第17話 影の討伐

早朝、七時、寝る間もなく不死討伐作戦は決行された。


カイサと攻撃班が死狼の森の入り口付近に待機。偵察班と誘導班が先に馬に乗って森の奥へと入っていく。


この三つの班はどれも危険な役割とあってどの班も恐れ知らずの屈強な村の男達で構成されていた。


打ち合わせ通りにことが運べば攻撃班が待ち構えるこの襲撃地点まで不死を誘き出せるはずだ。攻撃班の男達は皆一様に緊張した面持ちだった。


偵察班は森中に散って木の上から角笛片手に不死が姿を現すのを待ち受けていた。


偵察班は不死が通過したのを確認すると角笛を吹き鳴らし、誘導班と攻撃班にその位置を知らせる役割があった。


また誘導班は合計で十組に組み分けされ、木の上のそれぞれの偵察班の目下には二人一組の誘導班が配置されていた。


偵察班の目下に配置された誘導班は付近の角笛が吹き鳴らされると、隣の偵察班の偵察地点に移動。


次第に不死へと密集して集団で行動する魚群のように獲物を囲い込みながら不死を襲撃地点まで誘導する手筈となっている。


こうすることで角笛が吹き鳴らされた先に誘導班が不在のままで、不死が偵察班の索敵範囲から逃走してしまうという最悪の事態を避けているのだ。


森の奥から景気良い角笛の音が折り重なるようにして鳴り響く。不死が偵察班の網に掛かったようだ。


思っていたよりも早く不死が索敵の範囲に侵入した。後は誘導班がこちらまで不死を誘き寄せればいい。


森の奥――その上空に木霊して轟く銃声と共に鳥達が一斉に羽ばたいて森を離れていくのが時折、見える。


不死は森を物凄い速度で移動しているようだ。銃声は誘導班が放ったものだろう。予定通り会敵後こちらへと不死を誘導しているらしい。


銃声の数からしてどうやら誘導班も偵察班の角笛の音を聞きつけ、不死へと集結しつつあるようだ。


誘導班は馬に乗ったまま騎兵ピストルを構え、不死がこの襲撃地点までの経路を逸れないようにその巨体に裂魂弾を撃ち込み、火花をまき散らす烈火のごとき不死の進撃を妨害する職務を一任されている。


ちなみに昨夜の不死の強襲の際にも裂魂弾で応戦したが致命傷を与えられなかったため誘導班には不死の妨害工作として裂魂弾を装備させてあるのだ。


カイサは襲撃地点の中心で村の男達に見守られながら悠然と佇み、不死が森の奥から姿を現すのを険しい顔つきで待ち構えていた。


不死を殺すために今、自分はこうして森の入り口で不死を待っている。この半年――今まで不死が森から姿を現すのを今か今かと待ち続けていた自分とあまりに正反対であまりに剥離した動機と心持ちに宙を浮遊するような頼りない現実感を覚え、白昼夢でも見ているのではないかと思わず錯覚してしまう。


カイサは固く拳を握りしめ重い吐息と不本意な殺意をその場に充満させた。その場にいた男達もそんなカイサに呼応するように手汗の滲んだ武器を握り直す。


やるしかない。あなたを殺すしか……。


ふと、男達の怒号が森の奥から響いてきた。それと同時にビリビリと腹の底を震わすような地響きがこちらへと徐々に近づいてくるのが分かる。


攻撃班の一人が声を上げた。その姿を視認したようだ。手前の偵察班が角笛を吹き鳴らし、それを皮切りに攻撃班の男達が次々に裂魂弾を装填する。


ついにそのときが来た。死狼の森の奥から木々をなぎ倒し、大地を踏みしだいて、村の厩舎ほどの大きさを誇る四足の異形が村の外れへと攻め入って来た。誘導班は大分人員を削られたらしく半数以上が損耗していた。


誘導班の馬が蜘蛛の子を散らすように散開。影の不死は捕食対象を見失いそのまま攻撃班が待ち伏せる死狼の森の入り口――その目標地点へ――カイサへと直進する。


不死が赤く染まった眼光をぎらつかせ、猛り狂う水牛さながらの猪突猛進でカイサに突撃するが、寸での所でカイサは跳躍。不死の襲来から逃走する。


その場に取り残された不死は滑り込むように停止。途端、その場に大穴が出現した。そしてそのまま不死の片方の前足がその穴に吸い込まれ――爆発。不死の右前足が瞬時に肉片と血しぶきに様変わりし、跡形もなく消し飛んだ。


実はこの襲撃地点には少し工夫を凝らした落とし穴が仕掛けてあった。


まず穴には罠に掛かった獲物を殺傷するために尖らせた竹が隙間なく配置されているのだが、その竹の空洞部分に木の杭が竹の凶器と段差をつけるように奥まった配置で屹立することで凶器の二重構造を形成していた。


そしてその木の杭に裂魂弾から抽出した裂魂液を染み込ませることで、まず最初に槍のように尖った竹が表皮に突き刺さり、硬い獲物の表皮を突き破って内部を押し広げながら進み、裂魂液によって起爆剤となった木の杭が体内の深部まで侵入して肉体に触れると――起爆。


肉体を内側から破壊する殺傷力の高い仕組みの罠になっていた。


また大穴はベッドシーツを縫い合わせた大きな布で覆い、落ち葉などでカモフラージュすることで一目見ただけではそこに落とし穴があるとは気づかれないようになっている。


そして不死はその残虐非道な罠に掛かってしまい穴を一晩かけて掘り進めた村人達の努力が報われたというわけだ。


その場にうつ伏せになった不死が失った右前足でもがきながら落とし穴を出ようとする。カイサは不死のあまりに無残な惨状に攻撃することを躊躇するも彼らを取り囲んだ村人達は無慈悲にも武器を構え不死の息の根を止めようと前に出た。


攻撃班が装備する武器は地上の攻撃班が裂魂弾を装填した前装式のライフル。そして木の上の攻撃班が扱う武器が〝裂魂矢〟と呼ばれるものだった。


裂魂矢は裂魂弾と同じく内部に裂魂液の仕掛けを施してある縄紐の付いた矢である。


この矢の特徴は矢尻と矢の棒の部分に裂魂液を仕込んでおり、対象に突き刺さった後に末端の縄紐を手繰り寄せて引っ張ると、矢尻と矢の棒が分離して目標の体内で裂魂液が漏れ、そのまま爆発するという仕掛けだ。


手動で発動するため裂魂液が漏れるタイミングを決められ、一斉掃射後にまとめて発動すれば絶大な威力を誇る優れものでもあった。


これは先程の落とし穴と同様に主に体の表皮が硬く、肉体の深層まで柔らかい鉛製の裂魂弾が届かない大型の死狼に致命傷を与える武器として使われた。


つまり表層で潰れる鉛と違って体内で起爆するため、対象が巨体であっても肉体を大きく削れるのだ。


また攻撃班が装備するそれは矢の羽根に角度を付けて矢を回転させることで貫通力を上げて、なるべく深部まで仕掛け部分が到達するように出来ていた。


軍隊顔負けの布陣だったがここまで万全の備えを整えられたのには二つ理由があった。


一つは、村人の中には西の戦地から逃げてきた元兵士が何人かいて、その者達から銃器の使用方法を教えて貰うことで、その扱いに長けた村人が数多くいたということ。


もう一つは、そのときに使った武器は整備後に隣町で売り捌くため、西の戦地から装備一式を定期的に拾ってくる元兵士がいたということ。


つまりある程度武器の供給があったのだ。そのため備えは万全であった。


木の上のありとあらゆる方向から不死へと狙いすました射手――裂魂矢が一点に向けられ、影の魔物と化した不死の姿を捉える。


号令とともに矢が放たれ角度のついた矢羽根が空気抵抗を受け回転。そのまま猛烈な勢いで飛翔して影の不死――その硬い表皮に深々と突き刺さる。


矢を放った後に射手が矢の縄紐を引っ張り、裂魂矢の裂魂液が肉体内部で飛散――起爆――赤い飛沫――粉微塵になった肉片と血の豪雨が降り注ぐ中をカイサが猛進する。


それに続いて地上攻撃班がライフルを構え、降りしきる雹の様に裂魂弾を発射。それらは影の不死の大きくえぐれた肉体内部を撃ち抜き、着弾と同時に爆裂して肉を引き裂きながら規格外の巨体を尚のこと深層まで削り取っていく。


カイサは満身創痍の不死へ後方から近づきながらも、逡巡して攻撃の手を止めてしまいそうになるが、それでも自分の一身を想い人へと無理矢理突き動かす。


不死――。ごめん。


攻撃班の総攻撃に怯んだ不死へとカイサは間合いを詰めてその懐に踏み込むと、腕に光覆が集積して魂交の肉体生成により腕が刀身の長い骨の剣へと変貌。それを腕ごと大きく振りかぶると不死の鋼のように硬い総身へと連撃を叩き込む。


不死の後ろ足を一本、二本と魂交により生成された骨剣で切断。その後に最後に残った左前足を狙うが不死の大人の胴体ほどもある尾に弾き飛ばされる。


カイサの小さな体は宙を舞い、しかし空中で体勢を立て直すと木から跳ね返りそのまま不死へと接敵。再び豪速で振り下ろされた尾をぶった切りながら再生を始めた右前足と共に不死へと打ち掛かる。


しかしカイサの動きを予見したように不死の身体中を影の光覆が動き回り、カイサの右腕に絡みつくように伝搬する。


カイサは激痛に顔を歪めるも、影の光覆が付着した右腕を気化して回避。追い打ちの一撃とばかりに不死の首元の魂胞めがけて骨剣を叩き落す。


不死は首を振るって骨剣を顔面でいなし、大口を蝶の羽のように大開きにすると大地を揺らす咆哮とともに霧状の胃酸を奔出させた。


胃酸は半身の体勢で身を庇ったカイサに降りかかる。不死の体から出た胃酸とあって触覚が反応した。再び激痛がカイサの全身を蝕む。


煙を立ち昇らせて肉体が溶解し、流石のカイサも一旦離脱。そのまま胃酸の射程距離から離れるように木の上に一っ飛びによじ登る。そして全身を燃やすような痛みが引くまで一時休息をはかった。


不死の右前足の欠損が完治。後ろ両足が癒えきらぬままに四足で立ち上がると、負傷して赤い肉塊が覗いた後ろ両足を大量の血を噴出させながら酷使してその驚異的な自重を支える。


そしてそのまま二足立ちになり自らの巨躯の上半身を振り回して霧状の胃酸を周囲に拡散。木の上の攻撃班に胃酸を浴びせた。


胃酸が直撃して戦闘不能となった村人が数人、上から下へと矢継ぎ早に木の枝を折りながら落下していく。


そのまま落ちた村人達を不死の影の光覆が取り込むとイモムシのように蠢いて肥大。同時に不死の後ろ両足と裂魂矢の傷も治癒していく。それを見た村人達の中で動揺の声が連なるように上がった。


「不死が完全に復活した」

「このままだとまずい」

「カイサ頼むなんとかしてくれ」


カイサはそれに頷き不死が次の獲物を探し始めたのを見計らうと木の上から跳躍。空中で周辺の三方向の木を中心方向に切り倒し、倒木で不死の動きを阻む。身動きが取れなくなった不死はその場に標本のように釘付けにされる。


木の上で待機していた幾人もの村人達はカイサがもたらした好機を逃さんとばかりに、その影に染まった命を刈り取るべく裂魂矢を弓につがえた。


「カイサが不死の動きを封じた!」

「今がチャンスだ!仕留めるぞ」

「魂胞だ!魂胞を狙え」

「狙いを定めろ!一斉に放つぞ」


囲い込むように裂魂矢が不死に向けられ射手が一斉に弓を引き絞る。ひりつく様な緊迫感の中、不死がそれらの脅威から逃れようと倒木の下でもがくのも束の間。彼らは容赦なく全集中力を不死の魂胞へと向け、威勢よく発せられた号令と共に一斉に裂魂矢を放つ。


村人達の殺気だった気迫を乗せて裂魂矢が空間を貫通。不死の魂胞を捕捉する。


しかし魂胞を狙うという意図をいち早く察知したのか、不死の両耳の穴から表皮を食い破って出現した影の光覆がブクブクと泡のように噴き出すと、魂胞の周りを覆って飛来する裂魂矢を飲み込んだ。


射手はすぐに仕掛けの縄紐を引っ張るが、影の光覆の中から帰って来たのは千切れた縄紐だけであった。攻撃班一同は予想外の出来事に焦燥して顔が強張る。


しかし未だ健在の敵に怯まず、地上に展開されている攻撃班の村人達は影の光覆のベールに隠れた魂胞にライフルの照準を定める。


鼓膜を貫かんばかりの音を上げて――撃発。撃発。撃発。


撃ち出された裂魂弾は影の光覆へ吸い込まれ消失するも、魂胞の手前で爆発。影の光覆が霧散すると無傷のままの魂胞が現れた。


「……そんなばかな」

「だめだ……このままじゃ」

「諦めるな!次、装填、急げ」


不死は倒木からゆっくり這い出て、怖気づく地上の攻撃班を前に咆哮を轟かせる。そのまま一人を踏みつけその肉をついばもうと開口するが、カイサが横から飛び込んで不死の鼻先に取り付くと両目を骨剣で刺傷して不死の視界を奪う。


不死は顔をやたらめったらに振り回しながら胃酸を撒き散らし、流石のカイサも胃酸から逃げるように慌てて飛び退く。


飛散した胃酸はカイサや村人達だけではなく不死自身にも降り掛かり、胃酸によって焼けただれた皮膚から次々に黒い影の光覆が湧き出す。さらには影の光覆が不死の体を食い漁り次第に村人達にも被害の波紋が広がっていく。


影の光覆に仲間達が飲み込まれていくのを見て、攻撃班の表情は皆一様に絶望の色に染まっていった。


ある者は慄いて後ずさり、ある者は絶叫して森の奥へ逃げていく。攻撃班の包囲網が総崩れの中、小さな影――カイサがそれと相反して地獄絵図の中を駆け抜ける。


ここで自分が踏ん張らないと攻撃班が全滅してしまう。


光覆の一閃とともにカイサの肉体から気化の煙が吹き上がる。自魂交の光覆が絡みつくように脚に灯り、力の始点に光覆が蓄積するとそのまま弾丸のように疾走。


ぞわりと忍び寄る影の光覆を縫うように避け、不死の大口のすぐ下――魂胞へと着実に距離を詰めていく。


不死を殺すしかない。それがこの事態を招いたことへの清算なのだと、不死を前に躊躇して立ち止ってしまいそうになる自分に何度も言い聞かす。


ジグザグの変則的な動きで胃酸と影の光覆の合間を縫うように移動し、急速に不死との間合いを縮めると、カイサの脚から光覆が渦上に流動して骨剣へと移った。


不死をここから移動させてはならない。不死がこの地点から逃走すれば攻撃班の後方支援を受けられなくなる。


そして、もし自分達がここで少しでも攻撃の手を緩めれば、この攻撃班が立体的に包囲した襲撃地点から不死を取り逃してしまうだろう。そうなれば不死は一気に村へと歩を進めることになる。なんとしても不死をここで無力化しなくては――。


全てを終わらせるため決意を固めたカイサは不死の魂胞を目下の数歩先に捉えると、不死に密着するように大きく踏み込んで身を捩じり光覆を纏った骨剣を高々と振り上げた。


それは誰がどう見ても決着がついたように見えた。――いや、否――しかし光覆が脚から骨剣に移りカイサの俊敏性が鈍ったその隙、再び不死のその大口から胃酸がばら撒かれた。


胃酸を放散する予備動作に反応して急き込むように飛び下がったが、回避は間に合わず胃酸は無残にもカイサの体の正面に散布された。


苦し紛れに目を閉じるも、それは強力な胃酸を前に意味を成さなかった。一瞬でカイサの眼球が溶解した。


カイサは目を抑えて引っくり返り、痛みに身悶えしてうずくまる。激痛の中、暗闇がその場を支配した。


村人と不死の激闘を物語る怒涛の絶叫と悲鳴が辺りに撒き散らされる。


重複した銃声と裂魂液の起爆音。肉が破裂して弾け飛ぶ音。そして不死の轟然たるいななき。音が止むと往々にして鳴り響く地響きがカイサから遠ざかっていった。


両目が再生するとカイサは即座に目を開ける。そこには全身が溶けた死体――地上の攻撃班はほぼ全滅していた。


木の上の攻撃班はまだ幾人か残っていたが戦意喪失して最早戦える状態ではなかった。


森の奥の偵察班が信号拳銃で赤色の発煙弾を打ち上げる。赤は森から不死を取り逃した危険信号である。一時的に森の中で待機していた誘導班と、村の近くで控えている防衛班に合図を送ったのだ。


防衛班はこちらの攻撃班の後ろに控える後衛、村の最終防衛線の防御と弾薬の補填を一任されていた。しかし防衛班の約半数は女子供。戦力としては全くあてにならない。


また誘導班は防衛班の控える村の最終防衛線まで不死を誘導する手筈となっているのだが――。


不死はどこに……。


カイサは急いで森から出て不死の姿を探した。しかし、村の方に目を向けたそのときカイサの背筋に凍るような戦慄が走った。


不死は行く手を妨害する誘導班の誘導を無視して、最終防衛線への道筋を大きく逸れた大回りの進路で村へと力走していた。


カイサは光覆を足に灯らせて一目散に誘導班と不死の後を追う。


丘が見えてきた辺りで馬に乗った誘導班の最後尾に追いつくと、誘導班の一人が切迫した様子でカイサに警戒を促した。


「カイサまずい。俺達、誘導班が出遅れたせいで不死が最終防衛線への進路を外れた。このまま真っすぐ行けばもう村は目と鼻の先だ」

「分かってる」


カイサは渋い顔で返事をすると、村へと脇目も振らず疾駆する不死へと目を向けた。不死の猛進は誘導班の妨害だけではどうにもならなそうだ。


つまり自分が不死を食い止めなければ、不死が村にいる武器を持たない村人達に襲い掛かるのも時間の問題というわけだ。


カイサは誘導班の馬を次々に追い越して行きながら、誘導に徹する村人達に向かって指示を投げつける。


「ここは私一人でなんとか食い止める。だからあなた達は二手に分かれて防衛班の増援要請と村の人達の避難に専念して」

「よし。任せろ」

「すぐに防衛班を連れてくるからな」

「なんとか持ち堪えてくれよ」


誘導班の馬が二手に分かれて不死から離れていく。最終防衛線はここから数百メートルは離れているが馬の走力も加味すれば多く見積もっても数分で着くはずだ。


カイサは誘導班の馬が不死から離れたのを確認すると、不死に追いつきそのまま並走して不死に呼びかけた。


「不死、お願い止まって。村まで行かないで」


不死はカイサに目もくれず緩やかな丘を走り続ける。丘を越えるとついに村の田園地帯に侵入した。そしてその先にカイサの家を視認する。


村はその大部分が田園地帯に囲まれているため、民家はまだカイサの家以外見えていない。しかし一応は村の中まで不死の侵入を許したことになる。


これ以上不死を進ませるわけにはいかない。ここで食い止めないと。


カイサは骨剣に光覆の光を付与すると不死の左前足にその斬撃を振るう――一刀両断。不死は足を一本失いバランスを崩して田園に滑り込むように着地した。


カイサは不死と正対して村までの退路を塞ぐ。すぐさま不死は不自由な前足を引きずり起き上がった。失ったはずの前足はまたたく間に再生していく。


カイサの頭の中に昨日の村人達の「殺せ」の掛け声が独りでに響く。やるしかない。不死を殺すしかない。念じるように言ってカイサは身構えた。


不死が大口を開けてカイサに恫喝の咆哮を浴びせる。魂胞は大口のすぐ下の喉元。


不死がいくら不死身と言えど魂胞を失えば死に至るはず。問題はどうやってその魂胞を攻撃可能な間合いにまで潜り込むか。


何の策も講じずむやみに突っ込めば、先ほどのように痛みを伴う胃酸を全身に浴びることになる。


かと言って不死の体を傷つければ、そこから影の光覆が湧き出てしまい余計に不死へと近づきづらくなる。


ならば――。


カイサの全身に光覆が渦巻き、やがてその光は足に収束していく。そしてカイサの足から気化の煙が巻き上がった。


気化の煙が消え去ると靴を脱いだカイサの足の裏からスパイクのような突起物が無数に並んでいた。これもまた魂交の肉体生成を応用した骨の装備だった。


不死が焦れたように首を激しく揺らし、だらしなく開いた口から涎を飛散させると、カイサを血に飢えた眼で真っすぐに突き、――加速。そのまま列車のような速度で襲い来る。


両者を隔たる空間が凄まじい早さで縮小していき、激突――。


カイサは不死の顔を右半身と骨剣の突き出した左手で受け止めた。


衝突と同時にカイサは足裏の骨のスパイクで踏ん張る。スパイクが深々と地面に突き刺さり、カイサは地面をえぐりながら前進。果たして不死の突貫は止まり、カイサは不死の進撃を抑止することに成功した。


そのまま右手の骨剣を下顎から上顎へと串刺しにする。そして仕上げに右手の骨剣の根元を気化して腕から切り離した。


切り離された骨剣は不死の大口の上顎と下顎を貫いている。こうすることで不死の大口を固定して胃酸の攻撃を封印したのだ。


不死が痛みに身悶えして大きく身をねじるとカイサを振り飛ばした。カイサは不死との間合いをはかるように小刻みに地面を蹴って軽やかに着地する。


「カイサ負けるな!」

「村の未来がお前に掛かっているんだぞ!」


気付くと少し離れた所で最終防衛線から駆け付けた防衛班と誘導班の村人達が声援を送っていた。誘導班の村人達がその任を果たして防衛班の増援を連れて来てくれたようだ。


「カイサ頑張って!」

「怪力、負けるな!」


イチナとリンもいる。その傍にはライフルを体に背負ったまま運搬している侶死の姿も確認できた。


最後の仕上げだ。カイサは不死、その魂胞へと直進する。


不死の大口を封じた以上、不死が胃酸で攻撃をすることは出来ない。このまま魂胞を不死から切り離せば決着はつく。


カイサは骨剣を振り上げ吸い込まれるように魂胞に近づいていく。そしてカイサが不死の懐へと差し迫ったそのとき、事は起こった。


不死がカエルのように喉を膨らませると絞り出すように収縮――放出――口を閉じたまま胃酸を放ったのだ。


大量の胃酸が不死の口の中で溢れ出し、不死の顔の大部分が呆気ないほどの短時間で焼けただれて溶解した。


そして皮下組織が剥き出しになった痛ましい顔の残骸――そこから噴出した血煙とともに影の光覆が湧き出して土石流のように押し寄せると、油断したまま不死の眼前へと肉薄していたカイサに殺到した。


流動する黒い奔流が全身を包み込み、不死から影を伝って痛覚が押し寄せ、カイサの体を芯まで燃やし尽くす。


カイサはすぐに後方に退散したが最早手遅れ。その小さな体は影の光覆の圧倒的な物量を前にほぼ無抵抗のまま沈み、飲まれてしまった。


カイサはその場でうずくまり身悶えする。体を気化するも影の光覆の浸食の方が早い。意識がすり潰されていく。


「カイサ立って!」

「怪力頑張って!」

「しっかりするんじゃ!」

「村のために戦え!」


カイサに呼びかけるイチナやリン、侶死、そして村人達の声が次第に遠くなっていく。


そして黒い奈落に意識が沈んでいき、最後には周囲の音がぷつんと途切れた。


カイサの意識が外界から切り離され、そのまま暗転した世界を浮遊する。


そして周りの音にとって代わって、扇情的で不可思議なほどに甘美な囁きが、カイサの意識の最奥へと音も無く入り込んで、水中に絵の具を垂らしたように茫洋と拡散していく。



クスクス。クスクス。クスクス。



もう、苦しまなくていいのよ。



クスクス。クスクス。クスクス。



私達があなたを救ってあげる。



クスクス。クスクス。クスクス。



あなたを邪魔する人も、あなたを苦しめる人も、もういなくなる。



クスクス。クスクス。クスクス。



ただ、私達に身を任せればいい。



クスクス。クスクス。クスクス。



あなたはもう、何も怖くない。



クスクス。クスクス。クスクス。



………………だって、〝皆、殺しちゃえばいいから〟。



その囁きはカイサの本性を抉り、理性を駆逐していった。


心の奥深くで渇望する残酷な欲求が精神を隅々まで満たして、カイサの本質をよこしまに塗り替えていく。そして次々に生み出される抑えきれぬ激情が思考と感情を麻痺させ、脳内を狂気一色に染め上げていった。


氷刃のように冴えわたる冷えた意識が胎動とともに目覚め――、



暗黒を漂っている、カイサの中で、〝何か〟が――変わった。



カイサを内包していた影の光覆が振り払われた。


影から産まれ出たのは、黒子のような何か。


その漆黒の全身から黒炎を思わせる黒い影が立ち昇って、陽炎のように揺らめく。そして黒一色の上端に穿たれた二つ穴の中で、冷酷さを宿す血紅色に塗り潰された眼光が、面妖に揺れ踊っている。


熱を帯びていると錯覚させるほどに覇気のある黒い呼気を吐き出し、重力に身を任せ傾ぐ老木のように体を大きく左右に振ると、頭部を持ち上げ、


悠然と佇み、


ただ、


カイサは、〝嗤った〟。



――――――そうだ。〝皆、殺しちゃえばいい〟。



カイサは地を滑るように足を踏み出した。


それは何者かに取り憑かれ、活動を再開した死者のようだった。さして身構えることもなく、緩慢な動きで、ただ不死まで〝歩いて〟いく。


不死は体を硬直させたまま、異様な立ち振る舞いで近づいてくるその得体も知れない漆黒を警戒した。


ゆっくりと流れる時間の中で両者は対峙し、不死は無防備な格好の獲物を繁々と眺めるが、カイサは不死を恐れておらずその上、隙だらけだ。


その風貌はどこか不気味さを露見させ、彼女の立ち振る舞いもまた何者かに体を乗っ取られているようだった。


不死が痺れを切らして唸り声を上げると、少しずつこちらへと向かってくるカイサへと右腕を薙ぎ払った。しかしその途端に信じられないことが起こった。


幾重にも渡って旋風のように繰り出された斬撃が、薙ぎ払われたはずの不死の右腕を肩から末端まで無数の肉塊に〝細断〟したのだ。


目にも留まらぬ早業により細切れの肉片と化した不死の右腕が宙を舞い、その血しぶきとともに地面にぶちまけられる。


カイサの腕の骨剣は刀身が変形していた。刃の部分に複雑な形の突起が並列したその残虐さを物語る凶器――それを大きく振りかぶると地を蹴って一足飛びに不死へと接敵する。


不死が先程と同じように喉元を風船のように怒張させると、カイサを跡形もなく溶解させるべく、死力を尽くした胃酸を体外へ広範囲に発散した。


しかし殺気に染まった二つの赤光が妖しく光り、残像を残してカイサは不死へと瞬く間に距離を詰めると、接近ついでに細断した不死の右腕――その肉塊を一つ、二つ、三つと不死へと蹴り飛ばした。


それらは不死へと到達する前に、空中で胃酸とともに異臭と煙を巻き上げて消失する。そしてカイサがその煙を振り払って現れ、不死の目先に着地した。


不死はその巨躯を胃酸で急速に膨張させると、異物でもひり出すように隆起した盛り上がりを喉元へと移動させ、再度胃酸を放とうとする。


しかし不死の眼前に迫ったカイサは刃物のように鋭利な体捌きを見せると、すかさず不死の鼻先(マズル)を切り落とし、不死が射出姿勢に入る前に素早く体躯を回転させ、切断された上顎と下顎の中心にできた空洞――その喉奥へと収束するように骨の凶器を突貫させた。


綺麗な一直線が空間を切り裂いて描かれ、貫かれた不死の喉奥から大量の血飛沫と胃酸が骨の凶器を押し退けるように迸り、カイサの全身に降り掛かるも彼女は顔色一つ変えない。


というのも骨の凶器の複雑な突起により不死の喉奥の食道が破壊され、大部分の胃酸が食道から不死の体内へと逆流して、カイサ自身は胃酸をほとんど被っていなかったからだ。


カイサは噴き出した返り血を総身に浴び、更に喉奥へと骨の刀身を捻じ込むと、正対した不死は悲痛なまでの悲鳴を轟かせた。


それと同時に不死の表皮のそこかしこに、体内で漏れ出た胃酸が内側から肉体を溶解して痛々しい創傷を生み出す。


全身を駆け巡る痛みに不死は身悶えしていたが――しかし反撃に出る。


不死が喉奥を一突きにしていたカイサの骨剣を再生途中の両顎で強固に咥えると、顔をやたらめったらに振り回してその後にカイサを地面に叩きつけた。


そして更に顔を目一杯に振り上げ、カイサを先程よりも力強く地面に叩きつけようとするが、カイサは骨剣の根元を気化して空中へと逃れる。


カイサの体は綺麗な放物線を描いて宙に放り出され、不死は喉奥を穿った骨剣を噛み砕いて飲み込むと、喉元を絞ってカイサに目がけて密集した胃酸を吐出した。


カイサは体を丸めて両腕と両脚で頭部と魂胞を死守し、胃酸を防御すると背中で受け身を取って着地する。


反射的に体を動かしたため、カイサはなんとか胃酸から頭部と魂胞を守り切ることが出来たが、しかし代償に両腕と両脚を欠損してしまう。


不死はカイサを猛烈な勢いで追走。大口を開けると着地したカイサに追いついてカイサを力強い両顎でがっしりと捕縛する。


カイサは四肢の大半を失い為す術なく不死の大口に拘束される。そのまま不死は天を仰ぎ大口を開閉させるとカイサを口の中に流し込み、バリバリと盛大な音を立てて華奢な少女の骨を噛み砕きながら一方的にカイサを捕食してしまった。


だがカイサもなすがままにされる格好の餌食というわけではなかった。


不死の口の動きが突如として止まり、上顎がブクブクと不自然に膨らんだかと思うと、火山の大噴火のように血が噴き出し、上顎を突き破りながらカイサの骨の凶器が蒼穹を突いて出現したのだ。


そのまま複雑な突起の付いた刃――その切っ先を真っすぐ天へと突き上げ、不死の脳天を抉りながら反対側の大地へと叩き落とした。


不死の顔が喉元から真っ二つに裂け、全身の骨という骨が歪に捻じ曲がったカイサが、全身に大量の血を被った状態で、不死の顔の残骸から産まれたての子ヤギのように流れ出る。


不死はぱっくりと割れた顔を震わせ、たじたじと後退すると叫喚することも泣き叫ぶことも出来ずにその場でもがき苦しんだ。


カイサは全身の骨が再生すると緩慢な動きで立ち上がり、体をゆらりと左右に振って不死へと近づいていく。


目の前の死神に恐れ慄いた不死が苦し紛れに方向の定まらない胃酸を吐き出したが、胃酸を浴びたカイサは全く微動だにしない。


カイサの顔の皮膚がべろりと剥がれ眼球が焼けただれる――その奥に狂気の笑みを浮かべた白く小さなしゃれこうべが浮かび上がった。


影の光覆に全身を包まれ、身の毛もよだつ気味の悪い笑みを浮かべたカイサはそのまま不死の背へと飛び上がると、不死の体にその骨の凶器を突き刺し、肉体を抉りながら体中を這いずり回った。


不死は全身を這い回る痛みに声にならない絶叫を上げて暴れ回る。骨剣の複雑な突起が肉に引っ掛かり、不死の体からそれが引き抜かれる度に肉が削ぎ落されていく。


周囲に血と肉片を撒き散らしながら不死はその場を闘牛のように暴走した。そしてカイサの家に激突。不死は家の瓦礫とともにその場で伸びてしまった。


カイサは不死が家屋に接触する直前に飛び退いていた。そして最後の止めを刺すために不死へとゆっくり歩み寄っていく。



クスクス。クスクス。クスクス。



あなたは私の想いを認めなかった。



クスクス。クスクス。クスクス。



トキさんばっかり。この半年ずっと私のことを放ったらかしで。



クスクス。クスクス。クスクス。



もう、愛なんていらない。



クスクス。クスクス。クスクス。



お前なんか死んじゃ――。



不死の魂胞に骨剣を突き立てようとしたそのとき、カイサの目にある物が飛び込んできた。


カイサの足元、家の瓦礫の中に埋もれていたそれはクイネの大切にしていた本――『Cold Heart』と文字の練習の記念にと二人の名前が書かれた手帳の切れ端が入った写真立て。


それを見たカイサはたじろいだ。心臓が胸を早鐘のように乱打する。


それから見比べるように力なく伏した不死の姿に目をやった。その顔はひしゃげて目から血の混じった涙を流している。


ある言葉がカイサの頭をよぎった。



――〝何が正しい行いかを知ること〟――



「こんなの……間違ってる。私には……こんなこと……私にはこんなこと出来ない」


そう呟きカイサは虫の息となった不死の目の前で呆然と立ち尽くす。村人達が一斉にライフルを構えた。


「カイサどけ!」

「急に怖気づいたのか?」

「後は俺達がこいつを仕留める」


カイサはゆっくり振り返ると村人達の前に立ちはだかる。その目には揺るぎない決意が宿っていた。


「私は不死を見殺しには出来ない。不死を撃つなら先に私を撃って」


村人達はその言葉を聞き及び腰になる。


「何を馬鹿なことを」

「殺さないとまた村に攻めてくる」

「今やらないと俺達がやられちまう」


イチナとリンもカイサを説得する。


「カイサ、不死さんを明け渡して」

「怪力、何やってるの!今しかないじゃん」


カイサは言った。


「私は不死を殺さない。それが〝正しい行い〟だと信じているから」


村人達は一瞬の気の迷いを見せ、しかしやはり銃を構えなおし、そのまま引き金に指を掛ける――その刹那。


村人とカイサの間に眩い閃光が走った。村人達はその白金色の光に思わず目をつむる。そしてその光はカイサの元へと飛来していった。


突然の怪奇な出来事に慌てふためく村人達。その中で侶死がただ一人刮目していた。その光覆のような光に心当たりがあったのだ。


「あれは……光の精霊の光覆」


白金色の光。光の精霊の光覆がカイサの周りで浮遊して影の光覆を打ち消していく。


「カイサが光の精霊を呼び寄せよった。カイサが自分の正義を示したんじゃ」


侶死は圧倒されたように声を震わした。カイサの大きく見開かれた赤い目の奥に光の精霊の白金色の光が煌々と灯る。


「私の正義は〝成長〟。私は絶対に影には負けない」


カイサは現れた白金色の光に手を添える。


「光を司る霊よ。我が霊聞に宿りし言霊に応えよ」


白金色の光の粒子――光の精霊の光覆がカイサを中心に渦巻いた。カイサが霊契約を交わして行ったそれは〝精霊自魂交〟だった。

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