第13話 手紙

「ちゅんちゅん」


「ヒヒンッ」


「……随分元気がいいですね。朱娜と怕駆馬は」


「どっちも運動するのが大好きな性格だからね。それとは逆に……獄狼と蒼蟇は、あまり動くのが好きなタイプじゃないけど」


 そう言いながら、エマは木陰でまどろむ獄狼の毛皮を気持ち良さそうに撫でる。今はエマもアテネも木陰に腰を下ろしており、野を駆ける怕駆馬と空を飛び回る朱娜を眺めていた。


「……今朝はありがとうね、アテネちゃん。あなたは本当に、優しい子だね」


「……守られてばかりで、二人に何も返せないのは申し訳ないから……本当は、もっともっと二人にいろんなものを返してあげたい」


「……そんなに焦らなくていいよ。アテネちゃんが思っているほど、私達はまだあなたに与えられていないから」


「……そんなことは……」


「あるよ。だって私達、まだ出会って一日しか経ってないんだもん。それでたくさんのものを与えられる方が怖いよ」


「……でも、私はもう二人から、十五年生きてきてはじめてのものをたくさんもらった……! 二人と過ごした時間はまだ短いけど、その密度は十五年の中で一番濃いですよ……!」


「……そう言ってもらえるのは嬉しいな。でも……もっともっと、私達は濃い時間を過ごせるはず」


 エマは一度浮かせた腰をアテネのすぐ側へと下ろし、彼女の腰に手を回して自分に引き寄せた。


「……だから、私はアテネちゃんのことを聞きたいな。あなたが私達のことを知ろうとしているように、私もあなたのことをもっと知りたいの」


「……何を、話せばいいんでしょうか……?」


「なんでもいいよ。好きな食べ物のこと……自分の興味があること……好みの男の子のこと……アテネちゃんが自分のことを伝えてくれればくれるほど、私達の距離はもっと縮められるはずだから」


「……分かりました。それじゃあ……」


「……あ、ちょっと待って。その前に、一つ注文いいかな?」


「……なんでしょうか?」


「……もう、敬語は使わなくていいよ。私達は家族なんだから、立場も対等だよ」


「……いいんですか?」


「いいよ。さあ、エマって呼んでみて」


「……エマ……」


「声が小さい」


「エ……エマ!」


「……うん、合格だ。じゃあ、そろそろお話をはじめようか……」






「……うん。いい仕上がりだな」


 時は夕刻。業者による壁の修繕作業は完全に終わり、ジークはその出来を内から外から念入りに確認していた。


「お前、よく俺とエマの愛の巣にふさわしい家に戻ってくれたなぁ……これでアテネも、この家に住んでいるって堂々と自慢出来るだろう」


 なんて独り言をブツブツと呟いていると、彼の耳には愛する妻と娘の帰宅を告げる声が入ってきた。


「ただいま、ジーク」


「おうっ、お帰りエマ、アテネ。なあなあ見てみろよ、俺の注文どおりに、以前よりずっと素晴らしい壁に仕上がったと思わないか?」


「うーん……ごめん、素人には前と何が違うか分からないや」


「ん? そうか、じゃあこの俺自ら、エマとアテネにこのニューハウスをもっと楽しんでもらえる話をしてや……」


「ジ、ジー……ク……」


 ジークの長話が始まりそうなタイミングで、エマの指示を受けたアテネがジークに向けて突撃した。


「……どうした? アテネ?」


「……ジークのこと……ジークって呼んでも、いいよね?」


「……ああ、別に構わないぞ?」


「………………ありがとっ……!」


 距離を詰めようと伸ばす自分の手を、ジークが拒むことなく受け入れてくれたことにアテネの心は歓喜する。彼女の遠慮がちな部分はその喜びを必死に内に押し留めようとしたが、押さえきれなかった気持ちはアテネの腕をゆっくりと動かし、彼女は恐る恐るジークを抱きしめていた。


「……俺がいないところで何か話してたな? お前らは」


「うん。ま、ジークも女の子二人分の気持ちを受け止められるぐらいの甲斐性はあるでしょ?」


「当然。一家の大黒柱舐めんなよ」


「なら、もっとアテネちゃんの気持ちを聞いてあげな」


 エマの言葉とアテネの気持ちに応えるべく、ジークは極力優しくアテネの背中と後頭部に手を置いた。

 アテネはしばらくの間、ジークの胸の安心感と大きな手の温もりに甘えていたが、心の感動が落ち着くとその身をジークから離した。


「……ジーク。今日私ね、エマとたくさんお話したの。そのおかげで、私エマのことたくさん知れたんだ」


「……そうか。でも、エマについての話で俺に勝てるかな?」


「今すぐには無理だけど、いつかは勝ってみせるよ。……それと、ジークについての話も、私はエマに勝てるくらい知りたいの」


「……そうか、分かったぜ。それじゃあ明日は、俺とどこかに遊びに行こう。そこで俺の話を、アテネに聞かせてやる」


「……うんっ」






 ……その日の夜。アテネが寝静まったことを確認したエマはリビングで待つジークのもとへと向かう。随分久しぶりの夫婦二人きりの時間だが、二人の表情はそれを楽しんでいるようには見えない真剣なものだった。


「……それで、アテネは自分のことをどこまで話してくれた?」


「……今のあの子のことなら、なんでも教えてくれた。でも、過去のことは何も」


「……そうか。まあ、無理に聞き出す必要はない。俺達はアテネが自分から話してくれのを待つだけだ」


「うん……ねぇジーク、今の魔界はどうなってると思う?」


「……思えば、不気味なほどに情報が入ってこないな。魔王が死んだ以上、もう魔族は人間を襲ったりしていないんだろうが……」


「……私、ずっと疑問なんだよ。なんでアテネちゃんが、人間の世界に逃げてきたのか。あの子の命を狙う人間から逃がそうってんなら、いくらジークが頼れるからってこっちにアテネちゃんを逃がさないと思う」


「……俺もそう思ってた。アテネがこっちに逃げてきた理由として考えられるのは二つ……アテネを逃がした魔族が、アテネを人間に殺させようとしていたのか……」


「アテネちゃんにとって魔界の方が危険……つまり、魔族の中にもアテネちゃんを殺そうとする勢力があるってこと……でしょ?」


「ああ……そして、その答えを知るのはアイツを逃がした魔族だけだ」


「こっちも、調べる必要がありそうだね」


 話の結論を出したジークはすぐに筆を執り、アテネは小指に傷を入れて朱娜を呼び出す。


「……朱娜。遅くに悪いけど、ダニーにこの手紙を届けてほしいの……お願い」


「ちゅん!」


 ダニーへの手紙を脚に結んだ朱娜は、暗闇を朱い羽毛で照らしながら都の方角へと飛んで行った。


「……アテネちゃんのためにも、やれることは全部やらないとね」


「……数少ない仲間の力も借りながら、な」






 ……それから一週間後、都の某所でユルゲンは自分の部下からの報告を聞いていた。その内容はもちろん、自分が殺そうとするアテネについてである。


「……この一週間、例の魔族を見張っていましたが……やはりというべきか、常にジーク殿とエマ殿が側についており……」


「襲撃は難しい、か」


「はい……エマ殿にいたっては、普段は滅多に行わない使い魔四体の同時召喚までやる徹底ぶりです」


「それでも、エマはまだを残しているからな……やれやれ、やはりアイツらに正面からぶつかって勝つのは非現実的か……」


「で、ではどうやってあの娘を殺すので……?」


「……油断を誘い、隙をつくしかあるまい。幸い俺は、奴ら相手に油断と隙を生み出せそうな人間にツテがある。……問題は、その人が味方についてくれるかだがな…」


 次の策を決めたユルゲンは早速筆を執り、書いた手紙を無理やり部下に押しつける。


「ドーラ・バッカスにこの手紙を渡してこい。……彼女は酒癖が悪いから、酔っていたら機嫌を損ねないように注意しろよ」

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