第12話 最初の出会い

「おばあ様はなんで、こいつ創ったのかな?」


 アテアラの家に世話になって、二週間が過ぎた頃。

 食卓の上には、根菜のスープと野草の炒め物、それに少量の鶏肉と堅いパンが並んでいた。二週間ですでにお馴染みとなった面子の中に、初めて葡萄酒が出されたその日、彼女はぽつりと呟いた。


「どうした? 急に?」

「別に急じゃないよ。ずっと思ってたことだもん」


 アテアラの視線の先には、空席の椅子に、立てかけられた魔導書フィンカウス。 祖母の忘れ形見ということもあって、気に食わない気持ちはあれど、アテアラは常にそれを持って生活していた。


「意思疎通が出来る、それは凄いことだと思うのよ。でもおばあ様が何を目的にコレを創ったかで、意味合いは変わるでしょ? 意志を持って喋れる機能を作り出すために創ったのか、あるいは別の目的のため、そういう機能が必要だったのか」

「まぁ想像ならいくらでも出来るけど。でも、俺はそもそも魔女っていう存在がよくわからないからなぁ」


 魔法世界における魔女。それ自体は非常にポピュラーなものだが、この世界の魔女が一体どんな立場、どんな扱いを受けているのか、それが重要だ。

 統計的にいえば、魔女という言葉が指し示す存在の多くは、民の中から発生する知恵と知識の伝承者である。おばあちゃんの知恵袋の強化版と言ってしまってもいいかもしれない。

 

 魔法世界では科学世界の魔女よりも、迫害されるケースは多くない。


「込み入った話聞いてもいいか?」

「……まぁ、いいけど? 嫌なら答えないし」

「おばあさんが、亡くなったのはいつ?」

「最近だよ。本当、最近。丁度一か月くらい前」


 彼女の祖母の、その生活の痕跡は今も家の端々に残っていた。それは例えば食器だったり、大量の魔法関連のアイテムだったり。

 しかし一月前ということは、シロがアテアラと出会う二週間前の話だ。過去と呼ぶには、あまりに近い。


「私は魔法の才能はそれほどだったけど、おばあ様は凄かったんだよ」

 

 祖母の事を話すアテアラは、今もとても幸せそうで、誇らしげで。

 二人で暮らした生活は決して悪いものではなかったのだろうと感じられた。


「おばあ様なら、シロの事もなんとか出来たかもね」


 アテアラは自虐するように言った。酔いが回って、少し呂律が怪しくなってきている。


「それはどうだろうね?」


 アテアラの祖母が素晴らしい魔女であったことはおそらく間違いない。だがシロが魔法を使えない理由は教え方一つでどうにかなるものでもない。仮に健在だったとしても、結果は変わらなかっただろう。


「でも会いたかったな」

「もうちょっと早く来れば良かったのにね」


 たいして飲んだようには見えないが、アテアラはすでに酔いが回っているように見えた。目尻がとろんと落ちて、今にも寝てしまいそうに見える。


「フィンカウスの件だけど」

「うん?」


 返事をするアテアラの目は少しとろんとしていた。


「多分、残すためじゃないかな?」

「何を?」

「知識を。本からだけでは読み取れない、細部までを残すために、意思疎通の機能を作り出したんじゃないかな?」


 おそらく、アテアラのために、この本は生み出されたのではないか。シロにはそう思えてならなかった。


 本とは、残すためのものだ。記録。手順。集積。多くの情報を、次代へとつなぐもの。たった一人の家族のために残されたものだというのなら、それは間違いなくアテアラのために残されたのだろう。 


「そうかなぁ? ただの口の悪い本じゃん」 


 アテアラは口を尖らせ、言った。しかし、その表情は穏やかで、口調程に不満そうには見えなかった。


「なんかすごい魔法出せるとか、そういうのだったら良かったのになぁ。竜みたいな大きな魔獣を一撃で粉砕、とかさ」

「物騒。あと魔力の消費ヤバそう」


 祖母が亡くなり、シロが起動するまで最低でも二週間。その間に機能が停止する程度には、フィンカウスは燃費が悪い。現在も、朝晩、相応の魔力をアテアラが食わせており、その燃費の悪さは身に染みてわかっているだろう。


 ウルスはそのあたり、魔法と科学のいいとこどりで補っているため、シロが生き続ける限り――あるいは死んでからもしばらくは――機能を停止することはない。


「……そういや例の魔獣はどうなったんだろうな」


 アテアラの言葉に、シロは、ふと、この山に来る前のことを思い出した。国や街があれほど荒れていなければ、彼がこの山を訪れることはなかっただろう。


「? あぁ、そういえばシロって、その騒動から逃れるついでに来たんだっけ?」

「そうそう。とんでもない魔獣が出て、王都で戦ってるんだと」

「ふーん。なんか信じられない話だけど、とにかく、しばらく山は下りない方が良さそうな事だけはわかったわ」


 実際の被害がどれほど出ているかわからないが、しばらく尾を引くことは間違いなさそうだ。国力の低下によって、隣国から侵略される危険性等も考えられる。もう少し時期をみて、情報収集に動いた方が賢明だろう。


「でも、街を滅ぼすほどの魔獣かぁー。想像つかないな。どんなやつなんだろう。おとぎ話の世界の怪物よね」

「あー、ありそう。国を亡ぼす竜とか」

「そうそう。そういうおとぎ話の悪役みたいなの」

「それなら最後は勇者や戦士が倒してめでたしなんだけどな」


 現実はその後も続いていく。めでたしめでたしなんて言っている暇もなく。


「現実はそんなに甘くないかぁー、せつない!」


 ぐいっとコップの中の酒をあおった後、アテアラはそのまま酔いが回ったのか、テーブルに突っ伏して言った。


「大丈夫か?」

「大丈夫」


 そう答えるものの、顔は上がらない。枕変わりの自分の腕の上で、頭が左右に小さく揺れた。


「せつなーい、なぁ……」


 アテアラの声は徐々に萎んでいき、変わりに小さな寝息を立て始めた。


「あらら、寝ちゃったな」


 シロが小さな魔女の身体を軽くゆすってみるも、帰ってくる反応は乏しかった。

 

『大人みたいに振舞っていても、まだまだ子供だからなぁ』

『葡萄酒一杯で酔いが回っているのですから、年齢を加味しても、体質的に強くないのでしょう』


 脳内でウルスと会話しながら、シロは手早く食卓の上の食器の位置をずらした。アテアラが誤って触れて落としたりしないようにするためだ。


『さて、運ぶか』


 簡単に食卓の上をかたずけた後、シロはゆっくりとアテアラに近づいた。骨折した太ももの下に敷かれたシロお手製のクッション――動物の皮ともう着なくなった衣類のなれの果て――を一緒にその小さな体を持ち上げる。

 アテアラの怪我の経過は良好で痛みはほぼないらしく、固定された状態では痛みもないらしい。彼女は治療の魔法も使えるらしく、常人よりも随分治りが早い。


「んむぅ……」


 シロにお姫様だっこされて、呻くような声を漏らすアテアラ。そのまま目を覚ますかと思ったが、それきり静かに眠ったままだった。


『ついでだから、お前も持っていってやろう』

『偉そうに。俺は頼んでねぇよ』

 

 触れているとうるさいので、魔導書フィンカウスはアテアラの手に持たせる。すると、彼女はそれがまるで大事な物だと言わんばかりに、ぎゅっと強くその魔導書を抱きしめた。

 

 シロは、そんなアテアラを起こさぬようにゆっくりと彼女の部屋へと向かった。


『なーんか、なぁ?』


 随分と不釣り合いな、あるいは平凡な日々を過ごしている。

 何の使命もなく、何の因縁もなく。

 宿敵もおらず、助けを必要とする味方もいない。

 英雄ではない、ただのどこにでもいる人として過ごす日々。

 安寧と安泰の日常。


『それも悪くないけどな』

『そうですね』


 ――些細な。


 それは、ほんの些細な揺れだった。

 小さな、普通の人なら気付かないような揺れ。地震で言うなら、震度一にも満たない、本当に僅かな揺れだった。

  

 それが二度続いた。


 それから木枠の窓から漏れていた月明り。その光が、一瞬消えた。

 次の瞬間だった。


「――っ!?」


 ――空間が縦に揺れた。

 がたがたと家全体が大きく揺れ、遠くで食器が落下し砕けた音が聞こえた。


『震源は、地面の下ではありません』


 冷静な声で、ウルスが現状を伝える。


『……おいおい』

 

 ――それは波だった。

 水面にゆっくりと波が広がっていくように。

 膨大な魔力が、一極へと集中することでそれは起きる。


『動いています』


 シロは窓枠を押し上げて、外を見た。冷たい空気の中に、魔素が混じっていた。僅かな深い緑色の燐光が見える。


 ――再び、月明りが、消えた。


『これはなんだ?』

 

 気が付けば、目の前に影があった。目の前を、横切っていく大きな影。

 それはこの山より大きく、暗く、なにより歪だった。


 白い仮面が見えた。それは動物の骸骨のように見えた。突き出した二本の角が、先端で三つに分かれている。骸骨の中には、緑色の光点が三つ鈍く光っている。膨大な魔力の燐光纏うその巨躯は、複数の筋で編まれたようだった。

 

 木々の間から魔獣の太い腕が見えた。どうやら複数の腕が胴体から生えているようだった。それぞれの腕についている手の指の数は全て一致していない。今も数が変化しているようだ。


『これが例の、魔獣?』

『確証はありませんが、間違いはないかと』 

 

 それの正体をシロは知らない。

 彼とウルスの膨大な知識の中にも答えはない。


 だが理解したことがある。


 この国は遠からず、あるいは既に滅びているのだと。


 これこそが件の、国崩しの魔獣なのだろう。だがこれは一介の魔獣などではない。

 災厄だ。

 そういう形をした、禍といっていい。

 同じ生き物として考えることがまず間違っている。


「おい、まずいぞ」


 白い仮面の向こうで輝く静かな緑光。それが僅かに動いた。眼球だ。それがじろりと、シロを一瞥する。草木に隠れる虫でも見つけたかのような、そんな僅かな視線の交差だった。


 ――音だった。


 風の音だ。撹拌される空気、吹き抜ける突風。

 それは、後からやってきた。


「っ!?」


 シロは魔力を全身へと巡らせ、窓枠から身を乗り出し、跳躍。腕に抱いた少女の身体を、気に掛ける余裕さえもなく。踏み砕いた衝撃で家の窓が半壊。もっともそれは大した損害じゃなかった。


 彼の、その足元を。


 魔獣の巨大な腕が凪いだ。砂のように薙ぎ払われる森の木々。粉砕された木々はまるで大波のように、渦を巻いてシロが今の今まで住んでいた家を飲み込む。遅れた轟音。複数の音が、風に混ざって吹き荒れた。


 たった一撃で、目の前で森が消えた。無差別で、単純な暴力の波。それが今形となって、眼下にまき散らされていた。

 

『主。来ます』


 目の前で、膨大な魔力が、圧縮されていた。

 眼前の魔獣の口腔に集約される、異常な量の魔力の光。無理やり押しとどめられた深緑の魔力が、跳躍していたシロ目掛けて放たれる。


 光の奔流迫る。

 刹那。 

 死を覚悟する暇もなく、思考すら挟む余地すらなく。凝縮された時間の中で、シロの肉体はしかし無意識に動いた。


 薙ぎ払われた深い森の木々。空中に散乱したその破片を蹴り抜き、急速転進。後方へと弾むように肉体が跳んだ。


 シロの肉体は、皮膚が僅かに焦げるほどの僅差で、光と交差するように上空へと抜け出す。


 轟とうねる熱風。 

 

 光の奔流は、一歩前までシロがいた空間を飲み込み、後方の山肌を舐めた。その一撃に木々は溶け、山肌は焼かれ、地面は砕け、山は抉れた。

 

 シロは山頂付近の折れ重なった倒木の上を滑るように、着地。その間も視線は外せない。追撃に備え、すぐに腰を沈めた。

 

「――?」


 シロと国崩し。視線の交差は一瞬だった。次の瞬間、国崩しは吠えた。狼のように夜空へ向けた、大きな咆哮。重低音と、人の聴力が捉えられる限界のような甲高い音が複雑に重なった声だった。


『感情パターンを検知』


 空気をビリビリと振動させるその咆哮に、ウルスが反応した。

 

 人であるかないかに関わらず、生命の発する音には膨大な情報が込められている。とりわけ声、声帯から発せられるものにはそのものの心情が色濃く反映される。


『苦しみ、痛み、困惑、嘆き』


 破壊を振りまく魔獣の感情はとても複雑で、酷く救いがなかった。


 月に吠える国崩しと、それを見上げる元英雄とその相棒の人工知能。腕の中には眠る魔女と意志を持つ魔導書。



 これが彼らの最初の出会いとなった。




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