よろしく頼むよ


「面接、どうだった?」


 帰宅した拓に母が聞いた。


「うかった」


「残念ね、まぁまた頑張ればい……え!?」


 母が大きな声をあげた。


「採用されたの!?」


 拓がコクリと頷いた。心なしか、少し誇らしげにも見える。


「あら、まぁ〜」


 母はエプロンを握りしめたまま途方に暮れたような声を上げた。拓が9年間引き篭もった部屋から出て来たのはたった数ヶ月前の事だ。部屋を片付け、朝食をとって部屋で勉強をし、昼食。運動をしに外へ出て帰宅後に仮眠、本を読んだり、また机に向かって勉強をし、夕食。しばらくして風呂に入り、夜の十時に眠る。特に自分から会話をするでもなく、家族の一員としてただそこに居た拓が、コンビニでバイトをするという。心配するな、という方が無理だ。


「い、いつから働くの?」


「明日の午後三時に来てくれって。夜の八時まで」


「そう。急なのね」


「佐田さんが教えてくれるって」


「そう、よかったわね」


 コクリと拓は頷いた。


「じゃあ、今日はスタミナが付く晩御飯にしましょ」


「僕、鳥の唐揚げがいい」


 拓の頭をくしゃくしゃにして、母はそう言うと思った、と言った。


 ◆


「え、うかったの!?」


 姉・優子は素っ頓狂な声を上げた。


「ふ、ふうん」


 何となく得意げな顔をしている弟・拓をしげしげと見ながら唐揚げをパクついた。


「まぁ頑張んなさいよ」


 うむ、と拓は力強く頷いた。


「いじめられたらお姉ちゃんに言いなさい」


「もう社会人何だから、いじめっ子なんていやしないわよ。ねぇ」


 母がお茶をいれながら言った。父は「う、うむ」と言葉を濁した。


「何言ってんのよお母さん、社会に出てからの方がよっぽど陰湿なイジメが蔓延ってんのよ? これだから専業主婦はアレなのよね。羨ましいわホント」


 呆れたように優子が言った。


「そうなの?」


 とキョトンとした母。モグモグとご飯を口に入れて優子は続けた。


「そうよ。挨拶無視なんて当たり前。提出した筈の書類が無くなる、裏で悪口はデフォよ。特にタチが悪いのは『仲間ですぅ〜』ってな顔をして情報を仕入れて敵に渡すクソども。あそこまで性格が悪いと顔を見てるだけで面白いわ。客だってね、販売員なんか人間だと思ってないんだから。テイのいいサンドバッグだと思ってるのよ」


「お姉ちゃんは」


 拓が口を開いた。


 久しぶりに「お姉ちゃん」と呼ばれた優子は虚をつかれたようにハッとした顔をしたが、すぐに元に戻った。母は「デフォって何かしら」という疑問をぶつけるタイミングを逸して、しみじみとお茶を飲んだ。そういえば、拓が優子をお姉ちゃんと呼ぶのもいつ振りかしらね。


「お姉ちゃんは何をして働いてるの」


「アパレル関係」


「アパレル」


「お洋服よ。ブラウスとかシャツとか、そういうファッション系の事を言うのよ。今は店頭に出なくて、裏で糞しょうもない表計算ソフトでアレコレやるお仕事な訳。低賃金、残業上等の正真正銘ブラックなお仕事よ。はっきり言ってあたしもコンビニでバイトしたい」


「いいじゃないの好きでやってるんだから。正社員だし」


 母がのんびりと言い放つ。


「好きでやるって言ったって、限度っていうのがあるのよ。最近知ったんだけど、そういうのを『やりがいの搾取』っつーの。いい言葉だわ、聞いた瞬間『あたしです!あたし!』って思ったもん。やりがいの搾取。美しい日本語だわ」


「やりがいの搾取?」

 拓は不思議そうな顔をした。


「拓はね、まだ分からなくていいのよ。とにかくお姉ちゃんのお願いは、いじめる奴がいたらすぐ言うこと。それと、また募集する時は真剣に応募を検討しちゃうから教えて」


「佐田さんが仕事を教えてくれるんだ」


「佐田?」


「ほら、前コンビニへパン万引き疑惑を聞きにいったじゃない」


 母が説明した。


「あの時、疑惑を晴らしてくれた男の人よ」


「あー」


 優子が宙に目をやって男の風貌を思い出した。顎に少し髭が生えた小汚い格好をしていた気がする。目つきは小狡い雰囲気を出していたが、体型がやや小太りで、憎めない優しい感じがあったような気がしなくもない。拓は佐田のことが気に入っているようだ。最初に接触した外界の人だったからかも知れない。


「まあ、いいんじゃないの?」


 優子がそう言うと、拓は嬉しそうに頷いた。


 ◆


 拓は昨晩、珍しく眠れなかった。新しい事を始めると思うと、胸がドキドキしてしまったのだ。


「どうぞよろしくお願いします」

 拓は姉に教わった通り、しっかりと挨拶をした。


 佐田はボサボサの髪を掻き、拓を見やった。

 以前、倒れた時よりもだいぶ健康そうな風貌になったような気がする。顔色も良いし、枯れ木のように細かった腕や足も、だいぶしっかりとしていた。声も聞き取りやすい大きさと滑舌になっている。佐田は驚いた。たった数ヶ月で人の身体と印象はこんなにも変わるものなのだ。よく見たらそう悪い顔ではない。意外とモテる顔かも知れない。人も良さそうだ。よく分からないが、やる気に満ちている。コンビニのバイトなのに。ははん、これは使える、と佐田は品定めをした。向上心に溢れる若者は、お前のためだと言うとすぐに何でもやってくれるのだ。


「まあ、よろしく頼むよ」


 佐田が挨拶をした。














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