2.殺意と敵意

そのとき、王宮の廊下を歩いていたアロイスはというと。


「へっくしっ!」


突然異様に鼻がムズムズしたかと思うと、周りもはばからずに盛大にくしゃみをしていた。


「アロイス様、お風邪ですか?」


すると、そんなアロイスの様子に、彼の隣にいた男が心配そうに訊ねた。


「いや、多分あの姫が俺の噂でもしてんだろうな」

「そんなことは……ありえますね。私、ちょっと行ってきましょうか?」


アロイスは笑顔になった男の腕をがしりと掴んだ。


「いやいいよ……つーかさ、俺のことはアロでいいって言ってんのに」

「アロイス様を呼び捨てにするなんて、とんでもございません。それは、私に死ねと言っているようなものですよ?」


そこまでか…と、アロイスは脱力した。この男は、アロイスの第一の側近でアロイスよりも10は上の、はずだ。なにしろかなりのイケメンで長身。それに文武両道で、秀才。ただ、少々アロイスに依存気味。高位な伯爵の出なのに、なぜかアロイスに仕える変人だ。


名前をロイク。

苗字はアロイスに使えるときに捨てた。


「ロイク、今日の予定は?」


ロイクは懐から黒いメモ帳をとりだした。


「あとは晩餐のパーティだけです。アルント王とダイナ妃による催しのようですね」

「そうか……じゃあまだ時間あるな? 少し馬に乗ってくるよ」

「畏まりました。時間にはお気をつけくださいね! 着替えもありますから程々に!」


ロイクは90度に礼をする。アロイスはそれにも慣れたように軽く手をあげて返した。


ここの国は大国だから、敷地も相当広いらしい。馬を走らせる草原だって、果てが見えないほど広々としていた。

先進国だとはきいていたけれども、意外なことに自然はきちんと残っている。そこは嫌いではない、と正直に思った。

唯一連れてこられた愛馬のルーシュを軽くなでつつも、アロイスはほっとひと息をついた。ここにきてからまだ数時間しか経っていないのにも関わらず、ひどく疲れ果てていた。ここには、明らかな悪意と殺意が常に俺を見張っている。

アルント王国から縁談が来た時から、実は、なんとなく察していた。自分がいったい「どういった立場」でここに呼ばれたのか。それを、理解していた。決定打になったのは、着いて早々にダイナ妃に呼び出されたことだった。アルント王ではなく、なぜ王妃? と最初は訝しんだものの、話した内容を思い返してみてもあれはやっぱり、そういうことなんだろうなぁと思う。そういうこととは──つまり、アルント王国は、俺をシャルロッテ姫と婚約させるなどという意図をもって呼びつけていない、ということだ。まぁ、わかってたけどね? 俺みたいな異端な人間にさ、挙句の果てにあだ名が「バケモノ王子」なんて言うやつにさ、通常の意味を持って縁談のお話が来るなんてあるわけないって。にしても、きっとこの先一生、気が休まるときなんてないんだろうなぁと思うと…。そのことに対して浮かぶ感情は、悲しさや怒りなんかではなく、ただひたすらに面倒くせぇな……ということだった。


あの傲慢な姫君と…というかこんな大きな国で生きていかねばならんと考えると……嫌すぎて吐き気が込み上げてくるほどだ。なんなら今少しでそう。世界で一番大嫌いなことは面倒なことだっていうのに。平和に生きていたいぜ……ちくしょう…。


あと数時間で晩餐会──パーティが始まろうとしていた。日が落ち始めた地平線を見ながら、そろそろ行かないとロイクに怒られるなと、馬を止めた時だった。


一瞬の殺気。

そして、風をかき分けこちらに向かってくる鋭利な音。

そんな音たちが確かに聞こえ、反射的に俺はしゃがんだ。


「ッッ」


ズシャッ!とという鈍い音と共にギラギラと輝く矢が俺の真上を通り過ぎた。かわいた笑い声が込み上げてくる。


「……なるほど。ここの国は礼儀ってのをしらないのかよ…面倒くせぇ……」


俺はため息をつきながら矢を土から引っこ抜き、その矢が来た方向を鋭く睨んだ。

舐めんなよ。

さすがに視力は200メートル先ぐらいまで鮮明に見えるほど化け物じみていないが、俺には小さいころから育てられた野生の勘がある。殺気には敏感になれと、姉上達に教わった。そこからは未だに殺気がぷんぷんと匂っている。俺がそっちに気付いてると、向こうは気付いてないのだろうか。普通なら軽く動揺するはずなのに。

もしかして、気付いているがあえての行動……?


それなら話は別だ。前言撤回、かなり面倒くさい。自慢じゃないけど鼻と耳はいい。そして勘も。少しも動揺してないということは、それはつまりかなりの手練れだということだ。それ即ち、強者ということだ。戦いは御免だ。面倒くさい。祖国リラは戦争を厭う国だった。その精神は、もちろん俺の中にも住み着いているわけで。


ふと、引っこ抜いた矢になにか紙が挟まっていることに気が付いた。すっごい嫌な予感がするなぁと思いながらも、とりあえずそれをとって読んでみると、中にはこのように記載されていた。「Il n'y a pas de petit ennemi.」油断大敵、なるほどねと口内で言葉を転がして、微笑む。そうして、俺は急いで馬に乗ると全速力で走り出した。さすがの強者でも動いている的を、正確に打つことは不可能に近いだろう。案の定走り出すと、相手は俺たちに弓をやるのをやめた。


どれぐらい走ったろうか。太陽はもう沈みかけていた。俺は、そのまま静かに馬小屋に馬を戻しに行く。息も絶え絶えだったからか馬屋番のおじいさんに不審な目でみられてしまった。そのまま弱々しく笑いながら、手綱をおじいさんに任せる。


なにはともあれだ、とアロイスは額に浮かんだ汗を拭った。あの刺客のことは、我が妻殿にくわしく聞いてみることにしよう。



それにしても、と部屋に戻ったアロイスは一人考えてみる。あの刺客が自分を狙っていたのは確実だろう。ダイナ妃との約束もある。けれど、命を狙う理由は分からない。自分で言うのもなんだが、自分の命にそこまでの価値があるとは思えない。

なにより、殺して何の得に──?

嫁ぐというか、まぁ婿入りだけど、相手は大国中の大国だし、経済力、軍事力も申し分ないほどの力がある。そんなところに第一王位継承者の夫となる、何れ王になる存在として選ばれたのは冴えない小国の異端なバケモノ王子。言わば弱小国の王子1匹殺したところでいったいなんの得が……?

と、そこまで考えてアロイスはハッと顔を上げた。

もしかして、もしかしてだが、シャルロッテ姫のファンとか? そういう感じか? まぁ美人だもんな……俺の好みじゃないけどさ。


アロイスは深くため息をつく。それならば話は別だ。どうやら、狙われるだけの理由はあるらしい。陰キャだって言ってるじゃん!俺は、別に、あんな陽キャの鏡みたいな姫君とどーこーなろうと言う気はない!!と声を大にして言いたい。聞いてくれる人は居ないけどさ!


「……はぁ、めんどくさ」


元々重かった両肩が、さらに重くなったような気がする。非常に残念なことに、これは勘違いでもなんでもなく、今現在進行形で俺は、常に命の危機に瀕しているということなのだろう。他国へ、しかも大国へ婿入りするということは、こういうことだったのか。なるほど。いやなるほどじゃねぇよ。今までは自国で自由にフリーダムに生きてきたのに、この国では、縛られて、窮屈なまま生きていかなければならない。正しく、今の状況を表すならば、お先真っ暗という言葉がぴったりなような気がした。というか、ピッタリだな!100点満点!


「ああ、アロイス様!どこにいってたんですか!?もう晩餐会まで時間がありませんよ!?」


悲鳴混じりの慌てた声を上げたロイクがアロイスを探しにきた。たまたまそばにあった時計をみると──確かに、もうあまり時間がない。


「すまない、ロイク。ちょっと色々あってな」

「色々って……アロイス様、服装が乱れています。まさか…刺客に襲われたとかいいませんよね?」

「…お、さすが従者だな。まぁそんなとこだ」


その言葉を聞くや否や、ロイクの顔がすっと無表情になった。それをみてアロイスは慌ててフォローに走る。ロイクはキレると、何をしでかすかわかったもんじゃない。


「気にするな。ここに来た時点で覚悟はしてただろ? まぁ、殺意があるなんて、予想もしていなかったし、なんならちょっとしたサプライズだったけどな。まったく、俺はサプライズが苦手だって言っておくべきだったか?」


おどけて笑って見せると、ロイクは据わった瞳でアロイスをじっと見つめてくる。やめてくれ、その視線は少々ばかり痛い。そんなアロイスの様子に、ロイクは慣れたように肩をすくめると、はぁと重いため息をついた。


「…アロイス様、冗談でもなんでもなく!このようなことがあるなら、なおさらです。あまり、私の傍から離れないでくださいね?」

「お、熱烈だな!…てジョーダンだよ、そんな顔すんなって。分かった、分かったよ」


アロイスは苦笑しながらも頷く。アロイスが頷いたのをみて、やっとロイクも肩の力を抜いたのだった。


そうして、晩餐会になった。

晩餐会という名の歓迎会には尋常じゃないくらい大勢の人が来訪した。大国の、しかも王位継承権を第一に持った姫君の夫となるやつのお披露目パーティーも兼ねているのだから、大勢来るのは当たり前なのかもしれないが。


「死にたくなってきた」


大きなカーテンの裾から彼らの様子を見てみたアロイスは、顔を硬直させたまま呟く。


こんなに人がいるのをみたのは生まれて初めてだ。それに貴婦人方の色とりどりのドレスと、香水に些か酔いそうな気がしなくもない。というかこれもう酔ってるよな、頭クラクラしてきた。


「アロイス様、お気を確かに!今回のパーティーはアロイス様にとっては重要なものなんですからね!」


げっそりとしているのをみて、ロイクは健気に元気付けてくれる。


「……周りの反応なんてとうにわかってんのに…なんでこんな無駄で面倒なことを……」

「……? 何か仰いましたか?」


ぼそりと呟いた本音は、ロイクには聞こえなかったらしい。もしも聞こえていたらきっとロイクはとてつもなく嫌そうな顔で、やめてください、と懇願してきただろう。アロイスの言葉は、恐らくは客観的に見ても事実に間違いなかったが、それでもロイクはアロイスを慕う大事な家臣であり友人だった。だからこそ、アロイスは本音を言うこともなく、そのま苦笑をして誤魔化した。


「それで、我が妻殿はどこに?」

「シャルロッテ様なら陛下と王妃様のもとにおられますよ」

「そうか……なぁロイク、俺は、いつまでここにいればいいのかね」


アロイスとロイクがいたのはいわゆる舞台袖のようなところだった。合図があるまでここにいろと言われたはいいが、もうとうにパーティーは始まっている。


「嫌な予感しかしないんだけど」


アロイスは思わずため息をついた。

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