魔物に切り込む刃

 裕太がぼんやりと視線を上げると、視界に一人の人間が入ってきた。その人物が看護師と話をしている。


「MEには連絡してんの?」

「さっきしようとしたんですが、正確に決まったらまた……」

「急いで連絡して。それとブラッドアクセス持ってきて! 早く!」


 はい、と言って一人の看護師が倉庫に走っていった。

 声の主は千賀だった。無駄のない手捌きで、まどかの体の向きを整え、ECMOを回すための準備を進めていった。


「おい、お前! 突っ立ってないで心マ代われよ」


 その怒鳴り声で裕太はびくっとなり、はい、と言ってから先ほどまで胸を押していた看護師と、胸骨圧迫を代わった。

 まどかの胸を一定のリズムで押しながら、横目で千賀を見た。

 首の頸静脈と呼ばれる血管に太い管ブラッドアクセスを入れようというのだ。


(こんな状況じゃ無理だ。ただでさえあの血管に太い管ブラッドアクセスを入れるのは難しいのに、心臓も止まりかけて潰れてしまっている血管になんて)


「おい、ブラッドアクセスまだか! ルートから生食入れて!」

「流速はどうしますか?」

「のんきなこと言ってんじゃねえ、ポンピングだ! MAXでいれろ!」


 はい! と言って看護師は点滴をシリンジという注射器を使って手動で大量に押し込んだ。通常であれば点滴は機械でその入れる速度を調整するのだが、本当に急いで大量に入れたい場合は、手で何回も押す「ポンピング」が一番早い。


「ボスミン1AアンIVアイブイ! それとドパミン8γで流して!」

「千賀先生、ブラッドアクセス持ってきました」

「持ってきましたじゃねえよ、早くあけろ!」


 はい、といって看護師は急いでECMOにつなげるための管が入っているキットの封を開けた。その間、裕太は必死でまどかの胸を押し続けた。押すたびに小さな体がまるで無気力の人形のように、ぐらん、ぐらんと大きく揺れる。

 千賀の準備が整うと、今までの荒々しさが嘘のようにしーんとなった。一定のリズムで揺れている首にまるで獲物を狙うハンターのように澄んだ目線で、入れるべき血管に狙いを定めた。

 揺れていては無理だろうと思い、裕太が胸を押す手を止めた。


「おい! 止めんな! 頭が死んだらこの子おしまいだろうが!」


 はい、と言って再び胸を押し始めた。


(こんな揺れた状態で、血管に入れることなんかできるんだろうか?)


 おそらくチャンスはこれが最後だろう。ここで狙った血管にワイヤーと言われる針金のようなものを入れることが出来れば勝ち。出来なければひなたは死ぬ。しかも分は圧倒的に悪い。裕太はその様子を見たかったが、今は胸を押すことで必死だった。

 あれほど猛々しかった千賀が、まるで気配を消しているかと思うくらい静かになった。今聞こえるのは裕太がまどかの胸を押すたびに揺れる、どん、どん、という音とピコン、ピコン、というモニターの機械音だけだった。

 どれほど経っただろうか、おそらく1分に満たない時間が過ぎた後、千賀がぼそっとつぶやいた。


「——よし、入った。つないで!」


 はい、という声と共に、ECMOをつなぐ準備が進められた。


(まさか、あの状況でブラッドアクセスを入れたのか?)


 それからの手順は難なく進められ、まどかはECMOに繋がれた。ECMOに繋がれれば、心臓が止まっていても命を繋ぎ止めることが出来る。

 助かったのだ。



 裕太はECMOに繋がれたまどかをぼんやりと眺めていた。あれほど集まっていた人も今は自分しかおらず、モニターのピコン、ピコン、という音だけが響いている。ここ数時間はもしかしたら夢だったんじゃないかと思えるほど、非現実的な時間だった。


 裕太は救急外来でカルテを打ち込んでいる千賀の前に立った。


「千賀先生」


 千賀は答えず、キーボードを押し続けた。


「ありがとうございました」


 そういって裕太は深々と頭を下げた。

 千賀がキーボードを押す手を止めた。それから、裕太を睨みつけた。


「九条が俺んとこにきた。死にそうな子がいるから何とかして欲しいって。自分が言っても聞かないからって。お前どういうつもりだ?」


 裕太の拳に力が入った。


「しかもなんで受診依頼あったのに、断ってんだよ。お前は昨晩、この地域一帯の命を預かってたんだよ。それなのにお前は自分の都合でそれを放棄した。医者失格だ、医者の仕事ができないならやるな、やめちまえよ、もう」


 裕太は頭を下げたまま、上げることができなかった。


「お前の言う、ニコニコニヤニヤであの子は救えたのか? え? 言ってみろよ。ニコニコ優しく笑ってるだけじゃ人の命は救えねえんだよ! 悔しかったら勉強しろ!」

 

 千賀の怒鳴り声が救外中に響き渡った。

 そのまま千賀は再びパソコンに目をやり、キーボードを押し始めた。

 裕太は力なく、はい、とだけ言いその場を去った。

 

 裕太の中で今までぼんやりとしていた何かが今はっきりとした。

 相談ではない、ある一つの決意を持って、裕太はとある人物の元へ向かうことにした。

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