6.黒鬼
水の神に愛されし王国よ
やがて異端なる王子産まれし時に
災いと呪いが降りかかる
その 呪い解けることなく
身が朽ち果てしときに
天へと昇り 光を落とす
二四の年月過ぎし時
禍なる身に聖姫の真の愛授かれば
異端なる心 永久に解けん
さすればいつの日にか
その身 英雄となり
物語紡ぐ栄光の冠と伝えられん
ーリラ王家伝記第弐ノ巻ヨリ抜粋ー
母の腹から産まれ落ち、日の光を浴びた瞬間──俺の身体は闇に包まれたらしい。闇が晴れ、皆がどよめく中で俺は再び姿を見せた。
そこには先刻までの麗しい外見は消え、墨よりも真っ黒な髪、底のない穴のような真っ黒な瞳と、まるで顔の半分だけ呪われたようなおぞましい痣をつけた赤子がいたそうだ。それをみた皆々は、俺を見てこう言い放った。
「鬼が産まれた」
*
物心がついたときにはすでに、俺には両親がいなかった。あったのは僅かな生活必需品しかない、粗末な小さな小屋。そして、頭のおかしい婆だった。
俺は、その婆から俺の中にいる『なにか』の正体を聞いた。
それは、黒い鬼。
途方もない力を秘めた
忌むべき獸でございました。
何百年かに一度、王族の中で坊っちゃんのように身体に鬼を抱えて産まれてくることがあります。それは、遠い昔──リラの血族がとても重い罪を犯したからです。その罪を知っているのは、リラ王家の当主様のみ。それ以外の者には決して耳に入れられぬようになっております。
良いですか、坊っちゃん。
その黒い鬼は、常に、貴方の中に居ることを忘れてはなりません。
鬼は貴方を乗っ取り、復讐を果たそうとします。
貴方が少しでも憎しみを感じたりすれば、鬼はその高鳴った感情を敏感に察知し、貴方を飲み込もうとします。
そんな忌むべき獸を身体に飼った坊っちゃんを、多くの人が蔑み恐れることでしょう。
ですが、貴方は人です。人間です。
どうか、それだけは忘れないようにしてください。
婆は、そう言った。
そして、そう言った次の日、婆は死んだ。
まだ幼かった俺には、その言葉の意味が分からなかった。
だから婆が死んだそのときも、泣くこともなくただ呆然とその死に様を見ていた。
けれど、間も無くして俺はその意味を嫌でも理解することとなった。
俺が7つになったとき、城から迎えがきた。
それは、父と母と言われる人たちが俺を育てようと決めたから、だったらしい。だけど、そのとき俺は感情を無くしていた。泣くこともなく、笑うこともなく、ただ与えられたことを淡々とこなしていく日々を送っていた。
「父上と呼びなさい」
「母上と呼びなさい」
城について、早々にそう言われたことを覚えている。よく知らないおばさんとおじさんが、不安げな顔をしてこちらを見ていた。俺は冷めた感情のまま頷き、言った。
「父上、母上」
そしたら、二人は急に俺に抱き付いてきた。不意なことに、なにも反応できなかった俺は、なすすべもなく後ろに倒れた。父上と呼んだおじさんも、母上と呼んだおばさんも、二人とも泣いていた。泣きながらごめんなさいと、何度も謝っていた。
「……おれ、鬼を飼ってます」
あんまりにも泣くから、このままじゃ危ないと思って、小さな声でそう言った。すると、まるで示し合わせたかのように、急に二人ともピタリと泣き止んだ。周りも嘘のように静まり返っていた。
「忌み子だから、きらいだから、あなたたちはおれを捨てたんですよね?」
続けた言葉に二人は身を固くした。張り詰めた空気にはわかってはいたが、どうしても言いたかった。
「あ、べつにしゃざいなんていりません。かんちがいしないでください。おれは、間違えていないとおもってますから。──でも、一つだけいいですか?」
二人が恐る恐るといった感じで顔をあげた。俺は、上半身を起こして、両親と呼ばれた二人の頬にそれぞれ手をあてた。
「おれは、忌み子です。──でも、そのまえに、人間なんです」
言ってやりたかった。
ずっと、捨てられたと知ったときから。
その理由が俺が異端なる子だったからと、知ったときから。
「あなたたちの目に、いまのおれは鬼に見えるんですか? 人には見ないんですか?」
「アロイス」
「おれは」
「アロイス」
「……っ」
「「本当にすまなかった」」
二人は土下座した。それはもうキレイに。といか完璧に。
そのまま、二人は呆気に取られる俺を置いていって続ける。
「決して、お前のせいではないということを、私達は気が付けなかった。……私たちは、王家の血の呪いを知っていた。それなのに、私たちは恐れたのだ。これが、『恥』になることを」
父上が、言いづらそうにしながらもそう言い切った。
「七年もの年月をかけて、私たちはやっと気づいたのだ。」
「本当の鬼は私たちだと」
驚いた。
瞳をわずかに見開いた俺に、父上はとても優しく微笑んだ。
「許してほしいなんてことは言わない。そんなことも思わないわ。でも、私もお父様も、貴方を城から追い出したその時からずっと後悔していた。そして、貴方をずっと愛していたわ」
母上の透き通るような目が涙でいっぱいになる。
「……そんなの」
都合のいい言葉じゃないか。と、続けようとした瞬間─俺の頭にあることが過った。
それは毎月届けられていた、名もなき人からの贈り物のこと。それは菓子であったり、洋服であったり、本であったりした。婆が黙ったまま俺に渡してくるから俺も何も聞かなかったし、知ろうとも思わなかった。今考えれば不思議な話だが、あのとき俺は何一つ不審に思わなかったのだ。
「贈り物……」
「なんだい?」
俺は二人の顔をじっと見つめる。
「毎月届けられていた贈り物は、あなた達からだったんですか?」
その俺の問いに、二人は驚いた顔をした。そして、意味ありげに二人で顔を見合わせると、とても嬉しそうに微笑んだ。
「あぁ。そうだよアロイス。」
「せめてもの償いになれば、とグゥイネスに頼んで貴方に届けさせていたの」
その言葉を聞いた瞬間、肩の荷というか、今まで張りつめていたものが切れた気がした。
気が付くと俺は無言で、いくつもの涙を流していた。
急に泣き出した俺に、二人は目で見てわかるほどに動揺していた。
「……あ、アロイス?どうかしたのかい?どこか痛いのか?」
「あなた!もしかしてこの子怪我をしてるんじゃないの?すぐに医者を」
「違います。違うんです」
上擦った声に、二人は動きを止める。母上の腕が、俺の背中を優しく撫でていた。
「嬉しかっただけです。お、おれは、ずっとひとりぼっちだって…そう思ってたから」
「……一人になんかさせないわ」
「……もう二度と、辛い思いはさせないよ」
いっそう激しく泣き出した俺を、そうして、二人が優しく包み込んでくれた。
鬼は、確かに俺の中にいる。でも、鬼を飼った俺を──家族は愛してくれた。バケモノと呼ばれようとも、それでも俺は『人』だと、家族はそう言ってくれた。ひとりぼっちの黒鬼は、もう二度とひとりぼっちになることはないと。
歴史上、鬼を飼ったリラ王家の者は皆処刑された。殺せば、鬼を飼った事を世間に晒さなくてすむのだから、それは当たり前のことなのかもしれない。だけど、そこに自分が望んでないにも関わらず鬼を飼ってしまった『人』の意志はなかった。
そうやって、当たり前のように『人』は殺された。王家の歴史で鬼が『人』に認められたことはなかった。
だけど。
歴史上初めて、鬼は『人』になったのだ。
それからというもの、両親は俺をものすごく可愛がった。それはもう俺がうざがるほどに。やがて俺の上に五人もの姉がいると知り、それはそれは驚いたことをよく覚えている。俺と1つしか変わらない五女のセシリア姉さんと、2つ離れていた四女のロザリー姉さん、あと三女で双子の片割れのアリアナ姉さんは俺を見て最初はすごく怖がっていた。
でも長女のエレノア姉さんと、双子の一人フローラ姉さんだけは初めて会ったその時から俺を力強く抱き締めてくれた。
特に、エレノア姉さんはひどく泣いて謝ってきた。何も姉さんが悪い訳じゃないとカタコトになりながら言うと、エレノア姉さんはまた激しく泣いた。多分、俺達姉弟の中で唯一エレノア姉さんは俺のことを強く覚えていたんだと思う。
なにぶんエレノア姉さんと俺は8つも離れていたから。エレノア姉さんは、俺が小屋へと連れていかれるのを黙ってみることしか出来なかったと、負わなくてもいい責任を感じていたのだった。
母さんと父さん(愛されていたと知ってから呼び方を変えた)から俺の中のバケモノの話をちゃんと聞いて、最初は怖がっていた姉たちもすぐに俺を弟と認めた。なぜかはわからないけど。
そして──姉たちは見事なブラコンに成り果てた。まぁつまり、俺を両親同様ものすごく可愛がってくれたってことだ。
そして。
家族が俺の傍にいてくれるようになって、およそ三ヶ月が過ぎたころのことだった。俺は、父さんから鬼にまつわるすべての話をされた。
鬼とはなんなのか。
なぜ、リラ王家に鬼が憑かれるようになったのか。
鬼がもたらす被害とはなにか。
本来なら当主にしか教えられないその秘密を、父さんはあえて、俺に教えた。多分だけど、父さんはリラの面子を保つことよりも俺のことを第一に思ってくれたんだろう。
それは、途方もない物語だった。
聞き終わり、茫然とした俺に父さんは言った。
「鬼は必ず、お前を飲み込むだろう。」
それは、もう逃れられないことなのだと。そして、そのときがくれば、私たちはお前を殺すことになるだろうと。
覚悟を決めておけと言われた瞬間だった。
当時7歳だった俺でも、その時には父さんが何を言いたいのか、きちんと理解していた。つまり父さんは、いつでも死ぬ準備をしておきなさいとそう言ったのだ。
父さんはすごく悲しそうな顔をしていた。何度も何度もすまない、と謝っていた。
でも俺は笑って首を振った。
それは、別に強がりでもなんでもなかった。本当に、本当に、良かったのだ。
本来ならば産まれてすぐに殺すのが当たり前だったこの命を、生かせてくれた。しかも、あろうことか愛してくれた。
鬼に食い破られれば鬼はリラ王家の者を一人残らず殺すだろう。先程聞いたばかりだからわかる。鬼の恨みは相当、根深い。
そんなことにはさせない。
この優しい家族を守りたい。
それから俺はもう無茶苦茶に勉強やら武芸やらをやった。あの話を聞かされてから、なにかが吹っ切れた気がしたのだ。なにかはわからないけど。いつ消えるかわからないこの命を、有効活用するには強さがいる。やりたいことをやり通すにはそれなりの力が必要だと思った。まぁこんなこと、多分父さんも母さんも別にいらないと言うんだろうけど。
ある意味では俺のなかでのケジメのようなものだったんだろう。
*
そうしてしばらくして、俺は鬼について幾らか学んだ。
その中でも、多分両親は知らないだろうが、何度か鬼が俺の身体を乗っ取ろうとすることがあった。そんなときでも、抗うことができたのは、俺の『生』への異常なまでの執着心のおかげだったのだろう。
俺だって一応人間だから、怒りにうち震えたり憎んだりしてしまうことが─他人よりはものすごく少ないけど─あった。あの婆や父さんが言った通り、鬼は負の影響を強く受ける。つまり、大好物だってことだ。ちょっとでも負の感情や、対象物をみるとすぐに俺の意識を乗っ取ろうとする。
そういうときに大事なのは平常心と心のバランスを保つということだった。簡単そうに聞こえるかもしれないが、実はそんなに簡単なことじゃない。一切の関心を切り、自分の心の奥底に集中するのだ。もちろん、他の感情が入り交じってはならない。はじめのうちはそれが出来ず、実を言うと乗っ取りの1歩手前として、暴れることもあったらしい。
なぜこんな言い方をするのかというと、理由は2つある。
まず、1つ目。
暴れだすときは大抵俺の意識は半分しかなかったからだ。集中と均衡が崩れた時、鬼は半分だけ俺から出てきた。半分は俺で半分は鬼。さぞかし恐ろしい光景だったろう。姉さんから聞いた話だと、俺の顔の半分、痣に当たる部分が鬼と化していたらしい。それは、おぞましくも禍々しく、しばらく夢に出たと震える声で言われたことを覚えている。
2つ目の理由としては、俺のそばにアリアナ姉さんがいたからというのがある。アリアナ姉さんはかなりの武芸の使い手で、俺の師匠でもあった。今でさえ多分、本気でやって相打ちですめばいい方だろう。そんなわけで俺が切れるときは大抵アリアナ姉さんがそばにいてくれた。均衡がもとに戻り、俺が俺に戻った時になってはじめて、俺は姉さんから鬼についての話を聞けたと言うわけだ。
鬼は殺戮を、狂気を、暴力を好んだ。
正気に戻ると、決まって俺の回りを焼け野原に変わっており、アリアナ姉さんは酷い怪我をしていた。それをみてまたやってしまったと嘆き、めそめそと泣く俺を、姉さんは厳しく叱咤し泣くな!と怒鳴った。
俺のせいと、責めることもなく。
まぁ、これがあったから俺はすぐにバランスを巧く戻すコツを掴んだんだと思う。自分が傷つくだけなら人は幾らだって甘くなれる。そこに大事な人が介入するからこそ、守らなくては、とか迷惑はかけられない、とかそんな感情が浮かぶんだろう。
そうしてなんだかんだで俺は鬼と共存するはめになった。
俺の意思が少しでも弱まれば、鬼はそこにつけこみ、表へとでようとする。鬼が完全に出てくれば、俺に待っているのは死だ。いや、死だけではない。世界の滅亡だ。
そんなことにさせない。
俺の生への執着はとどまることを知らなかった。人間の、最も人間らしくて深い欲望こそが、俺をここまで生かせてくれた。
それでも。
鬼がいると知ったあのときから、俺はずっとわかっていた。
──いつかは必ず決着をつけなくてはいけない日がくる。そして、それは一人で乗り越えなくてはいけないものだと言うことを。
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