18 夏祭りの憂鬱

 あの後も学校帰りに数回、ラーメン屋へと足を運んだが、爺さんは現れなかった。寂しくもあり、清々してもいるが、取り敢えずこの件は置いておこう。


 補習がやっと、終わったのだから。


 なんとか、全日程約20日間を満了した。

 やつれ果てた俺は、夕暮れ時の家中、一人リビングで寝転がって気を練る。


 あぁー、日常が帰ってきたという感じだ。ほっとする。

 今は、今だけは、何も考えずに自分の内側に閉じ籠りたい。

 殻に包まって、訓練に集中したい。


 ……背後で、扉が勢いよく開かれた。


「はぁ……」


 振り向く。

 シュテンか。


「ヒロ助、夏祭りにいくぞ!“わたあめ”なる雲のようなフワフワ菓子が食べられるそうなのじゃ!これを逃さぬ手はあるまい!はよ準備せい!」


 夏祭り。


 わたあめ。


 そうか。


 一人で行ってくれ。





「おぉ!賑わっておるのぉ!」

「いい香りがしますね。お腹が空いてきました」


 結局、来てしまった。

 ゲッソリしている俺とは対照的に、肉体を持った二人の鬼は大変興奮した様子で前を歩く。交互に出る足の速度は速く、付いていくのがやっとだ。


 こんな人ごみに来て、一体何が楽しいのか。飯も不味ければ、値段も高い。祭りで夕飯を済ませるくらいなら、コンビニ弁当の方が100倍効率的だろう。

 二人にしてみれば珍しい食べ物が多いのかもしれないが、そんなもの近くの店、若しくはネットでいくらでも購入できる。俺には、自ら駆り出す意味がまるで見出せなかった。


「おや、あれはイカ焼きですね。買ってきます」

「おほー!あっちにわたあめがあったぞ!童はそっちに行く!」


 それぞれが自分の望むものを求めに駆けていく。

 完全に、逆方向へ進みだした。


「お、おい!散り散りになって動くな!……あ」


 どちらに付くか迷っていると、早々に見失った。足が速い。


 こいつらは、なぜか目先の欲にかなり忠実だ。欲しいものを純粋に求める様は、正に子供然としており、欲求を満たすまでは露店を巡っていて帰ってこないだろう。それまでの合流は諦めるべきだ。


 いや、携帯電話持っていないのにどうやって集まるのか。

 そして、俺を連れてきた意味とは一体。


 ……帰ってもいいか?


「馬鹿共……」


 一人で呟いていても、虚しいだけだった。


 離れてしまったものは、仕方がない。

 とりあえず、歩いて夜ご飯分でも探して買うか。

 合流については向こうが探し当てるのに期待するしかない。


 出店を人の波に乗りながら巡る。

 焼きそばにタコ焼き。

 様々なものを見かけた。


 しかし、全く食べる気にならない。


 暑苦しい。

 俺は人口密度の高い場所が苦手なのだ。

 息ができない。

 死にそう。


 これはダメだ。


 脇道へとそれ、濁流から抜け出す。

 肌を覆う熱さは消えないが、吹く風は涼しく、先ほどとは雲泥の差だ。

人も疎らで、俺の生きやすい環境である。


 あの道は、きっと地獄だったのだ。黄泉へと導く、闇の回廊だ。そうに違いない。

 ……そこへ戻ることは、金輪際存在しないだろう。まだ、生きていたいのだから。


 やっとだ。やっと、綺麗な空気が吸える。待望していた時間だ。

 肺に澄んだ酸素を送り込み、淀んだ二酸化炭素を一気に排出する。


「ふぅ……」「はぁ……」


 空気が美味い……ん?


 同じタイミングで、誰かが深呼吸をした様だ。

 どうやら、俺の他にも現実への期間を果たした猛者がいるらしい。


 顔を拝見しようと、横を見る。


 見知った顔だった。

 食事改善によって、以前よりも少し肌艶のよくなった女性。

 眼鏡はいつものまま、服装だけを見たことのない普段着に変えている。


「「……あ」」


 小鳥結奈であった。





 屋台の灯りで照らされる、大通りからは少し外れた街の角。開けたスペースを見つけた俺は、水の入ったペットボトルを片手に、座り込んでいた。


 隣には缶のナタデココヨーグルトを持った件の人物もいる。服装は私服のようで、学校で見ている姿とは異なり、新鮮であった。


「一人か」

「うん」

「そうか、俺もだ」

「そう」


 ……会話が途切れた。話す内容もないのだから、仕方のないことだ。


 前に目を向けると、人の行列が未だ衰えることを知らない。

 騒がしく、誰もが笑顔を浮かべる。そんな光景を、どこか冷めた目で眺める。

 近くを流れる川の音が仄かに耳に入った。

 俺達だけ、世界の端に取り残されたみたいだ。


「彼氏ときていないのか」

「彼氏?」


 話す題材を探していると、体育祭の最後を思い出した。

 足の速度を揃えて歩く、二人の姿だ。


「一ノ瀬のことだ」

「……彼氏じゃない」


 小鳥の顔に影が差す。

 嫌なことを訊ねてしまったらしい。恐らく、喧嘩でもして、折り合いが悪いのだろう。

 今は、現状を聞かれたくないという事か。


 反省しよう。


「悪い、忘れてくれ」

「許嫁なの」

「……話すのか」

「親に無理やり決定された、許嫁。好きでも何でもない」


 込み入った事情がありそうだ。

 関わっても碌なことにはならないな。


 ペットボトルのキャップを切り、口に含む。


 まぁ、しかし、話したいのなら聞いてやらないこともない。話題も丁度尽きて、探していたところだ。手間も省ける。


 別に、気になっている訳ではないぞ。


「家で管理している会社が経営難で、光……一ノ瀬のお父さんが、援助してくれているの。許嫁の件は、親が、勝手に……」


 小鳥が詰まりながらも、少しずつ話し出す。

 自分を落ち着かせるためか、右手で上唇を触って、指をせわしなく動かしていた。


「学校ではあまり話さないけど、時々、何かあると呼び出されるの。それで、一緒に下校とか……してる」

「今日は本当に一人。夏祭りに一人でくるっていうのも可笑しいけど、ただ……気分転換。そう、気分転換がしたかっただけ」


 話を区切ると、中身のナタデココを全体へ馴染ませるように、缶の飲み口部分を下に向ける。数秒そのままにした後、缶を元の向きに戻し、栓を開く。軽く気持ちのいい音が響いた。


 飲み口を唇へと付け、傾ける。

 良い飲みっぷりだ。


「……そうか」


 体育祭の昼休みで見せた反応は気になっていたが、なるほど、やはり早乙女はこの事情を知っていたらしい。俺に話したのも、多少の信頼はあるだろうが、一人でも多く誰かに悩みを打ち明けたかったからだろう。


 語られたのは、家庭内事情。


 至って、どうでもいい話だ。


 俺とは何の因果も感じない、別ベクトルの話。手を貸す必要性は一切感じない。

 実際、俺にやれることは少ないのだ。関係性の薄い家庭へ他人が与えられる影響はごく僅かなのだから。


 されど。


 小鳥の顔には、どこか一抹の不安を覚える。

 助けを求める素振りは見せないが、抱え込んでいるのだろう。


 ふと、体育祭での渇いた笑顔を思い出した。


 自然と、体に力が籠る。


 本当に、俺とは関係のない話なのか。

 本当に、助けを求めていなかったのか。

 本当に、小鳥とは、他人だったのか。


「おい、小鳥」

「なに」


 本当に、


「……」

「?」


 本当に……。


「…………」

「……なに?」

「……いや」


 ……は。


「なんでもない」

「そう」


 別に、どちらでも構わないか


 女で、しかも式神契約を結んでいない、いつ裏切るかもわからない奴に、なにを真剣に悩んでいるんだか。


 馬鹿らしい。


 もし、俺が介入して解決したとしよう。何かリターンがあるのか?

 何もない。俺が一方的に損をするだけだ。


 助けたことで恩を感じ、俺に忠誠を誓うか?


 時間の無駄である。

 最悪、背後から刺されるのが落ちであろう。


 これ以上、深い仲になる気は更々湧かない。

 保証がない信頼関係なら、平行線が一番楽で、居心地がいいのだ。


 俺はその場で立ち上がる。


 そうだ、携帯がなくても糸を辿って呼べるのだった。

 今の今まで、完全に忘れていた。ずっと、使っていなかったからだろう。


 魂の結びつきを探りだし、久々の感覚に酔いしれる。

 二つの、周りよりもより太く、強く繋がった糸を見つけた。


 引く。


 呼び寄せる。


 来い。


 ……。


 早く来い。


 早く来てくれ。


 早く。

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