五 曇りの応接間 後編



「──まずは、犯人が使用したような強い術を使用可能な力を持った白の方々と、犯人が名指ししたツシ殿にお越しいただいています。認識阻害は高等な気の術ですが、そうは言っても催眠術の一種です。何かを引き金にして突然、見聞きしたものを思い出すこともありますから」


 エシテが、ソファに座ったまま言った。神殿の人間にしては不作法だが、どうやら膝に黒猫のニウが乗ってしまって立ち上がれないらしい。師匠の後ろに控えていたリネスが「あ、黒猫……」と呟くのが聞こえた。


「黒猫の方は、あまり外部の人間を恐れないのですか?」

「エルフのルールルーがいるからだろうね」

「ああ、なるほど……」


 リネスと師匠がこそこそ会話しているのを、長身のエルフが壁際からちらりと見て、すぐに目を逸らす。彼はずっと部屋の隅に立ったままで窓の外を見下ろし、これ以上ないくらいつまらなさそうにしていた。


 しかしまあルーフは妖精なので、人間に対して協調性が無くてもある程度仕方がない。だが人間の白ローブ達はまともに話を聞こうとしているかと言われれば、そんなこともない。国一番の術者達が集う室内は、端的に言ってかなり混沌とした様子だった。


 まず目に入るのは、じっと腕を組んで目を閉じたまま壁に寄りかかっている「白炎」のフレン。話を聞いているのかいないのかちっともわからないし、もしかすると眠っているのかもしれない。


 次に白の中では紅一点のウリア。靴を脱いでソファの上に足を上げ、膝を抱えて丸くなった状態でじっと天井の染みを見上げている。


 そして相変わらず座り方が妙に絵になっているタナエスに、黄金についてまだぶつぶつ言っているラグじいさん。師匠は、二匹の猫達の好きな食べ物について隣の神官へ懇切丁寧に解説してやっていた。後でマウにもおやつをあげてみようか、とか聞こえてくる。


 どうしようもないなこの人達、とエテンは思った。


「……ええと、まずルーフ様ではないです。犯人は人間だった。それから女性のウリア様と、僕より背が低いラグ様も違う。……それが犯人の擬態でなければ」

 それを聞いたエルフが、もう用は済んだと思ったのか一言も発さないままふらりと部屋を出て行った。部屋の端に立っていた鷲族が「あっ」と言って慌てて追いかけてゆく。それを見送った黒猫が、ひとつあくびをするとエシテの膝から飛び降り、ゆったりと尻尾を上げて後を追った。


「長老も、雰囲気が全然違いました。タナエス様は左利きだし、犯人の仕草に特別ポーズが決まってる感じはなかった気がします」

「……ポーズ?」

 タナエスが訝しげに言って片方の眉を上げた。その、指先でトントンと肘掛けを叩きながら脚を組み替える動作は、今必要なんだろうか?


 壁際のファロルが片手で口を覆って顔をそむけ、長老がゆったりと「タニスはいつも格好良いからのう……」と言った。タナエスはそれに「それはどうも」とそっけなく返し、エテンに向かって「何にしろ、それだけで犯人でないと決めつけるのは浅慮だと思うがね」と言う。


「そうですけど、僕がどう思うかを聞きたいんでしょう?」

「まあ、その通りだ」

 タナエスが肩を竦めると、今度は沈黙していた白炎が口を開いた。眠ってはいなかったらしい。

「私はどうだ、累乗るいじょうの少年」

「累乗?」

「加速増幅では長いだろう。そなたの術は魔石を使わず累乗的に力が増大する」

「ああ……」


 納得はしたが、その呼び方は魔術というよりが強くて嫌だなとエテンはちょっと顔をしかめた。背が高く、細いが引き締まった体格をした白炎は、声もかなり低くて男らしい感じだ。かといって魔法使いらしくないかといえばそうでもなく、白いローブが似合う知的な雰囲気も持ち合わせている。個人的には、タナエスより彼の方が格好いいなと思った。


「特に……この人だと思う感じはないです。ツシも師匠も同じように、そうだとも違うとも思わない。何も思い出せないです」


 エテンが言うと、マシュが「魔力の色も、該当する人物はいないわ」と言った。それにファロルが頷いて、長老に向かって「魔力の色を偽ることは可能なんですか? 術だけじゃなく、体内の魔力全部」と尋ねた。長老が長い髭を撫でながら「ふぅむ……」と考え込む。


「催眠術によってそうと思い込ませることは、不可能ではないが非常に難しいのう。遺伝形質魔法、つまり『目』の皆が生まれつき持っている魔力視の『見え方』というのは、それを持たぬものには感覚的な理解が難しい。理解できぬものを、他者に認識させることはできない」


 長老はそう言ってゆったり微笑み、そして周囲を見渡すと「じゃが」と続きを切り出した。

「実際に魔力の色を変える方法はないとも言えぬ。例えば今回の場合……ラドの純粋魔力変換式を使う方法をひとつ思いつく」


「私の?」

 師匠が首を傾げた。長老は頷いて、そしてすぐに首を振る。

「ああ、これはお前が犯人と言っておるのではないよ。術は既に発表済みで、論文は図書室で誰もが閲覧できる。研究職の魔術師なら、変換器を持っている者も多いじゃろう」


 長老の説明は、要約するとこうだった。例えば火を起こしながら同時に魔力を火の属性に変換するような魔法陣は賢者様の発明だが、それを応用してただ魔力の色だけを変えるという魔術は、師匠が初めて具体的な方法を発表したらしい。


 魔法陣の中に魔石を置いて、陣に魔力を流す。すると魔力が指定した火や水や気といった属性を得て、魔石に注ぎ込まれる。その発明は既に魔導師によって魔導具化されていて、最新式のものでは火から水といった相性の悪い魔力間での変換も可能になっているらしい。


「え、どうやってです?」

 エテンが訊くと、それには師匠が答えた。

「一度全部を光の魔力に変換するんだ。つまり彩度を抜くというか、その工程を挟んでも、まあ個人差はあるけれど大抵の場合魔力そのものはそれほど減少しない。そこから欲しい属性の祝福を願うことで、火から水みたいな変換が可能になる」

「へえ」


 そうやって魔力を七色に変えることから師匠には「白虹」という二つ名が与えられたとかいう話を聞いていると、長老が「これこれ、探偵ではなく魔術師の顔になっとるぞ、エッタ」と微笑んだ。


「あ、すみません」

「その話は、部屋へ帰ってからゆっくり聞くと良い。……つまりの、そうして犯人は魔法陣か個人所有の魔導具を使って秘密裏に、火や水、気の魔石を用意した。そこから勢いよく魔力を吸い出して体内を巡らせれば、一瞬で全身の魔力の色が変わるといった現象が起きるのではないかと思うのじゃが、どう思うかね?」


 長老が皆を見回して、術者達が口々に「やってみないと、なんとも」と言った。ウリアだけがまだ膝を抱えたまま、ぼんやりと天井を見ている。あの人、大丈夫だろうか?


「実験しますか?」

 タナエスが尋ね、白炎が「良いのか? この中で最も高価な魔導変換器を所持しているのはそなただろう」と言った。

「いや、うちにもあるよ。だいぶ埃を被ってるけれどね」と師匠。

「そなたはそもそも発明者だ、変換器など必要なかろう」

「確かに」


「いえ、現段階ではまだ実験の必要はありません。それが可能かどうかわかったところで、それほど犯人は絞られませんから」

 エシテが言った。猫がいなくなったので、立ち上がって場を取り仕切っている。そうすると白ローブ達は途端に「なあんだ」みたいな顔になって、身を乗り出していた姿勢をつまらなさそうに元に戻した。自分と属性の違う魔力で急激に全身を満たすなんて、いつ拒絶反応が起きてもおかしくないものすごく危険な実験だと思うのだが、もしかしてやってみたかったのだろうか?


 エテンが顔を引きつらせていると、こちらも少し呆れた顔をしたエシテが言った。

「それで……単刀直入に聞きますが、ツシ殿についてはどう思われますか? 現時点で、状況的に最も疑わしいのは彼です。貴方の姿に擬態した犯人は、彼の部屋へ行くからと言って駆けつけた鷲族を躱しています。直後に部屋を改めた際に不審な人物は見つかっていませんから、彼が自室に駆け込んだと考えれば全てが丸く収まるとも言えます」


「ツシじゃありませんよ」

 エテンが言うと少し俯いていたツシが顔を上げ、長老が笑顔でうんうんと頷き、エシテが「なぜです?」と尋ねた。


「ツシが僕を殺そうとするはずありませんし、ルヴァルフェンサは本当に遺石が好きで集めてるみたいな物言いをしてた。ツシは僕の部屋の金庫に死んだ家族の石が入ってることを知ってるし、その鍵を僕がどこに置いてるかも知ってる。その上で奪って行かなかったなんて不自然だし……それに、僕は彼を信じると決めたんです」

 ツシの目を真っ直ぐ見つめながら言うと、彼は口元に薄っすら優しい笑みを浮かべて「ありがとう」と静かに言った。その顔を見て、少し心がほっとする。


 襲われた時に思わず「ツシじゃないよね?」と口走ってしまったことを、エテンは後悔していた。ツシはそんな人じゃないって、友達である僕が信じなくて他の誰が信じるっていうんだ?


「うん、うん。エッタは良い子に育ったのう」

 長老が小さく鼻を啜って、ふさふさの白髭で目元を拭った。エシテ達神官は納得いかないという顔をしていたが、それでもそれ以上その話題に切り込んでくることはしないようだ。


 夕食の時間も近づいてきていたので、そのまま何の収穫もなく容疑者の確認作業は終わった。エテンは一度部屋に戻って荷物を回収してから食堂で食事を受け取り、師匠の部屋へ帰った。やはり食欲は湧かなかったが、ファロットが心配そうに見つめているので、かなり無理をして完食した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る