厄介ごと

 タコ男一行は繁華街に出て、高級そうな中華料理屋を訪れた。佐田の白バンを黒服が運転し、拓が助手席に座った。タコ男が運転する黒いマークIIには佐田が同乗した。駐車場に車を停めると、黒服は鍵を拓に渡した。ノートパソコンやDVD、VHSビデオも全て元に戻された。


 馴染みの店なのか、一行はかなり奥まった個室へ通された。照明は暗く落ち着いており、従業員は常に目を伏せ、物音一つ立てなかった。絨毯の毛も深い。広い円卓を四人で囲み、黒服が寄ってきたウェイトレスに小声で注文を済ませた。


 佐田も拓も落ち着かなかった。

 本来であれば逃げ出すべきであったかも知れない。

 だが慣れない暴力を振るわれた後では、逃げる選択肢は二人の間からいつの間にか消えていた。それは軽い洗脳のようなものだった。タコ男は重たい口を開かず、居心地の悪さだけが場を支配した。


 ビールが運ばれ、拓の高級そうな重たいグラスにも店のボーイから注がれた。一人ずつ、店の者が後ろに付き従うシステムのようだった。拓はビールなどを飲んだ事もないし、コーラの方が良かったが、ここで「コーラをください」と声をあげられる程の空気の読めなさ ──それは拓が本来持っていた良い所でもあった訳だが ──は失われていた。アルコールなど、飲んだ事もない。


「乾杯!」


 小柄なタコ男がコップを掲げると、黒服が「乾杯!」と呼応し、佐田と拓も躊躇いながら、弱々しく「乾杯……」とコップを掲げた。タコ男は一気に飲み干すと、


「くあああ! うめええ!!!」


 と大声を出し、ダンッとテーブルに空のグラスを叩きつけた。後ろから黒子のようなボーイが音を一切立てず、瓶ビールのお代わりを注いだ。続々と料理も運ばれてきた。


「さぁ食え! 腹減ったろ、どんっどん食え!」


 早速赤ら顔になったタコ男が煽った。

 拓はビールに口を付け、顔をしかめた。苦い。何が美味いのか分からない、が口を開くのは得策ではなさそうだ。佐田を伺うと、回転テーブルから自分の皿に料理を取り分けている。拓もそれに習い、大皿から適当に料理を自分の皿に取り分けた。とても良い匂いがする。


「俺は誤解していた」


 タコ男が佐田と拓に話しかけた。


「お前たちがインターネットを使って商売をしてるなんて知らなかった。目から鱗が落ちるようだった。これからは、そういう時代なのかも知れん。全く未知の世界に飛び込んだお前らを尊敬せざるを得ない!」


 手のひら返しだ。

 佐田と拓は安堵した。

 これで殴られる事はなさそうだ。

 しかし、こうした手のひら返しには厄介ごとが含まれる事が常だった。


 いつの間にかテーブルの上はご馳走で山盛りになった。少ししか手を付けられていない大皿も次々と入れ替えられ、新たな料理が出現する。タコ男はむしゃむしゃと勢いよく食べ、佐田も拓も大いに食べた。タコ男はよく喋った。自分がこの世界でいかにして危険をかい潜り、金を得てきたか。いかに九死に一生を得て、その後遺症に悩んでいるか(時折席を立って、傷口さえ見せた)。追い落とした人間がいかに惨めな末路を辿っていったのか。


 単なる自慢話に過ぎないが、それは巧妙に聞くものの心に小さな不安を植え付けるものだった。「俺を敵に回したらどうなるか」という小さな先回りの未来を聞く者に想像させる、遠回りの力の誇示、それと少しの親密な失敗談。敵とのやりとりを時にコミカルに、シリアスに語るタコ男は語りの天才だった。親しげな人好きする笑顔を浮かべ、それを酒や美味い料理と共に振舞われると、大抵の者は知らない間にタコ頭に好意と畏怖を抱くようになった。タコ男は自分の言葉と表情がどのような影響を与えるか理解していたし、それを行使する事に何の躊躇いも、惜し気もなかった。やがて、最終的に得をするのが自分だという事が分かっているのだ。


「いやもう、最高です」


 最高級の紹興酒を煽り、佐田はいつの間にか大いに食事を楽しんでいた。


 一方で、拓は気が気ではなかった。間もなく夜の十時を過ぎる。その前に家に、姉に連絡をしなければ心配を掛けてしまう。しかしタコ男の語りは絶好調であり、抜ける事は難しいかも知れない。佐田は酔っ払って大笑いをしている。


 その席は、ジャバザハットとすずりが加わる事で、更に賑やかさを増していった。


「お呼ばれに預かりまして」


 ジャバザハットがド派手でギラギラなコートを脱ぎながら華やかな笑顔を振りまいて挨拶をした。拓はそうしたコートがどこで売っているのか疑問に思ったが、それよりも奇異に思ったのは顔と身体つきだった。恐ろしい程の垂れ目と、豚のような形の鼻、受け口の顎とエラの張った頬骨と、およそ人間離れをしたものだったが、超絶技巧の化粧で「絶妙に普通のライン」を取り戻したかのような、視覚からの情報と脳の理解の乖離が著しい顔をしていた。それでいて、コートを脱ぎ去った身体つきはあまりにもセクシーで、見る者に「天は二物を与えず」という人類永劫の課題を想起させるのであった。


 拓はジャバザハットの後ろに居るすずりを見て、懐かしい気持ちになった。

 すずりはつまらなさそうな顔をして、目立たない黒いキャップをかぶり、黒くてすっぽりと身体を覆うダウンジャケットを着ていた。それらをウェイターに脱がされると、ニット素材のたっぷりとした暖かそうな薄紫色のワンピース姿となり、足元は丈の短い暖かそうなムートンブーツで、身長の低さも相まって、まるで子供のように見えた。ジャバザハットが170cmとすると、すずりは150cmあるかないかで、タコ男と同じくらいの背丈に見えた。


「どうも」


 一応タコ男に愛想笑いをして見せると、拓の隣に席が作られ、そこに腰を掛けた。拓の方には見向きもしない。拓はしばらく咳払いをしたり、大きな息を吸って視線を送ったりしてみたが、すずりは周囲を一切気にしないように自分の料理を取り分け始めたので、仕方なく声を掛けた。


「すずりさん、すずりさん」


 数度目の呼びかけで、ようやくすずりが訝しげに拓に目をやった。


「あら、顔射君」

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