第44話 伯爵来訪と、絶対に敵に回してはいけないレイラさん

 ルーフェの初クエストから3日間、俺たちはおとなしくすることに徹していた。

 平原での大爆発で俺が目をつけられていることもあり、俺は町をぶらぶらとしながら、周囲の警戒をする。ルーフェは店で黙々と仕事に励んでもらった。なるべく外に出ないようにしたのだ。


 何か用事がある時はラウルを通じて話そうかとも思ったのだが、幸い特にトラブルとかはなかったようだ。


 そして、とうとうコーラル伯爵がこの町にやってくる時がやって来た。


 その日の朝、俺は領主さまの屋敷に呼び出しを食らっていたので、俺は渋々ながら町外れにある領主さまの屋敷に向かった。


「よく来てくれた、とりあえずお茶でも飲んでてくれ」


 領主さまの部屋に通されると、山のような書類が机に積まれており、領主さまはその間で筆を走らせながらこちらに微笑んでいる。


「……すごいっすね」

「歓待パーティの準備で忙しくてね。本当は簡単に済ませたいが、ちゃんとやらないとあの人が拗ねるんだよ」


 はあ、と俺は苦笑いした。ひとまず、用意されている椅子に座り、お茶を自分で淹れる。飲むと、意外なことに、馴染みのある味だった。


「……これ、「空中庭園」のお茶だ」

「やはりわかるかね?レイラさんに茶葉をもらったんだよ。お気に入りなんだ」


 それは別にいいのだが。せっかく位の高い人の家に来たのに、飲みなれたお茶というのもどうか。どうせならちょっと高いお茶とか飲めればよかったのに。


「……これから、コーラル伯爵が来訪する」

「そうっすね」

「彼を決定的に追い詰められる証拠なのだが、実は今のところ掴めていない」


 そう言って、領主さまは目を伏せた。


 俺は、ごくりと生唾を飲んだ。


「……まさか……」


 領主さまは答えない。


「……暗殺しろっていうんですか……?」


「え、いや別に?」


 領主さまが真顔でそう答えるので、俺は思わずこけそうになる。


「あのねえ、確かに私はコーラル伯爵があんまり好きじゃないよ?そりゃあ、あの人が先輩風吹かせて女装プレイに付き合わされたり、「尻を叩け」って言われたり、クッソ趣味の悪い性道具を買いに行かされたりしたけど、別に殺したりはしないさ」


 そう言って領主さまはからっと笑った。


「ただ、あの人にはひどい目に遭ってほしいだけだよ。悪いことしてるわけだしね」


「は、はあ」


 俺は苦笑いするしかなかった。この人もこの人で、タガが外れているらしい。


「まあ、これからどうするかな。伯爵がいる間に、もう一度屋敷に入ってもらって、それで証拠を……」


「た、大変です!領主さま!」


 領主さまが言いかけた時、彼の秘書が血相を変えて駆け込んできた。


「どうした」


 領主さまが急に精悍な顔つきになる。さっきまでくっだらねえ話してたのに。


「そ、それが……コーラル伯爵が……」


「死んだ?」

「肥溜めにでも落ちた?」


「違います!肥溜めの方がまだマシです!」


「それはそれでどういうことだ!?」


 俺は予想外の返しに思わずツッコんでしまった。


「……何があった?」


 秘書は、呼吸を整えて、一息落ち着いた後、言った。


「……伯爵が町の妊婦に求婚し、大乱闘が発生したのち、レイラさんによって気絶させられました」


***************************


 ことのあらましはこうだ。


 コーラル伯爵が、領主さまの元を訪れようとバレアカンの町を通っていた時のこと。


 伯爵が町に来ることなどかなり珍しいので、町の人たちも結構見に来ていたらしい。


 その中にいた妊婦を伯爵が見て、事件は起こった。


「……待て。馬車を止めろ」

「は?」

「いいから止めろ!」


 馬車が急に止まり、騒然とする中、伯爵は姿を現した。


 長身ながら肉はあまりついておらず、威厳を持たせようと髭を生やしてはいるが、正直あまり威厳は感じない見た目(秘書曰く)なんだそうだ。


 そんな伯爵が護衛の馬車を下り、群衆の中の妊婦に向かい、跪いたのだ。周りはさらに騒然とする。


「……きみ。私の愛人になってほしい」


「…………へ?」


「少し離れたところに、私の別荘があるんだ。そこで一緒に暮らそう」


 なんと、公開プロポーズ、いや、この場合はナンパか。それを、堂々とやらかしたのである。しかも妊婦相手に。


「……おい、ちょっと待てよ!」


 当然、妊婦となれば相手がいるわけだ。もちろん、何も言わないわけもない。


「アンネは俺の妻だぞ!?」


「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 突然出てきた名前に、俺は叫んだ。秘書が驚いたようにこちらを見ている。


「……何か?」

「何かじゃねえよ!え、何、ナンパされたのってアンネちゃんか!?」

「ええ。サイカ道具店の……夫はラウルさんですね」


 いろいろ言いたいことはあるが、ともかく、ラウルたちがとんでもない奴に絡まれたことは間違いないらしい。身体から嫌な汗が噴き出る。


「では、続けますが……その時、伯爵はラウルさんに対し、「ならば離縁したまえ。今すぐここでだ」と」

「頭おかしいんじゃねえのかコーラル伯爵!!」


 俺は領主さまの方を見た。ここまでぶっ飛んでるとは聞いていないぞ、と目で訴える。


「……まさか、あの人は、妊婦にまで性癖を広げていたのか……!!!」

 領主さまも意外だったようで、目を伏せている。


 それから、当然ながら怒るラウルの前に立ちはだかったのは、伯爵の護衛を務めるロウナンドだった。


「……悪いが、こっちも仕事なんでな。伯爵を傷つけるわけにはいかない」

「どけ、コラ!」


 ラウルはつかみかかるも、ロウナンドはそれを軽くあしらい、ボディーブロー一発でラウルを沈めてしまったらしい。


 元とはいえ、この町の筆頭候補だったラウルを、拳一発で沈めるとは、ロウナンドは相当強いらしい。


「では、来てもらおうか。手続きはおいおいやろう」

「え、嫌、離して!」


 コーラル伯爵がアンネちゃんの手を掴んだ時、ラウルが再び立ち上がった。


「ふ、ざ、けんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「させん!!」


 伯爵につかみかかろうとしたラウルを、ロウナンドが食い止める。


 その様子に、周りの人たちも触発された。


「そうだ、ふざけんな!」

「貴族だからって、矢っていいことと悪いことがあるだろ!」

「しかも妊婦を堂々と奪おうとするとか、絶対に許さねえ!」


「俺たちのアイドルに汚い手で触るんじゃねえ!」


 町の冒険者たちが、一斉に伯爵に向かう。それを護衛の冒険者たちが食い止めるという、大混乱に発展したのだ。


 それからはひたすらに殴り合いになった。護衛の冒険者たちが必死に食い止めたおかげか、その時伯爵は目立つような怪我はしなかったらしい。


「じゃあ、アンネちゃんは連れてかれたのか!?」


「いえ、それが……」


 秘書が顔を伏せる。どうやら、ここからさらにヤバいことになるらしい。


 大乱闘が続く中、ロウナンドはラウルを殴りつけていた。ラウルは何度も倒されるが、何度もそのたびに立ち上がった。


「ラウル、助けて!ラウル!」


 アンネちゃんが必死に叫んでいたのが、ラウルの意識を断ち切らなかったのかもしれない。


「やかましい奴だ。離縁したら、生活に困らんくらいの金は出してやるのに」


 伯爵のその一言に、アンネちゃんが彼を睨む。


 伯爵はその顔に、容赦なく平手打ちをした。


「孕んだ女は聖母のように微笑まないといかん。睨むなどもってのほかだ」


 この瞬間、ラウルが完全に切れた。


「う、おおおおおおおおおおおおっ!」


 立ち上がると、ロウナンドのガードを潜り抜けて、コーラル伯爵の前へと躍り出た。


 そして、伯爵の顔をラウルの拳が捕らえようとした時。


「……はい、そこまで」


 ラウルの拳を受け止める、レイラさんが2人の間に入っていた。


「れ、レイラさん……!」


 彼女の登場に、町の人たちも驚き、動きを止める。


「やかましいと思ったら、すごいことになってんね?」


「……お前は、何者だ?」


 訪ねるコーラル伯爵の方を見て、レイラさんはにこりと笑った。


「とりあえず、その子の手離したら?嫌がってるけど」

「いや、離さんぞ?この娘は私の愛人となるのだから」


 レイラさんがちらりとアンネちゃんを見ると、アンネちゃんはすごい勢いで首を横に振る。


「だってさ」

「私の一存が平民よりも優先されるのは当然だが?」


 伯爵があまりにも堂々と答えるものだから、レイラさんは溜息をついた。


「……マジか。まだそんなこと言う奴いるんだね」

「ロウナンド!この女を黙らせろ!肉臭い女だ!」


 伯爵の命令を受けたロウナンドが、レイラさんの前に立ちはだかる。伯爵はその隙に馬車に乗り込もうとするが、それは町の人が許さなかった。


 一時、静寂に包まれる。


「……肉臭いのは、仕込みしてたからなんだけど」

「お前、料理屋か?冒険者、ではないみたいだが」

「そりゃあ、エプロンつけて冒険する奴はいないでしょ」


 その言葉の応酬から、ひと呼吸も置かずにロウナンドがパンチを繰り出す。女性相手に、容赦なく顔面を狙った拳だ。それを放つ。


 だが、放てない。


 彼が拳を放とうと振り上げた腕は、その時すでに彼女に抱えられていた。


「よっと」


 そのまま、ロウナンドの巨体が宙に浮く。半回転し頭が真下に達したところで、レイラさんは手を離した。伯爵領最強の冒険者が、頭から落下する。


 そのたった一撃で、ロウナンドは動かなくなった。


 伯爵領の冒険者たちは、驚いて動きを止めた。


「さて」


 レイラさんは伯爵に向き直る。彼は茫然として見つめていた。驚きのあまり力が抜けている手からアンネちゃんをかっさらうと、ラウルに渡してやる。


「レイラ、さん……」

「旦那さんしてたね、あんた」


 そのまま二人をかばうように、レイラさんが伯爵の前を塞ぐ。


 伯爵はこめかみに青筋を立てて、腰に佩いていた剣を抜いた。


「……飾りじゃないんだ、それ」

「うるさい!」


 そうして、剣を振りかぶった一瞬。


 レイラさんには、その一瞬あれば充分である。


 指で、眉間と、水月と、睾丸を突いた。常人には目で追うこともできない一瞬である。


 伯爵の顔から血の気がうせ、白目を剥いて、泡を吹いて倒れた。


「……仕込みの続きの前に、手洗わないと」


 レイラさんがそう言って手をプラプラさせたと同時に、町の人たちから歓声が上がった。


「ねえ。あんたら」

「な、何だ!?」


 レイラさんが、護衛に言う。


「ひとまず、こいつらを領主さまのところに連れてってちょうだいな。そんで、なんか文句あるなら直接来いって伝えといて?」

「え……いや」


「いいね?」


「アッハイ」


 レイラさんの言葉の圧に、護衛たちはそう言うしかなかった。


「……そうして、倒れた伯爵とロウナンドを連れて、今馬車がこちらへ向かっているとの報告です」


 領主さまは、お茶を飲みながら目を伏せていた。


「なるほど。わかった。……一体、何をどうすればいいんだい?」


 驚くほど真顔で、領主さまはそう言った。

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