32.花鳥


「………」

「…………」


一方その頃。

女将に早速部屋を案内してもらったアロイスとシャルロッテの間には、なんともいえない沈黙が続いていた。

部屋は見事に豪華絢爛で、大きな天窓からは、闇夜に煌めく星々が輝いているのが良く見えた。マホガニー製の上質な焦げ茶色の机や椅子は美しく艶光で部屋の中で存在感を放っている。また、窓が多くあるためか、部屋の中は月光とろうそくの光で淡く揺らめき、それは幻想的な光景を生み出していた。

然しながらその中でもアロイスとシャルロッテが一向に視界に入れようとしないとある、ものがあった。

白いシーツ、ふかふかのスプリング。ふわふわとした上質な羽毛。そして、2つの枕。

そう、部屋の真ん中には、まるで「ウェルカム!」でも言わんばかりに大きなキングサイズのベッドが置かれてあったのである。

このベッドこそが、沈黙の原因になってるともいえる。


「……あの、」


沈黙に耐えかね、恐る恐るアロイスが口を開けば、ベッドの上でかちんこちんになっていたシャルロッテの肩が大げさなまでにはねた。ギギギ──と音が聞こえてきそうなほどぎこちなく振り向き、形容しがたい表情をしたシャルロッテと、さっと目があった。


「……姫、ご安心を。ベッドが一つしかないからといって、貴女と寝る気はさらさらないですよ。」


ため息交じりに言った言葉。すると、途端にシャルロッテの顔が真っ赤に染まった。

何がどうしてこうなったのか、今からでもレオナのもとにいって問い詰めたい。が、それはあまり意味がないことだと理解している。それに恐らく、レオナはこういうだろう。『いずれ夫婦になるのですから!同じベッドで寝ても何の問題もありませんよ!あっ、でもアロイス王子、婚姻が済むまでは……わかってますね?』やけににこやかに笑ったレオナになぜか寒気立った。

キリキリと胃が痛むのを無視しながらアロイスは大きくため息をついた。


「ベッドは貴女が使ってください。俺はこのソファで寝ます」

「いえ!!それはさすがに!」


意外なことに、シャルロッテは反論してきた。立ち上がったシャルロッテの勢いに少し驚いて目を丸れば、ふんすと鼻息を荒らげたシャルロッテがきっとこちらを睨みつけてきた。


「なら私がそこで寝ます。貴方こそベッドで寝てください!!」

「いや、女性の貴女をここで寝かせるわけにはいきませんって」

「不公平ですわ。なら、じゃんけんにしましょう」


なんなんだこの姫は。いざ、といきり立ったシャルロッテ姫に、思わずアロイスはぶはっと笑ってしまった。


「……じゃんけんって」

「なにがおかしいのですか!!!」


ぷくりとほほを膨らませ、シャルロッテはきゃんきゃんと喚いた。

そんな姿に、アロイスは次第に笑いが込み上げてくるのを感じた。腹を抑えながら笑い出したアロイスに、今度はシャルロッテが驚いた顔をする。

だって、あの姫が、物事を決めるときに『じゃんけん』で決めようとするなんて。なんて、なんて幼稚で、平和ボケした解決策だろうか。笑いが収まらないアロイスは身体を曲げた。久しぶりに声をあげて笑った気がする。

笑うアロイスに、シャルロッテは戸惑った顔をしていた。

しばらく狼狽えているシャルロッテであったが、次第にその顔が不満そうにぷくりと頬を膨らませ、唇を尖らせていく。シャルロッテの心中と言えば、なんでこんなにアロイスが笑っているのかはわからないが、とりあえず馬鹿にされている、ということはわかる!ということであった。

なんて失礼な。ひどいやつ。

シャルロッテは感情の赴くままに、ソファで笑い転げるアロイスに近づこうとした。

しかし、次の瞬間。


「きゃ!」

「っつ!?」


二人同時に声が上がる。部屋に響いていたアロイスの笑い声も、その瞬間、沈黙に包まれてしまった。

倒れた、と思った。

足元で何かが足首に引っかかり、踏み出そうとしていた足が、バランスを崩して宙を蹴った。そうして途端に感じたのは、浮遊感。そして、恐らくくるであろう次の衝撃に耐えようと、身体がきゅっと強張った。

だけど、感じたのは人肌の温かさとやわらかさだった。そしてふわりと香ったのは、アロイス王子の柔い香りだった。

シャルロッテの脳内に疑問が生まれ、固く閉じていた瞳を開けば、そこには真っ黒い双眸があった。


「……っいってて、大丈夫ですか、姫」


声が近くに聞こえる。心臓から響く。その心地よい低音が、間近に耳に入ってくる。放心状態のまま顔を上げれば、心配そうにこちらを覗き込むアロイス王子がいた。黒の瞳が、いつもよりも、近い。まるで、宵闇の中に吸い込まれてしまいそうだった。


「あ、えと」


ありがとうございます。すみません、お怪我はありませんか。そう言おうと思ったのに、声が出ない。代わりに漏れたのは、不可解な音とも声ともつかない奇妙な音だった。

途端に、熱が顔に集まっていくのがわかった。どうすれば、良いの。こちらをみるアロイス王子の顔が怪訝な表情に変わっていく。


「……シャルロッテ姫?」


アロイス王子の手が腰に回った瞬間、シャルロッテは「あ、」と声を漏らした。

その甘い声に、シャルロッテの顔がもっともっと朱に染る。その瞬間──シャルロッテは勢いよくアロイスから離れた。アロイスの胸を思いっきり押し、弾かれたように立ち上がり、アロイスから慌てて距離をとる。そのまま目線を泳がせながら、はっと顔を上げる。シャルロッテの動揺した表情とそのあまりの勢いに、アロイスはとても驚いているようだった。


「ごっごめんなさい」


上ずった声で謝罪したシャルロッテ。


「私がドジをしたばかりに、お怪我はありませんか……?本当に申し訳ありません、重かったでしょうに、すみません」


口早に言ったシャルロッテに、アロイスはため息をついた。それにさえ、シャルロッテは敏感に肩を揺らした。


「シャルロッテ姫」


アロイスの手が、不意にするりとシャルロッテへ伸びた。そしてそのまま、アロイスはシャルロッテの体を勢いよくこちらへと引っ張った。


「っふぁう!?」


刹那──シャルロッテの軽い体は、いとも簡単にソファに縫い付けられた。


「なっ!」

「シャルロッテ姫、単刀直入に聞きますが、貴女、男との経験ゼロでしょう?」

「はい!?」


現状をよく呑み込めていないらしいシャルロッテは、目を白黒とさせた。驚きから、そして理解できないこの状態をどうにかしようと、つかまれた両腕でもがく。しかし、びくともしない。


「相手が俺だからいいものの、そうじゃなければ、そう簡単に男と同じベッドで寝ようとなどは、言い出さないはずです」

「そ、それは」

「こうやって俺につかまれて、どうですか?びくともしないでしょう?男という生き物は、こんなにも力があるんですよ。それは、非力な貴女では太刀打ちできない程、大きな力なんですよ」

「………っ」


シャルロッテは黙ってしまった。

アロイスは込めていた力を緩め、シャルロッテの両腕を自由にさせてやった。

泣かせてしまっただろうか。いや、でもここでいうべきだった。あんな表情を、簡単に男に見せてはいけない。シャルロッテは、あまりにも無知すぎる。だから、ルーベンスのような男につけ込まれるのだ。


「わかったなら、ベッドは貴女が寝てくださいね。俺はソファで」

「貴方だからですわ」

「はい?」


今のは、納得してもらう流れだったはずだ。遮られたアロイスは、不振感を隠せないまま、下で泣いているはずのシャルロッテに目線を寄せた。

なんてこった。瞬間──アロイスは、閉口した。シャルロッテの強い瞳が、俺を貫いている。この瞳を、この数日で何度も見た、そして、何度も圧倒されてきた。


「愚かな男なら、私はこんなこと言いません。貴方だから、アロイス王子だから……私は共に寝ても良いといったのです」

「シャルロッテ姫」

「………」

「お忘れですか。私は貴女の夫にはなれませんと、そう言ったことを。」


静かに、だがアロイスは強く言った。

シャルロッテのこぼれ落ちそうな瞳に膜を張ったその顔を真っ直ぐに見据えたまま続ける。

さらに大きく見開いた瞳に、あぁまだ大きくなるのか──と、まるで、トンボ玉のようだなぁとどこか他人事のように思った。


「貴女を抱くということは、貴女を女性として軽んじる行為です。私は、貴女と対等でありたいのです。」

「どうして……どうして軽んじるということになるのですか!」

「本来なら」


シャルロッテの叫ぶように訴えた言葉に、アロイスは遮るようにさらに大きな声で言う。


「本来なら、私は貴女に触れて良い存在でもなければ、ここにいていい人間でもありません」

「なっ」

「私はバケモノなのです、姫。」

「…それは」

「私が触れれば、貴女は汚れる。

私は、自身の価値というものをよく知っています。貴女が聖なる姫だとそう言われていることも知っています。そんな貴女に触れれば、貴女は私というバケモノによって汚染されてしまう。」


アロイスはどこか自嘲気味にふっと笑う。


「これは別に誇張しているわけでもなければ、卑屈になっているわけでも無いのですよ。ただの、事実なのです」

「貴方は、バケモノなんかじゃ」

「いいえ。バケモノです。それを証明します。」

「証明……?どうやって」

「シャルロッテ姫、私と一緒に少し外に出ませんか?」

「……危険はないのですね?」


シャルロッテの強ばった声に、アロイスは柔和に微笑んだ。

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