宇宙移民者の水曜日の朝

 ――めんどくさい。

 目が覚めて、最初の思考がそれだった。

 「朝一番に、何より先に思うことがネガティブなのは良くない」と反射的に考えて、思い直そうとしたが、過ぎ去った思考を変えることは不可能だと気が付いた。

 せめてもの抵抗として、起き抜けのカラカラの喉で精一杯に「おはよう!」と明るく口に出せば、少しはポジティブに一日が始まる気がして、声を上げた。


「……ぉはよぉ」


 思ったほど大きな声は出なかった。それでもその小さな声に『オハヨウゴザイマス』と部屋の片隅の古ぼけたスピーカーから感情のない返事があった。無感情なそれは、何も返事がないよりも寂しく聞こえた。あるいはスピーカーが老朽化して音がガタついているだけなのかもしれない。

 AIがカタカタと立て付けの悪くなったレールをカタカタと動かしてブラインドを開くと、窓から差し込む地球光が仄かに狭い空間を照らした。

 『午前7時デス。起床シテ下サイ』とAIが催促をする。かろうじて薄目をあけてスピーカーをにらみつけると、「わかってるよ」と不機嫌に言った。


「お前は毎日同じ仕事ばかりでよく飽きないな」


 AIに悪態にいちいち返事をするほどの機能はないのは分かっているが、それでもイラ立ちをぶつけずにはいられなかった。文句を言いながら少し起き上がりかけていた頭を枕に突っ込もうとしたが、AIはいつのまにか固定用のベルトを外していたらしく、ふわりと体は無重力に宙へ浮いた。

 このままずっと眠っていたい。寝袋のすそをぎゅっと握ってみたが、けれど、体は無重力に逆らえず、宙に浮いたままだった。

 ――だから無重力ってやつは!

 体が寝袋から放り出されたことに憤慨したが、しかし、起きなければ仕事に遅れてしまうことは確かだった。いくら起きようと思っていても、睡眠ブロックに居着いていれば二度寝してしまうということは、これまでの人生で学んだ最も大きな教訓だ。

 大きくひとつため息をつくと、しぶしぶと寝袋を手放して、睡眠ブロックの壁を蹴り、居住スペースへと向かった。


「さむいな」


 その言葉にAIが『室温ヲ上ゲマス』と答えた。それと同時に地球光が差すだけの仄暗い部屋に、パッと明かりがついた。古びた蛍光灯の嫌な光だ。

 ここがいくら宇宙コロニー外縁の無重力居住区と言えど、常に室温は適温に保たれているはずだ。人間にとっての適温に保たれている。

 だが、この寒さは寝袋に籠もった自分の体温と外気温の差で感じているだけである。しかし、毎朝どうしても寒さに耐えられず、暖房をつけてしまう。

 それに意味があるかどうかはよく分からない。大抵の場合、AI同様におんぼろなエアコンが、居住スペースの温度を上げるころには、寝坊気味の私が仕事へ出かける時間になっているからだ。それでも、この狭い居住区で感じる薄ら寒さに温度を上げずにはいられない。

 僕の住むコロニー外縁の無重力居住区は、貧乏人の街だ。

 重力税すら払えずにコロニーの大地を追いやられた人々の住む街。コロニーの外縁に小さな居住ブロックが無重力をいいことに上下左右を無視して、無秩序に積み重なる。そうして出来上がった小さな街がコロニーの端っこに虫のようにひっついている。

 一応、リビングの役目をする4メートル四方の正方形の居住用スペースに、旧時代のカプセルホテルのような睡眠ブロック、それに狭いトイレとシャワーが不格好にくっついた小さな家。それが我が家だ。他の居住ブロックも同じようなもので、それが整頓されずに積み重なっている。

 しかも、コロニーの外縁に無理矢理作った街だから、大抵は居住ブロックのドアの外は真空の宇宙空間だ。だから、我が家もそうだが、玄関には小さなエアブロックが付いている。

 ――人が住むような場所じゃない。ひどい街だ。

 しかし、その立地にも良いことはあって、僕のようにコロニーの外壁修理を生業にしているものにとっては、仕事に直行できる場所でもある。コロニーの中に住んでいれば、宇宙空間へ出るのにも宙出手続きが必要で小面倒なだが、ここではそんなものは必要ない。玄関前に係留した一人用の小型宇宙船ボートに乗れば、職場までは10分ほどだ。

 おかげで僕はこうして寝坊が出来る寸法だ。外縁にあるおかげで窓からは地球を見下ろせる。そう思って選んだ場所だが、しかし、ここに住んでいるとどうにも寒さが堪える。

 それは壁一つ向こうの真空のせいか、それとも、こんな場所に住まなければならない人生を無意識に恐れているのか、わからなかった。


 居住スペースで壁を蹴って、エアコンの吹き出し口の前に陣取って、温風を体に受けると、少しは体に熱が戻った気がした。体温が上がり始めると、また一つ欲求が湧いた。

 ――コーヒーが飲みたい。

 正確に言えば、きっと僕はコーヒーが飲みたいわけではないだろう。家にある暖かい飲み物がコーヒーしかないだけだ。暖かいものを飲めば、なんとなく冷えた背筋にやすらぎが得られるような気がしているだけだ。味なんて関係ない。

 こんな重力もない場所に住んでいるものだから、筋力は落ちて、重力下の居住区へ買い物に行く気もしない。しかし、無重力のコロニー港周辺で商売している人々は、宇宙空間で仕事をする人々や短距離航行の船乗りのための簡易的なものしか売っていないのだ。

 おかげで暖かい飲み物なんてものは、コーヒーくらいしか買うことができない。

 コロニー内の重力ブロックまで行けばいいのだが、弱った筋力で子鹿のように震えて歩く姿を人に見られたくはない。

 いや、子鹿のように歩ければ良い方で、あるいは長らく重力下へ出向いていない僕はもしかしたら歩けないかもしれない。それを笑われたくないというちっぽけなプライドのために、僕はコーヒーを飲むはめになっている。

 真空パック入りのコーヒーをレンジに入れて温めると、火傷しそうなそれを取り出して、エアコンの吹き出し口の前にまた戻って、テレビを付けた。

 誘電加熱で湯気を吐くコーヒーを、火傷しないようにチビチビと口へと運ぶ。ほら、熱すぎて味がしない。


 コーヒーを無重力へ放り出して、冷めるのを待つあいだ、朝食でも食べようと棚を漁って、バナナ味のカロリーバーを一本取り出した。

 そもそも朝食を食べるという習慣がなかった僕がこうしてカロリーバーを食べるようになったのは、『バナナを食べると幸せな気分になれる』というのを何かのデータで読んだから。

 しかし、“生もの”などという高級食材を買う金が僕にあるわけもなく、仕方がなくカロリーバーのバナナ味を食べているのだ。もっとも僕は今まで本物のバナナを食べたことなどないから、本当にこれがバナナ味かはわからない。一体、こんな辺鄙なコロニーにどれほどバナナを食べたことがいる人間がいるのだろうか。ただでさえコロニーの生鮮食品は庶民には手が届かないくらいに高い。それを好んで食べられるという人間は一部の金持ちだけだ。

 要はバナナを食べられる立場の人間は、それだけで幸福な人間と言って良い。そんな人間が高級品を食べるときというのは、さぞかしそれはなことだろう。

 つまり、僕が聞きかじった『バナナを食べると幸せになる』という話は、金持ち気分を味わえるという意味に違いないのだ。けれど、実はそういう意味ではなくて、もっと単純に本物のバナナはすごく美味しいから幸せになれるという意味なのじゃないかと、心のどこかで信じていた。

 そうというのは、僕のバナナに惹かれる気持ちが、ただ単に金持ち気分を味わいたいだけの矮小なものじゃないと思いたいからなのかもしれない。僕が無性にバナナに恋い焦がれているのは、もっと別な純粋な何かがあって然るべきだと、どこか信じていた。

 僕は決して幸福ではない。

 けれど、バナナ味のカロリーバーを食べると、不思議と少しだけ安心するようなきがした。

 それはバナナ味によって“幸福感”を得たからなのか、それともただ朝食を食べて空腹を満たしたからなのかは分からない。

 けれども朝食をちゃんと食べることは決して悪いことじゃないだろうし、バナナ味のカロリーバーは、ミドリムシのカロリーバーよりも美味しいから、朝に食べるのは続けようかなと思ってる。


 少し冷めたコーヒーを啜り、バナナ味のカロリーバーを囓りながら、何も考えずにぼんやりとテレビを見ていた。

 テレビは、今日も昨日と同じようなニュースを垂れ流していた。母星から離れたコロニーで誰に関係あるのか分からない地球の環境問題、顔も名前も知らない遠いコロニーの芸能人の不倫、誰が食べたくなるのだろうと首をかしげてしまう新開発の人工肉。

 毎日、繰り返されるようなニュースは、同じ日が繰り返されているのではないかと誤解しそうになる。

 いや、実際繰り返しているのかもしれない。

 テレビのニュースはどれもこれもが昨日も見たような気がする。一昨日も同じだった。その前も……いや、その前は日曜日だから、それはないか。

 だが、それでも僕は毎日同じニュースを見て、コーヒーを啜って、バナナ味のカロリーバーを食べていた。そんな気がする。

 僕は無意味に毎日を浪費している。

 このつまらない日常から抜け出す努力をしているわけでもないし、自分自身を変えようとしているわけでもない。

 ただ漫然と毎日を過ごしているだけだ。

 昨日、僕が無意味に浪費した“今日”が終わって、また“今日”が来た。

 ――つまり、それを積み重ねた僕の人生は無意味だ。

 テレビは繰り返される毎日の中で、繰り返し同じニュースを流す。このくだらない情報番組を見ている理由は、安心するからなのかもしれない。僕の人生と同じで何一つとして意味を持たない。

 僕以外にも“今日”を浪費している人間がいると確認できると安心する。

 だから、僕はぼんやりテレビを見ている。


 ふと、テレビから目を離し、小さな窓の外の地球を見ようとすると、お隣さんの赤い小型宇宙船ボートが窓ガラスを横切ったのが見えた。

 隣の居住ブロックの住人は、僕と同じくらいの年頃の女性だった。会話したことはほとんどない。引っ越してきたときに挨拶に引越しそばを渡したぐらいで、あとはたまにすれ違って会釈をする程度の間柄だ。

 いつも寝坊しているのか、赤色の小型宇宙船ボートが法定速度の3倍で走り去って行くのを毎日見かける。その慌てっぷりが、どこか自分と似ている気がして、僕は勝手に親近感を持っていた。

 だが、それ以上に彼女の姿を窓から確認しなければならない理由は、彼女が僕にとっての合図であるから。

 出勤するお隣さんがこの窓から見えた頃合いで、僕は準備を始めないと遅刻する。

 めんどくさいなと思いながら、空になったコーヒーのパックを中空に放り出して、濡れたタオルをパックから取り出して、さっと顔を洗った。

 早く準備して出かけなければ仕事に遅刻する。

 いや、さっき無意味にぼんやりとしていた時間をなくせば少しは余裕が出るだろうとか、そもそももっと早く起きたらいいだろうという意見があることは承知しているが、けれど、それはどだい無理な話だ。

 朝、ゆっくり眠っていたい気持ちや起き抜けにぼんやりとする時間、それらを犠牲にするほどに、僕は仕事に行くということに価値を見いだしてはいないからだ。むしろゆっくり眠るのも、ぼんやりするのも、遅刻ギリギリで済むように犠牲にしているのだから、それを褒めて欲しいくらいなのだ。

 冷たい濡れタオルで顔を洗うと、少しは目は冴えて、ほんのちょっぴりだけ「よし、やるか」という気なって、寝癖を直して、ヒゲを剃った。

 エアロックの手前のロッカーから宇宙服スーツを取り出すと、ため息が出るというのも、もはや毎朝の日課になってしまっている。

 子どものころは、宇宙服スーツを来て、宇宙で働くのをなんとなく格好いいと思っていたが、それがこうして実際に毎日着ていると、見るだけでげんなりとした気持ちになってしまう。まるで僕を縛る拘束具だ。

 その気持ちが浮き上がると、今度は自分の嫌な感情で、輝かしかったはずの自分の幼少時代さえも汚染された気がして、余計な嫌な気分に染まっていく。

 ――どうしてこうなっちゃったんだろう。

 宇宙服スーツを着なくても良い、重力下での仕事が出来るように努力しなかった自分が悪いと言われれば、それまでに過ぎないが、けれど、だからと言ってどうすれば良かったのだろう。

 僕は僕なりに良い仕事ができるように勉強したし、職についてからは一生懸命に働いた。けれど、それでもコロニーの重力税や空気税、日光税は高すぎて、それを払うだけで生活はどんどん破綻していった。

 そうして流れ流れて、無重力居住区に行き着いて、なんとか糊口をしのいでいるだけの生活をしている。

 僕は何か悪いことをしただろうか。

 なぜこんなにも生活が追い詰められなくてはならないのだろうか。

 そんなことを誰かに言ってみても、「仕方ないだろう」と、朝の情報番組以上に無意味な言葉を浴びせられて、論破した気になった“大人ってやつ”が得意顔をするに決まってる。

 ――あぁ、気に入らない。

 一人で想像して、一人で怒った。

 宇宙服スーツを見ていると、毎朝そんなことを思ってしまう。こんなものに腕を通したくないが、けれど今、この忙しい朝に、それをどうすることもできないので、大きなため息をついて、怒りを収めた。

 それが私の朝の日課であった。

 この宇宙服スーツが前時代にあった布の“スーツ”なら、もっと日常は楽しかったに違いない。

 遙か昔に地球のどこかで産まれて、その日常をすごしていれば、毎朝、“スーツ”を着るのも嫌じゃなかったに違いない。きっと昔の地上での生活はこんなにも平凡で無意味じゃないに違いない。現在いまと違って、きっと僕がやりたいこともなにかあるだろう。

 けれど僕はこの現代宇宙時代に産まれてしまった。過去へ行くことは出来はしない。ふと、そんな横槍の思考が頭を過ぎて、たわいもない妄想さえ自分で水を差してしまった。妄想でさえ僕は自由でいられない。

 なんで変なところで現実的なんだろう。

 あぁ、またため息が出る。


 嫌々ながらに宇宙服スーツを着込むと、気密を確認してエアロックに向かった。エアロックに入ると、減圧時間を示すタイマーが作動した。そうして減圧が終わると、最後に一つ、大きな大きなため息をついた。

 後ろからAIの『イッテラッシャイマセ』という無機質な言葉が響いたような気がしたが、それは真空に阻まれて耳には届かなかった。


 また“今日”という日が始まってしまった。

 どうせまた無意味な“今日”が始まってしまった。

 そうして僕は入り口の扉を開き、真空の世界へと踏み出した。

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