化物世界:猿の王国と破壊の機械少女

渡貫とゐち

出会いの章

第1話 島の少年

 人間は、生物との生存競争に負けた。

 喰う者と喰われる者の関係性は逆転し、

 ピラミッドの最下層へと、人間は押しやられた。


 都市は大陸ごと破壊され、

 人口は百分の一まで減少する。


 支配権が一瞬で移動する、大きな世界の転換期から百年――。



 強さだけを求めて進化した生物は、半球を覆う大陸に棲む。

 弱肉強食の世界は、生存競争を過激にさせていく。


 支配者から引きずり落とされた人間は、

 人工物の激減により参加することができなかった。


 だが、百年間の敗北によって、人間も進化を遂げる。


 そして、


 人間という枠から飛び出した者を『ハンター』と呼び、


 世界を支配する生物達のことを『バケモノ』と呼んだ。




「はぁ、はぁ、はぁッ!」


 鋭利な葉が集まる草むらを両手でかきわける。

 防御面に秀でている繊維を使った生地で作られた服でも、傷は無くならない。


 ぴりっ、と、また一つ、傷が増えた。


 白髪の少女、ウリアは、連続する痛みに顔をしかめる。


 だが、歯を食いしばる。

 止まれば痛みの限界を越えてしまうだろう。


 大木が並ぶ森林の中でも、間隔の狭い、僅かな隙間を選んで通る。


 自分の姿を相手に見失わせる意図があるのだが、姿は消せても匂いは消せない。


 方角を誤魔化せても、匂いで辿られてしまっている。


「っ、――しつこいッ!」


 追ってきているのは分かるが、相手の姿が見えない。

 自分で見晴らしの悪い場所を選んでいるのだから、自業自得なのだが。


 相手に見つかりにくければ、自分も見つけにくい。


 自慢の武器も、視界が晴れていなければ、まともに機能しなかった。


(外に出れば、待ち構える事で狙いを絞り、矢を撃てる……)


(一発勝負だけど、眉間に一発でも撃ち込めば即死になる!)


 行動を決め、光が八割、差し込まない森林の先を見る。

 上からの光はほぼないが、前からは見える。


 とは言え、微かな光だ。

 糸を針に通すような小ささだ。


 それでも見えた。

 傷が増えても関係ない。

 転びそうになっても体勢を立て直す事なく、勢いそのままに転がって、森林の外に出る。


 急な光に目が眩む。

 飛び込んできたのは青い空と海。


 黄色い砂浜。

 転んでも地面が砂なので、ちょうど良いクッションになった。


 直射日光が、ただでさえ輝くように見える白髪をさらに輝かせる。


 勢いによって、服にしまっていた長髪が流れ出る。

 振り向いた際の回転によって大きくなびく。


「さあ、きなさい!」


 短いスカート越しに見える腰のラインに取り付けた弓を、留め具を無視して取り出す。


 明るい青紫色のメタリックなデザインの弓矢だ。

 羽を広げた蝙蝠こうもりのようなフォルムをしている。

 同じく腰につけた円筒の中から矢を一本出し、弓につがえた。


 目の前に狙いをつけ、片目を瞑る。

 集中力は最大。

 森林の入り口に向け、視界を狭める。


 真っ暗でほぼ見えない森林の奥から足音。

 近づいてきている。


 弓の弦を引く。

 力を込めた。

 あとは離すだけ。


 そして、音がやむ。


「…………え?」


 無音の中に発生する圧力。


 風圧だけが先にきて、ウリアの白髪を真後ろになびかせる。


 遅れてやってきた巨大な塊が、少女の体を完全に捉えた。

 枠内の中心地点にいるので、八方どこへ避けようとも間に合わない。


 気づくのが遅過ぎた。

 とは言え、予想などできやしない。


 未知の相手と戦うのに、不意を突かれない事はない。


 相手は『バケモノ』だ。


 準備万端でも不十分。


 彼ら相手に、こちらが有利に働くような仕組みは通用しない。


「ッ――」


 言葉も出ずに、迫る塊がウリアの全身を叩




 ん?


 ――意識はある。叩かれた感覚もない。


 あるのは浮遊した感覚。

 その後の、地に足がついていない不思議。


 ぎゅっと目を瞑っていたウリアは、ゆっくりと目を開ける。


 すると、視界が高く、見晴らしが良かった。

 空も海も、広範囲がよく見える。


「さっきの一撃、当たってねえよな?」


 と、声が上からかかる。


 景色に見惚れていたウリアは、はっとして上を見る。


 黒髪の少年だ。

 銀色のわに皮のジャケットを着ているのが特徴的だった。


 というか、直射日光が銀色のジャケットに反射して少し眩しい。

 自分の髪の事を思えば、言える立場ではないのだが。


「…………誰?」

「こっちのセリフだよ。ひとまず、気づいたなら下ろすぞ」


 下ろすぞと言われてから、自分がお姫様抱っこをされていた事に気づく。

 憧れるシチュエーションではあるが、状況が状況なだけに感情が揺れる事はない。


 すとん、と、こっちが許可する前に下ろされた。

 ここは大木の枝の上。

 地面までの距離は意外とある。

 五階分……くらいか? 普通に高い。


 見下ろせば、さっき自分に迫っていた巨大な塊が、手の平に収まってしまう。


「あれって……」


 上から見れば、近過ぎて分からなかった塊も理解できる。


 あれは腕だ。

 茶色い体毛に覆われている。

 膨らんだ腕はやがて萎んでいき、高所からでは分からないほど、小さく細くなっていく。


 米粒くらいの大きさに見える『バケモノ』が、森林から出てくる。

 きょろきょろと辺りを見回し、頭を掻いている。


 ウリアを探しているようだが、見失ったらしい。

 匂いを辿られたらすぐにばれてしまいそうだが、意外にもそんな展開にはならない。


 見えるバケモノは興味を失い、森林へと帰っていく。

 安堵したのはウリアではなく少年の方だった。


「はあ……。ひとまず、あいつが馬鹿で良かったな」


 大木を背もたれにして寄りかかる。

 少年はウリアを見た。


「一応、匂いは残さないように一瞬で動いたけど、中にはそれでも匂いを掴む奴がいるからな。最悪、普通にここまでくる。

 あとはやる気次第だ。あいつは執着があまりなくて、考えないタイプだったから撒けたけど、違う奴だったらもう少し探してた。追ってくるかどうかは別として」


 ――で、と少年が区切る。


「お前は一体、なにを言って怒らせたんだ?」

「……なによ、それ。出会ってから落ち着いて話す第一声がそれ?」


 ああ、それもそうか――と少年は頷く。


「聞きたい事があったんだ。お前が、『女』、なのか?」


 はあ? と思わず声が出る。

 見て分からないのか、という常識は通用しなかった。


「…………女、だけど」

「へえ、初めて見た。俺さ、俺以外の人間、見た事がねえんだよ」


 おかしい。

 いくら人類が少なくなっているとは言え、人間を初めて見る人間なんているのだろうか。


「写真とかでは薄っすらな。話はよく聞いてる。

 こうして実物を見るのは初めてだ。やっぱり細部は違うけど似てるな。鏡みてえだ」


 そこまでは似ていないだろうとツッコミたい。

 それだと瓜二つ以上じゃないか。


「はいはい。そんなにいきなりテンションを上げられてもこっちが困る」


 ウリアは呆れる。

 あの一撃から救ってくれた相手だ。

 どれだけの実力者なのか期待していたが、ただの世間知らずの子供だった。


 自分の目的に利用はできなさそうだと考え、ここで別れる事を決める。


「あー、助けてくれた事は感謝するわ。ありがとう。でも、もういいから、放っておいて」


 つん、と視線を逸らす。


「そっか。でも、大丈夫なのか?」

「なにが?」

「ここ、結構高いけど、下りられるのかなあ、と」


 木の枝から下を見て、ごくりと唾を飲み込む。

 ウリアの身体能力なら、下りられないわけではない。


 だが、さっきの逃走劇と戦闘で体力は万全ではない。

 一つのミスでも命取りになる環境で、手負いのまま挑むのは中々の度胸がいる。


 こんなつまらないところで死んでももったいない。


 自分には、やらなければいけない事があるのだ。


「…………頼っても、いいの?」


 視線を向けずに頼んでみる。


 少年はウリアの躊躇った気持ちを知らずに、のん気に返す。


「別にいいよ」


 少年はすぐにウリアを抱え持つ。

 二回目のお姫様抱っこに、今度もドキリとしなかった。


 そんな余裕はなく、

 少年は枝の上から飛び降りた。

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