* * *        


「考えたら、婚約こんやく者の目の前で、ほかの女性からのさそいにのるわけにはいかないわよね」

 たしかに、リヒトを誘うには、婚約者であるレティーツィアがかたわらにいるのは都合が悪い。 朝も昼休みも放課後も――常にリヒトの傍らにいることが、前世の記憶が戻る前からの習慣だったし、ゲームでも、リヒトが自らすすんで一人になろうとしない限りはわりと一緒いっしょにいる印象だったのもあって、うっかりしていた。

 午前の授業しゅうりょうの鐘が鳴るなり、レティーツィアはばやく席を立ち、教室を出た。

 選ばれし方々は、昼休みには専用のサロンに集まるのが暗黙あんもくりょうかいとなっている。

 レティーツィアやレアのように、婚約者という公式の立場を有する――尊き方々と同じ純白の制服を着ることが許されたれいじょうも、当然のようにそれにならっていた。

 だが、決してそうしなければならないという話ではなかったはずだ。

(少し、すきを作ってみよう)

 リヒトの傍にいる時間を意図的に減らしてみよう。マリナが行動しやすくなるように。

(シナリオに近い展開があったかどうかは、ほかの生徒の噂話うわさばなしから判断できると思うし)

『推し』をでる時間が減るのは痛いが、ゲームシナリオが正常に機能することのほうが重要だ。そのうえで、悪役令嬢として破滅するのを回避しつつ、円満婚約解消。

(ちゃんとすべてクリアーできたら、そのあとで好きなだけ愛でられるもの。『推し』の幸せをながめて穏やかに過ごす老後を手に入れるためにも、今はまん!)

 これからも良質な『萌え』にあふれた人生を送るためならば、昼食を一人でとるぐらい、どうってことない。

(これで、少しは事態が動きますように……!)

 そう願いながら、レティーツィアはカフェテラスに足をれた。

 瞬間、室内が大きくざわめく。

「レティーツィアさまよ……」

「レティーツィアさまが、なぜこちらに?」

「ランチはサロンでがるはずなのに……」

 びっくりまなこの生徒たちを、レティーツィアもまた目を丸くして、ぐるりと見回した。

(あ、あれ? 貴族専用のカフェテラスって、ここじゃなかったっけ?)

 中には、ジャケットを着ている生徒ばかりだ。

 学園内には、生徒たちに身分にしばられることなく交流を深めてもらうために、身分関係なく利用できる場所がたくさん作られているが、同時に、あえて利用者の身分を限定した場所も、しっかりと用意されている。それは差別のためではなく、礼節やしきたり、ぎょう作法などから解放され、気を抜いてくつろげる空間も必要との配慮はいりょからだ。

 その場所を不当におかすことは、選ばれし者であっても許されることではない。

 ここは、おそらく貴族以外の階級が利用するカフェテラスだ。

「ええと……」

 レティーツィアはもう一度ぐるりと視線を巡らせると、両手を合わせて苦笑した。 

「お騒がせしてごめんなさい。どうやらちがえてしまったみたい。実は友人を探しているのだけれど、貴族専用のカフェテラスはどちらだったかしら? 教えてくださる?」

 ペコリと頭を下げると、一ぱく置いて――シンと静まり返っていた室内が一気になごむ。

「まぁ、レティーツィアさまったら……」

「レティーツィアさまでも、迷子になったりするんですね」

「そんなところもお可愛らしいな」

 その場にあったピンと張った糸のようなきんちょうが一気に緩んで、ホッとする。

「あ、あの、レティーツィアさま。よろしければ、ご案内しましょうか?」

 あんの息をついた瞬間、後ろから遠慮がちな小さな声がする。

 レティーツィアは振り返り、そこに立っていたがらな女子生徒に笑いかけた。

「あら、それは申し訳ないわ。説明してくださるだけで……っ……!」

 じゅうぶんです――と続くはずだった言葉がのどの奥でこおりつく。

 レティーツィアは大きく目を見開き、女子生徒をぎょうした。

 紅茶色のおさげがみに春の新緑のような瞳。かなり小柄で華奢きゃしゃ、大きなとんぼ眼鏡が印象的な女の子だった。胸に分厚い本をいている。

(キャラメル色のジャケット……新興富裕層ブルジョアの子)

 だが、レティーツィアの目を引いたのは、そんなものではなく。

「あなた……それ……そのうでのものは、組紐くみひもではなくて……?」

 震える声で言うと、女子生徒が「えっ?」と小さくさけんで、本を抱く手に視線を落とす。

 細い手首をいろどっていたのは、むらさきの高級感のある組紐のブレスレット。大きな黒水晶モリオンと、小さいながらかがやきの強いシトリンとホークスアイがあしらわれている。

 組紐とは、美しく染め上げた絹糸を職人の手で一つ一つ編み上げた紐のことをいう。

 武具の紐や茶道具のかざり、着物のおびめなどに用いられてきた日本伝統の工芸品ヽヽヽヽヽヽヽヽだ。

(そして、これは……!)

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