第13話 悲劇

クイネはバスケットを右腕に抱えてカイサの家まで続く道を一人歩いていた。


周りに見えるものと言えば大地を覆いつくす広々とした田園地帯と隅っこに追いやられたように佇む風車しかない。


クイネはカイサにあるプレゼントを用意していた。それはカイサと不死の再会を祝うための品。


二人のためにイチナと二人で夜通しかけて編んだペアルックのマフラーだ。


イチナも来るように誘ったのだが、クイネとカイサの不仲な事情を知っているイチナは手柄を全部クイネに譲ったのだ。


「カイサちゃん喜んでくれるかしら」


クイネはそう独白してバスケットの中に納まった深紅色のマフラーを見下ろした。


不死という死狼にクイネはまだ会ったことがなかった。


普通の死狼より大きいとイチナから聞いていたのでカイサ用のマフラーの倍の長さのマフラーを用意したのだが、これで足りなかったら編みなおさないといけない。


そうだとしても二人のために徹夜で編んだことに変わりはない。クイネにとっては気持ちを受け取ってもらうだけで十分だった。


マフラーを受け取ったときの二人の驚く顔を想像してクイネの顔が自然と綻ぶ。

もう陽は西の空へと傾ぎ、夕映えが大地と空を橙色に染め上げていた。


早く帰らないと日が暮れてしまう。今日はマフラーを作るのを手伝ってくれたお礼にイチナに料理をご馳走するはずだったのだ。


日暮れの空気は肌を刺すような寒気をまとい、凛と張りつめて雪解けの小川のように透き通っていた。


『クイネおばさんはお人好し過ぎる』


ふと、あのときのカイサの言葉が思い出された。ずっとあの言葉がしこりになってクイネの胸の中で舌禍のごとく彼女を苦しめていた。


自分のしているお世話焼きが間違いだということは重々承知している。それが〝息子を死なせた負い目〟から来るものなのだとしたら尚更だ。


きっとカイサも、私の中に蔓延る影を薄っすらと見透かした上で、自分のことを批判していたのだろう。


自分でも分かっているつもりだ。お世話焼きや善意という綺麗ごとを並べ立てる私は、身の丈に合わないおごりにまみれていると。そしてカイサを含め、他人からそう思われてもそれは仕方のないことだと。


しかしお世話焼きという聞こえだけは良い偽善を、自分が振りかざしているという事実があったとしても、クイネにはその行為がどうしても必要なのだ。


つまり、望まれないお世話焼きも、感謝されない親切も、それらは独りよがりの行為だとしても――〝罪〟を償うことなら出来るかもしれない。自分に〝許し〟を与え続けることなら出来るかもしれない。そう思うのだ。


クイネはカイサに認められたかった。


なぜなら、日頃から村の人達に白い目で見られているカイサの後ろ姿が、六年前のあのときにいつもいじめを受けていた息子の寂しそうな背中と重なるからだ。


そして、それがきっと、カイサの顔が目に留まる度にあの子の純真な笑顔が脳裏にチラついてしまう理由なのだろう。


カイサは息子と同じ目をしていると、最近になって気付いた。


どこがと聞かれても上手く説明出来ないのだが、真っ直ぐで曲がったことが嫌いなあの子と同じ光を目に宿していた。


他界した息子は当然戻っては来ない。


それでも、そんなカイサに親切をして彼女を救うことで、私という存在を受け入れてもらい、あのときの〝過ち〟を少しでも正せるのではないかと、そんな気がするのだ。


だが、それは同時に身を削ぐような痛みを伴うジレンマを生み出した。


自分は人が持つ善意には不思議な力があり、人を変える力があると信じている。人に親切をし続けることでこんな自分を変えることが出来るのだと。


しかし、果たしてそれは本当だろうかと、疑念を持ち始めている自分がいる。


むしろ、その親切の裏にエゴや偽善が見え隠れしている自分は、いつの間にかその意図から外れ、どこまでも醜い怪物に成り代わってしまっているのではないか。


そして、もしそうなのだとしたら、自分はいつまで経っても本当に望まれる親切を他人に施すことが出来ないまま、醜くあり続けてしまうのではないか――と。


本当は自分には何が足りないのか、薄々気づいていた。


善意は相手の凍った心を溶かすことが出来ても、偽善をともなった親切は結局いつか自分の心を凍らせてしまうのだ。


偽善に潜む影は他人を騙し、自分さえも騙し、そして心に根を張りながら肥大して、息を殺して身を潜めながら、その影が露呈する日を虎視眈々と待ち構えているのだ。


まるで呪いの様に。


自分はどちらを望んでいるのだろう。


善意は他人のためにあり、偽善は自分のためにあるのだとしたら、本当に自分を変えてくれるのはどちらなのか。善意とは本当に他人のためだけにあるのだろうか。



今からでも自分は変われるだろうか――。



いや、もう手遅れなのかもしれない。


偽善という薬によって自分を麻痺させるしかないのだ。


そして、それが私の許しになるのならば、私はそのお世話焼きを貫かなければいけないのだ。カイサの言う、そのお人好しを最後まで通さなければいけないのだ。


それは、自分のために。


決して自分の望む大切な何かを変えるためではなく、ただ影に染まった自分の〝嘘〟を守り続けるために。


だからこそクイネは信じたかった。


今まで多くの人の影を経験してきたカイサなら、穢れのない善意を知ることが出来るのだと、人の影に打ち勝てるのだと、そして影に染まった人々を変えられるのだと。


死狼の森が見えてきた。カイサの家は死狼の森から一番近いところにある。もうすぐで到着だ。


カイサがまだ帰ってきていない可能性もあったが、もし彼女がいなければ扉の前にバスケットごと置いておけばいい。


そのとき目に入ってきたのは村長の孫娘のリン率いる女の子達の集団だった。クイネとは反対の方向、そうカイサの家の方角からこちらへと歩いてくる。


リンはクイネに目を止めると不敵な笑みを浮かべてこちら側に駆け寄って来た。


「クイネおばさんこんにちはー」


リンが口の端を大きく吊り上げながらクイネに絡んでくる。クイネもそれに返した。


「リンちゃん。こんにちは」

「怪力、どこ行ったか知ってます?」


クイネは首を傾げ腕組みした。


「家にいなかったの?それじゃあまだ森から帰ってきてないのね」


リンは取り巻きの女の子達と何やらヒソヒソと内輪で話し始めた。クイネはその話の内容に耳を澄ます。


「やっぱり怪力、死狼の森に行ったんだ。リンのおじいちゃんの言う通りだね」

「えーってことは今頃、森で死狼の不死ってやつとイチャイチャしてるってこと?マジきもいんだけど」

「怪力は人間じゃないから仕方ないよ。まあ、きもいけど」

「ねえ、今度から怪力のこと変態怪力って呼ぼうよ」


クイネはコホンと咳払いした。


「ちょっといいかしら?」

「……何?」


リンはギロリとクイネに睨みを利かす。クイネはそれに堂々として問いをぶつけた。


「それってカイサちゃんが変態的なまでに怪力ってことかしら?それともカイサちゃん自身が変態ってことかしら?」


リンはクスクスと笑う。


「カイサが変態ってことですけど。それがどうかしましたか?」


クイネはすっとぼけたように声を裏返す。


「あら、カイサちゃんが変態的な怪力を持ってるって意味じゃなかったの?私はてっきり……。じゃあ、リンちゃん達はそのただの変態なカイサちゃんに一泡吹かされたってことね」

「……は?どういうことですか?」

「だってリンちゃん達、全員鼻息で吹き飛ばされたんでしょ?普通、鼻息じゃ蠟燭の火も消せないわよ?」


リン達は顔を真っ赤にする。


「な、なんでそのこと知ってるんですか⁉」

「イチナちゃんに聞いたの。その後に私が村の人達に噂を広めといたから多分、村中に知れ渡っているんじゃないかしら」


リン達はその場で地団太を踏む。


「おじいちゃんに言いつけてやる!」

「怪力と仲良くしとけ、バカ」

「覚えとけババア!」

「リン、行こう」


みっともないセリフを吐いて吠え面をかくリン達はそのまま敗走していった。


「いじめは程々に、ね」


クイネはリン達を見送ると死狼の森の方へと転進した。


さっきよりも日が落ちている。後、一時間もすれば完全に夜になるだろう。早くカイサの家までマフラーを届けに行かないと。


ふと足を踏み出したその刹那、クイネの目に〝白い影〟が映った。その影はどんどん大きくなって――いや違う――近づいてくる。


クイネの中で胸騒ぎがした。


それは白い死狼。いや死狼ではない。口が背中まで裂けている。その大口の中には幾重にも渡って生え揃う歯。この世の物とは思えない異形。物凄い速度でこちらへと迫りくる。


「逃げて!」


クイネは思わずリン達に向かって叫んでいた。生存本能がこの場を立ち去れと言っている。それなのに足が動かない。怖い。


リン達も白い異形に気づいた。甲高い悲鳴を上げて逃げていく。私も逃げないといけない。早くこの場から立ち去らないと。


リンが他の女の子に当たりその場でこけたのを目視した。他の女の子達は助けを求めるリンに目もくれず逃走していく。



――勇気を持て。クイネ。



『何が正しい行いかを知ること?』

ふと、息子の声が頭の中に響いた。

『そうよ。あなたもこの王子様のようなかっこいい大人になるのよ?』



――勇気を持て。動け。



『でも正しい行いなんて僕分からないよ』

息子は指を咥えてこちらへと純真な目を向ける。

『分かるわ。そのときが来ればきっと分かる』



――勇気を持て。動け。



『僕、王子様みたいなかっこいい大人になりたい』

『偉いわね。あなたならきっとなれるわ』



――勇気を持て。助けろ。



クイネは反転してリンへと走り出した。リンはすぐ傍まで差し迫った異形に怯えている。リンまで滑り込むように駆け寄ると声を掛けた。


「リンちゃん大丈夫?怪我は?」

「ごめんなさい。足がすくんで……」


リンは目に涙を浮かべて泣きじゃくっていた。


「怪我はないのね?なら立って。走って」


リンは震える声で聞き返す。


「クイネおばさんは?」

「私はいいから!さあ立って!走って!」


そのままリンは立ち上がると疾駆した。クイネはリンの遠ざかる背に怒声を浴びせる。


「村まで走って!何があっても絶対に振り返っちゃ駄目!」


リンの姿を見送るとまたその言葉が頭の中に響いた。



『何が正しい行いかを知ること?』



『そうよ。あなたもこの王子様のようなかっこいい大人になるのよ?』



『でも正しい行いなんて僕分からないよ』



『分かるわ。そのときが来ればきっと分かる』



『僕、王子様みたいなかっこいい大人になりたい』



『偉いわね。あなたならきっとなれるわ』



その日、暮れ行く死狼の森の前でクイネは最後の〝親切〟をしてこの世を去った。

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