第24話 夢から覚めたら

(……ああ、そうか……死んだのか、私)


 暗闇の中に、アテネの意識だけがポツンとある。そこに彼女の肉体はない。他の生物も、物質も存在しない。……無限に続く“無”の中に、不確かな意識だけが漂っている。……これが、死んだということなのだ。


(……これから、どうなるんだろう。死んだら、別の世界に行くのかな? もしそうだとしたら……私が行くのは、天国か地獄か……)


 やがて、アテネはとある世界を俯瞰する。自分が生まれ育った世界、魔界を。


(……どちらでもない、か。私は魔族なんだから、魔族らしく魔界に籠っていろと……そうなの?)


 しかし、アテネの意識は魔界にとどまることなく、フワフワとあてもなく空を漂っていた。寄る辺を持たず、風に捕まった風船のように彼女は右へ左へと浮遊を続ける。


(……私は、魔界にもいられない半端者ってわけか。結局私はこのまま無限に、どこでない場所をフラフラとさ迷い続けるだけ……)


 そんなことを思っていた最中、突然アテネを運ぶ風がやみ、彼女は地上へと落とされた。地上に落ちて痛みを感じたアテネは、いつの間にか自分は肉体を得ていることに、そして見覚えのある家の前に自分は立っていることに気がついた。


「ここは……ジークと、エマの家……」


 アテネは無意識に、その家に向けて足を運んでいた。その足取りは自分でも信じられないほどに軽く、まるで生まれた時から自分はこの家にいたかのような安心感を彼女は抱いていた。


(……そうか。私はもう、死んだんだ。魔族としての、私はもう。……だから私は、人間に生まれ変わった。人間である、ジークとエマの娘に)


 彼女の深紅の瞳は純黒の輝きを放つようになり、尖った耳も髪の毛の中にすっぽり隠れるほどに角がとれ、丸くなる。彼女は人間として、人間である両親が待つ自分の生家へとまっすぐ帰るのであった。


「……お父さん、お母さん……ただいま」






「「……お帰り、アテネ」」


 目が覚めたアテネは、自分の両腕を握るジークとエマの顔を交互に見る。二人が自分に注いでくれる愛情が握られる手から、二人の笑顔から、アテネの心では受け止めきれないほど流れてくる。

 そして、心という器に入りきらずにこぼれ落ちた愛情は、涙に姿を変えて彼女の体から流れてくるのである。


「……ねぇ、二人は……私のお父さんとお母さんだよね?」


「……もちろんだろ。今さら何言ってんだ」


「……アテネちゃんは、紛れもない私達の娘だよ。だから……安心して」


「……………………うん……安心……させて……」


 アテネの体にしぶとく残っていた魔王の憎悪は、跡形もなく消え去った。夢から覚めた彼女の目は紅く、耳も尖ったままだが……彼女が見る現実は、夢にも劣らぬ幸せなものであった。






「……いっ……たぁ……」


 アテネが目覚めたのとほぼ同じタイミングで、家の外では気絶していたロイが目を覚ます。ロイはやけにベタついた自分の体を見て驚愕するが、隣で「ゲコッ」と鳴く声を聞いてすぐに不愉快な顔をした。


「蛙か……この野郎、お前の体液なんかクセェぞ」


「ゲコゲコッ」


「ハハッ。いいじゃないですかロイ。お前みたいな顔のいい男にはそのくらいのハンデがついてちょうどいいよ」


「うるせ……って、お前目が覚めてたのか、エンニー」


 ロイが顔を向けた先には、泡の中で呑気に寝転がるエンニーの姿があった。彼の体はもうまともに動かせないほどボロボロになっているはずなのだが、リラックスした格好をしているからか今の彼は全くそんな風に見えない。


「ええ。目覚めた時には泡の中に閉じ込められてるわ、ロイは間抜けな面を晒して気絶しているわでねぇ……私達は負けたのだと、察するのは容易でしたよ」


「間抜けは余計だ。ったく……悔しいが、今日のところは退散するしかねぇな」


「ですねぇ。私はしばらくお休みしなきゃいけませんし。……と、いうわけで蛙さん。この泡消してくれませんか? もう身体中痛いので、抵抗するつもりはありませんよ」


 力無く両手を振って降参の意を示すエンニーだが、蒼蟇は彼の飄々とした態度を警戒してか中々動こうとしない。しかし、エンニーを包む泡は、爆発音と共に空から飛んできた老婆の拳によってあっさり破裂させられた。


「うわっと……これはこれは……ドーラさん……」


「……さっさと帰れ。もうお前らにここにいる用はないだろ?」


「助けてくれてありがとうございます。そのお礼として、今日はもう帰ることにしますよ」


 エンニーがそう言うと共に、ロイは空飛ぶ絨毯のように浮遊する布の上にエンニーを投げ込んだ。


「他の連中は、もう一枚の布で回収すりゃいいか……それじゃ、俺達は退散するんで、さようなら」


「……ミス・バッカス。あなたは判断を誤りましたね。あの魔族の娘に味方するというのなら……人間が、国が、あなたの敵となりますよ……!」


「……アタシは魔族の味方してるわけじゃねぇよ。バカ息子とバカ娘もな」


「……フンッ。誰の味方をしていようが、魔族を庇っているのは同じでしょう。……我々は必ず、魔族をこの世から殲滅する」


 不敵な笑みと共にその言葉を遺してから、エンニーとロイは空の彼方へと消えていった。

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