第3話

 ただただ、呼吸をしている。そんな毎日を繰り返していた。何日も眠れない日々が続き、気絶する。その繰り返し。

 意識を取り戻すと、部屋で一人床に倒れていた。窓の外は真っ暗で、電柱のライトが微かに見えている。

 窓を開けた記憶はない。フラフラと窓に歩み寄り、閉めようとしてサッシに触れた。

 瞬間的に、電気が走ったような衝撃を受けた。弾かれるように、部屋を飛び出す。玄関扉を開けると、スッと黒い影が横に流れた。あれは、黒のランドセルだ。道路に飛び出し、体が固まった。

 ランドセルを背負った小学生が、列をなして歩いていた。そして、最後尾の後ろ姿には見覚えがあった。見間違える訳がない。毎日毎日見ていた後ろ姿だ。

「兄ちゃん!」

 急いで駆け寄り、顔を覗き込んだ。顔は紛れもなく兄ちゃんだ。だけど、お面のように、生気が抜け落ちていた。虚な目で、前を歩くランドセルを眺めている。どれだけ声をかけても、抱きついても反応がない。ただ歩いている。

 僕は腕で顔をゴシゴシ拭いて、兄ちゃんの後ろに並んだ。通い慣れた通学路だ。学校に向かっている。七人と僕が一列になっている。列を離れ、先頭に向かった。前を歩く六人は、誰一人知らない人だ。一人の例外もなく、みんなお面をつけているみたいであった。

 学校に到着すると、方向転換をして、来た道を戻っていく。僕は、兄ちゃんの背中に話しかける。二人で見た映画、二人で食べたお菓子、二人の思い出を話し続ける。兄ちゃんからの返事はないけど、一人で話し続けた。

 家に到着すると、七人の体が薄くなって消えた。

「兄ちゃん! 待って!」

 兄ちゃんの肩に手を伸ばすと、空を切った。静まり返っている住宅街に、僕の声が響いている。

 また、離れ離れになってしまう。

 無我夢中で走り回った。兄ちゃんの姿を探す。でも、どれだけ走っても見つからない。息を切らして、電柱にもたれていると、視界の端に人影が入った。咄嗟に振り向くと、さっきの集団がいた。一番後ろは、兄ちゃんだ。笑う膝を叱りつけ、必死に追いかけた。今度は、知らない道だ。僕は、兄ちゃんに着いて行く。学校に到着し来た道を戻り、知らない家の前で七人は、姿を消した。

 それからは、見つける事ができなかった。

 次の日も窓を開けて、道路を見つめていた。眠気に襲われ、あくびをした。涙目をこすると、いつの間にか玄関先に、七人が並んでいる。僕はまた、兄ちゃんの後ろに並んだ。

 そんな夜を重ねたある日、兄ちゃんが後ろから二番目に変わっていた。一番後ろは、知らない顔だ。僕は列を割り込んで、兄ちゃんの背後に着く。

 日が経つにつれ、兄ちゃんの位置は、前へ前へと変わっていく。毎日、兄ちゃんに会える喜びと、順番が変わる不安で、胸の中がぐちゃぐちゃだ。兄ちゃんの前にいた人達が、次々に抜けていっている。そして、とうとう兄ちゃんが先頭になった。やっぱり、兄ちゃんは一番前で、みんなを引っ張るのが似合っている。だが、明日には、居なくなってしまうかもしれない。

 僕は、兄ちゃんの前に出て、先頭を歩いた。通い慣れた通学路だ。道は分かる。たまに振り返って、兄ちゃんを見る。兄ちゃんの顔がよく見える特等席。

 今日が最後かもしれない。

 毎日、その想いに押し潰されそうになりながら、家から学校を往復していた。

 お別れの夜は、突然やってきた。

「・・・ユウキ」

 家に到着した瞬間、初めて兄ちゃんの声が聞こえた。弾かれるように振り返ると、薄くなっていく兄ちゃんが、微かに笑っていた・・・気がした。

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