第9話

「え~只今より堕天教団の秘密工房突入作戦の概要を説明いたします」



 まだ日が昇ってすらいない早朝、朝早い事もあって人気の無い町の中でもさらに人の気配のしない町の端に存在する廃教会前で、チユキは本作戦の指揮を執るという本部から派遣されてきたギルドの高官の話を黙って聞いていた。



 チユキの装いは普段のギルドの制服と異なり、革製の鎧を身に着けており、腕と足には鋼鉄製の手甲と足甲が嵌めてあった。だが彼は肝心の武器を持っていなかった。



 これは彼が武器生成の魔法が使えるため、わざわざ持っておく必要が無いためだ。しかし他人からすればそんなことは知りようも無いので、しばしば好奇の視線をチユキは感じていた。



 彼の周りには本作戦のためにかき集められた「選りすぐり」のハンターたちが、近くの者らとひそひそ話をしながら話に耳を傾けていた。



 集められたハンターたちは傷だらけの者、独り言を呟き続ける者、フードを目深にかぶった集団と見るからに堅気ではなさそうな者たちばかりだった。



 日陰者の屑共を冷めた目で一瞥しながらチユキは思った。



 ふん、大方いつでも切り捨てられるような奴らでも集めたんだろうな。こんな話に乗っかるような連中がまともな訳が無いからな。



 チユキは鼻を鳴らして嘲った。



 であるならばそんな切り捨てられるような寄せ集め部隊に自分の様な「まともな」者が入れられる理由が見当たらないと思ったが、どうやら少しでも本部との繋がりを欲した支部長が、その切っ掛けとして無理やり組み込んだとのことだ。



 話を始める前に本部職員がそう話してくれた。



 クズが。何が上が決めた事だ。ここから戻ってきたらあの支部長腐れカス



 チユキはタバコを取り出し、マッチで火をつけながら舌打ちした。



 自宅に大砲ぶち込んでやる。



 本作戦は国が直々にギルドに与えた指令であるらしく、その作戦の指揮官として任命された本部職員は、与えられた権限に酔いしれるように得意満面の顔だった。



 ただ国がわざわざ与えた指令といっても、作戦の概要は大雑把なもので、実際の所ただの丸投げの様なものだった。



 チユキは顰め面をしながら、どうすればあの糞むかつく顔を消し去れるだろうかと本部職員の話を話半分に聞きながらぼんやりと考えた。



 現在チユキの所属するバリテン王国は隣国のニールヘイム帝国と戦時下にある。



 尤も戦時下と言っても本格的な戦争をしている訳でも無く、度々小競り合いを繰り返している程度で、王都暮らしならともかくチユキのような末端の人間からすればぴんと来ない話であった。



 精々が同僚たちの雑談で上がる程度だった。



 しかしながらどれだけ規模が小さかろうが戦時下は戦時下なので、下手に軍隊を派遣して帝国を刺激したくは無かった。それがきっかけで本格的な戦争になってしまえば良くない結果になると国は考えた。



 そんな時に、ある町に堕天教団の秘密工房があると匿名でタレコミがあった。



 堕天教団は大陸中の国で人を攫っては人体実験を繰り返す危険な宗教団体だった。その目的は彼らいわく「来るべき最終戦争のための戦力調達」とのことらしい。



 そんな訳の分からないホラ話を信じる奴がいるわけないだろ、とユキは鼻で嗤っていたが、どうも本部職員の話では団員になろうとする者は年々増えているらしい。



 チユキはその話を聞いた時には思わず唾を吐き捨てた。



 くだらないゴシップに踊らされる馬鹿!話の真偽すら見極められないのか。



 ともかくそれらの理由を含めての丸投げだった。



「以上で概要の説明は以上です、無いか質問は?」



 本部職員はハンターたちを見渡すが、誰も何も言わなかったのですぐに次の話へと進んでいった。



 誰も意見が無いのは当然だろう。長々と説明したが、要は突っ込んで皆殺し、もしくは目につく物は全て壊せという事だ。



 作戦もへったくれも無い。



 しょせん寄せ集め部隊。上の連中からすれば教団に多少なりとも打撃を与えられれば何人死のうとも知ったこっちゃ無いという訳だ。



 この俺も含めてな。くそ、政治屋共が舐めやがって。



 チユキは心の中で吐き捨てた。ついでに煙草も投げ捨て、靴で踏みつぶして火を消した。



 こんなところで死んでたまるか。例え誰かを見殺しにしてでも生き残ってやる。



 チユキは決意を新たに拳を握りしめた。丁度そのころ、いよいよ部隊は突入に入ろうとしていた。



「ではまずは廃教会に全員で突入し秘密工房の入り口を探し出します。そして入り口を見つけたら私の1班、チユキさんの2班に分かれて破壊活動を開始します。話は以上です。教会内へ入っていきますので私について来てください」



 本部職員の後に続きチユキたちは廃教会内へと入っていった。



 廃教会の中は廃の名を冠するに相応しくボロボロで、天井には蜘蛛の巣が巣くっており、積み重なった埃の厚さから、ここが使われなくなった期間の長さを無言のうちに物語っていた。



 さっそく入り口を見つけるためにハンターたちはあちこちをひっくり返して探し回ったが、なかなか入り口は見つからなかった。



 チユキも一緒になって探したものの、やはり同様に見つけることはできなかった。



 ようやく状況が動き出したのは中へ入ってから10分近く経ってからだった。



 チユキが偶々講壇に寄りかかった所、講壇がずれ、地下への階段が現れた。その拍子に彼はずっこけたが、入り口を発見したことに比べればそんなことは些細な事だった。



「おお入り口を見つけましたかチユキさん!これはお手柄ですよ!」

「…そうすか」



 顔を輝かせて興奮する本部職員の言動に対し、チユキは何処までも冷めていた。



 入り口が見つかるや本部職員はすぐさまハンターたちに収集をかけて集めると、意気揚々と地下へと踏み込んだ。



 しかしチユキは警戒を怠ることなく全員が前に進むのを待ち、何か起こったら即座に離脱できるように最後尾に着いた。



 階段は明かりが無く真っ暗で、その上長く、まるで地獄の底にでも向かっているようにチユキには思えた。……これから先で起こる事を考えれば、その考えもあながち間違ってはいなかった。



 階段を降りるとやや広い場所に出た。地下は階段と違い光源があり、薄暗いながらも視界が確保できていた。



 本部職員はそこでいったん止まり最終確認を取り、予定通り班を2班に分けた。



「分かれましたね、準備は済みましたか?……よろしい、チユキさんそちらはどうです?」

「こちらも問題なし、いつでも行けます」



 チユキの返答に本部職員は満足げに頷くと、ついに作戦の開始を告げた。



「それでは作戦開始、散開!」



 チユキは10名のハンターを引き連れ、一抹の不安を胸に抱えつつ、何が待ち受けているのかすら分からない恐怖の迷宮ラビリンスの中へと進んでいった。




 *




「あ~何でこんなとこ、来なきゃいけねぇんだよ」

「しょうがねぇだろ仕事なんだから」

「あぁ、しかしえらく景気よく前金くれたもんだよな」

「それだけこの作戦に力入れてるってことだろ」

「しっかし堕天教団って実在したんだなぁ~。ジャンキーのホラ話かと思ってたぜ」



 薄暗い通路をチユキはハンターたちを引き連れて前進していた。



 作戦開始から一時間ほどが経過していたが、全くと言っていいほど事態に進展が無かった。



 チユキとしては開始数分で戦闘になると考えていたのだが、現実では敵とは一向に対面せず、ただ部屋を見つけてはその中に武器を放り込んで爆発させて制圧するという事を繰り返していた。



 そのおかげでハンターたちはすっかりだらけ切っていた。チユキはそんなハンターたちに釘を刺した。



「お喋りをするのは結構ですがここは敵地です。あまり油断することが無いように気を付けてください」

「へいへい」



 しかしチユキの忠告もハンターたちはあまり真剣に受け取っておらず、適当な返事を返すばかりで、全く態度を改めはしなかった。



 この蛆虫共が!こいつらは仕事すら真面目に出来ないのか?命が惜しくないのか?



 ハンターたちの態度に危うく爆発しそうになったチユキだが、言った所で彼らが素直に言う事を聞くとは思えなかった。



 チユキは諦めたようにため息を吐くと再び前を向き、黙々と前進していった。



 だが進めど進めど全く誰とも出会わない事に、さすがのチユキもおかしいと思い始めた。



 おかしい。あまりにも何も無さすぎる。



 チユキは立ち止った。付いて来ていたハンターたちは急に立ち止ったチユキを訝しく思いながらも立ち止まった。しかしチユキは背後のハンターなどそっちのけで黙考を続けた。



 そもそも人の気配が無い。歩いてみた感じこの施設は結構広い。それなのに誰もいないっていうのはおかしいだろ。



 こっちの計画を知って早々に引き払った?なら何で明かりが灯ってる?ぶっ壊した部屋を見るに道具類は置いたままだ。調度品はともかく作業の道具とか置いていくか?



 考えが纏まっていくにつれチユキの顔はみるみる青ざめていく。



 もしこの作戦自体が仕組まれたもので、俺たちをおびき寄せるための罠だとしたら?この作戦が調ものなのだとしたら?



 その考えに行き着いた瞬間、チユキは脱兎のごとく駈け出した。



 ハンターたちは急に駆け出したチユキに理解が追いつかず、ただ彼が走り去るのを漠然と目で追った。



 だがチユキの判断は少々遅かったようだ。



 チユキは脇目も振らずに出口へ向けて走ったが、突如彼の真横の壁が回転し、そこから飛び出してきた何者かにタックルされ、チユキは押し倒された。



「ぐわっ!?」



 襲撃者はそのまま彼に馬乗りになり両手で首を絞めてきた。チユキは状況が全く理解できないまま我武者羅に藻掻き、無意識に片手に短刀を作り出し、馬乗りになっている襲撃者の脇腹に突き刺した。



「ぎゃあ!」



 チユキはそのまま短刀を爆発させて襲撃者を真っ二つに殺害すると、駆け寄って来たハンターの手を借りて立ち上がった。



「かはっ……くそ!」



 チユキは喉を抑えながら毒づいた。



 道理で作戦が雑だと思ったよ。この分じゃ国にタレコミをしたのも教団の奴だろうな。くそ、国が高々邪教一つに踊らされてんじゃねぇよ!



「お、おい職員さんよ、一体どうなってやがる?」

「俺たちは泳がされてたんだよこの間抜け!これだけ長い間探し回っても何も出てこないんだから少しは疑い位沸くだろ!」

「「な!?」」



 チユキの言葉に絶句するハンターたちに彼の苛立ちはさらに増した。



 何という察しの悪さだ!こいつらが日陰者である理由が分かったぜ。こんなのが社会で生きていけるはずがない!



 チユキは心の中で断言すると大声で怒鳴りつけ、撤退を促した。



「ぼーっと突っ立ってるんじゃねぇこのトンマ共!撤退だ!俺が先頭を行くから、とっとと付いてこい!」

「え?1班はどうするんだよ」

「自分の命すら危ういのに連中のケツの穴の心配なんかしてられるか!それにそんな暇も無い!状況判断しろ!今俺らがすべきことは生きてここから脱出することだ!何か質問は?あ?」



 眉間に血管を浮かばせて怒鳴るチユキの剣幕に、反論を言う愚か者は誰一人いなかった。全員が彼の怒りに震えあがり、ただ黙して頷くのみだ。



 チユキは舌打ちすると、ハンターたちを従え出口に向かって全力疾走で走り出した。



 しかしそう簡単に脱出は出来そうになかった。



 彼らの前方に何人もの教団員が立ちはだかったのだ。教団員は黒いフード付きのローブを身に纏っており、フードで顔を隠したそのいで立ちは典型的な邪教徒といった感じだ。



「うわ、いっぱい出てきたぞ!」

「退路を阻む奴だけ殺せ!全員を相手にするな!時間の無駄だ!」



 驚いて足を止めそうになるハンターたちにチユキは一喝した。チユキの怒声でハンターたちはようやく事態を飲み込めたらしい。彼らは腹を括り、武器を構えて邪教徒たちを迎え撃った。



 さすがにこんな作戦に参加するだけあって、ハンターたちは一人を除き人殺しに躊躇する者はいなかった。



 彼らの奮闘で徐々に包囲網に穴が開いて行く。しかし倒したそばから邪教徒は後から後から湧いてくる。



 さっきまでは全く人の気配を感じなかったのに、今ではどこからでも気配が感じられた。いったいどこに隠れていたんだろうか?



 しかしそんな疑問も、圧倒的な物量の敵に押し流されていった。



 チユキは大鎌を振り上げて突っ込んでくる邪教徒にボウガンで弾幕を張り、それでも抜けてくる者が出てきたら片手に持った長剣で首を刎ねた。



 チユキは一瞬だけ跳ね飛ばされた首の方へ視線を向けると、心底忌々しそうに吐き捨てた。



 畜生あの糞アマ!あいつの「訓練」のおかげで俺も殺人鬼の仲間入りだ!



 チユキの脳裏にはかつて「先生」に訓練と称されて盗賊団のアジトに連れていかれ、全員殺すまで帰ってくるなと言われた時の事を思い出していた。



 確かにその訓練のおかげで必要とあらば人を殺すことが出来るようになったが、から無縁でありたかったチユキからすれば全く迷惑でしかなかった。



 メラメラと燃える冷たい怒りに飲まれそうになったチユキだが喧騒の音で我に返り、過去の悪夢を頭からかき消して気持ちを切り替えた。



 状況判断!この乱戦を切り上げて逃げる時間を稼ぐ方法は!?



 チユキは大砲を作り出し、天井に向けながら叫んだ。



「天井を崩して道を塞ぐ、巻き込まれたくなけりゃさっさと行け!」

「「は、はい!!」」



 チユキは彼らの返答をほとんど聞いてなかった。ハンターたちが視界から消えるとチユキはすぐさま大砲を撃って天井を崩落させ、逃げ遅れた哀れな邪教徒数名を圧し潰して道を塞いだ。



 少なくともこれで数分は稼げるはずだ。



 チユキは瓦礫の山に背を向け、先を行ったハンター達に追いつくべく走りだした。



 しかしチユキが追いつくと、そこではハンターたちが邪教徒、だけでなく人間の子供位の大きさの黒犬に囲まれており、悪戦苦闘している光景が目に入った。



「ブラックドック!という事は敵に魔物使いまでいるのか!」

「ひぃいいいいいい助けてくれぇ!!」

「チッ!」



 そうこうしている内に一匹のブラックドックがハンターの魔法を潜り抜け、その内の一人を押し倒した。



 チユキは舌打ちするとボウガンでブラックドックを撃ち殺した。



「さっさと立て!追撃されるぞ!」

「す、済まねぇ…恩に着る!」

「礼は後だ、今は退路を開け!」

「ぎゃああああ!」

「グワーッ!?」

「糞が!」



 一人助けたと思ったら今度は二人が邪教徒の攻撃を受けて倒れ伏した。助けてやりたいところだが、こちらに向かってくる邪教徒を殺すのにそれどころでは無い。



 しかし、あのまま放置すれば彼らは死んでしまうだろう。



 という俺に向かってくる奴ら多くない!?なんでこっちに来るんだよ!向こう行け向こうに!



 チユキの嘆きも空しく、彼に向かってくる量は減るどころが徐々に増えてきていた。まるで初めから目的はそうであったように。



 チユキは何とか邪教徒を殺しながら倒れたハンターの元へ向かおうとするが、邪教徒はしつこく追いすがり、少しずつハンターたちから距離を離されていた。



 一人一人は雑魚だが物量が違いすぎる!このままじゃ削り切られて全滅だ!だがどうすればいい?ハンター共は邪教徒の一人と大して能力が変わらないからあんまり役に立たない。まともに戦えるのは俺だけだ!



 ……無理では?



 諦めかけたその時、チユキの脳裏にある考えが浮かび上がった。



 一体どんな理由か知らないが邪教徒たちは俺に強い関心があるわけだ。ならこのまま俺が引き付けて、倒れてるやつらを担がせて連中を逃がしてやれば良くね?



 しかしチユキは自らの考えを否定した。



 何を馬鹿な。あんな社会の屑共を逃がして何の意味がある?そんなことをするなら連中を囮にして俺が生き延びた方が何倍もいいではないか。



 跳びかかってくるブラックドックの脳天にハンマーを振り下ろして頭を叩き潰しながら、チユキは自らにそう言い聞かせる。



 少なくとも、俺は連中の何百倍も社会に貢献してる。俺の方が価値が上だ。それに俺には家族がいる。生き延びねばならない。逆にあいつらは?あんなカス共が死んだところで誰が気にする?



 そうだ、それの方が良いではないか。いったい俺は何を考えて……。



 もう少しで自らを納得させられるその時、突如チユキの脳裏に一人の少年の姿が浮かび上がった。小太りで、泣き虫で意気地なしで役立たずな一人の少年の姿が。



 チユキは目を見開いた。



 少年の幻影が邪教徒たちの群れの向こう側に見え、まるでこちらを糾弾するかのように睨みつけていた。



「……誰でもいい、その二人抱えてさっさと出口へ急げ!」



 チユキは遠くのハンターにも聞こえるように大声で怒鳴った。



「え?でも、そうしたらあんたが」

「聞こえなかったのか、さっさと行けと言ってるんだ!!」



 ハンターたちの周りにはもはや数えるほどしか敵はおらず、やろうと思えばすぐにでも離脱できそうだった。チユキの言葉に、しかし意外にもハンターたちは食い下がった。



「そうだぜ、俺には助けられた恩がある、見捨てられるか!」

「あんたは何のかんの言いながら俺らを助けてくれた!今度は俺らが」

「黙れ!社会のゴミ共が一丁前なこと抜かしてんじゃねぇ!さっさと行け!でないと俺がてめぇらをぶっ殺してやる!」



 チユキの鬼気迫る物言いに、ハンターたちは負傷しているハンターを抱え渋々といった具合で背を向けて走り出した。



 逃げるハンターたちを邪教徒は追わなかった。やはり目的は彼だけのようだ。



 じりじりと包囲網を狭める邪教徒に向けチユキは剣とボウガン、そして両肩に大砲を作り出して牽制した。



 牽制しながら、自分はいったい何をやっているのだろうか、とチユキは自問自答していた。



 何であんなことをした?なぜ奴らを逃がした?作戦が始める前に自分で言ったじゃん。誰かを見殺しにしてでも生き延びるって。じゃあなんだこの様は、この有様は!



 チユキはぎりっと歯軋りした。



 だからあいつは俺のせいじゃねぇって言ってんだろ!罪悪感?馬鹿か俺は!



 一触即発の空気が場に満ちる。唸る黒犬、数十もの悪意ある視線。薄暗い照明が照らす地下空間はさながら地獄の辺境か。



 あぁしかし。



 一匹のブラックドックが彼に跳びかかったのを機に、ついに均衡は破られた。



 どうせ奴らと一緒に逃げたとして、遅かれ早かれ追いつかれただろう。そう考えると……うん、悪くない選択をしたんじゃないか?



 チユキは剣の一閃でブラックドックを叩き割りながら、そう思った。ブラックドックに続き、邪教徒の群れが彼一人に雪崩れ込んできた。



 後悔だらけの糞みたいな人生で誰かを守って死ねるなら、それはきっと良い人生だったと言えるのではないか?



 チユキはそこで考えを打ち止め、咆哮を上げて真っ向から迎え撃った。



 剣で切り殺し、ボウガンで撃ち殺し、ハンマーで撲殺し、槍で貫き、大砲で木端微塵に撃ち砕いた。



 当然無傷ではいかない。その圧倒的な物量を前に徐々に傷は増えてゆき、時間が経つに連れて捌くスピードも落ち、息も上がってきた。



もはや数えるのも億劫になるほどの邪教徒を切り殺した時、ついにチユキは膝をついた。足元には受けた傷の多さを物語るかのように血溜まりが出来ていた。



 彼の近くには邪教徒やブラックドックの屍が山の様に積み重ねられており、流れ出た血と臓物の匂いで鼻が曲がりそうな悪臭が空間を満たす。



「がはっ……ごほっ……」



 チユキは朦朧とする意識を気力でつなぎ止め、ふらつく体に鞭打って無理やり体を立ち上がらせた。



 力尽きるその時まで戦う構えだった。もう武器も片手で持てない。それどころか作り出す事すらままならなかった。チユキはなけなしの魔力で長剣を作り出し、力なく構えた。



 そのときだった。急に邪教徒たちが立ち止り、まるで道を譲るかのように二つ割れたのは。



 その間を悠々と通り、こちらに向かってくる者があった。



「支部長……」

「おや、さすがに素材に選んだだけのことはある。まだ意識があるとは」



 支部長はチユキを見下ろしながら面白そうにほくそ笑んでいた。



「けっ、やっぱりあんたが黒幕だったか」

「おや気づいていたのかい?」

「あんたは自分が思ってるほど賢くないってことさ。バカ丸出し、死んだ方が良いよ」



 チユキは気後れしない様に鼻で嗤うと、それまでの余裕そうな態度が一変、支部長の顔は何処か人間離れした邪悪な表情へと変化した。いや、本性を現したという方が正しいか。



「のぼせ上がるなよ!こちらが下手に出てりゃいい気になりやがって!おい、!目にもの見せてやる!」



 支部長の命令に邪教徒は迅速に従い、しばらくするとがしゃがしゃと音を鳴らしながら、重装甲の鎧に身を固めたスキンヘッドの男を引き連れて戻ってきた。



 スキンヘッドの男からは全く生気を感じられず、まるで生きた人形のように思えてチユキはぞっとした。



 支部長はにやりとチユキに嗤いかけ、それからまったく唐突に姿を変え始めた。そして変身が終わると、そこには二足歩行の鋼鉄の狼が立っていた。



 チユキが絶句してかつて支部長だったものを見つめていると、さらに変化が起きた。



 鋼鉄の狼はみるみる縮んでゆき、オオカミの頭部を模したフルフェイスヘルムへと変化したのだ。



 それはまるで引き寄せられるかのように肉人形の頭へとかぶさり、ブルリと震えると支部長と同じ声で話し始めた。



「ふぅ~…これが「神器」としての私の姿、私は頭部鎧ヘルムの神機!我が名は「フェンリル」!その固有能力は!」



 フェンリルは大口を開け、チユキに向かって絶対零度の息を吐いた。



「ぐわわ!!?」



 たちまちチユキの体は凍り付き、全身が氷に覆われる頃にはチユキの意識も凍り付いていた。



 意識が完全に凍り付く直前にチユキが聞いたのは、狼とも人間とも似つかない様な醜悪な怪物の咆哮だった。






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