第5話 清定からの手紙

 「若殿、浮かぬ顔をしておられますが・・・。」


 佐世幸勝が元気のない経久を気遣うと、

ほっておけとばかりに経久は顔をそむける。


 「秀綱殿、若殿に何かあったのでしょうか。」


 宇山久秀が秀綱に尋ねると経久はうずくまった状態で


 「知っていても言うな。」


 と口を開きかけた秀綱を制す。

これに秀綱は我慢しきれずに笑い転げた。


 「別に大したことでは・・・!」


 「私にとっては大変なことなのだ。」


 経久は一瞬顔を上げて怒り気味に言ったこの言葉が秀綱をさらに笑わせる。


 「いったい何があったのでしょうか・・・。」


 きょとんとする久秀に秀綱は我慢しきれずすべてを話した。


 「殿からの手紙に吉川経基きっかわつねもと殿の娘と若殿が婚約してはどうか

という内容が書かれていたのだ。」


 「それは嬉しい話ではないですか。」


 吉川家は安芸国(今の広島県西部)から石見国(今の島根県西部)にかけて

勢力を持つ豪族であり、尼子家の影響範囲を広げようという

清定の意図が見て取れる。


 久秀が経久の落ち込む理由を理解できずにいると、

隣にいた幸勝がひらめいたような顔をしてこう言った。


 「若殿は他に好きな方がおられるのではないか。」


 幸勝がどうだとばかりに答えると、久秀も納得の表情を見せる。


 「その通り、この都の中に意中の娘がいるようで。」


 秀綱曰く、その娘はお雪という名でこの戦乱渦巻く都にあっても

輝き続ける娘らしい。


 「それで若殿とその娘は話したことがあるので?」


 久秀が興味津々に秀綱に聞くと、秀綱は


 「話したことがない、片思いのようで。」


 と言ってニヤリと笑う。


 「しかし、若殿もさぞかしつらいでしょうな。尼子家の当主である殿から

婚約の話をされたら断れないでしょうし。」


 幸勝が経久の心境を察していると、急に経久が立ち上がった。


 「お雪のことは諦める。」


 「ええっ、あれほど好きなのに!?」


 これには秀綱も驚かざるおえなかった。

さっきまで捨てきれなかった思いを急に断ち切ったからである。


 「そうだ。これからの乱世、当然別れも多くなるであろう。

その時にいつまでも落ち込んでいたら家が滅んでしまう。」


 「さすがは若殿。しっかりと考えておられる。」


 経久は強引にお雪のことを記憶から消し去った。

どんなことがあっても前を向くための練習だと思って。


 「父上に婚約の話、承ったとの返事を書く。」


 経久は紙と筆を取ると素早く返書を認めた。

そしてその返書を幸勝、久秀と一緒にやってきた使いの者に渡して

出雲に届けてさせた。


 「そうか!婚約の儀、承ったとの返事が届いたぞ!」


 「それはよかったですな!」


 出雲国の月山富田城がっさんとだじょうでは父の清定が重臣の湯泰重ゆやすしげと共に返書を読み

大変喜んだ。


 「ところで若殿をいつ戻らせるおつもりで?」


 泰重の質問に清定はきっぱりと答えた。


 「あと3年じゃ。京都5年目には出雲に戻して久幸を代わりに行かせる。」


 清定は京都で5年間の経験を積ますことにしていた。

そしてその後は経久の弟、久幸を代わりに人質として出す予定なのだ。


 さらに清定にはある計画がある。

これは誰にも打ち明けていないのだが、経久が帰ってきたら

家督を継がすつもりなのだ。

 そうなれば清定は隠居して一切口を出さないようにする。


 (経久よ、都から立派な姿で帰ってくるのを望んでおるぞ・・・。)


 これはかなり思い切った決断だった。

なぜなら経久は帰国する年、まだ二十歳前後だからだ。


 それでも一切口を出さないという決断をしたのは

経久に期待をしているからに他ならないのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る