第2話 英雄の息子、泣く泣く奴隷を買う

「おいデニス、やっぱ買うのなしにできないか?」


 千鳥足であちこち歩いていると少しだけ酔いが覚めた俺は、エルフの奴隷を買うことに尻込みしてしまった。


「アレックス、冒険者ってのは信用稼業だろうが。契約書にサインしといて、やっぱやーめたが通じると思うか?」

「……そうだな。すまん」


 両親のように英雄扱いされる冒険者は稀で、冒険者とはろくでなしの代名詞のような存在だ。

 だからこそ小さな信用を積み重ね、自分で強固な信用を築き上げる。

 もし一度でも信用を失えば、取り戻すのは非常に大変なことなのだ。


「支払いは俺が手付けで金貨5枚渡してあるから、その5枚は俺に渡してくれ。で、奴隷商には35枚でいい」


 頭がガンガン痛むのを堪えながら歩く俺は、革袋から金貨を5枚取り出してデニスに渡した。


「これで完全に、権利はアレックスの物だ」


 デニスはホッとしたような表情になり、助かっぜ、と肩を組んできた。

 何度か臨時でパーティを組んでいるが、本来は肩を組み合うような仲ではないのだが……。


 しばらく歩き、ようやく奴隷市場に到着すると、恭しく迎えてくれた番頭の後に続いて応接室的な部屋に入った。

 部屋の中は、なんとも言えない甘ったるい匂いが漂っている。


「おやデニスさん、こちらの方は?」


 酒とこの部屋の匂いのせいだろうか、頭痛と気持ち悪さを覚えたところで、いかにもといった恰幅の良い奴隷商が現れ、デニスに俺のことを尋ねた。


「キャンセルしない変わりに、別の契約者を用意するって言ったろ? このアレックスがそうだ。誰であろうと奴隷を買い取れば、違約金は発生しないんだろ?」


 そう答えたデニスは、俺がサインした契約書を奴隷商に渡す。


「こちらとしては、契約通りお買い上げいただけるのであれば、契約主がデニスさんでなくとも問題はございません」

「なら手続きはアレックスと進めてくれ。――ああ、俺はもう用なしだよな」

「そうでございますね」


 奴隷商の言葉を聞いたデニスは、今夜はお楽しみだな、などと言いながら部屋を後にした。


「ではアレックスさん、デニスさんから説明を受けていると思いますが、こちらからも改めてご説明したします」


 俺はデニスから説明など受けた記憶がないのだが、多分覚えていないだけだと思い、奴隷商から説明を聞く姿勢を取る。

 とはいえ、頭がぐらぐらする感じがして、まっすぐ座れている気がしない。


「まず、格安でご提供する一番の要因になっている『共通語が通じない』、つまり会話ができないというのはご理解いただけておりますね?」


 初耳なのだが……。

 ってか、会話のできない奴隷って、どうすればいいんだ?


「次に、まだ成長しきっていないようでして、外見が人族で言う11~13歳ということろでございます。そういった用途・・・・・・・でご利用になる場合、すぐに壊れてしまう可能性があることをご留意くださいませ」


 幼い見た目のエルフが、俺を引き立てるステータスになるのか?

 逆に小児性愛者というレッテルを貼られる恐れが……。

 それ以前に、俺を天国に導いてくれないんじゃないのか?


 エルフの奴隷がほしい一番の理由は、気兼ねなくエロいことをするためだ。

 さらに、俺はエルフの奴隷を飼っているすごい人物だ、そう言わしめるための道具でもある。

 なのに、どちらの欲も満たせない可能性が出てきた。


「外見に関してはもう一点。髪の色が一般的なエルフと違い、真っ黒な点です。ですがこれは、他に類を見ないレアな存在と言えるかもしれません」


 エルフの髪と言えば金色をメインに、何かしらの色味がある淡い色彩が常識だよな?

 黒髪のエルフは確かにレアかもしれんが、エルフっぽくないぞ。


「なおかつ、髪が真っ直ぐではなく、珍しい波打った髪質でございます。これも非常にレアでございます」


 それは本当にエルフなのか?


「以上が今回お渡しするエルフの説明になります。」

「…………」


 激しく打ち付けてくるような頭痛を堪え、ここまで聞いた話を自分なりに取りまとめる。


「何かご質問はございますか?」

「つまりそれは、不良在庫の処分ってことか?」


 自分なりに考えた結果、格安な理由を理解した。

 どう考えてもエルフっぽい紛い物、つまり不良在庫なのだ。


「滅相もありません。当商会といたしましては、非常にレアな存在だと認識しているのですが、逆にレア過ぎて買い手が付かず、今回は泣く泣く格安にてご提供することにしたのです」

「買い手が付かないって、やっぱ在庫処分じゃないか」

「いいえ。珍しいモノを好む方も多くいらっしゃいますが、今回は琴線に触れる方がいなかった、ただそれだけのことでございます」

「物は言いようだな」


 レアだ何だといっても、結局は誰も買わないから投げ売りするってことだよな?

 こんなふざけた契約なんてできるか!


「悪いがキャンセルさせてくれ」

「違約金をお支払いいただけるのであれば、当方はかまいませんが」

「いくらだ?」

「金貨120枚でございます」

「――なっ! ふざけるな!」


 金貨40枚の契約をキャンセルしたら、違約金が3倍の金貨120枚?

 悪徳にもほどがある。


「そんな金額が許される訳ないだろうが」

「先ほどもお伝えしたとおり、当商会ではレアな商品であると自負しております。しかしながら、試しに価格を大幅に下げたときにたまたま来店したデニスさんから、購入する意思表示がありました。その際、契約を反故にする場合は違約金を金貨120枚お支払いいただく、という契約を結んだのです」

「だが俺はそんな契約をしていない!」

「いいえ。デニスさんの契約書をアレックスさんは引き継いだのです。当然ながら、契約内容も引き継がれております」


 納得できない。


「アレックスさんが署名した契約書には、違約金について表記されております。これを然るべき場所に提出すれば、契約通りの支払いを命じられるのはアレックスさんですよ?」


 そう言われて契約書を確認すると、しっかりそのことが書かれていた。

 であれば、ごねたところでどうにもならないだろう。

 俺ができることといえば、大人しく奴隷を買うことだけだ。


「……わかった、奴隷は買う。本人を見せてくれ」

「かしこまりました。――おい」

「はっ」


 腹をくくるしかなかった俺は、まだ見ぬ俺の奴隷・・・・を目にし、荒んだ俺の心を和ませてくれることを祈った。


「お待たせいたしました」


 退出した番頭が戻ってくると、非常に小柄な全裸の少女も入室してきた。

 俺の知っている長身でスラリとした体型かつ、淡い色合いのロングストレートの艷やかな髪のエルフとはかけ離れたもじゃもじゃした黒髪で、そこらにいる人間の子どものような背格好の少女だ。

 唯一エルフだとわかるのは、その尖った長い耳だけ。

 顔はちょっと下膨れしているが、幼い子特有の丸みだろう。

 少し地味な感じもするが、顔そのものは悪くない気がする。


 しかし残念なことに、エロいことをしたいと思える容貌ではないのだ……。


「では、所有者変更の契約術を――」


 軽く放心状態の俺は、奴隷商の言われるがままに手続きをし、金貨30枚を支払った。

 ちんちくりんな俺の奴隷は、いつの間にかあまり質の良くなさそうなワンピースを着せられている。


 こうして俺は、念願であったエルフの奴隷を買い、とぼとぼと奴隷市場を後にした。


 ◆


「ようやく良い厄介払いができたな」

「会長、いくら珍しいとは言え、やはりあれは売り物にならないですよ」

「現物を見ずに仕入れてしまったのは、確かに失敗だった」


 アレックスが出ていくと、奴隷商は重たそうな体をソファに沈め、番頭とにこやかに話し始めた。


「あれが人間であれば、少しばかり教育して売りに出せたが、あそこまで幼いエルフが成長するまで、まあ10年近くかかるだろうからな。あれに時間と金をかけるのは割に合わん」

「これからは珍しいというだけで、現物を見ずに買い付けるのは止めてくださいね。今回はデニスがあのアレックスという男に薬を使って上手くやってくれましたが、次も上手く行くとは限らないんですから」


 番頭にたしなめられた奴隷商だが、意に介さず鼻を鳴らす。


「フッ、デニスとて、あれだけのことで金貨5枚を得ているのだ、次も上手くやるだろうて」

「ですから、次があっては困るのです」

「わかったわかった。それにしても、”英雄の息子”がどうしようもないというのは本当だったのだな。あの程度の薬で、簡単に意識を誘導されてしまうのだから」

「血筋が良くても優秀でない者など、この王国には腐るほどいるじゃないですか」

「それもそうだな。王都にはバカなボンボン息子が多いおかげで、こうして商売ができているのだ、無能に感謝せねばならんな」


 奴隷商の下卑た笑い声が、応接室に鳴り響いた。


 ◆


「おうお前ら、明日は依頼を受けねーぞ」

「なんでですリーダー?」

「金貨5枚の臨時収入が入ったんだよ。だから今日は朝まで飲むぞ」

「なんすかその臨時収入って?」

「細けーことを言うヤツは自腹で飲め」

「す、すんませんリーダー。ごちになります!」


 アレックスから渡された金貨10枚を懐に忍ばせ、デニスはパーティメンバーのいる酒場に戻った。

 デニスにすれば、間抜けな”英雄の息子”に薬の入ったエールを飲ませ、奴隷商の前に連れ出しただけで得た泡銭あぶくぜにだ。

 メンバーに酒を奢ったところで、彼の懐は少しも傷まない。

 むしろその泡銭で忠誠心を得られるのだから、”英雄の息子”に感謝したいくらいであった。


 ◆


「これに金貨40枚……」


 物珍しげにキョロキョロと周囲を見ている奴隷の手を引きながら歩く俺は、虚しさを感じて足取りが重い。


「こんなときは酒に限る!」


 酒のせいでこんな現状になったというのに、俺は懲りもせず安酒とつまみを買って宿屋に戻った。


 とてとて付いてくる奴隷と部屋に入ると、空腹のまま酒をかっ食らう。

 人生初とも言えるほどの泥酔から、まだ酔いの覚めぬまま更に酒を飲んだ結果、俺は思いの外早く意識を失ってしまった。


 念願だったエルフの奴隷を買ったことも忘れたまま……。

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