2 青と黄


 雑多な空間だとクロは思った。


 リビングには四人は掛けられそうなソファとテーブル、それに本棚――これらの大きな家具と、その他にも様々な小物があるのだが、それがどうも混沌としている。

 その室内にある品々は決して個人だけで集められるような統一性はなく、別の価値観が混在して物を配しているように感じる。

 複数人が共有し、気を遣いながらも個性を歪めることなく日常的に使われている空間なのだろう。


「あっ、おかえりなさい、センセ!」

「ん、おかえり、アカ」


 そこに、ふたりの少女が待っていた。


 ひとりは元気に歩み寄ってきた金色のセミロングが煌めく十五、六歳ほどの少女。

 ただアカが帰ってきたというだけで嬉しそうに笑い、傍のクロにも興味深そうにしている目を輝かせている。


 もうひとりはソファから振り返るだけで挨拶をした少女。

 澄み渡った空色の長髪を二つに結わった髪型をしており、今はその毛先を手入れしているようだった。


「ええ、ただいま戻りましたよ、ふたりとも」


 言いながら、アカはきょろきょろと室内を見渡す。

 その仕草の意味に気が付いたのか、金色の少女は苦笑気味に先んじて答える。


「シロならまだ寝てるよ」

「そうですか。新しい子が来るから下にいるようにと伝えておいたのですが……」

「まあ、シロだから」

「そうですね」


 アカはすこしだけ困ったように頷いて、すぐに仕方がないなとひとりで得心してしまう。

 言いつけを守らないでも仕方ないで済まされる辺り、この場にいないもうひとりというのが気になるクロであるが。

 違う、と切り替える。

 それよりも目の前にいるふたりのことだ。


 同じことを考えていたのは、クロだけではなかった。

 その金色の頭髪よりも輝かしい笑顔で、少女は好奇心と歓喜を一杯に乗せて問いを向ける。


「ね、ね、センセ。それでその子が?」

「はい、新しい弟子になりました、クロといいます」

「わあ、クロかぁ。可愛いね。あ、わたしはキィだよ! よろしくね!」


 ずいっと近づき、キィと名乗った少女は手を差し出す。

 ……握手を求めているのだと、気づくのに一拍の間があった。

 クロは慌てて手を握り返し、けれど言葉はおずおずとしたものになってしまう。


「あっ、えと、はい。クロです」


 握った手はぶんぶんと上下に振られてから解放された。

 離れても残る手のひらの熱は、キィの暖かかな手の名残り。


 その溌溂とした様、輝かしい笑み、暖かな存在感――クロとは正反対に思え、なんだか気後れしてしまう。


 押し黙っていると、キィは気にした風もない。


「あぁ、これでわたしも姉弟子かぁ。ずっと末の弟子だったから妹弟子ってはじめてなんだよねー」

「やっぱり、ふたりも先生の弟子なんだ」

「そうだよー。お姉ちゃんって呼んでもいいよ?」

「呼ばなくていいぞ」


 やれやれとばかり青い少女が立ち上がる。


「新人に強要するなよ、キィ」

「強要してないもん。あと、アオもちゃんと自己紹介したら?」

「わかってるよ」


 言いながら、アオと呼ばれた少女はすこし億劫そうにしながらも歩み寄ってくる。

 そしてクロのことを真っ直ぐ見つめて、こちらもまた手を差し出す。


「あたしはアオ。よろしく、クロ」

「うん、よろしく」


 今度は間髪入れずに握手に成功。

 なんとなく、そんなことにほっとしてしまう。

 握るアオの手は細く小さくやわらかいのに力強い。その華奢な見た目からは想像もつかないような威圧のようなものを感じ取る。


 キィが明るく可愛らしい女の子なら、アオはクールで格好いい女の子という区分がクロの中では出来上がった。


 手を離すと、ひょっこりキィが後ろから興味深そうに。


「アオ、もしかして照れてるの?」

「はっ、はあ? なんであたしが照れるんだよ」

「だってなんかいつもよりぶっきらぼうだし、やけに澄ました顔してるし」

「してない!」

「やっぱりアオも新しい妹弟子にカッコつけたいんだねー」

「キィ!」


 ……あまりクールというわけでもないのかもしれない。

 実は意外に親しみやすいのでは――クロが脳内の人物評価を修正していると、沈黙を保っていたアカが口を開く。


「本当はあともうひとり弟子がいるのですが、すみません、寝ているようです。紹介はまた後程で――」

「シロは寝てばっかだからな」

「あれで一番上の姉弟子なんだから、びっくりだよね」

「姉弟子……」


 キィが先ほども言及していたこと。

 弟子になった順序で姉妹のように序列ができるというのは知っているが、それがなんだかこそばゆかった。


 クロは兄弟姉妹をすべて失くしているから――奇妙な懐かしさを覚えたのかもしれない。


 その心のさざ波を読み取ったのか、アカは首を振る。前言撤回だ。


「いえ、やはり屋敷の案内も兼ねて、今からシロを起こしに行きましょうか」

「案内なんているほど広い家か?」

「いえ、その、それなりにお金を積んで建てたのですが……」


 アオの遠慮もない一言に、すこし落ち込むアカである。

 切り替えて。


「では行きましょう、クロ」

「いや、センセ。キッチンは?」

「ああ、そうですね。リビングと繋がった隣がダイニングキッチンになっています」

「雑だなぁ」


 キィとアオの笑い声に見送られ、アカはリビングを後にする。

 クロはリビングと廊下を迷うように見比べてから、アカの背中を選んで追いかける。


「あの、あの、アカ?」

「どうしました? ああ、廊下の先には階段がありまして、二階に続いています。階段の向こう側の曲がり角の先にはお手洗いとシャワールームがありますので」

「あ。うん、そうなんだ」

「はい。あと一階にあるのは左側のドアの書斎ですかね」


 リビングを出て向かい側の扉を開けば、書棚と書物に溢れかえった広い部屋がある。

 うちにも父の書斎があったな、クロはよく似た匂いにそんなことを思った。

 すこしだけ中を覗けば、すぐに次へ。


 アカは廊下に置いておいたクロの旅行鞄を掴んで先導するように階段を上る。


「二階に上がると各人の私室がありますので、アオとキィの部屋は別として、シロの部屋と私の部屋……それからクロ、あなたの住まうことになる部屋を案内しましょう」

「わかったわ」

「と、ああ、すみません。説明を優先してしまって……。先ほどなにか言いかけましたね?」

「ん。あの、ちょっと聞きにくいことなんだけど」


 聞きにくいことだからこそ、このまま話を流されてもよいと思っていた。

 律儀に聞き返されれば、それは言葉にしなければならない。


 階段を上り終え、二階の廊下につく。


「先生の弟子って、三人いるんだよね」

「はい。言ったように、下のふたりと上にもうひとりおりますね。彼女らの名もクロと同じで私が与えたものです」

「その子たちって、その、みんな魔術師として才能があるんだよね」

「……そうですね、才能で弟子をとっているわけではありませんが、皆それぞれに才ある子らです」

「じゃあ、わたしと同じで――」

「いいえ」


 アカは身体ごと振り返る。

 いいえ、ともう一度否定を繰り返す。


「彼女らは翠天スイテンのルギスから呪いを受けたわけではありません」

「そう、なんだ」


 なんとなし、クロは安堵していた。

 自分のような悲劇的な人生を送ったような可哀そうな子がいたのでは、悲しくなってしまうから。


 そこで安堵を覚えることに優しさを感じながら、アカは付け加える。


「ただし彼女らもまた別の事情で呪いを受け、それ故に私と出会って弟子になりました」

「? 呪いを受けると、先生に会えるの?」


 不思議そうに首を捻る。

 アカはどう説明したものかとすこし考え。


「私が兄弟子を探しているのは言いましたね? そして、兄弟子は呪詛術が得意というのも」

「聞いたわ」

「そのため私は世界中で珍しい呪いや奇妙な呪詛、おぞましい呪術について耳を澄ませているわけです。そうした網に引っ掛かったものを見に足を運び、その時に出会ったのがあの子らであり、あなたです、クロ」

「……そっか。じゃあ、みんなも大変な目に遭っていたのをアカに助けてもらったんだ」


 彼女らを才ある子らと、アカは述べた。

 ならば、先に聞いた魔力量の多寡による呪詛の悪化を考えれば、きっと姉弟子たちも酷く辛い境遇であったのだろうと予測できる。


 なによりも――世界で三番目の魔術師が赴かねば解決できないほどの呪いだ、その呪害は想像を絶する。


 当の本人はなんでもないように肩を竦めて見せる。


「大したことはしていませんよ」


 照れ隠しのように言って、ついでに思い出したように大切なことを話す。


「ああ、そうです。いいですか、クロ、覚えておいてください。この屋敷と庭先までが私の領域、あなたにかけられた呪詛はほとんどが無害となる、はずです。なので今しばらく私が同行しない内はこの屋敷から出ないようにお願いします」

「……わかったわ」


 話を逸らされたような気もしたが、クロは敢えて突っ込まずに首肯だけをした。

 褒められるのが苦手なのは、クロにも共感できた。


 頷いたのを確認して、アカは再び歩き出す。手の鞄をすこし掲げておどける。


「では、行きましょう。いい加減、あなたの部屋に行かないと腕が痺れてきました」

「うん、ありがとう、先生」


 二階の廊下は階段から左右に分かれ、アカはとりあえず左側に回る。

 そちらには扉が三つ。

 一番階段近い扉のノブを握り、開く。


「こちらがクロの部屋になります。おそらくあなたが暮らしていた屋敷と比べると貧相で狭い部屋にはなってしまいますが、そこはお許しください」

「そんなの気にしないわよ」


 部屋にはベッドと椅子、テーブル、それに本棚と箪笥が置いてあるだけの簡素な内装だった。

 アカは部屋の隅に鞄を置くと、振り返ってクロに。


「掃除はしておきましたが、どうでしょう、不満があるようでしたら……」

「ないわよ。いい部屋じゃない」


 言いながら、クロは窓に歩み寄る。

 部屋の一面が大きな窓となっており、開け放してベランダに出る。


 そして、そこから見える景色は――


「うわぁ……!」


 青空と陽光、そして草原がどこまでも広がっている。

 まるでそれは、書物に呼んだ海のよう。

 太陽をきらきらと跳ね返す緑色の海は、風が通り抜って波打っている。


 遠くには山や川が見える。その川沿いには町があって、この屋敷がそこまで秘境にあるわけでもないことが知れる。

 もしかしたらあの町とも交流があるのかもしれない。


 屋敷から出ることの叶わなかった少女にとって、それはあまりにも広い世界だった。


「広いな、広い……」


 遠いのではなく――広いと思った。


 かつて屋敷から見た景色はただ遠いと感じた。

 なのに、今日ここで見た風景はただ広いとだけ思う。

 それは手を伸ばしても届かないものから、足を伸ばせば踏み出せるのではないかと信じられるから。


 アカは言う、同じ景色を眺めて。


「明日にでも」

「え」

「明日にでも、すこし出歩いてみましょうか。あまり外出しないあなたにとっては多少の散歩もいい運動になるでしょう。同行しますよ」

「うん……うん! 行くわ、絶対行く!」


 勢いよく頷く姿は年相応の無邪気さを思い出させ、それがアカには嬉しかった。

 とはいえ、その勢いのままだと今すぐにでもと言い出しかねないと見て、言葉を付け加える。


「では、今日はシロとの面会だけを終えたら荷物の整理をお願いしますね」

「あ、うん、わかってるわよ」


 ちょっとだけ語気が荒立つ。

 はしゃぎすぎて気恥ずかしくなったらしい。


 そういう姿もまた子供らしく思えて、アカとしては微笑ましさを覚える。

 笑うなとばかり一睨みされるも、少女の愛らしい顔立ちからしてとてもではないが威圧感は伝わってこない。


 クロは誤魔化すようにして窓を閉め、すたすたと歩き出す。


「アカ」


 不機嫌に名前だけを呼ばれ、早く先導しろと言外に告げる。歩みは緩めない。

 苦笑だけ残して、アカは速足でクロの後を追い、追い越して廊下を先に歩む。


「はい、こちらです」


 階段から見て右側へ進む。

 こちらにもまたドアがみっつ。


「ちなみにクロの部屋の隣は空き部屋で、向かいは私の部屋です。なにかありましたらどうぞお呼び下さい」

「……」


 返答はなかった。

 せめてもの反抗心なのだろうか。振り返るのがすこしだけ恐ろしくなってきた。


 幼い子は繊細で、女性は複雑だ。

 少女というのはどうにも難しい。

 どれだけ生きても、結局できるだけ優しく接することしか結論は出せていない。


「さて、こちら側の部屋割りは手前からアオ、キィとなっています。その向かい側がシロの部屋です」

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