第11話 影の異形
夜が明けると侶死がカイサを部屋まで迎えに来た。
「おお、ここにおったか。王族達の部屋まで行ったがどの部屋にもおらんくて肝を冷やしたぞ」
「ごめんなさい。あの後、色々あって部屋を変えたの」
カイサは一晩中泣きはらして真っ赤になった目を擦った。
侶死は首をもたげてカイサの目をじっと凝視する。
「何かあったのか?」
「大丈夫、何でもない」
「そうか」
侶死は頷くとカイサを甲斐甲斐しく先導する。
「行くぞカイサ。獅死達が待っておる」
侶死の優しさに触れて少しだけ心が軽くなった。今日は精霊魂交という大仕事が待っている。
不死に会うのは気が重いし、正直不死とも魂交したくなかったが引き受けた以上は最後までやり通さなければいけない。
『クスクス、クスクス、クスクス』
『もう精霊魂交なんてやめちゃえば、クスクス、クスクス』
『クスクス、クスクス、クスクス』
『不死なんて殺しちゃえ、クスクス、クスクス』
『クスクス、クスクス、クスクス』
『侶死も殺しちゃえ、クスクス、クスクス』
ああ、もう!うるさい、うるさい、うるさい!
魂湖には獅死と不死と雷死がいた。カイサは極力不死と目を合わせないように注意しつつ精霊魂交の準備をする。
精霊の元素となる物質――松明の炎、部屋のジャグジーから汲んできた水、そして氷のシャンデリアから取ってきた氷に石の建造物の壁から砕いた石、最後にこの魂湖の大地に吹き荒ぶ風、ひとまずはこんなところか。
「さて、カイサ昨日説明したことは覚えておるか?」
「不死と魂交して霊聞の力を高めるんでしょ?」
「それもあるがまずは魂湖で沐浴をせねばならんぞ」
そうだった。沐浴があった。カイサは不死を一瞥する。
沐浴は裸でやるとのことだった。しかし昨日のこともあり今この状況で不死の目の前で裸になるのはなんとなく嫌だった。そう、仮にあいつが見ていないとしてもだ。
「沐浴は絶対裸じゃないといけないの?」
「そうじゃ。裸じゃ」
「嫌なら飲んでもいいぞ」
獅死が言う。カイサは魂湖の水を覗き込んだ。血のように赤いそれは死狼餌から削ぎ落した加工前の人肉の海にも見えた。本当に飲めるのかこれ?
かといって服を着たまま魂湖に浸かると服が濡れてしまい、着衣したまま沐浴をしたことが侶死達にばれてしまう。それならばやるべきことは一つ。
「服脱ぐからみんなあっち向いてて!」
そう言ったカイサが自分の服に手をかけた。侶死と獅死と不死は慌てて顔を背ける。しかし雷死は無垢な眼差しをこちらに向けたままだ。
「雷死も!」
「雷死はよいじゃろう」
侶死の即答をカイサはすぐさま否定した。
「だめ!雷死も!」
雷死はバチバチと不機嫌そうに電流を鳴らすとそっぽを向いた。準備は整った。
カイサは服を――〝脱がずに〟魂湖に近づくと魂湖の水で〝手だけ〟洗った。「ひゃ~冷たい~」という嘘を吐きながら。
「お前は触角がないんじゃなかったのか?」という不死のつっこみも流石にこの時にはなかった。
そのまま魂湖の沐浴を適当に済ませると不愛想に不死へ声をかけた。
「はい、魂交」
不死がすごすごとこちらに近づいて来る。カイサは魂交を行うために不本意ながら不死に触れた。
不死の色に触れただけで昨日のことが思い出されて胸糞が悪くなる。
不死の光覆がカイサの中に入ってきて魂交状態になる。これで霊聞の力は十分に高まったはずだ。
「まずは水の精霊の精霊魂器を作るんじゃ」
言われるがままにカイサはジャグジーから汲んできた水に手をかざす。
「カイサ、ワシの言葉を復唱しろ。『水を司る霊よ。我が霊聞に宿りし言霊に応えよ』」
カイサは少しためらう素振りを見せ、それから言われた通り復唱した。
「……水を司る霊よ。我が霊聞に宿りし言霊に応えよ」
すると水がブクブクとあぶくを上げて泡立ち――拳ほどの大きさで形成された水の塊がいくつも出現してその場で浮遊した。
「よし!霊契約が成立したぞ!」
獅死が喜び勇んでその場で跳ねまわった。侶死が前のめりになってカイサに指示を出す。
「カイサ、それが水の精霊の精霊光覆じゃ!精霊光覆を取り込め!今すぐ精霊魂交するんじゃ!」
『クスクス、半年前の不死とカイサのあの魂交覚えてる?、クスクス、クスクス』
『クスクス、二人はあんなにラブラブだったのにね〜、クスクス、クスクス』
『クスクス、あの時に完全に不死のハートを射止めておけば、クスクス、クスクス』
『クスクス、おしいことしちゃったね、クスクス、クスクス』
カイサは眠るように意識を失った不死を見た。
そして半年前、カイサはこの場所で永死を倒して、魂湖に沈んだ不死を助けたとき、今と同じように不死と魂交をして、自分の過去と気持ちを打ち明けたことを思い出す。
今とは正反対の二人。もう戻ってはこないあの瞬間。二人を引き裂いた半年の時間。
全ての出来事が、もう取り返しのつかない過ちが、その記憶の一瞬一瞬が、烏合の後悔の群となって、痛みとなって、カイサの心を業火のごとく焼き尽くしていった。
なんで分かってくれない……。
クスクス。クスクス。クスクス。
私はこんなにも……あなたのことをこんなにも……。
クスクス。クスクス。クスクス。
それなのに不死は……それなのにあなたは……。
クスクス。クスクス。クスクス……死ね……。
突然、カイサの影が〝沸騰〟した。
沸騰した影は山のように盛り上がり、不死とカイサを飲み込む。そして影が二人を中心に渦巻いた。
『……死ね死ねクスクス死ね死ね死ね死ねクスクス死ね死ね死ねクスクス死ね死ね死ねクスクス死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねクスクス死ね死ねクスクスクスクス死ね死ね死ね死ねクスクス死ね死ね死ね死ね死ね死ねクスクス死ね死ね死ね死ね死ねクスクス死ね死ねクスクス死ね死ねクスクス死ね死ね死ね死ね死ねクスクスクス死ねクスクス死ね死クスクス死ね死ね……』
二人は影の奥底へと引きずり込まれていき、そのまま無限に復唱される呪詛の言葉の海に溺れる。
深淵の漆黒の中で轟く幾千という笑い声と、単調に反復する囁きが、崩落する氷山のような大音声で、耳を聾して聴覚を侵していく。
その笑い声と囁きはまるで、聞く者達の思考を塗りつぶすように、膨大な大きさとなって、急速に膨れ上がり、耳元に巣食っていった。
気の狂いそうな大音響に、カイサの意識が刻々と削られていく。
「カイサ!」
「……不死っ!」
二人を包んだ影のベールの中で不死とカイサは手を伸ばして手探りで相手を探す。
しかしカイサが不死の腕を掴んだ刹那――カイサは影の光覆から弾き出された。不死が腕を振り回しカイサを外へと放り投げたのだ。
カイサは尻もちをつき侶死達がいる魂湖のすぐそばに着地した。
カイサは自分を身代わりにしてそのまま影の光覆の中に取り残されてしまった不死の姿を探した。不死は完全に影の光覆に包み込まれている。
「どうしよう。わたしのせいで不死が……」
「カイサ!どういうことだ!魂湖の沐浴を怠ったのか⁉」
獅死がカイサに詰め寄る。
「ごめんなさい。裸になるのが嫌で――」
しかし侶死が制止する。
「謝るのは後で良い!まずは不死を助け出さねば」
「うん!分かった!」
侶死が影の光覆へと突進をかますが弾き飛ばされ、その後に雷死の雷道が続いたが同じく跳ね返された。
「……これはまずい。不死がカイサの影に取り込まれている。外から干渉することも出来ない」
事の成り行きを見ていた獅死が目をひん剥いたまま告げる。
そして影が消えるとそこにいたのは白い異形――変わり果てた不死の姿だった。
大きさと姿形はそのままだが口が背中まで裂けていて鋭い歯が幾重にも渡って大きな口の中に生え揃っている。
「……肉」
その異形は一言、そう呟いた。
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