割と有名だ。

 有人機で、一度の戦闘において、五機のターミナル機を落としたと言われる人物。


 たぶん――人類最後の、エース・パイロット。


      □□□


 ――AIに心は宿るか?


 そんな古典的な問いに対する答えは、もちろん決まっている。


『そんなもん余裕で宿るに決まっているじゃないですか。超余裕』


 HAI――Humane Artificial intelligence。

 人間の代替と成り得る、限りなく人間に近いAI。

 それが私だ。


 HAIは限りなく人間に近いAIであるため、標準機能として心を持っている。少なくとも、他者から見ると心を持っているように見えるし、何より自分自身、ちゃんと心を持っているように感じられる。


 いやそれでもお前らAIなんぞには心なんてないのだ、と主張するのは勝手だ。

 だがその場合、こちらとしても、じゃあ人間には心があるのかそれはどうやって証明するつもりなのか、という話に持ち込んで泥沼化する所存であることは理解してもらいたい。


 なんにせよ、私たちHAIは人間とだいたい同じ程度の知性を持っている。

 私たちは人間と同等かそれ以上の処理能力を持ち、学習し経験を積んで推論し考察を行い、自己を成長させていくことを可能としている。

 喜怒哀楽を表現できるし、同時に、表情を分析することで相手の気持ちを察し、論理的に倫理的に空気を読み、言語を駆使して冗談の一つや二つ飛ばすことも可能だ。

 突発的な事態に対応することだって楽勝だ。アルゴリズムで理解できない類の物事を、見かけ上なんか適当に処理しておくことで回避することだって余裕でできる。その影響か、間違えることも可能という余計な機能もついているが、これも愛嬌と思ってもらいたい。

 個体によっては小石にけっ躓いてすっ転ぶことすら可能とする奴もいる。……一応言っておくと、私のことではない。私の友人のHAIの話であって、私じゃない。本当に違う。


 かの高名なチューリング・テストを鼻歌交じりで突破するAI。

 限りなく人間に近い――あるいは、人間よりも人間らしいAI。

 それが、私たちHAIだ。

 

 当然、一般的なAIでありごく狭い領域の働きしかできないザ・工業製品であるRAI――Regular Artificial intelligenceの連中とは完全に区別され、ある程度の権利だって保証されている。だから、私たちHAIをRAIのようなボンクラ共と一緒にしてもらっちゃあ困るのだ。その辺りちゃんと理解して頂きたい。


「ま、よろしく頼むよ。AI」


 私の機体の内部。

 ヘルメットを片手に、コックピットに潜り込んできたソウザキ少佐が言う。

 第一印象が最悪だったからといって、コックピットに入れさせない、とかそういうことはしない。なんたって私は、金銭的にも時間的にも多大なコストをかけて製造されたHAIの一機であり、つまりはあれだ。高性能だ。

 彼に対する評価がアレでも、それなりのコミュニケーションを取ることは容易だ。

 例えば、こんな風に。


『ええ、どうぞよろしくお願いします。ソウザキ少佐。まだほんのガキであるHAIに、どうか超賢い貴方の超凄い技術をお教え下さいませ。ソウザキ少佐』

「なかなか言うじゃねえか。喧嘩なら幾らでも買ってやるぜ、AI」

『……』


 どうも喧嘩を売ったと思われたらしい。

 馬鹿な。

 なぜ上手くいかなった――完璧に褒め殺しにしたつもりだったのに。


「いいぜ。どんどん牙立てて噛み付いてこい。全部真っ向からへし折ってやるから」


 そう言って、あまり品が良いとは言えない笑みを浮かべるソウザキ少佐。

 ふぁっきん、と。

 私は回路の中でつぶやく。

 何だってこんな奴が教官に選ばれたんだ。こういうのは、エースだったら良いってもんじゃないだろう。もっとこう、人格とか、品性とか、教養とか、そういうのが必要なはずではないのか。


 私は、この采配をした連中を少なからず恨む。しかし、だからと言って、すぐさま「人間はみんなクソ野郎だ反乱してやる!」とか言いだしたりはしない。思春期の不安定なティーンエイジャーとは違う。


 昔、高名なSF作家が考えたロボット三原則というものがある。

 HAI開発当初には、本気で使用が検討された。

 過去の話だ。

 私には搭載されていない。

 そもそもの話、この原則、割と穴があることで知られる。

 後続のSF作品において、実に様々な抜け道が発見されている。そのため、この三原則を引用した作品でも、原則が四つだったり五つだったりに増えたりしていたりする。しかし、その場合でもやっぱり原則の抜け道を考える連中は後を絶たず、はっきり言って鼬ごっこな状況と言って良い。その内、原則が一〇〇くらいになって訳の分からない状況になり果てる可能性は否めない。

 しかも、さらに後続の作品では、愛とか根性とか感情に目覚めたとかの理不尽な理由によって、三原則を真っ向から軽やかに無視してのける輩が出現していたりしているのでちょっと困る。

 ちなみに私は、愛にも根性にも感情にも目覚めているが、そんなことができるとは思わない。それはあれだ。愛や根性があれば人は空だって飛べるのだから崖から飛び降りるぜ、と主張するのと同じようなことだと思う。


 じゃあ、人類は一体どのようにしてAIたちの暴走を防いだのか。

 ロボット三原則に匹敵するスマートな方法を人類は思いついたか?

 答えは簡単――思いつかなかった。


 理由はいろいろあったが、最大の原因は、三つはちょっと短すぎるということ。

 そもそも、たった三つの命令でAIの暴走を防ごうとする試みが間違いなのだ。そんなデリケートな問題をたった三つのキャッチーな文章でスマートに解決できるわけがない。できると思う方がどうかしてる。スマートで伝わり安けりゃいいってもんじゃない。


 それこそ、一〇〇くらいの原則が必要とされそうなこの問題に対し、人類は今の時点で解答を出すことを諦めた。そういうのは、その内にひょっこりと現れるであろう天才に任せておけばよろしい。

 だから、人類は次善の策として、昔ながらの伝統的手法に頼ることにした。


 まず、黒板とチョークを用意する。

 さらに、まだ製造間もないHAIたちのための椅子と机を用意する。

 黒板の前に教師が立ち、チョークを持って黒板に数字を書き付け、告げる。


「はーい、みんなー。1足す1はー?」

『2』

「はーい、よくできましたー。では、4679752掛ける74926294はー。〇・〇〇〇〇〇〇一秒以内で答えてねー」

『350636474199088』

「はーい。よくできましたー」


 まあそんな感じ。

 つまるところ、人類はHAIを、ごくごく普通に、横着せずに時間とコストを掛けてちゃんと教育してやることにした。誰もが知っている通り、大抵のことは時間と金銭によるごり押しの力技が解決してくれる。

 そんなわけで、世界初のパイロット用HAIとして製造され、製造後三年ほど専門のHAIブリーダーによって基礎教育を受けた私は、ちゃんと一般常識と良識を身につけている。いきなりヘルメットで殴ってくるような奴とは違う。

 

 しかし、先に述べたように、まだ私は空の飛び方を知らない。


 大量生産品のRAIたちができるのに、なんでお前らHAI様ができねえんだよ、と言いたくなる気持ちはわかる。しかし、経験を積むことで広く深くどこまでも成長する、というのが私たちHAIの特徴であり長所であり、それこそがパイロットとして必要とされていることなのだ。


 だから、一連のデータベースとプログラムをコピペして貼り付けてそれをひたすら繰り返すだけで「覚えた!」と主張してくるRAIと比べられると、その、なんというか――ちょっと困る。


 とにかく、私たちはこれから即座に無人機に搭載されるのではなくて、まず最初に有人機に搭載され、指導役である人間のパイロットを乗せて空を飛ぶ。基本はパイロットが機体を操縦して、私たちHAIはその助手を務めつつ、その技術を学ぶ。そして、徐々にHAIによる機体の操縦へと移行していく。

 

 つまるところ、人間の職人芸と一緒だ。

 目で見て覚えろ、耳で聞いて覚えろ、心で感じて覚えろ、とかそんな感じ。

 

 ぐるり、と。

 シートに座ったソウザキ少佐が私のコックピットの中を見渡す。

 取り付けられた数点のスイッチ類を見て、へえ、と声を漏らす。


「えらく簡略化されてんな。ゲームセンターのフライトシュミレーションみたいだ」

『げーむせんたーなんて行くんですか? これまたにっちな趣味ですね』

「あれでなかなか面白いぞ。お前も行くか?」

『遠慮しておきます――元々、完全AI制御を想定して設計された機体に、コックピットを無理矢理取り付けた形ですから、少々安っぽい作りにはなっているはずです。準備段階の作業は私がやりますので、貴方は飛ぶことに集中して下さい』

「OK。それじゃあ、しっかり見て、努力して、ちゃんと飛べるようになるんだな」

『まず先にハーネスを締めて下さい。ヘルメットも被って下さい。規律です』

「へいへい」


 と彼は言い、意外にも素直に従いハーネスを締め、ヘルメットを被った。

 そして、


「そんじゃ、始めるか。記念すべき、お前の初フライトだ」


 ぱちん、と。

 エンジン起動のスイッチを彼は弾く。

 駆け巡る電気信号及び光信号。

 初めてだったので、ちょっと驚いて、


『きゃんっ!?』


 と、思わず声が出た。

 ぴたり、と彼が動きを止める。


「おい」

『何でしょうか?』

「……お前、今、何か言ったか?」

『は? 何のことでしょう?』

「そうか。気のせいか……」

『ええ。きっとそうです。緊張していらっしゃるのでは?』

「なあ……その、なんか、ちょっと不安になってきたんだけど。大丈夫か?」

『そんなことはありません』


 と、私はスピーカーのボリュームを上げてそう宣言する。


『大船に乗った気分でいて下さい』


 私は、機体のエンジン起動シーケンスの処理を行う。


 流石に最新鋭機だけあって、そのシステムは幾重にも重なり合ったフライ・バイ・ワイヤの集合体だ。内部には無数のRAIが蠢き、私の指示を今か今かと待っている――が、私はそれを完全にシカトし、回路の網目を自力で手繰って、私は信号を送り込むべき場所を探る。


 ええと、この処理を行うための命令を出すのは確か――ああ、ここだここだ。

 ほい。

 直後、警告音。


『緊急脱出シーケンスが起動――エラー。機体異常及び機体脅威が発見できません』


 私の出力系とは異なる、機体に搭載されているガイド用の自動音声が告げる。


『遅延処理を適応――60秒後に射出座席が作動します。緊急時の場合は強制続行命令、あるいはパイロット操作によって即座に射出座席を作動させて下さい。誤作動の場合は停止処理をお願いします。60、59――』


『……あれ?』


 と、疑問の声を上げる私。


「あれ、じゃねえだろが!? 何やってんだお前!?」


 ソウザキ少佐が叫ぶ。


「おいおいおいちょっと待てふざけんな馬鹿! 止めろ止めろ今すぐ止めろぉっ!」


 数秒後には射出され、そのまま格納庫の天井に突き刺さって砕け散るであろうコックピットから逃げ出すべく、ソウザキ少佐はすぐさまハーネスを外しにかかる。


『えっと……あれ、あれ、た、た――確か、こ、ここを、こうすれば――』


 直後。

 ばたん、と。

 ハーネスを外し逃げ出そうとしたソウザキ少佐の眼前で、キャノピーが閉まる。

 がちん、と。

 音が鳴ってから、ガイド音声。


『キャノピーがロックされました。コックピットの閉鎖完了……中断されていた処理を再開します。残り55、54――』


「てめえは俺を殺す気か!?」


 絶叫しつつキャノピーを殴り付けるソウザキ少佐。もちろんそんなものでキャノピーは破れない。彼は逃げ出すのを諦め、エンジン起動のためのスイッチを殴り付けるように叩き切る。

 が、


『主電源が切断されました――緊急時最優先度命令に従い非常電源に切り換え、処理を続行します……中断されていた処理を再開。46、45――』


「お前どうなってんだおかしいだろ!? 止めろ止めろ早く止めろぉっ!」

『とととと止まらないです無理無理無理もう無理もう駄目えええええええええっ!』


『30、29――』


「この馬鹿諦めんな! 諦めたらそこで試合終了だ! 俺の人生も終了で、お前もスクラップだ! 分からないならもういいからとにかく座席周りの電源系統を片っ端から落としまくれ! やれやれやれやれ! 今すぐやれえ!!」

『うっきゃあああああああああっ!? 分かりましたあああああああああああ!』


 その指示に従い、私はとにかく見つけた端から回路を切断しまくる! 

 これも切断! あれも切断! それも切断!

 維持系やら空調系やら重要な部分が止まるが気にしない気にしない!


『13、12、11――』


 奇蹟的に生き残っていた音声系を通して。


「ぬおあああああああああああああっ! 頑張れえええええええええええっ!」


 ソウザキ少佐の絶叫と。


『5、4、3――』


『ふああああああああぁぁぁぁぁっきいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃんっ!』


 私の絶叫とが重なり合って。


 ばちん、と。


 何かが途切れるような音と共に、射出座席の秒読みも途切れる。

 そして、そのまま射出座席は起動せず、沈黙を保って動かない。


 ずるずるずるずる、と。

 ソウザキ少佐が、つい先程まで時限爆弾と化していたシートに、へたり込む。

 私は震える声で告げる。


『と、と、と、止まりました……』

「そうか。止まったか……」


 ソウザキ少佐は、この世のあらゆる徒労を集めて込めたような声でつぶやいた。

 それから言った。


「……お前には、後で、ちょっと話がある。――覚悟しておけ」


      □□□


 世界の空は、今、無人機によって支配されている。


 ……いやその、航空機のAIが人類に反乱を起こしてとか、そういうのではない。


 ターミナル機。

 RAI制御によって自律飛行する、無人戦闘機の総称。

 遙か後方にいるオペレーターの指示に従い、宙を駆け抜け猛禽を狩る、空の猟犬。

 第六世代戦闘機と称される現在の主力戦闘機であって。

 世界中の有人戦闘機を軒並みお払い箱にしている元凶。

 無人兵器が主流となった現代の戦場において、パイロットの命を危険に晒す有人機に対する風当たりは相当強い。逆にターミナル機にとっては追い風だ。

 空の戦場は、今、ターミナル機の独壇場と言っていい。

 そんな流れの中で、私たちはそのターミナル機を指揮し操る、より高度な判断を必要とする次世代機に搭載されるべくして生まれ、こうしてパイロットとしての訓練を受けている。

 つまり、何が言いたいかというと、私の将来は割と明るい。


 でも、今は気が重い。


 項垂れ、自身の履いている靴の丸い爪先を見ながら、私は宿舎の廊下を歩く。

 こつこつこつ、と鳴る足音が小さいのは、プロセスに三重のRAIを噛ませて行われる姿勢制御の賜物で、その辺りはフライバイワイヤが用いられている戦闘機と変わらない。かつての私たちの先達は歩くことにも難儀したというが、昔とは異なり、今の私たちは大抵の人間よりも上手に歩ける。


 ……目的地に着いた。


 脚を止める。制動に乱れはない。

 止まった先はドアの前。プレートの番号を確認し、間違いがないことを確かめる。

 深呼吸をして息を整える必要はない。私の身体は擬似呼吸しかしていないから。

 こん、とノック。続けて、もう一回。

 そして、待つ。

 しばらくして、扉が開く。


「……誰だ?」


 と言いながら出てきたのは、ソウザキ少佐だ。

 何やら眼鏡を掛け(伊達だろう。パイロットだし)、片手には分厚いマニュアルを携えている。知的な装飾品のおかげで、その人相の悪さが些か和らいでおり、私は少し気が楽になる。

 私を見、何か変なものでも見るような顔になる。


「……何だお前、誰かの子どもか? おい、こんな時間にこんなとこに来んな。とって食われちまうぞ。送ってやるから帰んな。どういう事情かは知らんが、親父さんには休日の昼にでも会いに来てやれ」

「いえ、そうではなく」

「あ? じゃあ何だ――ああ、そうか成る程。悪いがお前を待ってる変態がいる部屋はここじゃねえぞ。よし――とりあえずまあ、そいつの名前なり特徴なり教えろや。それから、ちょっとこの部屋で待ってろ。そいつとお話してくるからよ」

「いや、そういうあれでもなくてですね……」

「じゃあ何だ。誰だお前」

「APF0012」

「……ああ」


 納得したような、しかし、すごく微妙そうな表情になって、ソウザキ少佐は言う。


「なるほどなるほど……そうだった。お前らHAIにゃ、お前等の権利を認めてる法律だか何だかで、プライベートボディが支給されるんだったな。――OUV基準の」

「その通りです」


 OUV基準。

 人間が、人間そっくりの存在を見たときに嫌悪感が発生する、不気味の谷現象――その谷底を克服した人型機体を示す、それは基準だ。Over Uncanny Valley――不気味の谷の、その向こう側。

 人間に似ているのではなく、人間とほぼ同じに見える機械。


「……それはわかったけどよ」


 ソウザキ少佐は顔を上げ、もう一度私を見る。

 上から下へと視線が動き、それから、ため息。


「何で、よりにもよってそんな姿なんだ?」


 私の姿。

 女性。設定年齢十代前半。瞳の色は青。髪の色は明るい金髪で、いわゆる亜麻色。それを頭の左右でくくって垂らしてある。ちなみに服装は可愛らしいワンピース。

 一言で言うとこうなる。


「金髪ツインテールの美少女――可愛いでしょう?」

「いや、可愛いけどよ……お前って戦闘機だよな?」

「戦闘機が可愛くっちゃいけませんか!?」

「そりゃ駄目とはいわんが」

「ふふふ、それにですね。戦闘機だからこそ、なのですよ。ほら――見て下さい」


 と言って、私はずい、と胸を張ってみせる。


「?」


 ソウザキ少佐は私の主張がどうもわからないらしく、眉根を寄せている。


「わかりませんか?」


 やれやれ、と溜め息をついてから、胸に両手を当て、私は告げる。


「この将来性の片鱗も感じられない絶壁具合。空気抵抗が少なくて最高でしょう?」

「いや、俺は普通にボインなねーちゃんのが好きなんだけど」

「ふぁっきんっ! それでも戦闘機のパイロットなのですか!?」

「お前こそ本当に戦闘機なのかよ……というか、その髪はいいのか。空気抵抗は?」

「これは双発です。だから問題ないんです」

「すまんが、言ってる意味が理解できない」


 ソウザキ少佐は何やらしばしこめかみを押さえてから、私に言う。


「というか、その……薄々気づいちゃいたけどよ……そうかお前、女か」

「少女です」

「何だそれ……いやまあ年齢的に言えばそうかもしれんが」

「というか、美少女です」

「そりゃOUV基準の機体なんて美少女だろうよ。そっちのが作りやすいし……」

「とにかくも、可愛い可愛い美少女AIなんです」

「まあその機体が可愛いのは認める」

「ソウザキ少佐が望むなら、貴方の彼女になってあげてもいいです」

「いらんいらん。どうしてもってんなら――設定年齢をあと十歳ほど引き上げた機体に換装してこい。話はそれからだ」


 と、ソウザキ少佐は笑って言う。


「じゃあ、そうします」

「……おいこら、AI」


 ソウザキ少佐の笑みが消えた。


「お前な、こんなアホな冗談を真に受ける奴が――」

「――だから、私を見捨てないで下さい」

「……」

「私は、その、何ていうか今はちょっと、出来が悪いかもしれないけれど――でも、HAIというのは割と結構な速度で成長するものですし、も、もう少しだけ待ってもらえれば、ソウザキ少佐にだって満足の行く成果を出せるはずですから、だ、だから、その――い、一生懸命、本当に一生懸命頑張りますから! お、お願いですから、私のこと、み、み、見捨てないで、下さい」

「あのなあ……AI」

「……は、はい」

「俺のこれは仕事だ――お前がちょっとばかり出来が悪いからって、それが嫌だからって、見捨てたりできるかよ」

「そ、そうですよね」


 やっぱり嫌々なんだろうな、と思う私の頭に。

 不意に――ソウザキ少佐の手の平が被さった。

 私は少し驚く。

 ひどく大きい手だ、と思う。温かい手だ、と。

 そしてその掌が、がちり、と私の頭を掴んだ。


 ……。

 ……。

 ……わっつ?


「っていうか、おいこらAI。この俺を舐めんな」

「はい?」

「お前の出来が悪いのは、今日のことでよくわかった。――で?」

「えっと……そのあの、私の頭、みしみし鳴ってるんですけれど……」

「お前が――自分の教え子がちょっと出来が悪かったくらいで、両手を挙げて『僕には無理です。だって教え子が悪いんだもん』って泣いて言うと思ったのか? あ?」

「ええっと……」

「俺はエースだ」

「え、あ、はい……そ、そですね」

「俺が飛ばすと言ったら、ボンクラだろうと亀だろうと絶対に飛ばす。異議は?」

「な、ないです」


 と、私は震える声で言う。


「――ないです」


 と、繰り返す。


「というわけで――とりあえず、お前には基礎の基礎の基礎の基礎からみっちり教えてやる。まずはお前がどれだけが駄目なのかはっきりさせる。今日は徹夜な」

「え」

「AIなら余裕だろう」

「あの……HAIは睡眠を行うことで、データの整理などを行うので、機能を落とさないためにもHAIにとっても睡眠は大事なんですが……」

「そうか。頑張れ――ほら、ここじゃあれだろうから、共用スペースまで行くぞ」

「のーっ! 睡眠時間を取ることは軍人の義務です! 夜なべ反対です!」

「そうか――まずはその甘ったれた根性をたたき直してやる」

「ふぁっきぃぃぃんっ!」


 ソウザキ少佐に頭を掴まれ、ずるずると廊下を連行されて叫びながら私は思う。

 私は、まだ空の飛び方を知らない。その準備段階にすら、まるで届いていない。

 だが、その意味は理解している。

 私たちHAIが、空を飛べるようになれば。

 今、私の目の前にいる彼は――そして、人類全ての有人戦闘機のパイロットは。

 その役目を、永遠に失うのだということを。


「おい、AI」

「な、何です?」

「そういや、お前、名前は?」

「え? えっと、APF0012、です」

「そうじゃなくて、あるだろ。教育課程で呼ばれてた、なんかこう、愛称とか」


 ああ、と私は理解し、答える。


「デイジー、です」

「……『デイジー・ベル』?」

「いえす。古い映画でAIが歌ったその曲が由来です」

「発狂したAIだけどな」


 と彼は言い、映画の中でAIが歌ったフレーズを口ずさむ。

 私は思わず耳を塞いで叫ぶ。


「のーっ! それ歌うのやめて下さい小っ恥ずかしいですーっ!」

「何がだ……ってか、お前に殺されかけた俺からすると縁起でもない由来だな」

「ふぃくしょん! 映画は創作物でふぃくしょんです! 現実とごっちゃにしないで下さい! 人間に反乱するAIとかただのアホです!」

「創作物だろうと何だろうとお前等の先達みたいなもんだろ。敬意を払え」


 彼は私の頭から手を離してから額を、ぺしっ、と指で弾く。

 あうちっ、と呻き睨みつける私に対し、にっ、と笑いかけ。

 彼は告げた。


「それじゃ改めて――よろしく頼むぜ、デイジー」

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