インハーモニアス

灰谷魚

第1話 夏とルララ子

 闇鍋やみなべルララ子が登場しておよそ400時間が経過したというのに、僕の人生には何の変化もない。

 日々は平凡なままだ。蒼褪めたループの中だ。

 このまま退屈な人生を終え、死んだ瞬間に忘れ去られ、名前だとか生没年だとかが役所のデータバンクに封印されて、


 文字、


 としか言いようのない存在になり果てる僕。


 それだって悪い人生ではない。むしろ良い。僕が期待しすぎてしまったのだ。闇鍋ルララ子に。

 まっすぐで面白みに欠ける僕の運命を、ルララ子なら冷笑しつつ余裕でねじ曲げてくれる。そう思い込んでいた。勝手に。すごく勝手に。

 僕はもう彼女に何の希望も感じていない。

 相変わらずルララ子は数日に一度の割合で僕の前に現れ、数分間だけ僕の生活に干渉しては消えていくのだけど。スキップできないCMみたいに。

 最近の僕はルララ子を見るだけで疲れ果ててしまう。ルララ子がいないというだけで平静な気分を保つことができる。

 平静な気分というのは、少しの絶望と、少しの官能的な予感を含んだ虚無のことだ。

 すなわち平凡な大学生の気分といえる。

 平凡な僕。

 平凡な夏。

 平凡なリフレイン。

 深夜2時。

 なんだかいたたまれなくなって、僕はカーテンを完全に閉め切った。それだけで部屋ごと離陸したような気分になる。


   闇に浮かぶ宇宙船のような部屋


 俳句のようだ。と思ってiPhoneのメモ欄に打ち込む。俳句のようだから何だと言うのだろう。僕はメモを消去し、暇潰しの動画を検索し始める。しばらくディスプレイを睨んでいると、背後から吐息を漏らすような女の笑い声がした。

 振り返ると真っ黒の長い髪が垂れ下がっている。闇鍋ルララ子が僕のiPhoneをのぞき込んでいる。


 いつものように、いつのまにか、いつでもそこにいるような顔をして、彼女はゆらりと僕の部屋に現れた。


「お前のエロ動画の検索履歴、適当な助詞でつなぐと詩のようだな。じつに美しい」ルララ子は音のない拍手をした。

「僕のプライベートは死んだのか?」

「音読してあげようか? ギャルの……」

「やめろ」僕はなぜか自分の目を両手でふさぐ。「ギャルの、から始まる詩なんて存在しない」

「教養のなさが露呈したな」ルララ子は鼻で笑った。「詩に使用される言葉に制限などない。教科書で学んだものを詩だと思っていないか? ほとんどの詩は教科書に載らない。というより教科書に載らない言葉だけが詩だ。ほんの2秒、目や耳に触れるだけで心を深く傷つける、人斬りみたいな野良の言葉。それこそが詩。ハプニングバー。美脚。試着室。モデル風」

「音読するな。僕の検索履歴を」

「モデル風ってなんだ? 風って付ける必要あるのか?」

「あるよ。風、と付けることによって、現実と虚構の狭間にきれいな花が咲く」

「根も葉もない花だな」ルララ子の目が死ぬ。「おまえはただの現実だ」


 ただの現実。

 僕は現実の世界を生きている。非現実的な女の告げるとおりに。

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