第4話 やはりあれがダンド・フォードギア

『赤い甘味』を出ると、通りはやたら賑わっていた。急に人が増えたように感じる。石畳の道を歩く人、人、人。さっきまでテラス席で会話していた時には、こんなに居なかったのに。


 メノアは左手を額に当てて、太陽の光を遮った。こちらに向かって歩いて来る人を眺める。


「……何か、祭でも始まるのか?」


「いんや、そんな予定ではなかったと思うけど」


 おや? ……あれは、大手のギルド『ソードマスター』じゃないか?


 人混みの中心に居るのは、『ソードマスター』というシンプル極まりないギルド名のギルドでリーダーを務める男、シルバード・ラルフレッドだ。何名かの隊長と、沢山の新人冒険者と思わしき頼りない連中を集めて歩いている。よく見れば、群がっている周囲の奴はただの野次馬だ。


 輝くような長い銀髪、男なのに思わず息を呑むほどに整った顔。いかに俺がギルドの英雄に興味がなくとも、あれは一度見たら中々忘れられない顔だ。


 すげーな。写真でしか見たこと無かったけど。セントラル・シティを歩く機会が増えて、彼を見る事もこれから増えるんだろうか。


「あれ、ラッツじゃない?」


 声を掛けられた方を見ると、そこにはよく知る顔がいた。


 やたら目立つ桃色の髪は後ろでざっくりまとめられて、ポニーテールになっている。やたら爆乳で、やたら乳の目立つ小さめの半袖シャツを着て、やたら脇と背中がローライズなオーバーオールなんか着ているせいで、やたら乳と腰が目立つ、やたら星の住人である。


 そんな、横と背面が無防備すぎる格好の彼女は、チーク・ノロップスターという。アカデミー時代の、俺の同級生だ。


 セントラル・シティのとある店で、ブラックスミスをやっている。


 チークは苦笑して、俺の所まで走って来た。


「何度見ても、あんたの変なゴーグルと指貫グローブは忘れられないわ」


「おお、俺もちょうど、何度見てもチークの脇腹とケツはエロいなと思っていたところだ」


 瞬間、俺の視界に星が見えた。


「おぷぇっ」


 何故か俺は、地面とキスをしている。


 どうやら、後頭部を殴られたらしい。ゴリラめ……!!


「仕方ないでしょ!! 作業場って前隠さないと危ないけど、暑いのよ!!」


「別に悪いこと言ってないだろ!! ただ褒めただけだろ!!」


「あんたの感性どーなってんの!? セクハラにしか聞こえないわよ!!」


「何度見てもお前の上腕二頭筋と胸筋はゴリラだなって言われるのとどっちが良いんだ!!」


「どっちもイヤ――――!!」


 ちなみに、チークの筋肉は主張し過ぎず無さ過ぎず、大変健康的で美しい、見た目は。中身はゴリラである。


 この細身の身体のどこから怪力が発揮されるのか、まるで理解できない。本来筋肉が主張するはずなのだが、その主張はすべて乳が奪い去って行ったようである、見た目は。中身はゴリラである。


 俺は起き上がり、服を払いながら言った。


「ったく……なんか用かよ?」


「ううん、冒険者依頼所に行こうと思ってたら、発見しただけ。あっ、ねえねえ、あれレオじゃない?」


 なお俺は、アカデミー時代の連中とは総じて関係が良くない。チークは途中でアカデミーを抜けた人間なので、同級生と言ってもそれほど関係は深くない。


 こんなに騒がしい奴だっただろうか。


「誰だよレオって」


「え、レオよ。レオ・ホーンドルフ。あんた仲良かったんじゃないの?」


「知らねーよそんな奴……いいよ別にレオでもライオンでも」


「ほらほら、見て見て」


 背中から肩に手を回されて、無理矢理にレオの方を向かされる。どうでもいいが、背中に爆乳の存在が主張してきて大変けしからん。そのオーバーオール、なんで胸の部分が都合良く開いているんだ。特注か。


 なお、レオ・ホーンドルフというのはアカデミー時代に少し仲良くしていた同級生で、途中からさっぱり交流のない同級生である。


 今となっては、会話しようにも話題すら特に思い当たらない。


「おーい」


 チークがレオに声を掛けて……手を振るな馬鹿者!!


 お前はさっさと辞めたから知らないかもしれないが、俺はアカデミーの連中とはうまく行っていないんだ。発見されたら気まずくなるだろうが。


「……あれ」


 と思ったけど、特にレオは反応しなかった。


 チークの言葉が聞こえていないようだ……随分くたびれた様子で歩いている。トレードマークの赤い短髪も、どこか元気が無さそうだ。


 レオだけじゃなく、レオの周囲の新人冒険者は皆そんな感じだ。


「今日中に一人、魔物十匹!! 倒せない奴はクビだからな、覚悟しとけ!!」


 レオの遥か前方で叫んでいる男がいる。


 黒髪、長めの前髪、目付きの悪い三白眼。筋肉はすごいが、どうにも近寄りがたいオーラが溢れている。あまり飾りっ気のない鎧に身を包んでいる。一撃が重そうな大きい剣。


「ダンド・フォードギア。一番隊の隊長ね」


「ふむ。やはりあれが、ダンド・フォードギアか」


 チークの言葉に俺は下顎を指で撫でながら、そう言った。


「知ってるの?」


「いや?」


 直後、俺は殴られた。


「紛らわしいわね!!」


「殴るほどのことか!?」


 ちょっとした冗談だろうが!!


 チークの一発は戦士さながらに重いので、こう気軽に殴られちゃ命がいくつあっても足りない。くそう、ゴリラめ……!!


 でもこのゴリラ、見た目が良いから誰もゴリラって気付かないの。美女が野獣。


「……なんか今、失礼な事考えなかった?」


「いーえ滅相もない」


 このゴリラ、さてはエスパータイプか?


「あっ……」


 不意にチークが、レオの方を見て視線を止めた。思わず俺も、レオの方を見てしまう。


 ……あ。遠くから見ている時は分からなかったけど、新人冒険者の後ろにある、人の腰ほども高さがある大きな鉛玉。鎖が付いていて、それが新人冒険者に一人一つ、括り付けられている。


 レオが返事できないのは、そんな余裕がないからだ。こんなに近くに居るのに、まだ俺達に気付いてもいない。


 俺は思わず、その集団が通り過ぎるのを、じっと見てしまった。


 鉛玉が括り付けられているのは、ダンド・フォードギアのチームだけ。どこかその様子は、囚人のようだった。


「趣味の悪……」


「しっ」


 メノアが愚痴っぽくこぼしたが、俺はメノアの口を左手で押さえた。


 ソードマスターは、このセントラル・シティじゃ有名なギルドだ。悪口なんて言おうものなら、どこで何があるか分かったもんじゃない。


 ……せっかく頑張って大手ギルドに入れても、あれじゃあな。


 とは、どうしても思ってしまうけど。


 俺達は、ソードマスターの面々とレオがよたよたと去って行く様子を、なんとなく傍観していた。


 過ぎ去ってから、俺はメノアに言った。


「今の連中は、このセントラル・シティを護っている冒険者集団なんだ。あまり滅多な事は言わない方がいい」


「そ、そうか。すまない、ありがとう」


 メノアは遅れて少し、動揺しているようだった。


「ところで、そっちの彼女は?」


 チークがメノアを覗き込んで、そう問いかける。襲われた経験があるからだろう、メノアは少し怯えがちな瞳で、上目遣いに俺を一瞥する――が、俺は頷いて、大丈夫だと促した。


 どうでもいいけど、言葉遣いは女っぽくないくせに仕草がいちいちあざとい。


「わ、私は主……ラッツの知り合いで、メノアという」


「へー……ラッツにこんな可愛い彼女が……」


「違う訂正しろ、彼女じゃない。これでもきちんとした冒険者仲間だ」


「え、冒険者なの? それにしちゃ随分装備薄くない?」


「これから充実させるんだようるさいな」


 意外と鋭い所を突いてくるチークだった。仕方ないだろ。ついさっきまで装備品と言えば毛布しか無かったんだぞ。金欠にしちゃ上出来な方だ。


 メノアは俯いて、若干恥ずかしそうにしている。


「だが正直、胸はエロいと思ぷんっ」


 最後まで言い切る前に、俺はメノアからチョップを喰らった。チークは呆れているようだった。


 だが、俺は殴られても本当の事ははっきり言う方だ。これは仕方がないことだ。


 チークは興味津々で、メノアに聞いた。


「メノア、なんていうの?」


「何、とは?」


「いや、ファミリーネームよ。ファミリーネーム」


「ぷぇっ?」


 あらぬ声を出して、メノアが固まった。どこから声が出たらそんな返事になるんだ。これも文化か……。


 ここは、はぐらかすタイミングだ。メノアが返答に悩む前に、俺は言った。


「メノア・ブランケットだ」


「へ? 嘘でしょ?」


「いや。メノア・ブランケットだ」


「そんなファミリーネームあるの? まーた適当な事言ってるんでしょ」


「馬鹿お前、ブランケット一族を馬鹿にするのか? 食事の時も膝掛けは欠かさない、ブランケットをとても大切にする一族だ。朝はサニーサイドアップとブランケット。夜はカベルネ・ソーヴィニヨンとブランケット。バスタイムはロテンブロとブランケット。愛猫の名前はケット・シー」


「えっ……ご、ごめん、無知で。珍しい名前だと思って……」


「実在しないからな」


 瞬間、顔が地面にめり込んだ。


 チークが鍛治用のハンマーで俺の脳天を殴ったせいだ。


「んっとに……もおおぉぉぉ、あんたは……!!」


 やばい。そろそろハンマーゴリラがキレる頃だ。話題を変えなくては。


「と、ところで、実はチークに頼みたい事があるんだよ。ちょっと店まで連れて行ってくれないか」


「頼みたいことぉ?」


 別に近場の武器屋を回れば良いかと思っていたが、知り合いがこんな場所にいるなら話は別だ。頼ってしまえ。


 俺はガンガン痛む頭を抱えながらチークを指差して、笑みを浮かべた。


「武器が欲しい」




 ◆




 チークの店まで案内して貰って、店の前にメノアを立たせて自分は一人で中に入り、その五分後。


 俺は、チークに土下座していた。


 チークは腕を組んでため息をつき、困った様子だ。抱かれた胸の視覚的なインパクトがやばい。


「無理よ」


「そこをなんとかっ!!」


「いや、普通に考えて無理でしょ!! 私だって働いてるのよ!? 私がクビになるわよ!!」


 つまり、メノアの服と二人分の食事代を賄った段階で、俺の金は既に尽きていた。


 あるかなー、と思ったのだ。武器屋だったら、売れ残ってしまって、もう切れ味が悪くて使えない剣とか、弦の切れてしまった弓とか、そういうものが。


 だが実際は、定期的にメンテナンスをするので売れなくなるということはあまり無いらしい。無名の鍛冶屋が叩いた武器は安いらしいが、時間の経過で値段が落ちたりはあまりしないそうだ。


 まあ、魔力があれば切れ味も落ちないし。確かに、言われてみればそうだと思う。


 という事情があるが故の土下座である。


 つまり、『どんな代物でもいいから、ただでくれ』とチークに迫ったのだ。


「たとえば刃こぼれしてるとか、そういうものでもいいんだ」


「半端な物を渡すと死人が出るから、そういう要求には応じるなって師匠に言われてるのよ」


「じゃあ、捨ててくれていい。捨てる場所と時間を教えてくれ」


「鉄に戻して再利用できる所はするから、剣として使えないわよ?」


「ぐうううぅぅぅ……」


 なんてことだ。この様子じゃ、他の武器屋だって同じ返答だろう。


 まあ、冒険者に武器を売るのがブラックスミスの仕事だ。その武器を使って冒険者は冒険をする訳で、プロとして半端なものが売れないっていうのは、すごくよく分かる話だ。


 でも、今の俺にとっては絶望的な話だ。


「悪いけど、こればっかりは何を言われても駄目よ。譲れないわ」


 ……駄目か。諦めよう。


 俺は立ち上がり、次の手を考える事にした。たとえば、格闘術だけで……魔物と戦う事を想定してみる。アカデミーで格闘の基礎については教わっているし、実技だったからわりと鍛錬はできたつもりだ。


 そうやって金を稼いで、どうにか武器を買えるだけの金を貯めるしかない、か。


「でも、アカデミーは卒業したんでしょ? ギルドに所属してるんじゃないの?」


「ギルド?」


「大手のギルドに所属した新人冒険者は、最初に武器の支給を受けるものよ」


 思わず俺は、アカデミーの講師から最後に言われた言葉を思い出してしまった。


『もう二度と、うちに関わって欲しくないと考えている』


 俺は苦笑して、チークに言った。




「ギルドの所属試験は、落ちちまったよ」




 そんな制度があるとは知らなかった。確かに、この店に並んでいる武器の価格を見れば、素人の金欠が手を出せるものではないとすぐに分かる。


 冒険者の時代と呼ばれるほど、冒険者の数は多い。武器だって、まとめて買った方が安くなるだろう。


 知らなかった。


「えっ? だって、試験落ちたらアカデミーは留年……」


「あー、そうだったっけ?」


 チークが不安そうな顔になる前に、俺ははぐらかす事にした。


「つーか、あれよ。俺があまりに優秀すぎるから、まさかギルドの所属試験に落ちるなんて展開をアカデミー側も予想してなくてさ。留年するには席がないって、まあ俺ならソロの冒険者でも通用するだろうからって、それで卒業できることになったわけ」


「……」


「まあ、アカデミーの判断は正しいと思うよ? チークは途中で辞めたから知らないかもしれないけど、俺は首席のフィーナにも迫るくらいの勢いで優秀だったし。まあちょっと、所属試験はタイミングを外したというかさ」


 チークの驚いたような悲しんでいるような表情が、視線が、突き刺さる。


「ほんと、絵に描いたような優秀な生徒で……」


 痛い。


「ねえ。何が、あったの」


 目を逸らした。


「今、言っただろ。……そういうことだよ」


 チークはそれ以上、詮索しなかった。


 やっぱり、昔の同級生と深く話したりなんて、そんな事をするべきじゃなかった。セントラル・シティの人間とは、極力浅く広い付き合いを目指すべきだった。深く話せば、俺は皆にとって、害のある人間になってしまう。


 ここにだって、来るべきじゃなかった。チークを頼りにしようなんて思うべきじゃなかった。なんだか気軽に話し掛けてくれていたから、少し気が緩んでしまった。


 俺は、異端だ。少なくとも、ここにいる人達にとっては。


「じゃあな。邪魔して悪かった」


「ちょ、ちょっと」


 店の扉を開けて出て行こうとしたが、チークが俺の腕を掴んだ。


「……こっち、来て」



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