千客万来

 言われるがままに来てしまった。龍征は光の部屋の前で立ち尽くす。さすがに少し緊張する。そうでなくとも、ここでは一度失態を晒しているのだ。


(ま、ちょっと様子見るだけだからな……気負うな気負うな)


 星獣の笛が特異災害対策本部に渡ったことで、スタードライバーズのお役目はひっそりと影を潜めた。まだまだ油断は禁物であろうが、星獣の異常出現は収まっている。そんなこんなで、二人には待機命令という名目の長期休暇を言い渡されていたのだった。

 龍征はドアをノックする。開ける。


「せんぱーい、ごめんくださーい! お加減どうです、かー……?」


 注釈すべきことがある。龍征が育った西蔵町は、山奥にひっそりたたずむ、龍征自身も認める大田舎である。そして、そんな田舎特有の風習というか、因習というか、とにかく都会人とは違う価値観がいくつかあった。

 即ち、インターフォンを鳴らさない。ノックと挨拶、それで足りる。いや、家についてはいるのだ。しかし、それは往々にして使われない。田舎の不思議である。

 そんな龍征の価値観は、曲がりなりにも都会育ちの光とは食い違うこともある。在宅時でも鍵をかけない不用心さは、日本国最前線で剣を振るう防人に問うのは野暮だろう。どんな状況下だろうと暴漢に屈しないという油断か。まさか、既知の相手がインターフォンガン無視に突撃してくるとは。


 要約すると、光お姉さんは素っ裸だった。


 風呂上がりなのだろう。バスタオル一枚巻いた状態で、しかも濡れたままで、身体にぴっちりと張り付いていた。凹凸に乏しいながらもすらりと黄金比に揃ったナイスなスタイル。上気した頬で、虚をつかれたようにこちらを見つめる無垢な表情。

 その全てが龍征の頬を赤らめ、人としての理性を削りつつあった。若干前屈みになりながらも、龍征は必死に頭を冷やして目を逸らす。異物発見。

 濡れていても分かるくらいふわふわした金髪。可憐な雰囲気を着る全裸の少年がもう一枚のバスタオルを広げる光に追い詰められていた。

 少年、である。ちゃんとついていた。ともすれば少女と見紛う外見が、廊下の隅で震えている。同性のはずの龍征が生唾を飲む、そんな妙な艶めかしさがあった。


「あ、先輩、調子はどうッスか……?」

「まず、ドアを閉めろ」

「あ、はい」

「何故中に入る」


 呆れ顔の光は淡々と謎の美少年をバスタオルで包む。仄かに犯罪の香りがした。顔どころか首まで真っ赤に染め上げてじたばた抵抗する謎の美少年。龍征には外国人の知り合いはいなかったはずだが、どこか見覚えのあるような雰囲気だった。抵抗むなしくバスタオルに包まれて抱き締められる。


「愛い愛い」

「なにしてんですか、先輩…………」


 うらやましい、ではなく。

 龍征は普通にドン引きしていた。


「拾った。行くアテがなく雨に打たれていてな。不憫だと思い、つい」

「いいから服を着て下さい」

「うむ」


 再び背を向いて仁王立ちしながら。光は少年と一緒に脱衣所に向かう。いや、どちらか残られても困るが、一緒に行くのも不味かろうに……。

 もやもやした邪念を振り払うように、龍征は座禅を組み始めた。正しい姿勢は、最も自然で、楽な姿勢だ。今ならばその意味が分かる気がした。


「ほう、感心するな。しかし、玄関でなくとも上がってくれればよかったのに」


 前回も思ったが、かなりの早着替えである。部屋着らしい甚平姿だ。それでいて身だしなみもきちんと整えられていて、凛としているのは見事としか言いようがない。案内されたリビングで龍征は少年を待つ。あの小柄な体格、心当たりが一人。考え込む龍征の前に光が湯呑みを置いた。テーブルに並べたのは三つ。光も少年を待っているのだろう。


「ありがとうございます、先輩」

「いや。それと天道、少し確認したいことがある」

「はい?」

「お前、あの鎧、天乃リヴァとの戦いをちゃんと記憶しているか?」

「……? ええ、まあ……というか途中で気ぃ失ってましたけど」

「…………白状すると、私も大分記憶が飛んでいる」

「ええ!?」

「思っていた以上に追い詰められていた、ということだな」


 光は腕を組んで首を捻った。龍征の隣の席に座る。入り口側。四人用のテーブル。ならば、あの少年は奥に座らせるのか。上座、とは別に龍征には思い浮かんだことがあった。奥側、即ち逃げられにくい位置。


「お前を見たとき、あの少年は妙な反応をしたんだ。知り合いだったか?」

「……つい、最近、思い当たるのが」

「……まあ、そういうことか。迂闊だったな私も。まさか道に転がっているとは思わなんだ」


 龍征はぎょっとした。光の左腰に下げられているのは、日本刀だった。模造刀でないことが、鞘から溢れる殺気で実感した。


「あの、これしかありませんかね……光、さん」


 金髪美少年がひょっこり顔を出す。青い甚平、光のものだろう。小柄な彼が着ると少し裾と袖が余る。凛とした雰囲気の光と対照的に、どこかあどけない感じだった。甚平に着られているようでバツが悪い。頬をほんのり染めながら視線を泳がせる。

 そんな少年の言葉に光は無言で頷いた。その反応に思うところがあったらしい。素直に着席する。と、龍征に向かって挑戦的な目線を投げた。


「僕の名前、分かる?」

「天乃リヴァ」


 龍征は即答した。


「私の迂闊さを笑うか、鎧よ」

「まさか。貴女は立派な戦士だし、とても誠実清純な人だよ」


 目線を外しながら口ごもる。顔が赤い。龍征はそれをつまらなさそうに見ながら口を開く。


「抵抗してもいいけど、潰すぜ? 包囲網に追い詰められて、虎穴に入ったってもんだ」

「求める虎児はいないぞ」


 光はかちゃりと刀を鳴らす。この二人ならば生身の戦いで遅れをとることはないだろう。リヴァは大人しく両手を上げた。


「……いや、僕はもう負けたんだ。メアにも呆られちゃったしね」

「メア?」


 そう言えば、そんな名前を口にしていた気がする。敵は天乃リヴァだけではない。だとすれば厄介なことになりそうだ。そもそも星獣の笛があったとして、ここまでの大立ち回りを個人で成し遂げられるとは考えにくい。


「それでも、我々はお前が計画の中枢なのだろうと考えていた。お前さえ押さえれば狙いは潰せると。まだ、いると?」

「メアは、違うよ。そんなんじゃない。彼女は僕の大切な大切な守りたい人なんだ」


 メアに相応しい男になる。その言葉に偽りなく。

 しかし、その目に孕んだ得体の知れない狂気はなんだ。


「メアはとにかく可憐なんだ。妖精のように愛らしくて、鈴のような声でね。僕が話しかけてもツンツンしてるだけだけど、時々構って欲しそうに付きまとうんだ。でも、本当に聞いてほしいことはちゃんと受け止めてくれる。メアは僕の理解者なんだ。メア、ああ僕のメア。僕はそんな君に応えたいんだ。君に相応しい男になるんだ。僕はそのために、それだけのために!」


 カタカタ、と物音が。鞘に納まった刀の音だ。あの女丈夫が震えていた。それほどまでの異常。


「ええ、もちろんよ。私のために尽くしなさい」


 鈴のような声が。

 リヴァの口から零れた女の声を聞いて、流石の龍征も顔を青ざめた。アウトローな奴らにはそれなりに慣れたものだが、これは常軌を逸する。空気が、おかしい。そこに酸素は含まれているのか。窒素は含まれているのか。二酸化炭素は含まれているのか。まさに別次元の空間と錯覚させられる。


「……背後関係とか、霞むな」

「……はは、らしくないッスよ、先輩」


 リヴァは未だ得体の知れない女と話し続けている。二人はこの場での判断を諦めつつあった。本部への通報。いずれはそうするつもりだったが、これ以上手に負えない具合が拍車をかけている。


「でも、先輩。ちょっと待ってくれませんか」


 待ったをかけたのは龍征。彼は三度リヴァと手を合わせている。どこか通じるところがあった。真っ直ぐな志が確かにあったはずなのだ。

 光は静かに続きを待つ。龍征の言葉を信じたからだ。震えは止まっていた。変化はすぐに表れた。


「メア、メア……ああメア…………ッ!」


 リヴァが頭を掻き毟りながらテーブルに突っ伏す。瞳孔が開ききった目で、何もない空間を掻き毟る。苦しんでいる。それだけで光は刀を捨てて立ち上がった。


「落ち着け! 気をしっかり持て! お前は誇り高い戦士だ!」


 無心で抱き締める英雄を見て、龍征は胸を撫で下ろした。この人を目指して、ついてきて良かった。心の底からそう思う。ガクガク震えるリヴァを、光は強く抱き締める。やがて震えは静かになり、呼吸が落ち着いていく。光は腕の中で揺らすが、完全に失神しているようで反応がない。


「天道、お前知っていたのか」

「いえ、ただ……感じることがあった」


 直接ぶつけたこの拳。そこに想いは宿っていた。天乃リヴァが戦う理由、その事情。邪な欲望とは何かが違う。そんな信念を感じていた。


「本部に連絡する。病人の手当てをしてやらねばな」


 お姫様抱っこで少年を持ち上げながら、光は龍征を見た。本部への連絡の前に言っておくことがあった。


「拳を信じて打ち抜いたんだな。お前も来い。その力が必要だ、天道」

「はいッ!」


 弾かれたような笑みを浮かべながら、龍征は無邪気に頷いた。

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