第16話 決意の夜

その日の夜、カイサは不死が幽閉されていた牢獄の近く、死狼達の保管庫としても使われていた要塞で一夜を過ごした。


食べ物は元々盗品という罪悪感と引き換えれば十分にあったし盗品の中にはなんと毛布まであった。

要塞の入り口付近、カイサは毛皮のコートを敷き、その上で毛布を被って横になっていた。


欠けた月の明かりが要塞内部を仄明るく照らす中カイサは寝返る。


果たして自分はクシを助けられるだろうか。不死がいない今、永死との取引を守ることは出来ない。その上永死との戦いが一筋縄でいかないことも重々承知していた。


はっきり言って自分は永死には勝てないしクシを救い出すことも出来ない。


死を覚悟していた。漠然とした恐怖はもちろんある。本当に死ぬのが怖い。死にたくない。またその理由をカイサは知っていた。


――このまま何事もなく死んでしまうのが腑に落ちない。


自分でもらしくないと思う。でも生きている以上、死を恐れるのは当然のことだと思う。何者にとっても死は怖いものだ。

でも、それでも我ながら更に驚くほどにらしくない自分がいた。


人恋しい。誰かにそばにいて欲しい。心が押し潰されそうだ。


侶死は自分のことを部外者だと言った。本当にそのままの意味だったし、変な悪意も、言葉に何か裏の意味があるわけでもない。


そしてその言葉は確かに的を射ていた。


自分は部外者。ただずっと〝勘違い〟をしていただけ。今までと何も変わらない。自分はこのまま誰かの大切な何者にもなることなく死ぬ。


カイサは毛布にくるまる。勿論のこと毛布はなんの感触も与えない。ふと不死の温かさを思い出した。


もう少し不死に触れていたかった。自分が失った感覚。麻痺した触覚。何かを感じるということ。不死からはなぜかそれが伝わる。不思議だけど不死は温かい。


でもなぜ不死からは温かさが伝わるんだろう。死狼の特別な力のせいだろうか。しかし侶死や他の死狼達からは何も感じない。不死だけだ。こんなこと今まで一度もなかった。


草木が擦れ合う音がする。何かがこちらへと近づいてくる。

カイサは起き上がった。死狼はもうこの付近にはいないはずだ。白い獣が見えた。不死だ。月の白光を受けことさら白く輝いている。


よく見ると不死の体毛が帯電している。雷死も近くにいる。不死はそのことに気付いている様子はないので不死に隠れて着いてきたのだろうとおおよその見当はついた。


「やはりここにいたか」

「何の用?」

「出来るだけトキのそばにいたくてな」

不死は美しく整った毛並み、その一本一本がカイサに当たるほど近くに寄るとその場へと突っ伏し縮こまった。カイサはそっぽを向いて深々と毛布を被る。


本当は不死に触りたかった。最後にあの温かさをもう一度感じたかった。死ぬ前に少しだけでもいいから不死に触れたかった。


不死の体が毛布越しにカイサに当たっている。毛布なんて被らなければよかったとカイサは深く後悔した。


「お前に頼みがある」


何だろう。気になる気持ちを抑えてカイサは突き放すように言う。

「私にものを頼める立場?」

「少しの間だけ俺と魂交してほしい」

心臓が激しく高鳴った。飛び出そうになった素っ頓狂な声を咄嗟に口を押さえて飲み込む。


「何で?」


辛うじて発した声も語尾がかすれる。不死の手がカイサの腕に触れた。毛布の隙間から手を忍ばせたのだ。


羽毛のように柔らかく繊細な肌感覚がカイサの腕を滑る。そして少しづつ肌に染み入るように不死の体温が伝わって来た。


カイサは風邪を引かないために毛布を被ってはいたが、その感覚は肌には伝わってはこない。何も感じない。何かが当たっているという感じしかしない。


だが不死は違う。触覚を失ったカイサにその温かさと感触は思わず声が出てしまうほどに心地よかった。

カイサは毛布の中で目をつむりその心地よさに忍苦し声を押し殺す。


しかしそこでカイサはすぐに腕に違和感を覚えた。不死の手が小さくなっていく。いやそれだけではない。妙に感触が生々しい。皮膚。人肌だ。



「……え?」



目を見開き不死の方を見ようと振り返ろうとした。

「見るな」


不死が言う。


「だって不死、これ人間の手……」

「ああ、しかし今だけだ。どうやら俺はお前との魂交でトキと魂を交わした後のしばらくの間だけ人間に戻れるらしい。初めてお前と魂交したときに気付いた」


不死の手に探るように触れる。若い男の手だ。恐らく成人していない。そして綺麗な手だった。声も若者のそれだ。


「あなた、すごく若い」


そこでカイサは言葉に詰まる。そうカイサは若い男とはろくに口も利いたことがなかった。もちろん手を握るのも初めてだ。


「カイサ、本当に永死と戦うのか?俺と一緒に来てもいいんだぞ?」


遠くの方で雷が鳴るのが聞こえた。雨は降っておらず無論、雷死であることは分かっていた。雷死は儚くも失恋してしまった。


カイサは不死の手を振り払う。


「私だって逃げたい。死にたくない。でもクシを助けないと」

「死ぬのが怖いか?」


不死の手が毛布から出るのが分かった。不死の手の感触がまだ残っている。凄く惜しいことをした。手を繋いだままでも良かったのに。


「カイサ、一つ良いことを教えてやろう。俺が殺され不死身の雄死狼の中に魂砕されたときの話だ」


脅して揺さぶりをかけるつもりだろうか。だけど死の覚悟はできている。クシを助けに行くことはもう決定事項だ。そんなカイサをよそに不死は話し始めた。


「俺は殺され不死身の雄死狼の中に魂砕された。その瞬間は本当にあっという間に訪れた。死を前に何も抵抗することが出来なかった。俺は自分の無力さを知った。そして長い間俺の心は死狼の中を彷徨った」


不死の人間の声。それは月のない夜の海より静粛で、それでいて今日の大河の星々のようにその場にいる全てを圧倒するほど芯の通った美しい声。



「そのとき俺は思ったんだ。人の一生とはこんなにもあえなく終わってしまうものなのだろうか。人は何者にもなることなくただ消え去ってしまう運命なのだろうかと。そして生きる上でそれは当たり前のことか。もしそうだとしたら〝死〟とは単に膨れ上がった〝生〟を収束させ無に帰すためだけに存在するのかもしれないと」



不死は立ち上がった。



「何も残らないのにただ生き続けて、何かを残そうと必死に足掻いて、そして死の間際に結局何も残せず消えゆく自分を見て、生きたこと自体が無意味だったと悟って絶望する。しかしそれを初めから分かっているはずなのに人は戦うことをやめない。お前はそこに何か特別な力が働いていると思うか?」



「特別な力?」



「ああ、その力は目には見えなくても確かに存在する。死の恐怖とはそういった力の猛りなのかもしれない。自分を突き動かし、他人を動かし、ときにより大きなものさえも変えうる。『生きること』とはそういう力を孕んでいるんだ」


カイサは不死の言っていることの意味に気づき飛び起きた。不死はもう既に死狼の姿に戻っていた。



「俺も永死と戦うぞ。カイサ」





「なぜ、邪魔をした⁉お前が余計なことさえしなければ勝てたものを‼」

狂死は魂湖を前に永死と派手な口論をしている。


「とてもそのようには見えなかった。お前はもう戦わなくてよい」

「ふざけるな!俺の魂湖はどうなる⁉」

永死は駄々っ子をあやすように狂死をなだめる。


「まあ待て狂死。お前はこれからもここで俺と取引を続ければよい。俺が魂湖、お前が人間の魂。これはお互いにとても有意義な取引だったはずだ」

永死が喋っている間も狂死の口喧しい猛攻は止まる所を知らない。


「そう言えば!?不死の魂の取引の分、魂湖の水半分はもう俺の物のはずだが!?」

「安心しろ。それは必ずお前の物になる。だがまだ不死の魂は俺の手元にない」

「なら、先払いだ!先払いで魂湖の水をよこせ」

「駄目だ。取引を守れ」

「俺が魂湖の水を手に入れれば俺は不死もカイサも倒せるだろう。お前は黙ってただ見ておけばいい」


「取引、を、守れ」


語調を強める永死が剣幕を押し殺していることは火を見るより明らかだった。

「なんだ永死?まさか怒っているのか?」

流石の狂死もたじろいだ。今となってはその威圧だけで虫の息だ。


「思い出した――先払いと言えば、俺は悲死とある取引をしていた」

「どんなだ?」


話がそれたことに狂死はやや安堵したが、しかしそれは狂死が許されたわけではなかった。


「悲死は俺に何百という魂器の欠片を渡しその上で、もしお前が悲死を裏切るようなことがあればお前を殺せと言っていた」


「待て、俺はお前と取引をして悲死や死狼達の命を差し出したが殺したのはお前自身だろ⁉」


「安心しろ。悲死と取引したのはお前との取引が成立した後のことだ。悲死との取引以降、お前は悲死を裏切ってはいない」


永死は薄笑いを浮かべる。取り乱した狂死がよっぽど可笑しかったらしい。


「驚かすな」

「だがそれでもう一つ思い出した」

「なんだ?」

「お前はその時この森の死狼〝全員〟の魂を差し出すと言ったな?」


狂死の顔が凍り付いた。


「言いがかりだ!お前はただ俺が用済みになって――」

狂死の体から無数の肉根が生え狂死を嬲り殺す。


「取引を守れないやつは〝命〟を持って償え」

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