4.星月 美雨(ほしづき みう)

 それからが大変だった。


 『天ノ川かのんハグ事件』は、生徒たちへ相当なセンセーショナルを与えたようで、一日中、大騒ぎが続いたからだ。


 クラスメイトは授業中にチラチラこっちを見てくるわ、授業の合間の休み時間に他クラスの連中が覗きに来るわ、お昼休みには好奇心丸出しの女子グループが押しかけて「天ノ川さんとどんな関係なの!?」と質問責めにあうわ、etc……。


 陽太は陽太で、事情を知らないにも関わらず、女子グループとの会話にグイグイと加わってくるし。


「何でも聞いてくれよっ! 何を隠そう、オレとオカンは親友だからさっ!」


 キラリと白い歯を覗かせる、その爽やかな笑顔を殴ってやりたい衝動に駆られるけれど、あいにくそんな気力もない。というか、この際、ハッキリ言わせてもらおう。



 誰よりも俺が事情を知りたい。



 小さい頃、あの子にぬいぐるみをプレゼントした事実があったとしてもだ。それは一瞬の思い出だし、なにより『幼なじみ』と呼べるような親密な関係でもない。


 いきなり抱きつかれても、反応に困ってしまうというか……。いや、健全な男子だし、嬉しい気持ちもあったけどさ。


 とにかく、だ。


 女子からの追求は延々と続き(ちなみに陽太は途中から無視されていた。まあ、そうなるよな)、放課後になっても休まることなく、結局、俺は逃げるように学校を後にしたのだった。


 かのんも俺と同じように、クラスメイトたちから質問責めにあっていたのだろうか? できれば詳しく話を聞きたかったけど……。


 ま、明日にでも会いに行けばいいかななんて思いながら、迎えた高校生活三日目の朝。


 うららかな春の陽気の下、校門前には天ノ川かのんが佇んでいた。


***


 ミルクティーを思わせる淡いベージュ色をしたロングヘアが、春風に乗ってふわりと舞い上がる。


 可憐な顔立ちをさらに印象付ける青く大きな瞳は、行き交う生徒たちを魅了し惹きつけてやまない。


 その持ち主はこちらに気付いたのか、最低でも五億点は差し上げたい極上の笑顔を浮かべては、大きく手を振ってみせた。


「あっ! 蓮くんっ! おっはよー!」


 俺だけに向けられた、にぱーという無邪気な笑みに、思わず顔がほころんでしまう。……同時に周囲にいた男子生徒からは、妬みと恨みが混じった視線を浴びせられていたんだけど。


 とにかく慌てて駆け寄ると、かのんは「エヘヘへ」と笑い声を上げて、俺を出迎えてくれた。


「もしかして待っててくれたのか?」

「そうだよ〜! 本当は蓮くんのお家まで迎えに行きたかったんだけど反対されちゃって……」


 わずかに口を尖らせるかのん。いや、迎えにくるってウチの住所知らないでしょ?


 それよりなにより、さっきから気になっているんだけど。


「……えーっと。隣にいる、こちらの方は……」


 先程から一言も発しないまま、かのんと並び立っている制服姿の女子生徒を見やる。


 セミロングのさらりとした黒髪と切れ長の瞳が印象的で、背は高く、一七〇センチは超えるだろうか。


 スラリと伸びた手足と均整の取れた身体はモデルを彷彿とさせる抜群のプロポーション。可愛らしいかのんとはタイプの異なる知的美人といった感じだ。


「初めまして、オカン殿。星月ほしづき 美雨みうと申します。かのん様の専属メイド兼護衛として、天ノ川家に勤めております。以後よしなに」


 こちらの視線に気付いたのか、星月さんはうやうやしく頭を下げた。やや低音の落ち着いた声は、なるほど流石はメイド、ちゃんとしてるなあと感心するもので……って。


 ……は? メイド?


「……かのん様。もしかしてですが、オカン殿に事情を話されていないのですか?」


 俺の頭上に大きなクエスチョンマークが現れたと感じ取ったのか、星月さんはかのんへと視線を走らせた。


 同時に、明後日の方向へ視線をやるかのん。


「……え゛っ? ……あっ……。じっ、じじょーね? はっ、話そうとは思ってたんだよ? でも、ちょっと色々あったというか……」

「話されていないのですね」

「ちっ、違うよっ! 話そうとはしたんだもんっ!」

「話されてはいないのですね?」


 星月さんの迫力に気圧され、かのんはコクリと小さく頷いた。


 なんだろう? ついさっきまで、かのんに対して抱いていた『正統派美少女』というイメージが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくような……?


「……はあ。なんとなくですが、概ね理解はできました。この分では、オカン殿も戸惑っておられるでしょう」

「その、星月さんだっけ? どうして俺のあだ名を知ってるんだ?」

「なるほど。それもお伝えしていませんでしたか。このポンコツお嬢様はホントに……」


 専属のメイドにはあるまじき言葉を口にして、星月さんは深くため息をついている。


 かのんはかのんで、そんなメイドに怒るでもなく、痛いところを突かれたとばかりにいままでになく焦った表情を浮かべているし。


「ともかく、このままではオカン殿……いえ、岡園殿も不信感を覚えられたままでしょう。改めてご説明の機会を設けさせていただければ幸いなのですが」

「それは俺としても助かるけど、いまじゃダメなのか?」

「ひと目もありますし、なにより長話になるかと思います。本日の放課後はいかがでしょうか?」


 星月さんの言っていることはもっともなので、了解する旨を伝えておく。さっきから周りの視線が痛いしなあ。


「ありがとうございます。それでは放課後お迎えに伺いますので」


 星月さんが深々と頭を下げた矢先、かのんは再び無垢な微笑みを浮かべた。


「……お話、終わった?」

「とりあえずは」

「エヘヘへへ、良かったあ。それじゃあ蓮くん一緒に教室へ行こっ!」


 俺のブレザーの袖を掴み、かのんは下駄箱へ足を向けるけど。


 それを止めたのは他でもない星月さんで、かのんの専属メイドと名乗った知的美人は、氷点下の眼差しで自分の主を射抜いた。


「お待ちください、かのん様。岡園殿とはお話が終わりましたが、かのん様にはまだまだお話しなければならないことが」

「……はぇ?」

「ホームルームまではたーっぷり時間が残っております。その間、ゆーっくりお話しましょうね?」


 言い終えるよりも早く、引きずるようにしてかのんを連れ去っていく星月さん。


「やっ! やぁ〜だぁ〜っ! どっ、どうせお説教なんでしょぉ!?」

「少しはお黙りくださいませ、お嬢様。そんなに喚かれては、可愛いお顔がいつも以上にポンコツになりますよ」

「あ゛あ゛っ!! またポンコツって言ったぁ! 二回も言ったぁっ!」

「怒らせるような真似をするからです。さっ、参りますよ」


 そうしてポツンとひとり、校門前に俺は取り残されてしまったわけで。


 ……何だったんだ一体?


 なんというか、この短時間でかのんの印象もすっかり変わってしまったし、あとあの知的美人がメイドっていうのにも驚いた。


 何より、謎が一切解決しないまま、さらに別の謎が増えるという不思議展開になっちゃうんだもんなあ。


 とはいえ、放課後に事情を説明してくれるって、星月さんも話していたし。


 夕方までにはこの状況が理解できるようになると期待しよう。

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