愛と死 ――下条先生の恋人と病院で再会し、戸惑う私

 ランチの後は、木乃美のショッピングに付き合ったので、家に着いたのはもう五時を回っていた。木乃美の買い物の仕方は、すごく時間のかかるやり方で、買うことよりも商品を選ぶプロセスを楽しんでいるようだった。

 豚の出来損ないと落書きのような猫の絵がついた消しゴムを差し出して、どっちがいいと聞いてくる。


「分からない」と正直に答えると、

「センスがない」と呆れられた。

 結局消しゴムとノートを買うのに、二時間かけてようやく帰ることができた。それでも散々急かしたあげくようやく決めてくれたのだ。


 家では慎蔵先生が医学書を読んでいた。その横で満江さんが洗濯物を畳んでいた。

「遅かったわね。柊さんに無理言ったんじゃない」

「そんなことないよ、柊一君は何にも知らないからいろいろ教えてあげたんだよ」

 確かに私の先生には木乃美がちょうどいいレベルだ。

「柊さんも気がいいから大変だな。孫のわがままに付き合わせてほんとうにすまないね」

 慎蔵先生も医学書から顔を上げて頭を下げる。

「いえ、とても勉強になります」

 私は慌てて慎蔵先生に頭を上げるように頼む。

「そうよ、おじいちゃんたちは分からないと思うけど、木乃美と柊一君はとっても仲良しで、今日は結婚の約束もしたんだよ」

 木乃美は自分が悪者にされていると知って膨れている。


「さあさあ、ご飯にしましょう」

 満江さんが険悪な雰囲気を打ち消すように食事の支度を始める。木乃美も機嫌を直して支度を手伝うために立ち上がった。こういう時に切り替えて、さっと動けるのが木乃美のいいところだ。


 やっぱり満江さんの料理は、木乃美と食べたレストランの料理の何倍も旨かった。豚肉とジャガイモを煮込んだ料理は、絶妙の味付けでジャガイモがほくほくしてとても美味しかった。焼き魚も口に入れると、塩味がほのかに口の中に漂う絶妙な味付けだった。それにも増してお味噌汁が美味しかった。

 最後に満江さんの入れてくれたお茶を味わい、やっぱり食事の後はこれが一番だと確信した。お昼にはレストランの料理を褒めていた木乃美も、やはり満江さんの料理は好きらしく、ご飯をお代わりしていた。


 志津恵さんの話では木乃美は母親よりも満江さんの料理の方が好きらしく、家よりも祖母の家に来て食べる方が多いらしい。志津恵さんもそれを嬉しそうに話すから、こちらも変わった関係である。


 食事が終わって食器を片付けると、木乃美がさあお勉強しましょうと言ってテレビを点ける。

「やれやれ、今日は騒がしいな」と言いながら慎蔵先生は自分の部屋に退散していった。どんな番組を見るのか知っているらしい。

 慎蔵先生の家はリビングとダイニングが兼用で、大きな低い食卓に食べ物を置いて、椅子なしで畳の上に座って食べる。食事中はテレビを見ない方針なので、木乃美も番組の時間に間に合わせるために懸命に食べる。


 後片付けの終わった満江さんがやってきてりんごを出してくれた。

「あら、ずいぶん大人の番組見るのね」

 満江さんは子供向けのアニメが始まると思っていたのか、大人用の二時間ドラマが始まって驚いていた。

「木乃美はもう大人だもん」

 負けずに言い返すところが子供らしい。満江さんは思わず笑ってしまった。

「そうね。じゃあおばあちゃんは編み物をするわ」

 満江さんは手の器用さを失わないように、時間があれば編み物をする。看護婦はいつでも手が自由に動かないと、患者さんが不安になるというのが口癖だ。


 ドラマはそんなに面白くはなかった。人形劇と違ってテレビのドラマに関しては、ロボットが演じる方が、演技が精巧で面白い。

 シナリオも恋人の死などの起伏を織り交ぜながら、主人公とヒロインの恋愛の行方を劇的に描くのだが、矛盾が多いうえ作り物くさい。

 当人同士が不自然なほど告白しないから、二人の恋は遅々として進まなくてもどかしい。

 その間にライバルが現れたりして、ここでも不自然な悩みが発生する。

 こんな矛盾した行動を延々二時間も見せられ、最後は二人がお互いの気持ちを知って結ばれて終わる。なんだか時間を無駄にした気分だが、木乃美は違った。なんだか心地よさそうにしている。


「木乃美ちゃん、もう眠くなったの?」

 てっきりそう思って声をかけたら、木乃美は怖い顔で睨んできた。

「こんな感動的な場面で眠いわけないでしょう」

 驚いた。困っていると満江さんが助けてくれた。

「木乃美ちゃん、もう遅いからおばあちゃんと一緒にお風呂に入ろう」

 木乃美は素直に従って、満江さんと一緒にお風呂に向かった。


――今日会った下条先生と相手の男の人もこういう紆余曲折を乗り越えたのだろうか? 見た目にはそんなことが遭ったようには見えなかったが……

 ふと、そういう他人の気持ちに興味を覚えてる自分に驚いた。三一世紀ではありえなかったことだ。

 この世界に適応していくうちに、思考が変わったのかと思った。

 考えてるうちに、木乃美が風呂から上がって来た。歯磨きも終わってすっかり寝る支度ができていた。

 寝る前に本を読んで欲しいとリクエストされたので、一緒に寝室に向かう。

 読んでいるとすぐに木乃美が眠りに落ちる。その顔を見ていると、柊一も瞼が重くなってきてすぐに意識が途絶えた。


 週明けに慎蔵先生に頼まれて、慎二先生へ届物をするために、慶新大病院に向かった。

 二週間入院したおかげで、迷いなく内科病棟に着く。

 内科のナースステーションで声を掛けると、なんと木俣師長が応対に出てきた。少し緊張しながら、秋永先生に慎蔵先生からお届け物ですと言うと、あっさりと医局に案内してくれた。


 秋永先生は難しい顔をしてレントゲン写真を見ていたが、私に気づくと歓迎してくれた。

 少し顔が暗いので、何か心配な患者がいるのだと察し、素早くこの場を辞する。医者というのは、気軽に悩みを打ち明けられないから辛い職業だ。

 ナースステーションの前に戻ると、見覚えのある二人を発見した。

 下条先生とお相手の男性だ。声を掛けて近寄ると二人とも暗い顔をしている。どうしたのかと聞くのも憚られて、挨拶だけして立ち去ろうとすると、看護婦が下条先生を呼びに来た。

 お相手の男性と二人になってしまった。

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