第15話 VS筋肉猪(マッスルボアー)

 町はすでに噂が広まっているらしく、パニック状態だ。

 俺が歩を進めていると、ラウルとアンネちゃんが俺を見つけ、駆け込んでくる。


「おい、コバ!」

「ああ、筋肉猪だってよ」

「あんなの、この町でどうにかなるかよ!」


 ラウルはすっかり店の人間のようで、道具店のエプロンを着けていた。なんだかすっかり遠くに行ってしまったような気持ちになる。そんな場合じゃないのだけれど。


「親父さんは?」

「ああ、お義父さんは道具の準備だよ。俺はアンネを避難させてくれってさ」


 サイカさんは現場で支援をしているそうだ。商品のポーションなどはギルドに買い占められて、運ぶのを手伝っているらしい。アンネちゃんはその間になるべく遠くへ避難させる、ということのようだ。


「コバは行くんだろ?無理すんじゃねえぞ」

「ああ。ヤバくなったら下がるよ」

「き、気を付けてくださいね……」


 アンネちゃんの声は震えていた。筋肉猪、というよりも、町のパニックが伝播して怯えているのだろう。彼女は奴を見たことがないはずだ。


 俺とラウルは、一度だけ奴を見たことがある。クエスト中にたまたま出くわしたのだが、その時俺たちは一瞬で悟った。こいつには勝てない。


 俺たちはひたすらに息を殺し気配を殺し、見つからないように努めた。そして、奴はいなくなり、俺たちの命は助かったのだ。


(……あの頃は、まるで勝てそうな気がしなかったけど)


 俺は自分の手を見直して、握りなおす。


(今の俺には、スキルがあるからな)


 俺はソロで奴に挑む。それならスキルも発動するだろう。スキルを活かせば、筋肉猪でも互角以上に渡り合えるはずだ。


「……コバ、自信ありそうだな?」

「ん?……ああ、ちょっとな。昔とは違うし、スキルもあるし」


「油断、すんなよ」


 お前に言われなくても、油断などしていなかった。驕らず、腐らず、誤らず。その心がけは忘れない。


 だが、俺はその内の一つを守れていなかったことに、この後気付くことになる。


***************************


 ラウルと別れてすぐに、俺は町を出て街道に出た。以前から歩いていた街道を、俺はひた走る。


 街道はいつもと違い、冒険者が群れを成して歩いている。逆に馬車は一つも見られない。さらには、槍衾のような相手の突進を止めるものが多く用意されている。筋肉猪の突進は町の防壁も壊してしまうほどのも威力だ。これでどれだけ弱めることができるかはわからない。


 かなり遠くにだが、大きな影が迫っている。人間の上半身を異様に膨張させたようなバランスの姿は、歩みを進めるほどにその巨体がわかってくる。


 筋肉猪は黒い毛皮に覆われている筋肉を見せつけるように進んでいた。その牙や蹄には血がこびりついており、多くの武器が背中に刺さってはいるものの、疲弊している様子もない。多くの戦闘を、身体一つで乗り越えてきたのだろう。


 奴の姿が見える前から準備をされていたのか、ギルバートさんが杖を掲げた。


「魔法射出部隊、撃てえーーー!!」


 ギルバートさんの後ろにいた、たくさんの魔法使いが、一斉に思い思いの呪文を唱え始める。炎や氷、水、雷、岩などの魔法が、それぞれ巨大な塊となって宙へ浮き上がる。


 それぞれの巨大な塊が、一気に筋肉猪へ向かって放たれた。それぞれの魔法は混ざり合い、巨大な光となって強大な敵とぶち当たる。


 大爆発が起き、巻き起こる突風に、俺たちは顔を覆った。煙がひどすぎて、奴がどうなったのかは、誰にも視認できない。


 だが、そこそこベテランの冒険者たちは一切油断などしない。いや、正確に言えば、油断などできる相手ではなかった。


 煙を吹き飛ばすように、筋肉猪が吠えた。その雄たけびは、町の壁すら震わせる。


 その近くにいる俺たちは、全身の筋肉がこわばる気分だ。

 そして、俺たちは、はっきりと、化け物の姿を見た。


 人間を優に超える巨体は、オーガですら上回る。さらに、明らかに肥大した胸筋に、これまた柱のように太い手足。四肢の先端は黒い蹄が光沢を帯びている。そして丸太のように太い首の上に、大きな牙をたたえたイノシシの頭がくっついている。


 筋肉猪が足を前後に交差させる。


「総員、横に散れえっ!!!」


 ギルバートさんの号令とともに、冒険者たちは一斉に左右に散らばろうとした。


 そこへ。


 巨大な肉の塊が、猛スピードで突っ込んできた。


 すさまじい風圧に、俺たちは吹き飛ばされる。


 突進してきた筋肉猪は、そのまま移動しそびれた冒険者を踏みつぶす。回避の遅れた冒険者の身体は砕け散っていた。


「や、野郎……!」


 そのまま町の方向へと、筋肉猪は突っ込んでいく。このままいけば町の壁は壊されてしまうだろう。


 だが、そう簡単にこの町を落とされるわけにはいかない。


 筋肉猪の駆け抜ける先にあった地面が、急に消えた。


 奴は何が起きたかわからぬまま、下へと落ちていく。下には即席の槍や剣で作られた罠が待ち構えていた。


 穴へと落ちた筋肉猪を、冒険者たちは取り囲む。落としてしまえば、あとは上から袋叩き、そう思っている冒険者は少なくなかった。


 そして、そういう奴から死んでいく。


 血をまき散らしながら跳びあがってきた巨大な敵に、多くの冒険者の反応が遅れた。あるものは踏み殺され、あるものは蹴り殺される。


 奴は表皮から血を流してはいたものの、実際に刺さっている槍や剣は以上に少なかった。


「やはり、ダメか……!奴の筋肉がぶ厚すぎて、こちらの攻撃が届かん!」


 ギルバートさんが舌打ちしている。


 結局、バレアカンの冒険者では、奴を止める圧倒的な力を持つ者がいないのだ。ラウルですら、スキルを発動して互角に渡り合えるかどうかであり、スキルがなければ紙同然にばらばらにされていただろう。


 俺は、その闘いに入るスキを待っていた。


 筋肉猪が罠で止まらないことくらいはわかる。普通に攻撃しただけなら、決して通じる相手ではない。


 だが、俺は森でビッグ・ボアを捌いた時のことを思い出していた。


 あの、線を通るように肉を切り裂く感触があれば、強靭な筋肉など関係ない。


 俺は、パーティを組んで一人だ。臨時のパーティなども組んでいない。発動条件としては十分なはずだ。


「俺が飛び込んで、奴に毒をぶち込む!援護してくれ!」


 俺は適当に近くにいた冒険者にそう言うと、筋肉猪めがけて走り出した。


「あっ、おい!コバ、無茶するな!」


 俺のスキルが発動すれば、ステルス能力が発動する。それなら、奴の足に傷を入れるまで気づかれることは、ないはずだった。


 だが、筋肉猪の獰猛な眼は、まっすぐに近づいてきた俺を見つめた。


 俺は悪寒が走り、突撃を一瞬ためらった。


 それが幸運だった。


 筋肉猪の蹄が俺の鼻先をかすって、地面へと叩きつけられたのだ。


 地面は大きくえぐれ、俺の身体は後ろへと吹っ飛ぶ。


「コバ!」


 冒険者のみんなが吹っ飛ぶ俺を受け止めてくれる。その一瞬で筋肉猪はこちらへと向かってきた。完全に、俺をターゲットにしたらしい。


 再び振り下ろされた蹄は、タンク職たちによって防がれた。

 もっとも、受けたタンクたちは無事では済まない。10人がかりで5人が即死、その死体も使って残り5人の骨を砕き、ようやっと奴の一撃を止めることができる。


 次の瞬間には、やつの後頭部に魔法の弾丸がぶち当たる。だが、それほど聞いていないようで、ぐるりと振り返ると魔法職への虐殺が始まった。


(な、何で気づかれた?ステルスが働くんじゃないのかよ?)


 俺の頭の中は死にかけたことよりも、どうしてスキルが発動しないのか、ということでいっぱいだった。


 俺の成功のイメージでは、気配を消して奴に近づき、そのままナイフで切り刻んで倒す。そのつもりだったのが、しょっぱなから挫かれた。


 奴が特別、嗅覚がいいのかもしれない。


「……奴は、今注意がそれてる。今なら……!」


 俺は短剣を強く握りなおそうとする。だが、震えて力が入らず、短剣が今にも手から離れそうだ。


 それだけではない。さっきの一撃の、しかも煽りを食らっただけなのに、俺の身体はひどく疲弊していた。


 明らかに、スキルを発動している時とは、真逆のコンディションだ。


「な、なんで……」


「馬鹿野郎!」


 俺を引きずって、無理やり距離を取った冒険者が、俺へ向かって怒鳴る。


「あんな堂々と正面から突っ込むレンジャーがいるか!この役立たず!」

 その言葉に、俺の身体は矢のようにそいつから離れる。


「お前、ソロで最近うまくいってるか知らねえけどなあ、同じようにできると思ってんじゃねーぞ!」

「おい、バカ!何やってんだ!戦闘中だぞ!」


 周囲から飛ばされる声もよそに、そいつは俺への罵声を続けた。


「お前の無駄な突進で、何人死んだと思ってやがる!スタンドプレーしかできないやつは引っ込んでろ!」


「危ねえっ!!」


 その声が聞こえた瞬間、目の前で叫ぶ冒険者の身体に牙が食い込み、俺の身体は運よく牙に掬い上げられた。


 宙を舞った俺は、落ちまいと必死になって視界に入った物体にしがみつく。


 そこは、筋肉猪の背中だった。背中に付いたゴミを払おうと、筋肉猪は身体を揺らす。


 振り回されながらも、俺は必死にしがみついた。そして、そのまま、握った短剣を振り上げる。毒が塗ってあるから、傷つけさえすれば毒が回るはずだ。


 さっきは気づかれたが、接近はできた。あのナイフ捌きを思い出せ。


 俺は必死にあの感触を思い出しながら、筋肉猪の背中に短剣を突き立てた。

 

 だが。


振り下ろした短剣は、分厚い毛皮に弾かれ、まともに刺さらなかった。


「な……っなんで……っ」


 落ちそうになりながらも、俺は何度も短剣を突き立てる。


 だが、短剣は通らない。やがて、短剣の方が限界を迎え、折れた。折れた短剣の剣先が、むなしい音を立てて地面へと落ちる。


 俺はすぐに予備の短剣を抜き、奴の背中に付きたてた。


 刃は通らず、また、短剣の方が折れていく。


 また予備を取り出す。残りの短剣は三本。また折れる。


「くそっ、くそっ、くそおおおおおおおおおおお!」


 俺は涙ながらに短剣を叩き込んだが、ついぞ一本も通ることはない。


 そして、最後の短剣が折れた時、俺の捕まる力も限界だった。


 自然と手が離れ、奴の背中から落ちる。


 奴は俺を振り落としたことに気づいたのか、そのまま体の向きを大きく変えた。その海展で、奴の胴体が俺にぶち当たる。


 胴体が当たるだけで、俺のあばら骨が折れるのがわかった。俺は、受け身を取ることもできず、地面へと叩きつけられる。余りの衝撃に、肺の中の空気を一気に押し出された。きっと、内臓も少し傷ついているのだろう。咽る俺の席には、血が混じっていた。


 もう、立ち上がることもできないままに、俺は筋肉猪を見る。


奴はまるで疲れを見せていないどころか、さらに興奮状態になっているようだった。悠然と迎え撃とうとする冒険者をこともなげに殺戮し、通る道には冒険者の死骸をぶちまけながら、町の壁へと向かっている。


「ドール子爵からの援軍はまだ来ないのか!」


 ギルバートさんが叫んでいるのが聞こえるが、他は悲鳴や筋肉猪の雄たけびしか聞こえない。


 次第に、迎え撃つ冒険者たちの覇気は、みるみる失せていく。


 俺は立ち上がることができなかった。物理的にもそうだが、何より立ち上がろうとする気力が沸き上がって来ない。力を入れることができないのだ。


 そして、筋肉猪が町の壁へあと一歩という、その時だ。


 奴の動きが、急に止まる。


 そして、しばらくじっと壁を睨み、動かない。


「……な、何だ……?」


 生き残った冒険者たちにとっては、絶好の機会である。

 だが、誰も筋肉猪へ向かおうとは思わなかった。

 

 報酬目当てに筋肉猪へ向かう者は、もういなかった。


 そう言う連中は、すでに皆肉塊と化している。


 筋肉猪は、鼻を鳴らし、やがてくるりと身体を反転させた。


 そして、猛烈な突風を巻き起こしながら、町から遠ざかるように走り去る。


 ギルバートさんは、砂ぼこりと地にまみれた身体で、地面に座り込んだ。


 生き残った冒険者たちも、皆一様にへたり込む。


 これで終わったとは、にわかに信じがたいが、終わった。


 結果として、クエスト参加者300人中、220人が死んだ。


 だが、町への被害はゼロだ。これは、実質、勝利といってよいだろう。


 そんな勝利の余韻に浸れるものなど、この場には誰一人いなかった。

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