第8話 共生


「えっと、あ、ありがとう……」


 ――これ、ヤバくない?

 お礼の言葉を口にしながら、アテアラは内心でこう思っていた。


「怪我は大丈夫?」


 シロと名乗ったその男に敵意は感じられない。仮にも命を救ってくれた相手だ。話している限りで悪い人物ではないように思える。

 いや、違う。油断は禁物だ。相手は男で、自分は怪我人。その上ここは人の来ない山奥だ。気を許すべき相手ではない。だが、問題がある。ヤバい問題だ。何がヤバいって現状解決方法がまったく思いついていないのだ。


「……左のふとももか?」


 心を見透かされたように感じて、アテアラは顔を強張らせた。

 シロの言葉は明確に今の彼女の問題を言い当てていた。

 

「多分、折れてる」


 鋭い痛みが走るふとももに手を当てる。最低でもヒビ、概ね折れているとアテアラは考えていた。

 骨折をした経験はないが、骨折をした人の介抱をした経験はある。おそらく間違いはない。


 これはヤバイ。大問題だ。こんな山の中で足を折ってどうしろというのだろうか。いや、わかっている。選択肢などない。この状況で頼れる相手など一人しかいない。

 だが、それはあまりに覚悟のいる選択だった。


「……あの」

「なに?」

「………………あ、あの、さ。すごく言いづらいんだけど」


 それでも、覚悟を決めてアテアラは口を開いた。


「た、助けてほしいかなぁ~、なんて、思ったり」


 アテアラは相手の反応が怖くて、顔を伏せた。


 どういう反応が返ってくるだろうか。今、相手は何を考えているのだろうか。

 どう頑張っても、自分は金持ちには見えない。

 助けたところで、対価など期待はできないだろう。見た目の値踏みでもされているのだろうか。

 悪くはないと、自分で思っていた。いや、この場合それはそれで問題なのかもしれない。しかし動機はなんであれ助けがないとまずい。そういう意味では見た目が気に入られるのも大事かもしれない。あぁ、でも、迫られたらどうしよう。家に帰ればまだ対抗する手段も、い、いや、相手も只者ではないし、そもそも助けてもらわないと話は――。


「って、ちょっと!?」

「治療するから足上げてくれ」

  

 突然自分の太ももへと伸びる手に驚くアテアラ。

 よくよく見れば、彼の手にはいつの間にか拾ってきていた細い木の棒がある。


「簡単に固定するから」

「わ、わかった」


 どうやら助けてくれるらしいことにひとまず安堵する。


「……う」


 シロの手が、アテアラの体に触れる。

 正直に言って、アテアラは異性との交流経験などほとんどない。というよりも、異性だけでなく人全般と普段触れ合うこと自体が稀だった。であるからして、同世代の異性に体を触れさせることなど初めての体験だった。


 治療のためとはいえ、スカートがめくられ、太ももに男性の指先が触れる。とても冷たい手だった。


 その冷たさと反比例するように、顔が自然と熱くなった。恥ずかしさで、アテアラは顔を手で覆った。


 ゴキッと、骨が鳴った。鳴った場所は、折れたふとももである。


「いっっっ!」

 

 激痛が体を走る。声にもならない声が、口から零れる。涙が溢れ、滲んだ視界でシロを見る。


「うわ、痛そう」


 ひどく冷静な声で、そんなことを言っていた。

 他人事だと思って、いや、他人事だけども。

 何か文句を付けたかったが、痛みで言葉が出ない。


「折れた骨がズレてたから、元の位置に戻しただけだぞ。これから固定する」


 言いながらも、シロの手は止まらず動いていた。布と木の枝を使って骨折箇所を固定していく。

 ビリビリと頭を焼くような痛みに、アテアラはひたすら耐えていた。先ほどまであった気恥ずかしさなんてどっかに消え失せて、痛みが治まる頃には治療は終わっていた。


「それで、お家はどこだいお嬢さん」


 悪い奴ではないんだろう。助けてもらえて感謝もしていた。

 でも、その時はとにかく一発ぶん殴りたい気持ちで一杯だった。



※※※



「はえー、すごいな」


 アテアラを背負ったシロが、思わず感嘆の声を漏らした。

 それは大木とそれに溶け込むように造られた大きな家だった。大木の中を削り出したわけじゃない、木の根の中に絡みつくように家がある。両社はお互いの領域を阻害することなく共生していた。 


 圧巻の一言だった。この家を造った人間は只者じゃない。


 森の中にあるという少女の住まいを、ログハウス程度の規模だと想像していたシロだったが、あまりに異様な、あるいは芸術的なその家の姿に圧倒された。


「まぁね。すごいでしょ!」


 背負った少女が誇らしげに笑う。

 シロは素直にそれに首肯し、「あぁ、すごいな」と繰り返した。


「それで、どこで下ろせばいい? お嬢様」

「あの、正面玄関前でお願いします。……あとその呼び方やめて」

「……」

「無視しないでもらえます?」


 結局その言葉も無視して、シロは指定された玄関前で彼女を背から下ろした。

 玄関前の手すりに捕まり、折れた片足を庇いながらゆっくりと地面に足を付ける。シロの手から離れ、体重が僅かに折れた太ももへと掛かり、彼女は痛みに顔を顰めた。


「大丈夫か?」

「……だ、大丈夫。だから、ちょっと待って」


 アテアラは目尻に涙を浮かべながらも、手を貸そうとするシロを手で制した。しっかりと手に力を込めて、一人でちゃんと立って見せた。

「……」

「……っ」

「…………そこから動けそう?」

「……む、無理ぃ」


 ぷるぷると腕を振るわせて、アテアラは今にも崩れ落ちそうだった。足の骨が折れていて、杖もなく、彼女がここから一人で家の中に入るには這って行くくらいしか方法はなさそうである。


「肩貸そうか?」

「お、おねがい、します」


 そうして結局、シロはアテアラに肩を貸して、家の中まで彼女の移動を手伝うことになった。

 目の前の玄関を開けて、彼女とともにゆっくりと室内へと入っていった。

 

 扉を押し開けると、すぐに円形の広間が出迎えた。奥には上下に伸びた木の階段、対面の壁には大きな鍋と窯が鎮座している。室内は何かの甘い香草の匂いで満たされていた。


「……うぅ」

 

 不本意そうに横でうめく少女。

 骨折というやつは、実際に体験しないとその不自由さがわからないものだ。今まで出来たことが出来なくなるというのは、思っている以上に辛いことなのである。


「とりあえず椅子座ってな」

 

 シロの言葉にコクリと頷き、入室してすぐに見えた木製の堅い椅子へと向かい、アテアラは腰を下ろした。骨の折れた位置によっては、座ることさえ辛いかもしれないと思ったが、どうやら座っても痛みはそれほどでもないらしい。


「初対面であまり踏み込みすぎるべきじゃないとは思っているんだけどさ。他に家族か、同居人は?」

「…………今はいない。私の一人暮らし」

「なるほど」


 今は、という言葉、それに室内の様子からもいくらか察することが出来る。

 それは家具や食器の枚数だったり、木材についた傷であったり、あるいは物の配置から等も読み取ることが出来る。少なくとも彼女の他に一人住んでいた形跡が見てとれた。

 

『一人で暮らすようになったのは、ごく最近の事だと思われます』


 同じように推察したウルスがそう補足する。


「さて、じゃあちょっと現実的なお話をしようか」 


 中腰になり目と目の高さを合わせて、ゆっくりと務めて優しくシロは言った。


「これから骨が治るまで一人で暮らせる?」

「…………それは」


 シロの言葉に、アテアラは静かに目を閉じた。これからの生活について真剣に検討しているようだった。


 しばらくしてアテアラは閉じていた瞼を上げて、それから首をゆっくりと横に振った。


「……無理」


 そうだろうな、とシロも思う。

 素晴らしい家ではあるが、ここは足を骨折した少女が一人で暮らしていける環境だとは思えない。


「じゃあ親族や頼ることが出来る親しい知り合いのあてはあるかい?」

「ううん。いない」


 今度は即答だった。それは彼女にとって考えることでもなかったのだろう。


「さて……それじゃあこれから君はどうする?」


 アテアラに問いかけながら、シロは自分にも問いかけていた。

 端的に言って、シロにこれ以上彼女を助ける義理はない。むしろ十分以上に手を貸したと言っていいだろう。


『どうなさいますか?』

『……どう、しようかねぇ』


 義理はない、だが助けない理由もまた、ない。ずっと感じていたことだが、今のシロには確固たる目的意識や、行動指針と呼べるものが何もない。


『ほーんと、どうしよう』

 

 これは現在の事だけを指した言葉ではなかった。これからどうするべきか、どうやってこの世界で生きていくのか、決めなければならないように感じていた。

 

 それは例えば、どうしてこの世界にやってきたのか探求するとか、降ってわいた余生をありがたく堪能するために世界を旅するだとか。


 なんでもいいはずなのだ。

 心の赴くままに生きればいいのに、心が向かう先がない。


『別によろしいのでは?』


 シロを誰よりも知る、シロの半身からの言葉。


『……よくはないだろ』

『そんなことありません。別に誰も彼もが何かに駆られて生きてはいないはずです。動けないのなら、流されてみるのも悪くないのではないでしょうか』

『……それでお前はいいのか?』

『貴方と共に生きて死ねるならば、私にとってそれ以上はないのです』


 魂魄融合型人工知能。シロの世界で生まれたその技術は、科学と魔法の技術によって生み出された人類史上最大の発明と言われた。


 それが人類に齎したものは、もっとも偉大なものは、孤独からの開放である。


 自らを理解し、誰よりも傍にいて、そして共に死ぬ。

 そんな相手がいてくれる以上の幸福などないのだと、シロはそう思わずにはいられなかった。


「――もしよかったら、しばらく君の生活をサポートしようと思うんだけど、どうだろうか?」


 気が付くと、シロはそう言葉を口にしていた。

 言われるまま流されてみるのも悪くはないのかもしれない。


 その揺蕩いを、今は楽しんでみようと素直にそう思えた。


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